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12 去った者。侵す者。

 王子が本来在るべき場所に帰っていくのを見送ると、家の中に入った。


 いつまでも外にいるのは寒い。


 扉を閉めて、ガランとなったように見える室内を見渡す。


 居候が一人いなくなっただけで、家具の配置などは何も変わっていないのに。


 窓から夕陽が射し込むと、なんだか物悲しく感じた。


 何故、自分がこんなにも感傷的になっているのか。


 私の静かで穏やかな日々が戻ってきたというのに。


 テーブルに向かって、作りかけの薬の調合を再開する。


 ばぁやに届けに行かないと。


 高齢者には今年の寒さはこたえた。


 もっと長生きしてほしいから、より良い薬を探したい。


 残った大切な人のために、しばらく薬作りに没頭していた。


 外がすっかり暗くなって、それを思い出したのはお腹がぐーっと鳴ったから。


 今日の夕食だと言って、王子がテーブルの上にタマゴサンドを置いていった。


 キッチンにはスープが入った鍋が置かれている。


 この美味しい食事が、今後はもう食べられなくなるのは残念だ。


 でも、それだけだ。


 それだけだと、思うようにした。


 一人で食べる食事はとても静かだった。


 たいして重要ではないのに、アレコレ話しかけてくる人はいない。


 村に行けば私は歓迎してもらえるけど、行くつもりはない。


 一緒に暮らせば暮らすほど、いずれ訪れる長いお別れが辛い。


 お師匠様の特別な魔女の血を与えられた私は、きっと誰よりも長く生きてしまう。


 下手したら永遠に生きてしまう。


 最初から一人で過ごしていた方が楽なんだ。





 人に関わるのは必要最低限にしたいのに、王子は城に帰ってからも、たびたび手紙を寄越してきた。


 贅沢な話で、竜が私の家に手紙を届けにくるのだ。


 竜に一人で会うのは怖いから、去るまでは一歩も外に出られない。


 たとえそれが、目立たないように猫と同じくらいの子竜サイズになっていたのだとしてもだ。


 手紙の内容は、時々妙なことも書かれているけど、概ね元気そうな内容だった。


 ただ、ちゃんとまともな物を食べているのかと、私に説教しようとしてくるのは気に食わない。


 毎度毎度手紙と一緒に届けられる焼き菓子は……まぁ、美味しいからいただいておいた。


 手作りらしいけど、王子が城でそんな事をすれば驚かれるだろうに、バカじゃないのかと思っていた。


 私の方からは…………一度も返事を出していない。


 どうせすぐに再会するからという理由ではない。


 結果として、私が学院に通い始めたのは、さらにニ年後のことだった。


 第四学年、16歳となる年の事だ。


 一日も通っていないので、復学と呼べるのかどうか。


 本当は行きたくはなかったけど、仕方がない。


 むしろ退学になってしまってよかったのに、ヴェロニカさんと王太子が休学のまま、そのように取り計らっていた。


 私が第二学年の一年間を通わなかった理由は、この無の森に帝国とルニース王国の合同調査部隊が侵入していたからだ。


 何か悪さをするなら対処しなければならないし、逆にあの人達がここで危険な目に遭うのも気分が悪い。


 自分達が飛び込んできたくせに、ここの地が疎まれたくない。


 王国側の調査の担当者は、無の森に領地を接するライネ辺境伯爵家の者だ。


 ライネ家は、ミハイル王太子の元婚約者の実家。


 あの人達は何を暴きたいのか、これ以上ここに土足で踏み込んでもらいたくない。


 向こうからしてみれば魔物が生息する危険地帯なのだろうけど、たとえ魔物があふれる場所であっても私の故郷が眠っている場所なのだから。


 だから、あの人達の調査が終わるまで動向を見張る必要があった。


 ヴェロニカさんは王太子と間も無く結婚する。


 私がここにいる以上は、あの二人の行く末は王子に委ねるほかない。




 無の森への侵入者の一団さん達は、多国籍で構成されていた。


 ルニース王国の者と帝国の者。


 魔法をかけて不可視の存在となってしまえば、草葉の陰から覗かなくても見つからない。


 さて、あの人達をどうすればいいかな。


 魔物を程々にけしかけるなんてことは、王子にしかできない。


 怪我されても困るし。


 雷雲を呼んで、追い返すかな。


 あまり奥深くに入られては、彼らが二度と戻れなくなる。


 朽ち果てるまで同じところをグルグルと回る羽目になる。


 行方不明者が出ては、捜索のためにさらに多くの侵入者がこの森にやってくるから面倒だ。


 早々に、安全に、お家に帰っていただかないと。


 黒髪のあの人が帝国の人かな。


 見たことがないけど、それなりの地位にあるはず。


 彼らは、驕ることなく、侮ることなく、十分に備えて、慎重に進んでいる。


 でも、いくら気を付けていても、惑わされてしまうのがここだ。


 早く諦めてもらいたくて、雷を鳴らし、土砂降りの雨を降らせて、彼らの足を鈍らせる。


 トドメとばかりに、彼らが贅沢にもアルミ水筒を携行していたのでそれを腐食させてやった。


 森を訪れるたびに雨が降って、剣とアルミ水筒が腐食すれば、毒の雨でも降っているのではと恐れてくれるならそれでいい。


 そもそも、鳥も虫もいないような所だから、空気も危険だとでも思ってくれないかな。


 ほらほら、方位磁石が狂わないうちに帰るんだよ。


 ライネ家の長男と帝国の黒髪の人が、顔を強ばらせて回れ右してくれたからよかった。


 退くも勇気だ。


 彼らが愚か者じゃなくて助かった。


 こんな感じで地味に彼らの妨害をしていたら、五度目のトライで諦めてくれた。


 帝国側から無の森に侵入した者達が戻らなかった事は、後から知ることになる。


 せめて魔法使いの先導者がいれば、家には帰れたかもしれないのに。


 こんなことがあったから、帝国から訪れた人が帰るまでは犠牲者が出ないように警戒しなければならなかったし、だんだんと学院に行くのが億劫になっていた。




 第三学年になって、また通わなかったのは、別の理由があった。


 第三学年に進級する直前に、悲しいことがあったからだ。


 寒い季節を、ばぁやが耐え凌ぐことができなかったのだ。


 ベッドで眠りについたまま、朝、二度と起きてはくれなかった。


 ばぁやは、村の共同墓地に埋葬された。


 これで生死不明の人を除けば、私を知っている大人は誰もいなくなった。


 たくさんの人とお別れをしていく。


 私は、ばぁやの死を一人で受け止めきれなくて家に閉じこもってばかりいた。


 ヴェロニカさんには連絡したけど、彼女は私の元を訪れてはくれなかった。


 私に寄り添ってはくれなかった。


 私はしばらく、食べることも寝ることもできなくなっていた。


 それだけ親しい人の死は、私にダメージを与えていた。


 でも、食べなくても死ねないのだから、何もかもが嫌になっていた。


 ソファーに無気力状態で何日も座っていた。


 ここは、王子が滞在中にベッド代わり使っていた場所だ。


 日が沈んで、日が昇って、日が沈んで、日が昇って、竜がドアを蹴っていた。


 きっと数日前にドアの前に置かれた手紙とお菓子が、放置されたままになっていたからだ。


 竜はこんな間隔ではこないはずなのに、実は監視されているのではと、辺りを見渡したものだ。


 その日は竜は家に侵入することなく帰って行ったけど、手紙とお菓子を放置していたのが竜の口から伝わったのか、次の日から毎日食料が届けられた。


 毎日王子が食事を作って、それを竜が届けにくる。


 他にすることがあるだろうに。


 つくづく、聖竜の使い所を間違えているよ。


 竜の行動も変わっていた。


 私が食べるところを確認しないと、竜はいつまでも窓ガラスを叩いている。


 私にとって、とてつもないプレッシャーになるから、渋々食べるしかなかった。


 火でも吐いてくれた方がよほどマシだ。


 カツカツとガラスを叩いていたかと思うと、ガラス越しにじーっと竜が私を見ているのだから。


 王子が作った食事を久しぶりに食べたけど、それを美味しいと思えていた。


 何のために生きるのか分からなくなっていた灰色の世界に、王子は強引に色を添えてきた。


 今日も昨日と同じようにドアの前に置かれた物を手に取って家の中に入ると、開閉で揺れたドライフラワーから良い香りがした。


 自分の数少ないお気に入りのことも、少しの間忘れていた。


 香りが弱まっているから、新しいものを作りたい。


 それを作るための段取りを考えながら、届けられた物をテーブルに置いた。


 蓋付きのバスケットの中にはメインの他にカプレーゼやフリットなんかが入っていたから、そのうちフルコース料理が届きそうで恐ろしくなった。


 思わず竜に“ほどほどにしろ!”と書いたメモを託したほどだ。





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