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11 王子の記憶

 王子は暗くなる前にちゃんと帰ってきた。


 空の旅は楽しかったようで、帰ってきた直後は随分と興奮した様子で上空から見えた景色を報告してくれた。


 それから美味しい夕食を作ってはくれたのだけど、食事の最中も、ずっと空の旅の続きを話していた。


 王子は、別の日にもたびたび竜の背中に乗って、無の森の上空を飛び回っていた。


 竜と何を話しているのか、随分と仲良くなっている。


 私は竜が苦手だけど、竜の存在以外は居候との日々は穏やかなものだった。


 私のしごきにも耐え、魔力のコントロールを覚えた王子に、身を守る簡単な魔法も教えてあげた。


 竜に命じれば国を焼き払うことなど容易いから、特に攻撃的な魔法は教えなかった。


 王子は間も無く13歳の誕生日を迎える。


 それは、王子が城に戻る日が近づきつつあるということ。



 その日の訪れは、予想していなかったことを王子が私に告げたことで決定したようなものだった。



「エカチェリーナさんに見てもらいたいものがあります」


 改まった様子で王子が差し出しものを見た。


 それは、絵葉書だった。


 小さな子供が描いたものだ。


 金髪に水色の瞳の男の子の絵。


 肖像画を真似して描かれたもの。


「これです」


 王子はそれをテーブルの上に置くと、私の視線は自然と絵葉書を追っていく。


「僕の婚約者だったお姫様が送ってくれたものです」


 王子の口から出た言葉に、多少なりとも驚いていた。


「僕にも幼い頃には婚約者がいたんですよ?それはちゃんと覚えています。彼女は……大厄災の日以降、不思議なことに、すべての人の記憶から消えた国の王女様だったんです。僕はその時はまだ五歳で、記憶なんかあって無いようなものだけど、この絵葉書が届いた時の事は鮮明に覚えています」


 私は顔を上げずに、テーブルに置かれた絵葉書を見下ろしていた。


「今では消えてしまって送り主の名前もわからないけど、この絵葉書自体が、彼女が確かに存在した記憶なのです」


 王子は別に、何かを問い詰めたいわけではないようだった。


「思えば、僕の耳がおかしくなったのもその後からでした。当時は、絵葉書のお姫様に会える日を楽しみにしてて、来る日も来る日も待ちわびて……僕にはまだ国が消滅してお姫様がいなくなったことを理解できなかったんです。そしてある日突然、もう二度とその子に会えないことを理解して、悲しくて……」


 大厄災を境に人々から記憶が抜け落ちていく中、無理に覚えていようとしたから負荷がかかったのかな。


 王子の数年の不調の原因の一端が、この絵葉書の存在だったみたいだ。


「竜に乗って飛びながら、ずっと疑問に思っていたことがありました。無の森のある場所に、記憶から消えた国があったのではないでしょうか?エカチェリーナさんは、もしかして……」


 王子の視線はずっと私に向けられていたけど、目を合わせることはしなかった。


 絵葉書から視線を外して、ふいっと顔を背けて窓の外を見る。


「君はもう、今すぐに城に帰って、王子として必要な教育を受けた方がいい。入学の準備もしなければでしょ」


 積もっていた雪も溶けて、ちょうどいいのだ。


 今では王子はヴェロニカさんへの牽制となり、抑止力となれる。


 兄王子が大切なら、彼のことも守ってあげたらいい。


 もう手遅れかもしれないけど。


「貴方にはもう遮断魔法は必要無い。王子はもうすでに魔力のコントロールを身に付けている。大切なのは、体調を整えてストレスのない生活を送ることだよ。竜が世界に存在してしまっている今、君は聖なる守護者でも目指すべきかもしれないね」


 同時に世界を支配できる存在になったのだから面白いものだ。


 王子は意外にも、それ以上食い下がってはこなかった。


「そんな大層な者になれるのかはわかりませんが、城に帰って、まずは迷惑をかけた人達に謝ります」


「王族が簡単に謝罪していいの?」


「人としては必要なことです」


 そこで一度言葉を切ると、


「エカチェリーナさん」


 王子はわざと私の名前を呼んだ。


 生意気にも、こっちを向けと言いたいようだ。


 だから視線をチラッとだけ向けてあげた。


 視界の端に映る王子は、随分と達観したものだった。


「これでお別れとなるのはとても寂しいですが、今の僕ではあなたに依存するだけで、迷惑以外の何者でもないと思っています。だから、必ず貴女にふさわしい男になってみせます」


 王子は一体、なんの宣言をしているのだろうか。


 首をコテンと傾げて考える。


 考えてもわからないことは、考えるのをやめる。


 私達はまだまだ子供だ。


 今の気持ちなんかすぐに別のもので塗り替えられるでしょう。


「荷物をまとめますね。少ないのですぐに終わります」


 そう言った王子は本当にすぐに何もかもを終わらせた。


 小さな鞄を持って立つ姿は、私よりも少しだけ背が高くなっていた。


「では、城の近くまでは竜に乗っていきます。王都のはずれに緑地公園があるので、そこからは歩くつもりです。エカチェリーナさん。お世話になりました」


 ペコリと頭を下げた王子は、それからは振り返りもせずに竜に乗ろうとしていた。


「王子、ちょっとだけ止まって」


 だから、その背中にソッと触れてあげた。


 王子は不思議そうな顔で背中の方を見ている。


 自然と振り返った形だ。


「おまじない。ささやかな幸せが訪れますようにって」


「ささやかな幸せなのが、エカチェリーナさんらしいです」


 気に入ったのか、私にニコッと笑って見せた。


「大きな幸せには代償がいる。ささやかな幸せは、自分で作り出せる」


「それ、おまじないの意味ありますか?」


「私が願っているってことだ。あなたは私の初めての“弟子”だからね。あなたには竜の加護がある。困った時は竜を呼んで一緒に飛んでみるといい。君が竜に言ったみたいに」


「はい」


「じゃあね。君に会えるのはすぐだろうけど、学院で会っても馴れ馴れしく私に話しかけてこないこと」


「エカチェリーナさんの嫌がることはしません」


 竜に跨った王子は、瞬きの間に上空へと昇っていく。


 その姿が見えなくなるのはすぐのことで、それはとても呆気ないものだった。


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