20話 ロストテクノロジーの残影
目の前で、糸が切れた人形のように赤髪の少年が倒れ伏した。
ピクリとも動かない。だが、その寝顔は驚くほど安らかで、つい数分前まで音速の死神として戦場を蹂躙していた者とは思えないほど幼かった。
大陸の正反対に位置する魔人国――。実際に遭ったことがないバレンには、魔族の本質など知る由もない。ただ、少女だと言われれば信じてしまいそうなほど中性的なその面差しに、魔族特有の何かがあるのだろうかと疑問が浮かんだが、今のところ答えは出そうになかった。
「(……それにしても)」
バレンは、無防備に投げ出された少年の細い腕や脚に目をやった。
分厚い筋肉の鎧など欠片もない。熟練の戦士特有の骨太さもなく、それこそ木の枝のように折れそうな、ドワーフから見れば華奢で細い身体だ。
「(こんな細い身体のどこに、あんな重たい一撃を放つ力が隠されとるんじゃ……?)」
ただ速いだけではなかった。バレンの膝を突かせた最後の一撃は、紛れもなくバレンの巨体と鉄槌の重みを根底から弾き飛ばすほどの、理不尽な質量と暴力を伴っていたのだ。
バレンは自身の右膝に残る、ジンとした痺れを噛み締める。
……ワシが、膝を突いた。
この『鉄槌のバレン』が。魔法も使わぬ、どこの馬の骨かも分からぬ小僧に、だ。
「…………カカッ全く、とんだ計算違いじゃわい」
バレンは重い腰を上げ、数十分前の出来事を思い返した。
もともとは、表が騒がしいなと思って様子を見に行ったのが始まりだった。近頃は外のナノヘイズの変質が激しく、魔物だけでなく、意図を持って知能ある者を狩る『ヘイズ・コレクター』の噂さえ絶えない。その影響か、ギルドに持ち込まれる依頼は不安定になり、冒険者たちの鬱憤は限界まで溜まっていた。
案の定、入り口では血気盛んな同族の若造たちが、得体の知れない小僧――ミーヴェルを囲んで煽り立てているのが聞こえた。
(やれやれまたか……)
そう思って、バレンは苦い顔をした。同族たちの鬱憤晴らしだろう。あまりに過度にならなければ黙認するつもりだった。だが、現場に到着したバレンが目にしたのは、想像とは正反対の光景だった。
恐怖に伏しているのは、小僧の方ではなかった。
屈強なドワーフたちが、名前も知らぬ少年の放つ何かに当てられ、腰を抜かして平伏していたのだ。
「ほぉ…面白い」
バレンの口角が、無意識に吊り上がったのを覚えている。その直感は、戦いの中で確信へと変わった。
戦っている最中、バレンは拭い去れない違和感を抱き続けていた。
小僧は時折、誰もいない空間に向かって、まるで誰かと相談でもしているかのように呟いていた。そして、小僧の背後や周囲には、何の予兆もなく不可視の衝撃や「異常な加速」が吹き荒れる。
目に見えぬ「何か」が、あの少年の四肢を操り、この広場を支配していた。それは錯覚というにはあまりに鋭く、実感を伴う疑惑だった。
「(……透明化の魔法か? いや、そんな単純なものではあるまい)」
バレンはゆっくりと歩み寄り、倒れた少年の横に再び視線を落とした。
広場に集まった野次馬たちは、静まり返ったまま動けないでいる。彼らの目には、バレンが「ただの子供」に膝を屈したという事実だけが、悪夢のように焼き付いているだろう。
「(……まあいい、退屈しのぎには十分すぎるわい)」
バレンは立ち上がり、周囲を圧するような声で吼えた。
「おい、サリア! さっさと医者を呼んでこい! ……おいお前ら! この『Bランク』の小僧を運ぶのを手伝え! これだけのモンを見せてもらったんじゃ、特等席を用意してやるのが礼儀だろうが!」
広場が、一瞬の静寂の後に爆発したような騒ぎに包まれる。
「なっ……!?」
「Bランク!? いきなり飛び級なんて聞いたことねえぞ!」
「う、うそだろ!? バレンさん、本気かよ!?」
バレンの怒鳴り声で、ようやく止まっていた時が動き出した。騒然となるギルド、運び出されていく少年。
バレンは、空中に漂う目に見えない「何か」の気配を探るように、ミーヴェルの周囲の空間を一度だけ鋭く睨みつけた。もちろん、そこには何も映らない。だが、長年死線を潜り抜けてきた戦士としての勘が、そこには確実に何かが居ると告げ、警鐘を鳴らしていた。
「世界が結晶化していくこの時代に……。とんでもない正体不明が転がり込んできおったわい」
バレンは鼻で笑うと、砂埃を払って立ち上がった。
ギルド長としての仕事は山積みだが、久しぶりに、バレンの奥底で熱い血がざわつき、動き出すのを感じていた。明日という日が、少しだけ楽しみになっていた。
◇
「んん……あがぁ?」
独特な寝惚け声を漏らしながら、ミーヴェルはうっすらと重い瞼を開いた。
未だまどろみの半覚醒状態の中では、夢と現実が曖昧に混ざり合っている。窓の外から聞こえてくる鉄を打つ音や、重い馬車が石畳を軋ませる音――普段ならただの雑音でしかない街の喧騒すら、今の彼には不思議な子守唄のように不思議と心地よかった。
だが、そんな至福の二度寝を、彼の相棒が許すはずもなかった。
ステルスモードで傍らに待機している、相棒兼、親代わりのような口うるさい存在――アイが。
『(起キロ、ミーヴェル。コレ以上寝タラ、夜眠レナクナルゾ)』
アイはミーヴェルの食生活だけでなく、規則正しい睡眠時間にまで小言を挟んでくるのだ。
「あぁ……? ここは……?」
『(声ニ出テイルゾ。マァ、今ハ誰モ居ナイカラ良イガ)』
念話ではなく、うっかり口から漏れてしまったミーヴェルの言葉に、アイが呆れたように返す。
その声に促されるように、ミーヴェルはゆっくりとベッドから上体を起こそうとした。
――ピキリ。
「あっつつつ! いったぁ……っ!? あ、そうか……」
全身の筋肉が千切れるような激痛が走り、ミーヴェルの意識は一気に完全覚醒へと引き戻された。そこでようやく、彼は気絶する直前の現実と、自身が犯した無茶の代償を思い出した。
『(普段使ワナイノニ、アンナ長時間、身体能力ヲ向上サセルカラダ)』
「(い、いってぇー……。でもアイ、やって良かったろ? これで晴れて『Dランク』だ! 魔物退治で金をがっぽがっぽ稼げる……だろ?)」
『(確カニ、金稼ギノ効率ハ上ガル。ダガミーヴェルハ、大キナ勘違イヲシテイル)』
「(勘違い? なにがだよ)」
『(ソレハ――)』
ふいに、アイが声を潜めた。
直後、部屋の外から規則正しい足音が近づいてくる。やがて控えめなノック音が響き、ゆっくりと扉が開いた。
「……あっ、起きられましたか。ミーヴェルさん」
「あんたは……」
入ってきたのは、受付で対応してくれた女性だった。彼女は両手に大きなトレイを捧げ持っている。
受付カウンターに座っていたときは顔しか見えなかったが、こうして立っている姿を見ると、ミーヴェルよりも頭一つ分ほど小柄なのが分かった。身を包んでいるのは、紺色のカッチリとした、見たこともないデザインの制服だ。金糸の刺繍が施された襟元は潔いほど整えられ、この建物の職員らしい、どこか凛とした清潔感を漂わせていた。
彼女は、ミーヴェルが現在寝かされている――あちこちに豪華な刺繍や高級そうな調度品が置かれた――部屋を見渡し、安堵の笑みを浮かべた。そこは、ただの新人が運び込まれるにはあまりに不釣り合いな、迎賓館のような一室だった。
「改めまして、ミーヴェルさん。私はここ、ハンターズギルド『鉄嶺』支部の受付嬢、サリアと申します」
その顔立ちは、幼さを残した可愛らしさと、年上の女性らしい凛とした美しさが不思議と混じり合っている。小柄な見た目に反して、その物腰には落ち着いた余裕があり、実際は彼よりいくつか年上なのだろう。
「……てつれい?」
「あぁ、なるほど。ここはドワーフ国、鉄嶺です。ドワーフ国にはいくつも街がありますが、ここはその首都にある支部なんですよ」
「あっ、そうなんだ。知らなかった。……っと、それは?」
ミーヴェルの視線が、トレイの上で湯気を立てる皿に釘付けになる。
「はい。お医者様から、目が覚めたらとにかく栄養を摂らせるようにと言われていまして。……食事を持ってきました。お口に合えばいいのですが」
彼女は、ずっしりと重そうな金属製のトレイを、呼吸一つ乱さず軽々とテーブルに置いた。その無駄のない動作に、ドワーフ族としての足腰の強さが微かに滲んでいた。
「……メシ!?」
ミーヴェルの腹が、これ以上ないほど正直に鳴り響いた。
運ばれてきたのは、厚切り肉のシチューと、見たこともないほどふっくらしたパン。そして、不思議な金属製の器に入った温かい野菜スープだ。
「では、食事が終わる頃にまた伺いますね」
サリアが会釈して退室すると、ミーヴェルは我慢できずにスプーンを掴んだ。
「(アイ、見ろよ! この器、ずっと温かいぞ。魔法か?)」
『(否定。器ノ底部ニ微弱ナ「ナノヘイズ」精錬熱源回路ガ組み込まレテイル。……生活用品ニマデ遺物技術ヲ応用スルトハ。ドワーフ国ノ技術水準、我々ノ予測ヲ上回ル可能性大ダ)』
「(そっか。というか昨日から思うんだけど、地上のメシも案外悪くないな!)」
『(野菜モハイッテイテバランス良イ。合格ダ)』
ミーヴェルは嵐のような勢いで食らいついた。肉を頬張り、スープで流し込む。
空腹という最大の調味料も手伝って、それは彼がこれまで食べた中で最も文明の味がした。
数十分後。
「失礼します、ドワーフ国の料理はお口に遭いましたか?」
「……ああ、美味かったよ。ごちそうさま」
サリアが戻ってきたとき、トレイの上は驚くほど綺麗に空になっていた。
「そうですか、それはよかったです。……さて、ミーヴェルさん。お腹も落ち着いたようですし、本題なのですが」
サリアの表情が、少しだけ引き締まる。
「ギルド長がお呼びです。……最上階のギルド長室へお越しいただけますか? 大事なお話があるとのことですので」
「……ギルド長が? ああ、わかった。ランクアップって奴だな!」
ミーヴェルは、まだ疼く筋肉を叱咤しながら立ち上がった。
『(……注意シロ、ミーヴェル。タダノ新人ノ更新トヤラニ、ギルド長自ラガ出張ル理由ハ一ツシカナイ。……望ンダDランクヨリ、遥カニ重イモノガ待ッテイルカモシレナイゾ)』
「(……重い物?………もしかして通貨か?)」
『(………モウイイ早クイケ)』
答えを知っているアイに呆れられながら、ミーヴェルはサリアに導かれ、重厚な扉の向こうへと足を踏み入れた。




