8話 歯車の咆哮
二人は暗いダクトを駆け抜け、ついに外へと躍り出た。
視界に飛び込んできたのは、地平線に沈みかけた太陽が大地を赤く染め上げる、夕暮れの光景だった。
だが、それは単なる赤ではない。大気中に漂うナノヘイズの微粒子が残光を乱反射し、本来の青白い世界と混じり合って、空にどす黒い紫や、毒々しいほど鮮やかな極光のような帯を作り出している。幻想的だが、どこか死を予感させる、美しくも禍々しい異界の空。
「……はぁ、はぁ……出た……?」
「感傷に浸る暇はない。……来やがった」
ミーヴェルの視線の先、ダクトの出口から執念深いシリカ・アントの群れが、雪崩のように溢れ出してきた。夕陽を反射してぎらつく無数の結晶の脚が、乾いた大地を激しく掻き鳴らす。
「えっ、ちょっと!? いっぱい来てるわよ! また魔法を使う!?」
「いや、いい、というかもう魔法使うな……物理が通じる相手なら、俺のやり方がある」
ミーヴェルは鉄剣を正眼に構える。
「アイ!換装! 回路直結。対生体・物理破壊設定――」
『了解。キネティックアクセル、起動。……全関節、リミッター解除。……予測、完了』
瞬間、アイから伸びた極細の光ファイバーがミーヴェルの腕に巻き付き、鉄剣の柄へと直結した。
ミーヴェルの網膜に、迫りくる蟻たちの移動ベクトルと、その物理的な重心が幾何学的な紋様として次々と投影される。
「――よっしゃ、掃除開始だ」
ミーヴェルが地を蹴った。
キネティック・アクセルによる身体強化は、ナノヘイズを焼くのではなく、ミーヴェルの筋肉と骨格の運動エネルギーを強制的に増幅させる。
ドンッ、と空気が爆ぜるような音と共に、ミーヴェルは弾丸と化した。
先頭のシリカ・アントが顎を開くより早く、ミーヴェルの鉄剣がその頭部を真横から一閃する。
ガギィィィン!!
凄まじい硬質の破壊音。衝撃波が蟻の結晶殻を内側から粉砕し、巨大な頭部が文字通り「破裂」した。
「えっ、すご――」
ラキの驚愕を置き去りに、ミーヴェルは止まらない。
二匹目の突進を最小限の動きでかわし、すれ違いざまに剣を振り抜く。遠心力と加速を乗せた一撃が、蟻の脚を根こそぎ刈り取り、その巨体を大地に叩きつけた。
「……あいつらは『点』だ。アイ、次の三体の重心を繋げ!」
『了解。……点、連結。……最適解、算出』
視界に走る青白い光の軌跡。ミーヴェルはその線に沿って踊るように剣を振るった。
一太刀で二体の首を跳ね、着地と同時に三体目の喉元へ鉄剣を突き立てる。物理法則を無視したような急加速と急停止が繰り返され、夕陽の下で紅い剣筋が幾重にも交差した。
「さっきは散々苦労させられたが……やっぱりこれだ。物理計算が通じる相手はやりやすい!」
ミーヴェルはニッカリ笑みを浮かべ、残る数体を瞬く間に切り刻んでいく。アイの演算によって「最も効率的に砕ける角度」で叩き込まれる一撃は、どんな強固な結晶も紙のように引き裂いた。
最後の一匹が粉々に砕け散り、静寂が戻る。
夕陽に照らされたミーヴェルの背中から、アイの接続光がシュンと収束した。
「あ……ありがとう」
「おう」
短く答え、ミーヴェルは先に起き上がると周囲の状況を鋭く確認した。安全を確かめてから、まだ震えているラキの手を掴み、強引に引き起こす。
「アイ」
『前方、及ビ周囲ニ気配ナシ。ヘイズ・コレクターモ地下ニ留マッテイル』
「そうか。じゃあいい……解除」
ホッと一息つくと、ミーヴェルは泥に汚れた革袋から、資材保管庫で回収した「高密度セル」の一つを取り出した。夕闇の中で、その青い金属製の円筒が、残光を反射して怪しく、そして美しく輝く。
「これがお前の言う『雷の石』で間違いないか?」
「え……っ」
ラキが息を呑み、不思議そうにその青い円筒を見つめた。エルフの伝承にある「神が振るう雷の欠片」――その実物を目の当たりにし、彼女の瞳に深い畏怖の念が浮かぶ。
「うっ、うん。……だと思う。伝承では、触れるだけで指先から火花が散り、天の雷を呼ぶ力があるって……」
「触れるだけで火花? そりゃ絶縁被覆がイカれてるか、端子が剥き出しなだけだ。ほれ」
ミーヴェルは、ラキの抱く神聖な幻想を鼻で笑い飛ばすように、無造作にそれを差し出した。
「えっ、いいの……? 私、こんな、精霊の加護も受けていないのに……」
「精霊の加護? は良く分からんが大丈夫だ。俺もそんなもん持ってないがピンピンしてるだろ。それに、俺は不具合が大嫌いなんだ。ほら、受け取れ」
差し出されたセルを、ラキは震える手で、まるで壊れ物を扱うように慎重に受け取った。金属の肌からは、眠れる獅子が唸るような、微かなエネルギーの脈動が伝わってくる。
「これが……『雷の石』。重い……それに、生きてるみたい」
「生きてるんじゃねえ、電荷が充填されてるだけだ。大事にしろよ」
圧倒されるラキを余所に、ミーヴェルはすでに自らの「相棒」へと意識を移していた。
「それと――アイ、少し止まるぞ。飯の時間だ」
ミーヴェルはアイの外殻にあるセルスロットを迷いなく弾き開けた。補助電源に切り替わる一瞬の隙に、使い古されたセルを指で弾き飛ばし、間髪入れずに軍用高密度セルを叩き込む。
ガチリ、と硬質な噛み合わせの音。
次の瞬間、アイのレンズに、夕陽を撥ね退けるほど鋭く清冽な青白い光が宿った。
「……どうだ? 軍用セルの味は」
『……エネルギー使用効率、正常。全稼働セクター、オンライン。……個体ミーヴェル、回路ノノイズガ消失。駆動系ノ反応モ、以前ヨリ僅カニ向上』
アイの声からザラついた雑音が消え、聞き取りやすい澄んだ響きに変わる。ミーヴェルはアイを担ぎ直し、その感触を確かめるように肩を揺らした。
「へぇ……。確かに聞き取りやすくなったな。これだけ出力が安定するなら、お前の減らず口も少しはマシになるだろ」
ミーヴェルは地面に転がっていた空のセルを拾い上げた。服の裾で土を拭い、捨てずに腰のポーチへ丁寧に収める。
『……ソレハ既ニ、私ノ最低稼働電圧ヲ下回ッテイル。捨テナイノカ?』
「時間がある時に太陽光で充電し直す。性能が劣っていても、予備は何個あっても困らないからな」
実利を優先するミーヴェルの言葉に、アイは『(……合理的ダ)』と短く返した。
アイのレンズが、以前より少しだけ明るく、一定の周期で明滅する。その様子を、ラキは雷の石を抱えたまま、呆然と見守っていた。
「……ミーヴェル。あなたの相棒、なんだか……纏っている光が、少し怖いくらい澄んで見えるわね」
「綺麗だとよ。よかったな、アイ」
『光栄ダナ、協力者ラキ。……ダガ、私ヲ綺麗ト褒メル前ニ、自分ノ心配ヲシタラドウダ? 現在、貴女ノ心拍数ハ平常時ノ二〇パーセント増、体温モ上昇シテイル。「雷の石」ニ……食ベラレルノガ、ソンナニ怖イノカ?』
「な、なによ! 食べられるわけないでしょ!」
顔を真っ赤にして言い返すラキを見て、ミーヴェルは「……アイ、もういい」と制した。
「ラキ、俺たちの仕事はここまでだ」
ミーヴェルが淡々と告げると、ラキは名残惜しそうに唇を噛んだが、やがて小さく頷いた。ミーヴェルは一度ラキが抱える石に視線を落とし、不器用な気遣いを言葉に乗せた。
「……一人で、ちゃんと帰れるのか。お前の村はここから遠いのか?」
「私の村ならあっちよ。数時間も走れば着くわ。エルフの国の本当に端っこの村だけど……道はいつも使っているルートだし、夜になる前には村の明かりが見えるはずよ」
ラキが示した方向を見て、ミーヴェルは心の中で(……なんだ。俺のアークポッドからも、意外と近いんだな)と、自分だけの基準で納得して頷いた。
「そうか。意外と、近いんだな」
だが、ミーヴェルのその言葉は、ラキの耳には全く別の意味で届いていた。
(――やっぱり! この人はドワーフの国に住んでるんだわ!)
「ええ、そうなの。意外と、近いのよ!」
ラキは頬を上気させ、今までの不安が嘘のように声を弾ませた。そんな彼女を見て、アイがレンズを明滅させる。
『個体ミーヴェル、彼女ノ判断ハ妥当ダ。ヘイズガ希薄ナ今ナラ、日没マデニ帰還スルノハ合理的。……サア、我々モ移動スベキダ』
「そうだな。……聞いたか、ラキ。暗くなる前にさっさと行け」
「ええ。ありがとう、アイ! ……ミーヴェル、またね! 近いうちに、きっと会いに行くから!」
大きく手を振って、村の方角へ駆け出していくラキ。
ミーヴェルは会いに行くという言葉の真意を追うこともせず、ただアイを担ぎ直して反対方向へと歩き出した。
『……個体ミーヴェル。今ノハ「ドワーフノ国ヘ会ヒニ行ク」トイウ意味ダゾ。貴様ガアソコに住ンデイルト誤解シテイル』
「あ? なんでそうなる。……まあいい、どこで何をしてようが俺の勝手だ」
『了解ダ。……マッタク、貴様ノ鈍サハ軍用セルデモ補正シ切レンナ』
沈みゆく紫の夕陽を背に、二つの影は正反対の方向へ。
一人は再会を夢見て村へ、一人は自分の拠点へと向かう。
二人の距離は物理的には近づいたが、心のピントはこれ以上ないほどにズレたまま、だが、運命の歯車はかつてないほどの速度で噛み合い回り始める。




