18話 正当な慰謝料
「お待たせしました! これがミーヴェルさんの正式なギルドカードです。紛失した場合は再発行手数料が発生しますので、ご注意くださいね」
窓口の女性は、先刻の恐怖をプロの愛想笑いで塗り潰し、ピカピカの銀色のカードを差し出してきた。
「ああわかった。それじゃあ早速、そのクエスト依頼ってやつを受けたいんだけ――」
「――あっ、すみません! いけないいけない、うっかりしてました。その前に、カードの発行手数料……銀貨一枚を頂戴いたします」
満面の笑みのまま、彼女は手渡しかけたカードを「スッ……」と滑らかに引っ込めた。先に金を払え、という無言の圧力。
通貨という概念を知ってから早一日。昨日までは「これがあれば宿に泊まれる、飯も食える、武器だって何でも買える!」とテンションが上がっていたが、今となっては――。
「(………っ……金、金、金! 金金金! 一体この世の中はどうなってるんだ! 間違ってるだろ!!しかも聞いたかアイ!?’失くした場合は再発行手数料がかかる’って言ったぞ!?じゃあ今回ただだろ!?世間一般的に!)」
『(否定。旧人類ノ時代カラ、対価トシテノ通貨ハ普遍的ナ概念ダ。残念ナガラ、一文無シノミーヴェルガ特殊ナダケダ。ソレト、ミーヴェルガ世間ヲ語ル程ノ知識ハ、残念ナガラ無イ)』
「(チクショウ! でもどうするよ!? 今の俺、一文無しなんだぞ!)」
絶望に打ちひしがれ、カウンターに頭をぶつけそうになるミーヴェル。既に通貨文化へ嫌気がさしてきた彼の脳内に、アイが無機質で、それでいて悪魔のような囁きを送り込んだ。
『(……一ツ、合理的ナ提案ガアル)』
「(なんだ!?)」
『(先程ノ『不当ナ精神的苦痛』ヘノ補填ヲ請求スル方ガ、現状デハ効率的ダ)』
「(……っふ。なるほどな、アイ。お主も悪よのぉ)」
『(否定。ミーヴェル程デハ無イ)』
希望を得たミーヴェルはにこやかに顔を上げると、ゆっくりと背後を振り返った。そこには、先程アイのプレッシャーで床に膝をつき、ようやく立ち上がってガタガタと震えながら荷物をまとめていたドワーフの男がいた。
ミーヴェルは死神のような笑みを浮かべ、その男の背後へと音もなく歩み寄る。
「――おい、そこの岩石男」
「ひっ、なっ、なんだぁっ!?」
肩を叩かれたドワーフは、飛び上がるような勢いで振り返った。
「金をだせ」
「は……?」
「いやなに、慰謝料だ。俺の純粋な心を傷つけたな? だが、俺は慈悲深いから多くは言わない。今ここで銀貨一枚だせば、お前の無礼をすべて忘れてやる(……アイ、これやっぱ完全にカツアゲだよな? 大丈夫かな?)」
『(計算上、コレハ正当ナ和解金ノ請求ダ。……恐ラク)』
「……(じゃあいいか!)」
ドワーフは顔を真っ青にしながら、震える手で財布を漁り始めた。
その光景を目の当たりにしていた受付嬢の脳内は、未曾有のパニックに陥っていた。
(……ど、どうしよう!? 目の前でカツアゲ、いえ示談の強要が行われている! でも、ギルド内での喧嘩や恐喝が規則違反だと説明する前に喧嘩が始まって、説明する前にカツアゲが終わっちゃったし……。これ、まだ違反にはならないの!? いえ、でも人道的にアウトだよね!?)
おろおろと視線を泳がせる彼女の前に、まだ相手の体温が残っていそうな銀貨一枚が放り出された。目の前の少年はこれ以上ないほどのいい笑顔を浮かべている。
果たして受理していいものか――葛藤する彼女の前に、重厚な扉が開く音が響いた。
「やれやれ。朝から景気のいい話だが、度が過ぎるぞ、小僧」
「ギルド長!」
地鳴りのような低い声。現れたのは、分厚い革ベストから太い腕を剥き出しにした初老のドワーフ――ギルド長と呼ばれる男だった。彼は床の同族を一瞥し、鼻で笑った。
「情けない。自分から絡んで返り討ちに遭うとはドワーフの面汚しめ。……おい、そこの小僧」
「……なんだよ、俺のせいじゃないぞ?」
『………』
とりあえず否定から入り、文句を垂れるミーヴェルとは裏腹に、アイのレンズが微かに明滅する。
周囲のハンターたちは、恐るべき光景に息を呑んでいた。
「おいおい……あの魔人、ギルド長にまでタメ口かよ」
「マジで命知らずだな。さっきのプレッシャーだって尋常じゃなかったぞ」
「いや待て、あの魔人の実力はさっきのドワーフとの一件で証明済みだ。……面白いことになりそうじゃないか?」
ギルド長は、ざわめく周囲を一掃するように、無造作に銀貨を受付へと滑らせた。
「受理しろ。小僧の言う通り、これは『正当な慰謝料』だ。当事者間で解決したなら文句はあるまい」
「えっ!? あ、はい! 承知いたしました!」
ギルド長の強引な一言で、銀貨は無事に受理された。去って行くギルド長を尻目に、ミーヴェルはようやく銀色のカードを手に取った。そこには大きく『E』と書かれていた。
「これはどうやったらBランクまでに到達できるんだ? 俺はダンジョンに行きたいんだ。手っ取り早い依頼をくれ、魔物討伐で!」
「……あの、ミーヴェルさん。そもそもEランクの方は、魔物討伐の依頼を受注すること自体ができません」
「…………は?」
「Eランクは見習い扱いです。受注できるのは、街の中での配達やドブ掃除、ネズミ駆除といった雑用のみです。戦闘許可が出るのは、最短でもDランクからになりますね」
しばしの沈黙。やがて、ミーヴェルの顔が驚愕と憤怒で染まった。
「ふざけんな! 魔物討伐ができないなんて、聞いてないぞ! じゃあなんだ、あいつは!? あいつは何ランクなんだ!」
「あ、彼は……Dランクですね」
「じゃあ俺もDランクでいいじゃん! 俺はあいつに勝ったんだから、今すぐ昇格させろ!」
『(ミーヴェル、ソレハ論理ガ破綻シテ居ル。……諦メロ)』
絶望に打ちひしがれ、受付カウンターに突っ伏すミーヴェル。
「……ドブ掃除……だと……?」
その時だった。
「おい小僧。今すぐDランクになる方法も、無いわけじゃないぞ?」
振り返ると、そこには去ったはずのギルド長がニヤリと不敵に笑って立っていた。
「付いてこい。俺が直接、お前の実力を測ってやる」
「――んん?」
ミーヴェルの脳内で、アイのレンズが激しく明滅した。
「(……アイ。あのおっさん、どう思った?)」
『(警告。対象ノ戦闘経験値ハ未知数。……現在ノミーヴェル状態デハ、正確ナ数値 ガ『計測不能』ダ。恐ラク、極メテ強い)』
「(計測不能、か。……最高だな)」
『(肯定。規約外ノ例外処理、即チ特例昇格ノ打診ト推測サレル。ミーヴェル、コレハ唯一無二ノ『チャンス』ダ)』
「(ああ。泥をすくうよりは、よっぽど合理的だろ?)」
その瞬間、ギルドの喧騒が引き潮のように静まり、直後に爆発的なざわめきへと変わった。
「おい、冗談だろ!? あの『鉄槌のバレン』が、いきなり新人を相手にするってのか!?」
「ただの新入りの小僧だぞ? ギルド長自ら実技試験なんて、ここ数年聞いたこともねぇ!」
「いや、さっきのドワーフを気迫だけで沈めたのを見たか? あの魔人のガキ、ただのハッタリじゃねぇぞ。……もしかすると、化け物の類かもしれん」
酒を飲んでいた荒くれ者たちが立ち上がり、武器を整えていたベテランたちが作業を止めてこちらを凝視する。
「おい、賭けねぇか。あのガキが何秒持つか」
「俺は三秒だ。ギルド長の槌を一発受けりゃ、細い体なんて粉々だぜ」
「バカ言え、あの不敵な面構えを見てみろ。何か秘策があるに決まってる。……もし、もしもだぞ。あの小僧がギルド長を驚かせるようなことがあれば、とんでもないことになるぞ!」
野次馬たちの期待と不安、そして殺気混じりの興奮がギルド全体を包み込み、熱気が渦巻く。
何やら周囲が慌ただしくなる中、ミーヴェルはいるであろうアイの方向に顔を向け、その誘いに乗るべく力強く立ち上がった。




