11話 無一文
「……っ、い、痛たた。腰がっ……!」
およそ少年らしからぬ悲鳴とともに、ミーヴェルは這いずるように起き上がった。
節々の痛みと、背中に伝わる地面の硬さ。覚醒しきらない頭でも、昨夜が過酷な野宿だったことを嫌でも理解させられる。
「おはよう、アイ。……エコーは出なかったか?」
『オハヨウ、ミーヴェル。数体捕捉シタガ、全テ問題ナク排除済ミダ』
「そうか、ありがとな。……にしても、昨日のお前、ありゃ一体何なんだ。……翠の光っていうか、威力が以前と違いすぎるだろ」
ミーヴェルは、浮遊するアイを見上げた。レンズの奥で脈動する翠の光は、以前の不安定な青白さとは一線を画す、圧倒的な計算精度を感じさせる。
『回答。装填シタ「翠色基板」トノ完全同調ニヨル、バージョン3.0ヘノアップデート結果ダ。……主ナ変更点ハ、演算速度ノ飛躍的向上、及ビ「ナノヘイズノ直接制御」ノ解禁。昨日ノ衝撃波ハ、周囲ノナノヘイズヲ瞬間的ニ「固体化」サセ、物理的破砕エネルギーヘト変換・放射シタモノダ』
「固体化……? 論理エラーでバグらせるだけじゃなくて、直接ブッ叩けるようになったってことか」
『肯定。魔力励起ニヨル魔法トハ一線を画ス、純粋ナル物理干渉が可能』
「魔法を、科学で上書きしたってわけか。……頼もしいが、可愛げがなくなったな、その威力。あのボロっちい基板一つで、ここまで化けるとはな」
『不満カ? 貴様ノ生存確率ヲ最大化スルタメ、最適ナ出力を維持スル。……ソレト、ミーヴェル。呼ビ方ヲ変更シタ。ソッチノ方ガ合理的ダト判断シタカラダ』
「……ん?そうか了解」
(あの翠の基板……たまたま拾ったにしちゃ、アイの元々のパーツよりよっぽど高性能だったってことか。まあ、助かったんだから結果オーライだがな)
ミーヴェルはそう考え、特に深く追求しないことにした。改めてのスタート地点。この「死の森」を抜け、ドワーフの国を目指す。その場に留まって食事を摂っても一向に距離は縮まらない。ミーヴェルは歩き出し、行軍しながらの慌ただしい朝食を始めた。
「にしても、他にも武器を持ってくればよかったな」
『肯定。ダガ、目的地のドワーフ国ニハ、武器ガ豊富ニ存在スルト予測サレル。ソコデ調達スレバ良イ』
「あぁ、そう言えばドワーフってナノヘイズを取り込んで武器を作るんだっけ? そう考えると、ドワーフって星に優しい種族なんじゃないか?」
『半分肯定。他種族ガ魔法ヲ行使シテ高濃度ノヘイズヲ撒キ散ラスノニ対シ、ドワーフハ逆ニ内側ヘ取リ込ム。……鍛造ノ際、金属ヲ叩ク行程デ周囲ニヘイズガ霧散スルガ、魔法行使時ノ十分ノ一ニモ満タナイト推測サレル』
「へー。……ま、何にせよどんな武器があるか楽しみだな!」
そんな軽口を叩きながら、鬱蒼とした「死の森」の境界線をようやく踏み越えた。しばらくは、ヘイズの余韻が残る青が混じった灰色の荒野が続く。
進行方向の左手には、かつて空を駆けていたという巨大な高架の無残な骸が、地平の先まで延々と連なっている。そこから漏れ出す濃密なヘイズの気配を肌に感じながら、ミーヴェルはあえて右側の開けた荒野へと距離を取って歩を進めた。
やがて、肌を刺すような湿り気が消え、風の匂いが変わった頃だった。
「……あれか」
不意に、正面の地平を塞ぐように巨大な影が姿を現した。遮るもののない荒野の先にそびえ立つ、天を突くような連峰。それは自然の山というより、巨大な鉄の塊が積み重なったかのような、重厚で威圧的な存在感を放っている。
「アイ、あそこまでどれくらいだ?」
『現時点デノ歩行速度デ、約10時間ト算出。……到着ハ、日没前ニナル見込みダ』
「10時間、か。……よし、行くか」
左手に死した文明の残骸を、正面に鋼の威容を見据え、ミーヴェルは小さく息を吐いた。
『ムッ』
「……ッ、どうしたアイ!」
急に足を止め、こちらにレンズを向けるアイ。ミーヴェルは反射的に、腰のホルダーに差した鉄剣の柄に手を掛けた。周囲の廃墟からエコーでも這い出してきたのか。
『ミーヴェル。サキホド、ホシニクヲ口ニシタノハ確認シタ』
「あ? ああ、それがどうしたんだよ。朝飯だろ」
『野菜ハドウシタ』
ミーヴェルは、脱力とともに剣の柄から手を離した。
「……行こうぜ、アイ」
『イヤダメダ。マダ、ソノ袋ノ底ニキノコガ残ッテイルハズダ』
「なっ、ちょ! なんだよ急に!」
アイは浮遊する頭部をミーヴェルの胸元に押し当て、グイグイと頭突きをかましながら強引に袋を奪い取った。中をガサゴソと漁り、取り出したのは……いつから入っていたのか、無惨に萎びきったキノコだ。
『状態確認……「良」。栄養分、残存。……食エ。残サズ食エ、ミーヴェル』
「お前なぁ……! ったく、分かったよ! 食えばいいんだろ、食えば!」
渋々ながらもキノコを口に放り込むミーヴェル。そんな彼をレンズの明滅で見守っていたアイが、ふと思いついたように電子音を鳴らした。
『追記。……重要ナ事項ヲ失念シテイタ』
「なんだよ、今度は『水分が足りない』とかか?」
『イヤ。我々ニハ現在、「通貨」ガ存在シナイ』
「つうか……? なんだそれ」
『お金ダ、ミーヴェル。コレマデアークポッド内デ完結シタ生活ヲ送ッテキタガ、ドワーフ国ヤ他種族ノ社会ニハ、対価トシテノ通貨文化ガ根付イテイル』
「……あ。言われてみれば、記録にもそんなのがあったな。……じゃあ、俺、今一文無しってことか?」
『肯定。武器ノ調達以前ニ、今夜ノ宿代スラ危ウイ。……効率的ナ「稼ギ」ノ手段ヲ、移動中ニ策定スル必要ガアル』
「前途多難だな、おい」
ミーヴェルは天を仰いだ。左手に死した文明の残骸を、正面に鋼の威容を見据え。そして隣には、健康から家計まで握ろうとする世界一お節介な相棒を連れて。
――歩き始めて数時間が経過した。
左手に連なる巨大なコンクリートの残骸は、場所によって無残にねじ切れ、巨大な背骨を晒した怪物の死骸のように荒野に影を落としている。
「……なぁアイ。あの地下鉄の路線、あそこまで続いてるのか?」
『肯定。アークポッド周辺カラ此ノ荒野ヲ貫キ、目的地付近ノ巨大都市遺構マデ網羅サレテイタモノト推測スル』
「だよな。……お前のデータベースに残ってる、母さんの保守ログにもそう書いてあった。……あ、そういえば、あのログにあった『亜人種ノ軍事拠点』って、今のドワーフの国のことなんだろうか?」
ミーヴェルは、左手に続く「死した文明」を冷めた目で見やった。一度も言葉を交わす機会のなかった母。だが、彼女がアイのシステムを維持するために残した膨大な「作業記録」や「戦時ログ」は、ミーヴェルにとって外の世界を知る唯一の、そして最も血生臭い教科書だった。アイの奥深くに眠る無機質な文字列には、かつて人間がドワーフを「ナノヘイズヲ悪用スル汚染源」として排除しようとしていた記録が、冷徹に刻まれている。
(あの記録の端々にあった『駆逐対象』って言葉……。母さんは、あの山を焼き払おうとしてたのか?)
とはいえ、他種族への憎しみがあるかと言われれば、分からないのが正直なところだ。生まれてから今まで実感もなければ、実害もない。先日、初めてエルフという種族に遭ったが、今のところの印象は「まあ可愛げがある、ちょっと抜けたポンコツ女」という、極めて敵対心の湧きようがないものだった。
『ミーヴェル。過去ログノ分析ハ自由ダガ、足元ノキノコヲ見落トスナ。……左ハ食用トシテ優レタ個体ダ』
「……お前、さっきからキノコに執着しすぎだろ」
毒づきながらも、ミーヴェルはしゃがみ込み、砂に半分埋まった二つのキノコへ手を伸ばした。
『警告。右ノ個体ハ摂ルナ。ソレハ毒茸ダ』
「……は?」
ミーヴェルは、左右の手で掴みかけたキノコを交互に見比べた。色、形、傘の反り具合、こびりついた砂の量まで。どこをどう見ても、寸分違わぬ「双子」にしか見えない。
「おい、待てよアイ。これ、……全く一緒じゃねぇか! どこが違うんだよ!」
『成分分析済ミ。右ハ神経系ニ重篤ナ損傷ヲ与エル。左ハ良質ナ蛋白質トビタミンヲ含有。……サア、左ヲ拾エ。ソシテ噛メ。咀嚼ハ脳ノ活性化ニ繋ガル』
「……へいへい、分かりましたよ。……ったく、ドワーフの国に着くまでに、俺の体、キノコになっちまうんじゃないか?」
不服そうに左側のキノコを引き抜き、砂を払って口に放り込む。アイの中に残る、母が遺した凄惨な戦争の記憶。そして、目の前で毒キノコだと細かすぎる小言を言うアイ。
正面に見える鋼の山は、まだ遠い。だが、不気味な廃墟の側を歩く道は、思っていたよりも孤独ではなかった。




