7話 決死の脱出
二人の足音が、静まり返った地下通路に爆音のように鳴り響く。
「ちょっと! さっきから『ギチギチ』って音が、あっちこっちから聞こえるんだけど!」
ミーヴェルの服を掴みながら必死に走るラキが悲鳴を上げた。彼女の長い耳は、闇の奥でシリカ・アントたちが一斉に動き出す予兆を捉えていた。
「アイ、ライトの出力を上げられるか? ……それと、敵の接近を十メートル手前で知らせてくれ」
『リョウカイ。……ライト出力最大。……近接警告アラート設定。……ゼンポウ、シリカ・アント三、接近』
アイの放つ光が、通路の先にある青緑色の結晶を浮き彫りにした。一匹でも苦戦した化け物が、今度は三匹同時に、滑るような速度で襲いかかってくる。
「アイ、左の個体の動きを止められるか?」
『カノウ。……フラッシュ最大光量準備。……三、二、一……照射!』
強烈な閃光が、左側の一匹の動きを完全に狂わせた。だが、残りの二匹は止まらない。
「ラキ、右だ! 右の個体がどこに来るか教えられるか?」
「え、ええっ!? ……あそこ、あの崩れた柱の影から跳んでくるわ!」
ラキの指示通り、ミーヴェルは横っ飛びに突進をかわし、すれ違いざまに鉄剣を突き立てる。しかし、硬質な結晶の殻に弾かれ、虚しく火花が散るだけだ。
「……クソ、ラチがあかない! アイ、あの扉か! 開けられるか?」
通路の突き当たり、錆びついた巨大な合金製の扉が見えた。だが、背後からはさらに十数匹の足音が重なり、包囲網が狭まっていく。
『リョウカイ。……ロック解除ヲ試行。……タダシ、回路ノ腐食ガ激シク、開放マデ三〇秒』
「三十秒……!? ミーヴェル、もうそこまで来てるわよ!」
「……チッ。アイ、扉に集中してくれ。……おいラキ、お前、魔法は何が使える?」
「えっ、ええと、雷が得意だけど……」
「雷か!それでいいぶっぱなせ!」
「ええっ!? だって……使っていいの!? 魔法はダメって言ってたじゃない!」
「わかってる! けど、ここで死んだら村も救えないだろ。……逃げる前提だ、ヘイズなんて気にするな! 掃除してやれ!」
「もう、めちゃくちゃなんだから……っ!」
ミーヴェルの怒号に、ラキが半泣きで杖を握りしめた。本来なら絶対に手を出してはいけない、世界を汚す禁忌の力。彼女は固く目をつぶり、縋るように叫んだ。
「精霊さま! お願いします……っ!」
彼女が詠唱を始めた瞬間、周囲のナノヘイズが渦を巻き、ラキの周囲に集束していく。それはバチバチと激しい紫白の火花を散らし、凝縮された「毒の雷鳴」へと変わった。
「いっけぇぇぇぇ!」
放たれた雷撃が、通路を埋め尽くしていたシリカ・アントを、その外殻ごと内側から爆砕した。
「……はは。さっきの俺が苦労した戦いは、一体何だったのか……」
『警告。……エリア内ノナノヘイズ濃度、急上昇。……マタ、ヘイズ・コレクター反応ヲ検知。……五分以内ニ離脱セヨ』
「マジかよ!?」
あまりの威力に思わず悟りを開きそうになるミーヴェルを、アイが現実へと引き戻す。これに関しては魔法が効かない、それに現在オーバーライドにリソースを持っていかれている状況では換装を行えない。つまり逃げの一択である。
「アイ、扉は!?」
『ロック解除……。……扉、開放…シ…ス』
重低音を立てて錆びついた扉がゆっくりと口を開く。ミーヴェルは腰を抜かしたラキの腕を強引に引き、暗い保管庫の中へと飛び込んだ。
「アイ、高出力のセルはどこだ!さっきの安モンじゃ、その書き換え作業をやりながらじゃパワーが全然足りないんだろ! 」
『……コウテイ。……現在、中枢回路ノオーバーライドニ演算リソースノ八〇%ヲ割イテイルタメ、周辺スキャンガ不安定。……ゼンポウ、三メートルノ棚。……左カラ二番目ノケース内ニ、軍用規格の高密度セルヲ検知』
「よっしゃ!セルだけか!?」
『……ソノ奥ニ、互換性ノアル基板モ検知。……ソレガアレバ、物理的ナ処理能力ソノモノヲ向上サセラレル可能性アリ』
「セルに基板か。良し! まとめていただくぞ!」
ミーヴェルが棚に駆け寄る。だが、背後の通路からは「カチカチカチカチ!」と、先ほどの雷撃を逃れた個体や、音を聞きつけた別働隊の足音が無数に響いてきた。
「ヒィィッキモイィ!!!」
「アイ、ライトの光量を最大にできるか? ここで目を凝らしてる時間はない!」
『リョウカイ。……電力、全テヲ照明ユニットヘ。……視界、確保』
その瞬間、アイの球体から暴力的なまでの白い光が溢れ出した。埃の積もった棚の奥に、青く輝く円筒形のセル数個と、その影に隠れた翠色の基板が鋭く浮かび上がる。
「あった……! セル、それとこれ……基板か!」
ミーヴェルが棚に手を伸ばし、二つのパーツをひっ掴む。だが、その背後で、扉の隙間にシリカ・アントの鋭い脚が次々と差し込まれた。
「ちょっとミーヴェル、後ろ! 扉が、扉が閉まらない!」
ラキが必死に扉を押し返そうとするが、結晶の脚が楔のように打ち込まれ、じりじりと押し開けられていく。隙間からは、サーチライトの光を反射してぎらつく無数の複眼が見えた。
『警告。……「シリカ・アント」ノ群レ、保管庫内ヘノ侵入ヲ開始。……アイノ処理能力、限界。……光量維持、不可能』
プツン、とアイの放っていた強烈な光が途絶えた。
「っおい! 冗談だろ……! 真っ暗じゃないか!」
『………書キ換エト並行シテノ最大光量ハ、負荷ガ高スギタ。……ホカンコ奥、換気ダクトヲ検知。……個体ミーヴェル。急イ……』
明滅を繰り返しながら、アイは力なくミーヴェルの頭に乗り、そのまま黙り込んだ。
「チックショウ! ラキ、走れ! ダクトに飛び込むぞ!」
「わっ、わかった!」
ガギィィィン! と背後でダクトの金属がひしゃげる音が響く。シリカ・アントの鋭い脚が、すぐ後ろの壁を削り取った。
「ひっ……! 来てる、すぐ後ろまで来てるわよ!」
「分かってる! 止まらず前だけ見て這い進め!」
ミーヴェルは、手の中で鈍く光る「青いセル」と「翠色の基板」を、やり場のない苛立ちと共に握りしめた。今すぐこれをアイに叩き込みたい。だが、頭の上で黙り込んでいるアイは、今まさに中枢回路を無理やり書き換えている真っ最中だ。
(……クソ。今こいつを開けてパーツを挿せば、書き換え中にエラーを吐いて、アイの意識そのものが焼き切れる! やっぱり一度帰ればよかった! っていうか、初めて会ったエルフとなんでこんな危険な目に遭わなきゃいけないんだ!?)
ギャンブルはできない。ミーヴェルにとって、アイはただの機械以上の「相棒」なのだ。
「……ラキ! アイが黙り込んでる。お前の耳だけが頼りだ! 出口はどっちだ!」
「えっ、ええっ!? ……あ、待って、……あっち! 右の方から、少しだけ風の音が聞こえる!」
ラキが必死に耳を澄まし、暗闇の分岐点を指差す。二人はひしゃげたダクトを這い、迷路のような狭い通路を突き進む。背後からは、カチカチという咀嚼音が、獲物を追い詰める死神のように迫っていた。
「……あそこ! 明かりが見えるわ!」
ダクトの先、小さな格子から微かな光が漏れている。二人は転がり込むようにして、その出口を蹴破った。




