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その言葉ひとつ

「あの時間、あの場に警備員が来るはずがなかった。絶対に、失敗するなんてありえなかった」

 主犯格の前島が初めて口を開いたのは、逮捕から七日目のことだった。十回以上の厳しい尋問にも黙秘を貫いていた前島だったが、丸井捜査官が「お前らは失敗したんだから」とつぶやいたのに反応したようだった。

 前島は窃盗団のリーダーで、前科はなかった。だが、「判明していない余罪が山のようにあるに違いない」と丸井さんは確信していた。未解決の窃盗事件がここ三年の間に日本全国で十件以上起こっていた。さらに言うなら、今回捕まった前島含む三名が今だに誰も自白していないことが、この窃盗団の優秀さを如実に物語っていた。

 前島が声を発した瞬間、丸井さんと僕は深い深いため息をついた。ようやく口を開いてくれた。もうこっちのもんだと思った。アジトも他の仲間も、何もかも吐かせてやる。

 だが、それからが大変だった。また七日が経ったが、前島はそれ以上の情報を全く話さなかったのだ。

 失敗するはずがなかった。絶対に、警備員があの場に来るわけがなかった。

 壊れた機械のようにそう繰り返すばかり。そしてこう言うのだ。

「俺たちが捕まった理由を知りたい。知れたなら、少しは他のことを話してやってもいい」

 業を煮やした僕ら警察は、例の警備員に話を聞きに行くことを決めた。たしか、聞き取りを終えてもう職場に復帰しているはずだ。

「坂田、お前ひとりで行ってきてくれ。俺は他の奴と尋問を続けてるから」

 先輩にそう言われてしまっては、僕は苦笑いで了承するしかない。電話でアポを取り、先日の盗難未遂事件の舞台となった会社まで車を飛ばす。

 署を出る前からうんざりしていた。あの社長にまた挨拶しなきゃならないなんて。



 四階建てのさびれたビルはそのまま会社の持ち物で、社長室は最上階にある。それなのにエレベーターがない。社長室の扉の前で息を整えながら、社長は毎日四階まで階段で通っているのか、と考えた。

「できれば、あんたらにはもう会いたくなかったんだがね」

 その会社の社長は、見るからに感じの悪い男だった。禿げ上がった頭、鋭い目つきに太り気味の体型。ザ・社長という風貌だが、やり手ゆえの性格の悪さが言動ににじみ出ていた。

「今日は、あの日通報してくれた警備員に話を聞くだけですので、すぐ済みます。社長に挨拶はしておくべきだと考えまして」

「わかったわかった。早く聞き取りでも何でも済ませて帰ってくれ」

 この狸ジジイ。つくづく他人の神経を逆なでする野郎だった。

 そもそも、泥棒に入られかけたのは御社のセキュリティがザルなせいじゃないか。笑顔の下で悪態をつく。入り口には鍵がかかっていないし、警備員は年配の二人のみで、監視カメラはなく、深夜の巡回はおざなりだとか。なぜ泥棒を捕まえられたのか不思議でならない。

 さっさと社長室をおいとまして例の警備員を探すことにした。名前は覚えている。糸野武三。

 警備員室には、もう一人の警備員が半分眠りながら窓口の番をしていた。

「すみません、警察の者です。警備員の糸野さんにお話を伺いたいのですが」

「ああ、糸野さんなら、さっきトイレに行きましたよ」

「そうですか」

 トイレの場所を尋ね、要領を得ない説明を聞いて、五分かけてようやくトイレにたどり着いた。しかし小便器にも個室にも誰もいない。

 歯ぎしりしながら警備員室に戻ると、「さっき帰ってきて見回りに行ったよ」と言う。ああもう、じれったいな。一階、二階、三階とダッシュでくまなく見て回ると、三階の隅で息を切らしている警備服の男を見つけた。腰に手を当てて顔をゆがめている。あれが糸野氏に違いない。

「あの、糸野さんですよね」

 大きめの声を出した僕と目が合うと、男は逃げるようにトイレに入っていった。なんでだよ。

「糸野さん。どうして逃げるんです」

 個室の外から呼びかける。

「少し聞き取りするだけですって。なにも尋問するわけじゃありません。事件当日のことについて少し教えてもらいたいんです」

 なだめすかして糸野氏をトイレから引きずり出し、通りすがりの社員に面談用のスペースまで案内してもらった。パーテーションで区切られたオフィスの一角。ソファに腰を下ろす。糸野氏は向かいに座っている。

「盗難未遂のあった日、糸野さん、あなたは深夜の警備にあたっていたそうですね」

「はい」

「最上階にある社長室の近くを通った時、社長室に押し入ろうとしている泥棒を発見したと」

「はい」

 遠慮がちに糸野氏は頷く。

 さて、ここからが本題だ。前島が繰り返し言っていたことを思い出す。「あの日、あの場所に警備員がいるはずがなかった」と。

「失礼ですが……、普段、最上階の見回りをすることはありましたか?」

 糸野氏の背がびくりと跳ねる。周囲にすばやく視線を走らせ、息をついて僕に向き直る。

「い、いや……あの……」

 口をもごもごさせて弁解を試みているようだがよく聞き取れない。

 そうか、と得心する。彼は職務怠慢が明るみに出るのを恐れていたのだ。だから僕を避けるような行動をとっていたのか。

「安心してください。警備体制の不備を追求しに来たわけではないんです」

「そ、そうなんですか?」

 糸野氏は驚いた顔をする。鷹揚に頷きを返すと、彼はほっとした顔をする。

「今回聞きたいのは、なぜ、あの日に限ってたまたま見回りをしていたのか、ということです。教えていただけますか?」

「あ、そういうことですか。ええとですね」

 糸野氏は照れ笑いを隠すように咳ばらいをしてから、語り始めた。

「私も伊賀野も──あ、もう一人の警備員の名前です──長年ここでの警備員をやっているのですが、だんだん腰が悪くなってきましてね。毎夜の見回りは、ここ数年は二階までしか行っていなかったんです」

 なるほど、それを泥棒グループに嗅ぎつけられたわけだ。社長室は四階にあり、金庫はその中にある。ビルの内部に侵入して隠れて夜を待てば、あとはやりたい放題だ。

「そのことを社長は知っていたと思います。私たちはここを解雇されたらどこにも行く当てがありませんから、温情で雇い続けてくれているのでしょう。社長はああ見えて懐の深い方なんですよ」

 そうは見えなかったが。積極的に嫌味をぶつけられた気がしたが。

 納得のいかない僕の表情を察したのか、糸野氏は苦笑いで付け足す。

「正直、私もつい最近まではあまり良い印象は抱いていませんでした。でも少し前に印象が変わる出来事がありまして」

「それで、事件当日はなぜ四階に?」

「はい。それがまさに、社長の印象が変わった出来事に結びついているんです。お恥ずかしいですがね」

 糸野氏は古き良き思い出をなぞるように、事件当日の出来事を語った。



「入社以来初めて、社長にねぎらいの言葉をかけられたんだとよ。それが嬉しくて、張り切って社長室のある四階まで見回りに上がってきたってわけだ」

 取調室に戻った僕は、糸野氏から聞いた一部始終を語って聞かせた。隣の丸井さんは微笑みを浮かべていた。

 前島はなんともいえない微妙な表情で聞き入っていたが、しばらく眉根を寄せて沈黙した後、ふっと相好を崩した。

「馬鹿みてぇな話だな。俺たちは何か月もかけて計画を練ったって言うのによ……」

「そうかもな」

 前島は天井を仰いだ。長く息を吐き、ちらりと僕を見る。

「おい、坂田とか言ったか。あんた、……俺たちの作戦は失敗だったと思うかい」

 挑戦するような目つき。何を試そうとしているのか分からないが、強いて言うなら。

「失敗というか、負けだな。お前らは人の心に負けたんだ」

 僕の答えに、前島はくっくっくと笑う。

「はあ、本っ当に馬鹿馬鹿しい。分かったよ。話してやるよ。シャバに出たあと殺されない程度にな」

 マジックミラー越しに観察していた同僚たちがどよめいたのが分かった。僕は白天井を見上げた。早速、丸井さんが他の事件とのかかわりなどについて質問し、前島が答えていく。

 僕はタバコを吸いに外へ出た。同僚がついてくる。

「坂田、その社長とやら、そんなに性格悪そうだったのか? お前、社長のこと話すときとんでもなく苦々しい顔してたぞ」

 僕はタバコに火をつける。晩秋の冷ややかな風が紫煙を乗せてとめどなく流れていく。

「とんでもない性悪だ。でもな、もう仕返しはしてある」

「へぇ、なにしたんだ?」

「聞き取りした帰りに社長室に寄って、例のねぎらいの言葉をかけてやった。そしたら社長、さっきの前島みたいな顔してたぜ」


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