2話 残響種
分厚い雲海を突き抜けた先には、いつもの毒の園が広がっていた。
眼下を埋め尽くすのは、青と緑が溶け合ったような、極彩色の結晶世界。
ナノヘイズに変質させられた植物たちが、深いエメラルドの枝葉と、透き通るようなコバルトブルーの結晶の花を咲かせている。
大気中をたゆたうヘイズの霧は、まるで海の中にいるかのような幻想的なターコイズブルーの光の川となって静かに流れていた。
青と緑が混ざり合い、キラキラと舞い散る光の粒子は、かつての星の色を皮肉にもより鮮やかに、より美しく再現しているようにも見える。
(……今日のヘイズは、少し青みが強いな)
ミーヴェルにとって、この宝石を散りばめたような絶景は、単なる環境データの数値に過ぎない。
空気がどこまでも透き通って見えるのはナノヘイズの密度が高い証拠であり、世界が美しく輝いているのは、それだけ汚染が深刻で、かつての生命が変質しきった証だ。
降下ポッドが慣れ親しんだ軌道を描き着地したのは、かつての大都市の成れの果て――今や巨大な発光植物とナノヘイズの霧に支配された、二人だけの呼び名で言うところの『死の森』だ。
「……相変わらず、ここは空気が重いなー。ウチとは大違いだ」
ハッチを開け、ミーヴェルは地上に降り立った。
ここへは、アイのパーツ探しや、島の食料であるディアたちの『血を入れ替える』ための狩りで、これまで何度か訪れている。
島に住む動物たちは、ナノヘイズの汚染を避けるために定期的に地上の同種の血を取り込み、アイの生成する浄化液で濾過し直さなければならない。かつてのミーヴェルにとって、この森は「島を維持するための作業場」に過ぎなかった。
だが、今は違う。
一歩踏み出すごとに、足元の結晶化した地表がパキパキと硬い音を立てる。もう、あの空の上の温かな場所へ、アークポッドへそう簡単に帰還できるわけではない。早急にアークポッドの維持に必要な基幹ユニットを見つけねばならない。
『ミーヴェル、警戒オ怠ルナ』
肩の上で、ドローン型のアイが赤いカメラアイをゆっくりと旋回させた。
「分かってる」
だが。
ミーヴェルの足が止まる。視線の先、かつての街路樹だったと思われる巨木の根元が、無惨に焼き切れていた。煤ではなく、濃く青白い結晶がこびりついている。
「……ここに誰か来たのか」
『魔力励起ノ痕跡アリ。魔法ヲ使イ、ヘイズヲ撒き散ラシタ結果ダ。……愚カナ行為ダナ。自分タチノ首ヲ絞メテイルノニ等シイ』
アイの無機質な声に、ミーヴェルは鼻で笑った。
「アイ、お前が記録してた母さんの小言、今こそ連中に聞かせてやりたいぜ。『汚したなら、掃除しなさい』ってな。……掃除もできねえ癖に魔法なんて振り回すから、エコーが生まれるんだ」
その時だった。
霧の奥から、壊れたラジオのようなノイズが響いた。
『――助……け……て――』
「……!? アイ、どっちだ?」
ミーヴェルが身を隠し、鉄剣の柄に手をかける。だが、アイの返答は冷ややかだった。
『否定。生体反応ナシ。……個体ミーヴェル、警戒セヨ。ソレハ「声」デハナイ。ナノヘイズガ過去ノ音響データヲ不完全ニ再生シテイル……エコーダ』
霧が熱に浮かされたように不気味に歪む。
現れたのは、透明なガラス細工のような姿をした、不定形の怪物だった。それは空間そのものがバグを起こしたかのように明滅し、死んだはずの誰かの助けを求める声を、物理的な衝撃波に変えて放ってきた。
「……ったく、話しをすればか。アイ、オーバーライドだ」
『了解。プログラム展開。局所空間、物理法則ノ再定義。……開始』
アイのカメラアイが激しく明滅した瞬間、エコーが放とうとしたノイズの圧力が、電源を切られたようにプツリと消失した。
「よし、ドッキングシークエンス展開」
『了解。対ヘイズ用特殊換装、エネルギー伝達開始。……定義、完了』
ミーヴェルの持つ無骨な鉄塊に、バチバチと青白い火花が走る。
地を蹴るミーヴェル。エコーが放つ声の礫を、彼は一閃で揮散させ、最短距離で懐に潜り込む。ただの鉄拳ではすり抜けてしまうが、アイと特注の鉄剣を繋げる事で、エコーにも物理的に攻撃を与えることが出来る。魔法という防御を剥がされ、元の空間バグへと戻った透明な核へ、無骨な鉄の棒が深々と突き立てられた。
ガラガラッ! と、空間が崩れ落ちるような奇妙な音が響く。
絶命したエコーは、砕けたガラスのように透明な破片となって霧散し、ナノヘイズの塵へと還っていった。
「……ふぅ。……最近じゃ地上に降りて早々にこれだもんな。先が思いやられる。それにこいつ、倒したところで食べられるわけでもないし。なんか倒し損な気がするわ」
ミーヴェルがボヤきながら、熱を帯びた鉄の剣を腰のホルダーへ差し込んだ。戦利品も食料も手に入らないバグ退治は、彼にとってはただの不毛な労働でしかない。
浮遊していたアイが、再びミーヴェルの肩に乗ろうとしたが、配線コードの凹凸が居心地悪かったのか、結局は彼の頭の上にちょこんと着地した。
『倒セバ倒シタ分、コノ惑星ガ綺麗ニナルと思エバイイ。……個体ミーヴェル、報告。今ノ戦闘デ、内部電力ガ15%低下』
「……はぁ!? 嘘だろ?。……ってあぁ、そうか。本体が壊れて、小型端末に同期してるから、蓄電容量が圧倒的に足りないのか」
『半分肯定。今ノ端末ハ現在、コレガ本体。ソレト仮ニ、コノ視界ノ悪イ霧デノ中デ太陽光充電ヲ行ウ場合、回復ニハ膨大ナ静止時間ヲ要スル。……現状、継戦能力ニ重大ナ支障アリ』
「……外部セルを探しに行こう。予備もそんなに無いし一回の戦闘で15パーはキツイ。アイ、近くに旧人類の遺物がありそうな場所、確かあったよな?」
ミーヴェルが頭上のアイを軽く叩くと、赤いカメラアイが高速で回転し、周囲の霧を透過スキャンし始める。
『……検知。北西3キロ二。地下鉄路線跡と思われる空洞アリ。深度15メートル地点に、旧規格ノ高密度蓄電池……セルト思ワレル熱源反応を確認』
「よし……行くぞ、アイ」
彼自身の体は、地上の毒を一切受け付けない。本来なら、この死の森で最も自由であるはずの存在。だが、彼を守り、導くアイという唯一の相棒が動かなくなれば、それはこの地上での「死」を意味していた。
二人は加速し、濃い霧の向こうへと姿を消していった。




