9 星灯りの宿と、テンプレ冒険者ギルド 3
掲示板の前でうろうろしていると、背後から、ざらついた声が飛んできた。
「おいおい、お嬢ちゃんたちよ」
りんの背中に、いやな予感が走る。
振り向く前から、脳内で大型の文字が浮かんだ。
(来た……! “絡んでくるテンプレ冒険者”だ……!)
振り返ると、そこには武骨な鎧を着た男たちが三人並んでいた。
一人は大柄で、腕には傷跡がいくつも走っている。
一人は痩せ型だが、腰には短剣を何本もぶら下げている。
もう一人は、いかにも口が軽そうな、にやにや笑いの男だ。
「ここはよ、遊び場じゃねぇんだよ」
にやにや男が言った。
「お嬢ちゃんみてぇな綺麗な子は、もっといい場所があるだろ? 危ねぇ場所は、俺たちみたいなのに任せときな」
「迷子か? 送り届けてやってもいいぜ。代わりに一杯奢ってくれりゃいいからよ」
りんは完全に固まった。
(テンプレ感すごい……! でも、現物は普通に怖い……!)
言葉が喉につかえて、うまく出てこない。
ネネが、すっと一歩前に出た。
「お気遣いなく」
声は穏やかだが、その眼差しは笑っていなかった。
「この方は、その……そういった場所にお連れしてよいお方ではありませんので」
「なんだよ、猫獣人の護衛か?」
大柄な男が、ネネを見下ろして鼻で笑う。
「おもちゃみてぇな護衛だな。そんな細っこい腕で、何ができるってんだ」
ネネはにっこりと微笑んだ。
「お嬢を守るには、十分ですよ」
「へぇ?」
大柄な男が、りんの肩に手を伸ばそうとした、その瞬間。
ネネの体が、ふっと消えたように見えた。
次の瞬間には、大柄な男の腕をつかみ、体重を利用してくるりと回転していた。
「てい」
軽い掛け声とともに、男の巨大な体が、あっさりと床に投げ飛ばされる。
「……っ!?」
鈍い音とともに床に転がった男が、痛そうにうめき声を上げた。
「手を出す相手を、お間違えでは?」
ネネは、いつの間にかりんの前に立っていた。
猫の尻尾が、スカートの中でぴんと張っているのが分かる。
「この野郎!」
短剣をいくつもぶら下げた痩せた男が、怒鳴りながらネネに飛びかかろうとした。
ネネは、一歩も動かない。
男が踏み込んだ瞬間、ネネの足がすっと横に出た。
「っと」
軽く足を引っかけるだけで、男の体が前のめりに傾き、そのまま床にすっ転ぶ。
「いってぇ!」
残ったにやにや男が、慌てて腰の剣に手を伸ばしかけ──
「抜剣は禁止ですよ」
カウンターの方から、ぴしゃりとした声が飛んだ。
ホール中に響く、よく通る声だった。
りんがそちらを見ると、受付のカウンターの向こうで、一人の女性がじっとこちらを見ていた。
きちんとまとめた髪。落ち着いた制服。
その瞳だけが、今だけは鋭く光っている。
「ギルド内での抜剣は禁止です、ガイルさん。規約、忘れましたか?」
にやにや男──ガイルと呼ばれた男は、一瞬で顔をひきつらせた。
「い、いやぁ、ちょっとした冗談で──」
「冗談でも、です」
受付嬢は微笑みもしないで言った。
ガイルたちは、ぶつぶつ言いながらも、これ以上騒ぎを大きくする気はないらしく、転がった仲間を起こして、しぶしぶその場を離れていった。
周囲の冒険者たちから、ひそひそと声が上がる。
「今の見たか?」
「猫獣人の子、身のこなしやべぇな……」
「完全にプロの護衛じゃねぇか」
「ってか、あの金髪の子……噂の“聖女様”ってやつじゃねぇの?」
その言葉に、りんの背筋がまたぴくっとした。
(いやいや、聖女じゃないし……魔王の娘だし……)
心の中でツッコミながらも、口には出さない。
◇
さっき声を飛ばした受付嬢が、カウンターの前からこちらへ歩いてきた。
近くで見ると、整った顔立ちに、きりっとした目元が印象的な人だ。
「お騒がせしてすみません」
受付嬢は、りんとネネに向かって軽く頭を下げた。
「さっきの人たち、悪い人ばかりではないんですけどね。時々調子に乗るんです」
ネネが一歩前に出て、丁寧に頭を下げ返した。
「いえ。こちらこそ、お手を煩わせてしまって失礼しました」
受付嬢は、ネネの立ち位置と仕草を一瞥し、すぐに状況を察したようだった。
「あいにく、ここは粗野な人も多い場所ですから。……あなたが護衛さん、というわけですね」
ネネは穏やかに微笑んだ。
「はい。この方の身の安全を守るのが、わたしの仕事です」
受付嬢の視線が、りんの方へ移る。
「あなたは?」
りんは、緊張で少し喉がからからになった。
「え、えーと、りんです。なんか“遠い国のお嬢さま”ってことになってるらしいけど……」
言ってから、自分で少し恥ずかしくなった。
受付嬢は、ふっと口元をゆるめる。
「ふふ。自分で“なってるらしい”って言う人は、あまり見ませんね」
りんは視線をそらして、ローツインテールの毛先をいじった。
受付嬢は、少し真面目な顔に戻る。
「遠い国から来たお嬢さま、ね。……もし、冒険者として登録したいというご希望があれば、いつでも相談に乗りますよ」
「え?」
「治癒の腕が立つ人は、どこも欲しがりますから」
受付嬢は、意味ありげにそう言った。
りんの心臓が、またどきりと跳ねる。
(やっぱり、噂、ここにも来てるんだ……)
ネネが一歩前に出た。
「本日は、見学だけのつもりでしたので」
声は丁寧だが、完全にお断りモードだ。
「お嬢は、まだ王都そのものにも慣れておりませんし、余計なトラブルの火種は、できる限り減らしたいので」
「それが賢明かもしれませんね」
受付嬢はあっさり引き下がった。
「でも、もし将来気が変わったら。そのときは、ギルドはいつでも歓迎しますよ」
その言葉を最後に、彼女はカウンターへ戻っていった。
◇
ギルドを出て外の空気を吸った瞬間、りんは思わず大きく息を吐いた。
「……疲れたぁ」
「まだ何もしてませんよ、お嬢」
ネネは、少しだけ呆れたように言った。
「“見るだけ”のはずが、思った以上にゴタゴタしてしまいましたが」
「だって……」
りんは、腕を抱えながら言った。
「冒険者ギルドって、もっとわくわくする場所かと思ってたけど……なんか、ドキドキの方が強かった」
「ええ、間違いなく“わくわく”より“ゴタゴタ”の方が多い場所です」
ネネはきっぱりと言い切った。
「でも、ネネが一瞬でやっつけちゃったの、ちょっとかっこよかった」
「褒めても、何も出ませんよ」
それでも、ネネの尻尾は、スカートの中でほんの少しだけ機嫌よく揺れた。
りんは、ギルドの建物を振り返る。
「でもさ……また、ちょっと見てみたいかも」
「……はい?」
「今度は、もう少し離れた場所から、ね。さっきみたいに真ん中で突っ立ってると、いろんな人の目が集まっちゃうから」
ネネは、深く長いため息をついた。
「お嬢、その言い方が一番フラグっぽいんですが」
「フラグ?」
「いえ、なんでもありません」
ネネは首を振り、大通りの方を指さした。
「とりあえず、今日はここまでにしておきましょう。帰りに、気になっていたパン屋に寄るくらいは許可します」
「やった!」
りんの顔が、ぱぁっと明るくなる。
二人は、ギルドを後にして、夕方の王都の街へと戻っていった。
◇
その日のうちに、冒険者ギルドの中では、ひとつの噂が静かに広がり始める。
──金色の髪の、“聖女様”みたいな女の子が、ギルドに来ていたらしい。
猫獣人の護衛を連れた、不思議なお嬢さま。
その噂が、やがて王都のあちこちへと、少しずつ形を変えながら広がっていくことになる。
けれど、その頃のりんはまだ、星灯りの宿の夕食のことしか考えていなかった。
「今日は、どんなスープかな〜」
魔王の娘の一日は、そんなふうに、のんきな期待と、本人に自覚のない波紋の中で、静かに過ぎていくのだった。
⸻




