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17話 失われた古代文字


 朝食後、宿を引き払い外に出た。

 連泊なら荷物を置いておけたのだが、昨日の宿代で無一文になったミーヴェルは、全財産を抱えて歩くしかない。

 

 「(……考えなしに泊まったけど、身を削って学んだってことだよな。ポジティブにいこうぜ)」

 『(単ニ計画性ガ皆無ナダケダ)』

 「(うるさい! 今日はがっつり稼いで、もっといい宿に泊まってやるんだ!)」

 『(…………)』

 

 アイの沈黙を無視して、ミーヴェルは「いよっしゃ!」と意気揚々と歩き出す。だが、ふと冷静になって付け加えた。

 

 「(いやまてよ?金も大事だけど、一番は『基幹ユニット』と『セル』の手がかりだ。それを忘れちゃいけねーよな)」

 『(……ハア。早クイケ)』

 「ぅお! ちょっ」

 

 アイはミーヴェルの頭上で呆れた声を出し、ふわりと浮かび上がると、頭突きをするように背中を小突いた。

 傍から見れば、一人でぶつぶつ言いながら、何かに背中を突かれてガクガクと不自然に歩く不審な男だ。道行くドワーフたちが「なんだあいつは……」と怪訝な目を向けるが、今のミーヴェルにそれを気にする余裕はなかった。

 

 「(ここか。入ったら登録すればいいんだよな?)」

 

 見上げる看板には、ミーヴェルには読めない文字。だがその横に、交差する剣と硬貨を模した意匠が刻まれている。

 

 『(肯定。此処ガ、ハンターズギルドダ)』

 「(よし!)」


 スイング式のドアを押し開けると、鼻を突くのは安酒と汗、そしてこの街特有の油の匂いだった。広いホールには依頼書が隙間なく貼られた掲示板が立ち並び、奥には鉄格子のついた受付窓口。手前の酒場スペースでは、朝からジョッキを傾ける荒くれ者たちがたむろしていた。

 その喧騒が、ミーヴェルが足を踏み入れた瞬間に止まった。

 エルフ、頭に耳を生やした獣人?そして大勢のドワーフ。一斉に鋭い視線が、場違いな少年へと突き刺さる。


 「(おお? おおっ……視線が痛いぜ)」

 『(気圧サレ過ギダ。落チ着ケ。……アノ受付へ向カエ)』


 アイの声で正気を取り戻し歩き出すが、その進路を遮るように巨大な影が落ちた。


 「おいガキ。何でお前みたいなのがこんな所にいるんだ」


 立ちはだかったのは、岩のような筋肉を誇るドワーフだった。


 「おい、シカトしてんじゃねえぞ。ガキの来る場所じゃねえんだ。とっとと帰ってママのおっぱいでも吸ってな!」


 周囲から下卑た笑い声が上がる。「やれやれまたか」というような表情や、ミーヴェルに同情の視線を浮かべる者達も中にはいたが、多くはこの状況を楽しんでいるように見えた。


 『(コレハ恐ラク、新人ヲイジメル、オ約束ノ儀式トイウ奴ダロウ)』

 「(……なるほど。じゃあ俺は逆に鉄板ジョークで笑いの渦にしてやるぜ!)」

 『………』


 ミーヴェルは少し切なげに、哀愁を込めて事実を告げる。


 「母さんはもういないんだ。もう500年以上前に死んだから(マジ)……」

 

 一瞬の静寂の後、ホールは冷笑で満たされた。

 

 「はっ! 笑えねえ冗談だ。500年前だぁ? てめえの家系図の話をしてんじゃねえよ! ……死にたくなければ、二度と面を見せるな」

 「(……あれ?……うそだろ? 渾身の鉄板ジョークが滑っただと!?)」

 『(長年、人ト話ス機会ガナカッタ貴様ハ、著シクセンスガズレテイル)』

 「(――馬鹿な!?)」

 

 目の前でそんな脳内会話が繰り広げられているとは知らず、ドワーフはミーヴェルが怯えたと勘違いし、ニヤニヤと追撃する。


 「おいおい、ぼくちゃん。怖くて声も出ないのか? ほら、良い子は回れ右して帰りまちょうねぇ」

 ドッと笑い声が響く。ミーヴェルはようやく「ジョークが通じない」現実を受け入れ、冷淡に言い放った。


 「(……最初はテンション上がったけど、やっぱしつこいわ)……通してくれ」

 「嫌だね」

 「はぁ……もういい。どけ。(――アイ)」

 『(了解。ナノヘイズ圧縮。……対象、座標固定。――重圧プレッシャー射出)』


 ドサッ!


 重苦しい音が床を震わせた。ドワーフが、頭上から巨大な鉄槌で叩かれたような不可視の重圧に襲われ、石造りの床に両膝を激しく叩きつけたのだ。


 「ぐ、ぁ……っ!? な、なんだ……体が……動かねえ……っ!」

 『(出力、五パーセント。……貴様ノ如キガ抗エル負荷デハナイ)』


 アイの声が脳内で冷酷に響く。

 周囲の笑い声は、一瞬にして凍りついた。つい先刻まで下卑た笑みを浮かべていた荒くれ者たちは、目の前の少年から放たれる正体不明の重圧に、喉元を直接掴まれたような錯覚に陥る。

 

 「……忠告しといてやるよ。魔人を、見た目で判断しちゃいけない。……まあ、俺が実際ガキなのは否定しないけどな」


 「……魔…人……!?」


 ニッと不敵に笑い、ミーヴェルは歩き出した。

 すると、進路にいたハンターたちが、まるでモーゼが海を割るかのように、一斉に、そして無意識に左右へと退いた。

 ガタガタと椅子を引く音、ジョッキを置く音だけが静まり返ったホールに響く。

 誰もがミーヴェルと目を合わせようとせず、彼が通り過ぎるたびに、まるで嵐をやり過ごすかのように身を縮めている。その「道」の先には、ただ一人、驚愕で固まったままの受付嬢がいた。

 ミーヴェルは誰に遮られることもなく、悠然と受付窓口の前まで歩み寄り、笑顔で軽くコンコンと鉄格子を叩いた。


 「……登録、お願いしたいんだけど」

 「はっ、はいッ! か、かしこまりましたッ!」


 窓口のドワーフ女性は驚き、椅子から転げ落ちそうになったが気合で持ち直した。

 プロの受付嬢として数多の修羅場を見てきた自負があったが、今目の前にいる少年の異様なプレッシャー(誤解)の余韻に、彼女の指先は微かに震えていた。

 彼女は引き出しから何枚かの書類を取り出し、震える声でギルドの規約を説明し始めた。

 

 「えっ、えーと……。当組合のランクは、最下位のEランクから始まり、最高位のSランクまで設定されています。基本的には、受託制限のない依頼クエストであれば自由に参加可能ですが……」

 彼女は書類の一箇所を指差した。

 

 「ドワーフ国内にある旧人類の遺構、いわゆる『ダンジョン』への立ち入りは、安全確保の観点からBランク以上の資格保持者に限定されています。……この狩猟組合は、種族や国境を越えた中立組織ですので、一度登録すればどの街の支部でも活動が可能ですよ」

 「(Bランクか。……良く分からないけど道のりは遠そうだな)」

 『(否定。効率的ニ依頼ヲ完遂スレバ、オソラク昇格速度ハ演算上デ極メテ早イ。問題ハ、ミーヴェルノ素性ダ)』

 

 アイが脳内で釘を刺した直後、受付嬢が恐る恐る尋ねてきた。

 

 「あの、確認なのですが……。お客様は『魔人国』の支部で登録はされていないのですか? 本来、貴方の種族であれば、あちらでカードを発行しているのが通例ですが……」

 ミーヴェルは一瞬、言葉に詰まった。

 

 『(未登録ト回答セヨ。其レ以上ノ詳細ハ不要ダ)』

 「あぁ……。あっちでは登録してこなかったんだ。ただ、あてもなく旅をしようと思ってただけだからさ」

 「えっ……? そっ、そうなのですか?」

 

 受付嬢は怪訝そうな顔を浮かべた。

 魔人が自国での登録を避け、わざわざ遠く離れたドワーフ国でギルドに加入するなど、普通に考えれば「訳あり」以外の何物でもない。だが、先程の圧倒的な実力を見せつけられた後では、それ以上の追及をする勇気は彼女にはなかった。そんな事を思われているとはつゆ知らず、ミーヴェルは新たな難題に挑んでいた

 

 「(……ピンチだ、アイ)」

 『(ドウシタ?)』

 「(この書類、なんて書いてあるかさっぱりわかんねえ……。ドワーフの文字って、なんか歯車が噛み合ってるみたいで目が回る)」


 ミーヴェルは、目の前に置かれた羊皮紙を睨みつけたまま固まっていた。

 受付の女性が、先程の恐怖も忘れて「……字、書けますか?」と不安げに覗き込んでくる。

 『(スキャン完了。上カラ順ニ、「氏名」「年齢」「種族」「得意武器」……最後ハ「属性」ダ)』

 「(属性? なんだそりゃ。火とか水とか、そういうやつか?……あぁ。あれか、ラキが使った雷みたいな奴か)」

 『(肯定。ナンデモイイ適当ニ書ケ、所詮属性ナゾタダノ幻想ダ)』

 「(……確かにそうだな。んじゃ雷にしとくか……いや待て?それだとアイツ(ラキ)と一緒だな。超雷とかどうだ?)」

 『(――ハヤクシロ)』

 「(じょっ冗談だって、だから頭を締め付けるのはやめようかアイ?ほら、受付の人めちゃめちゃ不審な顔で俺の頭見てるから)」

 

 ミーヴェルは急ぎペンを走らせた。

 だが、ここで別の問題が生じていた。アイとの思考共有が深すぎるあまり、彼の意識にはアイが処理している「旧人類の言語データ」が直接流れ込んでいたのだ。

 

 「(魔人、ミーヴェル、15歳、剣……属性は、雷。よし、書けたぞ!)」

 「あ、ありがとうございます。……では、こちらに手を。魔力の波形……いえ、体内の『ナノヘイズ』の特性を登録します」

 彼女が指し示したのは、受付カウンターに据え付けられた透明な水晶の球体だった。

 ミーヴェルがそこに触れると、球体は一瞬だけ、太陽を閉じ込めたかのような真っ白な光を放った。ギルド中の荒くれ者が「なんだ!?」と目を覆うほどの輝き。だが、それ以上の変化はなく、すぐに元の透明な輝きに戻る。


 「……はい、確認できました。えーっと、内容は……」


 受け取った書類に目を落とした受付嬢の動きが、ぴたりと止まった。

 彼女は書類を顔に近づけたり、上下をひっくり返したり、隣の同僚と顔を見合わせたりと、明らかに動揺している。


 「……あの、お客様。一つ伺っても?」

 「なんだ?」

 「……これ、どこの国の文字でしょうか?」

 「――――あ」


 ミーヴェルは、自分の手元を見て凍りついた。

 そこに並んでいたのは、ドワーフ語でも魔人語でもない。

 アイが演算に用いる「旧人類」の文字――すなわち現世では誰も使っていないはずの異形の文字列だった。

 「(……やべ。普通に人間の文字書いちゃった)」

 『(……アイモ忘レテ居タ。適当ニ、魔人国ノ少数ガ使ウ文字ダト言ッテ胡魔化セ)』

 「(了解!)」


 ミーヴェルは、差し出しかけた書類を、適当に丸めて受付カウンターの隅へポイと無造作に放り出した。


 「……悪い、やっぱりこれはなしだ。これ、俺の故郷の極一部で使ってる文字なんだよ。癖で書いちまった。今から口頭で言うから、あんたがそのまま新しい紙に書き直してくれ。それでいいだろ?」

 「えっ? あ、はい。かしこまりました。代筆いたしますね」


 受付嬢は少し驚いたようだが、新しい羊皮紙を広げてペンを構えた。


 :種族、魔族。氏名、ミーヴェル。年齢、十五。得意武器、剣。属性、雷


 ミーヴェルの口頭説明に従い、受付嬢が正しい文字で書き直していく。やがて、公式なギルドの記録となるプロフィールが完成した。


 「(……ふぅ。これで一安心か、アイ?)」

 『(表面上ノ記録ハ完了。……だが、ミーヴェル。其ノ放置シタ先程ノ紙……後デ回収セズトモ良イノカ?)』

 「(いいよ、もう書いちゃったもんはしょうがない。掃除の時にでも捨てられるだろ)」

 

 ミーヴェルは笑って取り合わなかった。

 だが、窓口の隅に置かれたその「異形」の文字が並ぶ紙は、受付嬢の好奇心を強く刺激していた。

 

 (……「古式文字」……? こんな文字、見たことがない……)


 彼女はミーヴェルの視線が外れた隙に、その紙をそっと、自分の手元の引き出しの中へと隠した。これが後に、失われた古代文字を書く魔人という噂が、大きな波紋を広げるきっかけになるとは、今のミーヴェルには知る由もなかった。




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