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9話 拒絶される聖域


 今までの活動範囲は、アークポッドの真下に広がる「死の森」の周辺に限られていた。

 だが、今回少し遠出しただけで、物資の消耗や装備の摩耗が予想を遥かに上回った。自分の認識がいかに甘かったか、ミーヴェルは骨身に染みて痛感している。

 母の墓前で「行ってくる」と告げたばかりですぐに引き返すのは癪だったが、背に腹は代えられない。長旅に耐えうる万全の準備を整え直すため、ミーヴェルは一度、我が家へと戻ってきた。

 重苦しい夕闇が荒野を包み込む中、ようやくアークポッドの真下へと辿り着く。

 他人が見ても判別できないよう、上昇リフトのハッチはステルスで不可視化されている。だが、ミーヴェルは慣れ親しんだ足取りで、正確にその真下へと立った。

 

 「……やれやれ、やっと戻ったな。アイ、ハッチを開けてくれ。はぁ……武器の手入れに、装備の選別。やることが山積みだ」

 

 心身ともに疲弊したミーヴェルは、いつものルーティンが自分を迎え入れてくれることを疑わず、安らぎのシャワーとベッドを渇望していた。

 だが、アイから返ってきたのは、安らぎとは程遠い無機質な断絶の宣告だった。

 

 『……反応ナシ。上昇機構、完全ニ沈黙』

 「……は?」

 

 聞き間違いかと思い、ミーヴェルは動きを止める。アイが幾度もアクセスコードを飛ばしているようだが、アークポッドは石像のように沈黙したままだ。本来なら、地面を震わせる重厚な駆動音が響き、迎えのリフトが降りてくるはずの場所。

 そこで聞こえるのは、耳障りな電子ノイズと、内部で何かがショートしているような、不気味な火花の爆ぜる小さな音だけだった。

 

 「アイ、どういう事だ。コードが弾かれたのか?」

 『否定。アクセス自体ハ確立シテイル。……外部カラノ、物理的ナ強制介入ノ形跡アリ』

 「物理的……介入?」


 アークポッドは高度なステルスと、ロストテクノロジーによる強固なロックで守られていたはずだ。それを物理的にこじ開ける存在など、この世界にいるはずがない。

 戦慄しながら見上げたハッチの隙間。そこには、赤黒い夕闇に紛れるようにして、見たこともない「黒い結晶」が、癌細胞のように醜く這い回っていた。

 この「物理的な壁」を排除しない限り、リフトに乗れないのはおろか、アイを先行させて居住区へ向かわせることもできない。アークポッドを包むステルス迷彩と強力なバリアは、内部からの誘導がない限り、アイの飛行ユニットすら無慈悲に叩き落とす鉄壁の檻だ。


 「……誰がこんな真似を。アイ、強制排除の方法は無いか?」


 反応のないハッチに対し、アイは最終手段として自身の端子を直接ポートへ有線接続した。だが、その直後。


 『解析中……解析中……カイセキ………カイ――セ……キ……』

 「アイ? ――まさか!? おい、アイ!!!」


 アイのレンズが狂ったように明滅し、機体がガタガタと震えだした。ミーヴェルは直感的な危うさを感じ、火花を散らすコネクタを力任せに引き抜く。


 「大丈夫か!?」

 『…………』


 沈黙。レンズの光が消え、ただの冷たい金属の塊になったかのような静寂。

 心臓の鼓動だけが、嫌に大きく耳元で鳴り響く。

 数秒、あるいは数分にも感じられた空白の後、アイのレンズに、今まで見たこともないオレンジの警告灯が灯った。

 

 「橙!?」

 『……警告。個体ミーヴェル、離レロ。ソレハ私ノ「論理回路」ヲ直接喰ライ尽クス、未知ノ論理生命体ダ』


 禍々しい橙の光。それは常に冷徹だったアイが、初めて「恐怖」を演算し、回路の奥底で悲鳴を上げた瞬間だった。機体からは異常な熱気が立ち昇り、内部で何かが焼き切れるような異臭が漂う。


 『……カナリ損傷シタ。今モ、何カガ……私ノ奥ヘ、侵食シテ……キテ……イル。通常ノ処理能力デハ……間ニ合ワナイ。……残サレタ手段ハ、一ツダ。ソノ革袋ノ中身ヲ……私ニ』

 「――基板か!? だけどまだ解析が済んでいないぞ! ウイルスが仕込まれている可能性だって……」

 『天秤ニ掛ケタ場合、マダソッチノ方ガ勝算ハアル。……未知ノ論理生命体ト、ソノ基板。仮ニソノ基盤ニ害ガアッタトシテモ、私ノ強制排除能力デ対処デキル可能性ノ方ガ……高イ。時間ガ……無イ……イソ……ゲ……』

 「……っ、わかった! 耐えろよ、アイ!」

 

 ミーヴェルは震える手で革袋を引っ掴み、中から鈍い光を放つ翠色の基板を取り出した。解析も、適合テストも、絶縁処置すらしていない。最も忌むべき、命懸けのぶっつけ本番。

 アイの背面のメンテナンスハッチを力任せにこじ開け、剥き出しの回路スロットへ、未知の基板を叩き込む。

 ガチリ、と運命の音がした。

 直後、のたうち回るような橙の光と、基板から溢れ出した圧倒的な翠がアイの機体の中で激突した。火花が散り、アイの機体が跳ねるように硬直する。

 ――静寂。

 そして――アイの全センサーが、世界そのものを書き換えるような鮮烈な輝きを放ち、周囲の闇を焼き払った。

 

 「ぉおわぁ!! まぶっ――」

 

 思わず腕で顔を覆うが、閉じた瞼の裏までをも突き刺すような翠の光が溢れる。

 やがて、網膜を焼くような光が落ち着き、ミーヴェルは恐る恐る目を開けた。

 

 「……アイ、大丈夫か!?」

 

 だが、そこにいたのは、全ての光を失い、完全に沈黙したアイの姿だった。

 先ほどまでの熱気は嘘のように引き、ただの冷たい金属の塊がミーヴェルの腕の中に転がっている。

 

 「……侵食コードを除去するために、強制再起動中か? だが、いつまでもここにいたら……」

 

 周囲の闇が、じわじりと密度を増していく。相棒の索敵能力がない今、ミーヴェル一人で森の魔物に対処するのは不可能に近い。

 だが、そういう時に限って、物事は最も悪い方へと転がり落ちるのがこの世の摂理だ。


 『……ミー……ヴェル……マホウ……ツカッテ……イイ……?』


 背後から響いたのは、今日出会ったばかりの、あのエルフの少女の声だった。

 だが、ここに彼女がいるはずがない。声には生気がなく、不気味なノイズが混じっている。


 「あー……もう、最悪だ」


 ミーヴェルは苦く吐き捨て、震える手で武器を握り直した。

 対象の記憶や未練をなぞり、声を模倣して心を揺さぶるバグの塊――残響種エコー

 知能と悪意を持って他種族を狩る「ヘイズ・コレクター」とは似て非なる存在だが、物理的な刃が一切通用しないという点においては、どちらも極めて厄介な代物だ。

 よりにもよって、相棒が動かず、背後のハッチも閉ざされたこの袋小路で遭遇するとは。

 闇の中から、少女の形を歪に模したノイズの影が、音もなく這い出してくる。

 死んでいたはずのアイの機体が「コッ……」と微かな駆動音を上げたが、レンズに光は戻らない。再起動には、恐らくまだ時間がかかる。


 「……っ、ここで立ち往生してても、死ぬだけだな」


 ミーヴェルは、沈黙したままのアイを背負い紐で強引に背中へ固定した。

 アークポッドのリフトは依然として沈黙し、背後は侵食された鉄の壁。前方は、ラキの声を模して近づいてくる影。


 『……ミー……ヴェル……タスケテ……コワイノ……』

 「うるせえ! この世間知らずのアホエルフが! 」


 極限状態の怒りに任せ、ミーヴェルは今日ラキ本人に言えなかった本音を、不気味な偽物に向かって怒鳴り散らした。

 腰のホルダーから無骨な鉄剣を引き抜く。アイがいなければ、同期リンクも換装もできない。今はただの、泥と血にまみれたボロ剣に過ぎない。

 ミーヴェルは地を蹴り、ラキの形をした影へ肉薄する。

 鋭い一閃がエコーの胴を断つが、一切の手応えがない。霧を斬るような虚無感。散った影はすぐさまうねり、鞭のようにしなってミーヴェルの頬を深々と切り裂いた。


 「ガッ……! チッ……! やっぱ物理は無理か! 知ってたよ!」


 一体ではない。闇の奥から、無数の声が重なり合い、包囲網が狭まっていく。

 ミーヴェルは傷口から血を流し、荒い息を吐きながら「死の森」の奥へと走り出した。

 背負ったアイの機体が、走る衝撃で背中に激しく打ち付けられる。重い。だが、鉄剣を握る右手の感覚と同じく、その重みだけが今、彼が一人ではないという唯一の証拠だった。

 夜の濃密なナノヘイズが視界を遮り、迷宮と化した森がミーヴェルの方向感覚を狂わせる。

 理由は未だ解明されていない。だが、この世界を這い回るバグであるエコーも、意図を持って命を狩るヘイズ・コレクターも、「夜の帳が下りると常軌を逸した速度と凶暴性を発揮する」。

 普段なら撒けるはずの距離感。しかし、実体を持たない影は、物理法則を無視して木々をすり抜け、這い寄る毒蛇のように距離を詰めてくる。

 

 「ハァッ、ハァッ……速え……っ!」

 

 真後ろから凄まじい殺気が膨れ上がった。

 

 「ぐあッ!!」


 直撃こそ免れたが、エコーが放った不可視の衝撃波に背中を打たれ、ミーヴェルは地面を激しく転がった。泥と枯葉を飲み込み、肺から空気が弾き出される。

 全身の骨が軋むような痛みを堪え、泥だらけになって立ち上がる。休めば死ぬ。

 体勢を立て直し、再び走り出すが、疲労は限界を超えていた。


 『……アハッ……アハハハハッ……!』

 『……ミィヴェル……ミィヴェル……!!』


 背後からは、何十人分にも分裂した偽ラキの笑い声が、ゲシュタルト崩壊を起こしたように森中に反響している。いつの間にか、目と鼻の先、首筋に冷気を浴びるほどの距離まで迫っていた。

 そして――ついには、切り立った岩壁と茨に阻まれた袋小路。

 これ以上、逃げる場所はない。


 「ハァ、ハァ……っ! ゴホッ……クソ……!」


 絶望的な数の影が、月明かりすら届かない闇の中で、ミーヴェルを完全に包囲した。

 血を吐くような息遣いの中、ミーヴェルは死を覚悟し、それでも鉄剣を前へと構えた。


 「……アイ……起きるなら今だぞ。今ならもれなく、メチャクチャ感謝してやる……!まじで」


 逃げ場を失い、死の淵に立たされたミーヴェルの背中で――。

 突如、沈黙していたアイの内部から、翠色の基板が空気を震わせるほどの高周波の唸りを上げ始めた。


 


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