12 聖女さまの、お礼とため息 3
夕暮れどき。
戻ってきた星灯りの宿の食堂には、また温かいスープとパンの匂いが満ちていた。
「今日も、ごはんおいしい」
りんはスプーンをくるくる回しながら、満足そうに呟いた。
「魔界の料理も好きだけど、ここも好き〜」
「お嬢の“好き”の対象は、世界を軽く越えていきますね」
ネネはパンをちぎりながら、肩をすくめる。
「でもまぁ、今日は魔法の使い方、かなり抑えられていました。合格です」
「やった。ネネから“合格”出た」
りんは嬉しそうに笑った。
宿の主人が、二人のテーブルにポットを置きに来る。
「今日も、街は賑やかでしたか?」
「うん。おいしい匂いがいっぱいだった」
りんが即答すると、主人は小さく笑った。
「それは何よりです。ただ……」
言いにくそうに、言葉を濁す。
「“聖女様”の噂も、さらに広がっているようでしてね。昼過ぎには、教会の方やギルドの方が、この宿の名前を口にしているという話も耳にしました」
「“星灯りの宿”って、そんなに目立つ名前かな?」
りんが首を傾げる。
「いえ、お嬢の方が目立っております」
ネネが即答した。
「お嬢がいる限り、どの宿も、どの街も、そのうち目立つ宿になると思いますよ」
「なんかそれ、褒められてるのか心配されてるのか分からない」
りんが唇を尖らせると、主人とネネが同時に苦笑した。
◇
その夜。
りんとネネは、部屋の中でくつろいでいた。
窓の外には、遠くに教会の塔が小さく見える。
王都の夜は、魔界に比べると静かで、星の数もやや少ない。
その代わり、家々の明かりが、小さな星みたいにちらちらと瞬いていた。
りんはベッドの上に寝転がり、足をぱたぱたさせている。
ネネは椅子に腰かけ、毛並みを整える猫のように、髪の先を指先で整えていた。
「ねぇ、ネネ」
「なんですか、お嬢」
「“聖女様”ってさ……なんか、魔王とはいちばん遠いイメージじゃない?」
ネネは少しだけ考えてから、頷いた。
「そうですね。人間の感覚では、“光の象徴”と“闇の象徴”みたいなものでしょう」
「だよね〜」
りんは仰向けのまま、両手を伸ばして天井を指差した。
「その“光の象徴”扱いされてるのがさ、よりによって魔王の娘って、だいぶおかしくない?」
「だいぶおかしいですね」
ネネは即答した。
「もし、人間にその事実が知られたら、軽くパニックになると思います。教会は大騒ぎ、ギルドは混乱、王都全体が大騒ぎです」
「う〜ん……」
りんは、ぐるんと寝返りを打って、ネネの方を見た。
「やっぱり、バレちゃダメってことだよね〜」
「はい。それが分かっているなら、もう少し行動を控えめにしていただけると助かります」
「うっ……努力はする。たぶん。できるだけ」
「その“たぶん”が一番不安なんですが」
ネネは小さくため息をついた。
それから、ほんの少しだけ視線を柔らかくする。
「でも、お嬢が困っている人を見て、手を伸ばしてしまうのは……わたしは嫌いではありませんよ」
「へ?」
「だからこそ、“魔王の娘”であるという事実は、わたしが全力で隠し通します。お嬢は、お嬢のままでいてください」
りんは、一瞬きょとんとしてから、くすっと笑った。
「頼りにしてるよ、ネネ」
「最初から頼られているので、いまさらですね」
軽口を交わした、そのタイミングで。
コン、と、扉を叩く音がまた響いた。
「りんお嬢さま、ネネ殿。夜分に申し訳ありません」
宿の主人の声だった。
ネネがさっと立ち上がり、扉へ歩く。
「どうぞ」
扉を開けると、主人が少し緊張した様子で立っていた。
手には、一通の封書がある。
白い封筒に、教会の紋章が赤い蝋で押されていた。
「教会から、お嬢さま宛てに文が届きました」
「教会から?」
りんがベッドの上で体を起こす。
ネネは封書を受け取り、慎重に開封した。
中には、丁寧な文字で綴られた文章があった。
「……ふむ」
ネネが目を走らせる。
「なんて?」
りんがそわそわしながら尋ねる。
ネネは、簡潔に要約してみせた。
「王都で起こった“光による癒し”について、感謝と確認をしたい。もしよければ、教会にてお話を伺いたい──だそうです」
りんの顔がぱっと明るくなった。
「教会、中も見てみたかったし、ちょうどいいかも」
「お嬢」
ネネは額に手を当てた。
「これは“見学ツアーのお誘い”ではなく、“事情聴取に近いご招待”ですよ」
「でも、ありがとうって言いたいだけじゃないかな? さっきのおじさんもお礼に来てくれたし」
りんは首を傾げる。
ネネはしばし沈黙したあと、小さく息を吐いた。
「……お嬢のそのポジティブさ、嫌いではありません」
その声には、諦めと、ほんの少しの誇らしさが混じっていた。
「分かりました。明日は、教会に行きましょう。ただし、わたしは今日以上に気を張ることになりそうです」
「ネネが一緒なら、だいじょうぶだよ」
りんはにこっと笑った。
宿の主人は、ほっとしたように頭を下げる。
「お引き受けいただき、ありがとうございます。教会の方も、お嬢さまと会えるのを楽しみにしているようですよ」
「楽しみに……」
りんは、なんとなくくすぐったい気持ちになりながら、窓の外の塔を見やった。
暗い空の中で、教会の塔だけが、ぼんやりと白く浮かび上がっている。
(“聖女様”って呼ばれてるけど、りんはりんだし)
胸の中で、そっと言い聞かせる。
(魔王の娘でも、“困ってる人を助ける”くらいは、してもいいよね)
それが、光なのか、闇なのか。
りんには、まだよく分からなかった。
ただひとつ分かっているのは──
明日、教会の扉をくぐったとき、またなにか新しい“面白いこと”が待っていそうだ、ということだけだった。
⸻




