15話 銀貨の価値
門を潜った先に広がっていたのは、視界を埋め尽くす鋼鉄の多層階層だった。
かつての高層ビル群を骨格とし、そこに無数の増築遺構を継ぎ足した街。空を見上げれば、ビルとビルの間を巨大な蒸気配管が血管のように這い回り、漏れ出した蒸気が絶えず白い霧となって、薄暗い路地を包み込んでいる。
「(……おい、アイ。どこもかしこも鉄臭いな! ……まずは飯か? それとも宿かな?)」
『提示。現在ノ所持金、零。先程、唯一ノ換金資産デアッタ旧型セルヲ譲渡シタ。現在ノミーヴェルハ、食料モ寝床モ確保不可能ナ、タダノ浮浪者ダ』
「(……わっ、分かってるよ! だから、このトカゲを売るんじゃねーか!)」
息巻いてはみたものの、ミーヴェルは立ち往生した。通りには錆びた歯車を山積みにした露店や、火花を散らす作業場が無限に続いている。看板の文字は一文字も読めず、どこが「買取所」なのか、それとも「ただの修理工場」なのか、さっぱり判別がつかない。
「(……なぁ、アイ。どこに行けばいいんだ? こういう時、普通はどこに行けばいいのかさっぱりわからん……。適当に話しかけてみるか?)」
『回答。現文明ニ於ケル商業形態ハ、個々ノ工房ニ依ル直接取引ガ主流ト推察サレル。……現状適当ナ工房ヲ、シラミ潰シニ当タルコトヲ推奨スル』
「……めんどくさっ!」
ミーヴェルは「っぽい」感じの場所に突撃しては追い返されるのを三度繰り返し、折れかけた心も「今日の寝床……!」という切迫した未来のために気合で持ち直した。そして四度目。ようやく見つけた場所は、一際巨大な煙突を構えた武具工房であった。
「へい、親父! 珍しい素材を持ってきたぜ。クロウラー変異種の角と鱗だ」
ドサリと袋を置く。店主の老ドワーフは、脂ぎった手で中身を検めた。
「……ほう。変異種の素材か。成分は悪くない。本来なら銀貨六枚は出すところだが……根元がズタズタだな。これじゃあ加工の手間が倍だ。全部まとめて、銀貨二枚。それ以上は一文も出せん」
「(……えっ、六枚が二枚に!?)」
『指摘。ミーヴェル、貴様ノ剥ギ取リ技術ハ、野生動物ノ捕食痕ト同義。精密サ、皆無。……妥当ナ評価ト推察サレル』
「(剥ぎ取りしてる時に教えてくれたらよかったのに!)」
アイの酷評に顔をしかめつつ、ミーヴェルは手渡された銀貨二枚を手のひらに載せ、マジマジと凝視した。鈍い銀光を放つ、特定の紋章もない世界共通通貨。ずっしりと重い。
「(……へぇ、これが『通貨』ってやつか……。アイ、見てみろよ。こんな小さな銀の粒を渡すだけで、飯が食えたり、屋根のある場所で寝れたりするんだろ? すごい仕組みだよな、これさえあれば、どこに行っても生き延びられる魔法みたいだ)」
『不適切ナ表現。通貨ハ魔法デハナク、信用ニ基ヅク経済交換ノ媒体ダ。……ミーヴェル、速ヤカニ移動セヨ。感傷ニ浸ル時間ハ存在シナイ』
「(分かってるって! へへ、銀貨二枚だぜ? これなら今夜は豪華なディナーに、最高な部屋が借りられるだろきっと!)」
期待を胸に坂を登り、石造りの立派な高級宿のカウンターに銀貨をドンッと叩きつけた。
「よう、親父! 一番いい部屋を頼むぜ。……釣りはいらねぇ、これでな!」
「……おい兄ちゃん。馬鹿にしてるのか? 冗談なら他所でやってくれ。うちは一晩、銀貨十枚からだ。そんな端金じゃ馬小屋が関の山だよ。さっさと出ていきな」
数秒前までのセレブ気分は霧散した。
「(……えっ……。銀貨って、そんなに価値ねーの?)」
情けなく銀貨を回収し、すごすごと坂を下って辿り着いたのは、中層エリアの中堅どころの宿だった。
「……一晩、いくらです?」
「素泊まりの個室で銀貨一枚。……朝晩飯付きなら、もう一枚だよ」
「じゃあ一泊お願い(……これで全部使い切りか……。でも、これを払えば本当に飯が出てくるんだよな? 通貨って、やっぱり大したもんだぜ!)」
ようやくコイン一枚の対価に納得して銀貨を差し出すと、宿の女主人がミーヴェルの顔をまじまじと見つめた。
「……おや? あんた、もしかして門番のところで『聖なる遺物』を出し惜しみなく渡したっていう、例の魔人さんかい? 噂になってるよ。どこぞの王族の隠し子か何かかい?」
「(……王族の隠し子!?)」
『制止。不用意ナ反応ハ、誤解ヲ深メルリスクガアル。……沈黙ヲ維持セヨ』
「……フッフン、何のことだか。……ほら、銀貨二枚だ。飯付きで一晩頼む」
ミーヴェルは動揺を隠すように鍵を受け取り、逃げるように階段を上った。
「あらら? 夕食になったら呼びに行くからねー!」という女主人の声を尻目に、八畳ほどのそこそこの広さの、だが清潔な個室へ入った。窓からは、街の頂上にそびえ立つ鋼鉄の城が鈍い光を放っている。
「(……おい、アイ。えらいことになってんぞ。俺、そんなに目立ってるか?)」
『肯定。ミーヴェルノ行動ハ、原始的ナ経済圏ニ於イテ、異常ナ高価値資産ノ浪費ト見做サレテイル。……明日以降、接触ヲ試ミル勢力ガ現レル確率、九十四パーセント』
「面倒だな……なぁアイ。武器っていくらするんだろうな」
『推測。現在ノ宿泊費カラ市場価格ヲ算出。……最低ランクノ量産剣デアッテモ、銀貨五枚カラ。実戦ニ耐エウル逸品トナルナラバ、銀貨五十枚以上ト算出スル、後デ確認シニイッテコヨウ』
「ああ頼む、にしても……。ノリで決めたけど、もっと安い宿を探すべきだったか。……なぁ、アイ。ここに『基幹ユニット』の反応はありそうか?」
『不明。タダ、此ノ階層ニ於イテ該当スル信号ハ検知サレズ。……タダシ、旧人類ノ記録ニ依レバ、コノドワーフ国ノ地下深クニハ、カツテ小規模ナ研究所ガ存在シテイタ。ソシテコノ街ノ地下カラハ、微弱ナガラ旧文明由来ノ高周波ノ残響ガ確認サレル。何処カニ入リ口ガアルハズダ』
「……。そうか……ま、今は明日を生きるための金だ。一晩寝て、明日またトカゲを狩って金を稼ぎながら、探してみようか」
◇
運ばれてきたのは、ドワーフ流の「蒸し肉と発酵キノコの煮込み」だった。
油っこいが不思議と食欲をそそる匂いがテーブルに広がる。だが、ミーヴェルはその器の中身を見た瞬間、顔を盛大に歪めた。
「(……畜生! またキノコかよ!!)」
『指摘。キノコ類ハ栄養ガ豊富ダ。全財産ノ半分ヲ投ジタ対価ダ、一欠片モ残サズ摂取セヨ』
「(わかってるよ! ……へーへー、食べればいいんだろ、食べれば!)」
ミーヴェルは半ば自棄気味に、肉と一緒にキノコを口へ放り込んだ。咀嚼し、飲み込もうとした瞬間――ミーヴェルの動きが止まった。
「(…………っ! 畜生!! 美味いのかよこれ!)」
鼻に抜ける芳醇な森の香りと、噛みしめるたびに溢れ出す濃厚な肉の旨味。キノコの独特の食感が、ドロドロに煮込まれた肉の脂を完璧に受け止めている。
「(肉の脂をキノコが全部吸ってやがる……! 素材を引き立てる肉とキノコの相性抜群じゃねえか!!! クソッ、負けた気分だ!)」
キレながらもスプーンを止めることができず、ミーヴェルはあっという間に皿を空にした。
『指摘。咀嚼速度ガ理想値ヲ十五パーセント超過。……ダガ、完食ハ評価スル。貴様ノ細胞ガ歓喜ノ声ヲ上ゲテイルゾ』
「(うっさい!)」
食後、部屋に戻る。ミーヴェルは満足感と敗北感が入り混じった顔で、トカゲの生臭さが残る手で口元を拭うと、重くなった身体を硬いベッドに投げ出した。
「アイ、俺今日もう何処にも行かないから、この街のこと一通り調べといてくれ」
『了解。寝ロ』
「ぅん……」
そう言うと、ステルスを展開し窓から飛び出していったアイを尻目に、今日一日で体力を使い果たしたミーヴェルはまどろみの世界へ旅立っていった。




