第20話 腐海探訪
前話における不破先生の住居の名称を、アパートからマンションに変更しました。
さて、今回の話はストーリー上のターニングポイントになるはずなんですけど、どうなるでしょうねえ。
ちなみに全然関係ないけどネットで調べてみると、ウクライナの東側にあるアゾフ海って世界でも最も水深が浅い海で、藻の繁殖に依り海の水は赤く染まって腐海と呼ばれているそうですね。知らなかった事実ってまだまだあるものですね。
追記 : 2022.4.28. 菘様より下記の情報の訂正を頂きました。
ありがとうございました。
誤った書き込みをしてしまい、申し訳ありませんでした。
》腐海はアゾフ海西部、クリミア半島の付け根にある海域であって、
アゾフ海=腐海じゃないですよ
「ふ、腐海……」
学校から不破先生が住んでいるマンションに来てみたら、部屋の中には腐海が広がっていました。
「不快だなんて失礼ね。さ、入って入って」
そう言うと不破先生は何のためらいも恥じらいも見せずに、その腐海の中へ入っていくと、振り替えって私を手招きしたのよ。
どうやら不破先生にとってこの部屋の状況は人には見せられない恥ずかしいものだという意識がないみたい。
「じゃ、じゃあ、おじゃまします」
私は、玄関から奥の部屋まで積み上げられたゴミの山を見て覚悟したの。いま履いている靴下のご臨終の日は今日なんだって。
まず玄関にいくつも放置されているゴミ袋があるんだけど、なんでゴミ袋にまとめて玄関にまで持ってきたのにゴミの日に収集場所に出さないのかしら? と思ったんだけど、よぉーく見てみたら理由が分かったわ。このゴミ袋の中のゴミ、ぜんぜん分別がされていないのよ。
この地域では、燃えるゴミと資源ゴミは分けて出さないといけないの。燃えるゴミは生ごみも含めて紙屑だとかプラスチックとかゴムとかの製品ね。対して資源ゴミは商品を包装していたプラスチック系のプラゴミと、紙系の紙ゴミに分けられるの。
そしてゴミの日もそれぞれ違うし、混ぜて出しちゃったりしたらゴミ収集車が持って行ってくれないのよ。おそらくここにあるゴミは分別がされていないから収集場所から返却されたというか差し戻されたのに違いないわ。
そして玄関よりも奥にはまだゴミ袋にも入っていないむき出しのゴミが散乱……、じゃなくて密集していたのよ。なにせ床がまったく見えないんだもん。まさか部屋の中で登山まがいのことをするとは思わなかったわ。
私は覚悟を決めてゴミ山の上に足を降ろすと、不安定な足場に苦労しながら先生が居る唯一の安全地帯に見える部屋の奥にあるベッドへと向かったのよ。
ちなみにゴミ山を構成するのは、ビールの空き缶にお茶かジュースのペットボトル。食材を包んでいたであろうプラ系のパックや、お菓子とかを包んでいたと思われる包み紙とか厚紙で作られた各種大きさの箱。そして生ごみ。判別できるものだと枝豆のサヤとか、魚の骨やチキンの骨?
それらゴミ山のさらに上に積み上げられているというか、放置(?)されているように置かれているのが、旅行先のお土産物屋で売っているような人形だとか置物。それらが混然一体となってハーモニーをかもし出している……。
んなわけないでしょッ!
さらに何ッ!? 部屋の一角にはゴミが無い場所があるんだけど、そこにはたたまれていない服や下着が仕分けもされずに積み上げられて山を作っているのよ。せっかくかわいらしい服なのに、その仕打ち。まったくもう、服たちがかわいそうじゃないのッ!
私もようやく安全地帯であるベッドの上に上がると、先生に相対する位置に座ったの。そして……。
「不破先生ッ! 私、前に家庭訪問されたときに恥ずかしい思いをしたから、今日は逆に『不破先生の恥ずかしいところでも見つけられたらいいな』っていう気持ちで来たんですけど、この部屋、恥ずかしいところしか無いじゃないですかッ! 部屋の中にゴミがあふれているこの現状、いったいどうなってるんですかッ!?」
仮にも教師に対して怒って意見してしまわなくてはいけないという異常事態。もう、いや。
「だって、ゴミを出しても持ってってくれないんだもん」
ベッドの上に座って『だって、だって』と繰り返しつつ体をくねらせたり、指遊びをする不破先生。そんな態度を取ってもかわいいいのは、せいぜい学生時代までです。自覚してください。
「それはちゃんとゴミが分別されていないからですッ!」
「え? 私の実家のほうではどんなゴミを全部一緒にまとめて出しても持って行ってくれたのに」
「それこそ『よそはよそ、うちはうち』です。不破先生の実家がどこだか知りませんけど、この地域に住んでるなら、この地域のゴミ出しルールを守ってください」
「えーー、だってーー」
なんだろう。このイライラする感情。できることなら不破先生の手の甲の皮をつねってやりたい。
うーん、しかしどうしましょう。きっと不破先生に厳しく言ってもぜったいにルール通りにゴミ出しをするのは不可能ね。だって言ってできる人なら、言わなくてもちゃんとできるはずだもんね。さすがにこのマンションに入居する際にゴミ出しのルールは説明受けてるだろうから。
「とりあえず家庭科部の顧問になってくれたことでもあるし、近所のよしみということもありますから、今日から私が不破先生の家をきれいに片付けさせてもらいます」
できるならそんなことをやりたくはないけど、私にはこの汚部屋を見て見ぬふりは出来なかったのよ。あまりにもの汚部屋ぶりに、掃除してあげなきゃという使命感がわき出てきちゃったのかもしれないわね。大丈夫。汚い部屋の掃除や片付けは、お兄ちゃんたちの部屋で慣れているし♪
……ダメ。現実を見なくちゃ。不破先生の部屋の汚さはレベルが違い過ぎよ。とんでもなく苦労するのが目に見えているもの。でも、やらなくっちゃ。無視するなんて後味が悪過ぎちゃう。
「そんな、悪いわよ。別に私、部屋が片付いてなくても困ってないし」
「片付いてないなんてレベルじゃないでしょッ! これはもう健康を害するレベルで部屋が汚染されているっていうんです。というわけで片づけさせていただきます」
「えー-、ほんとうにやるのー-?」
まだ抵抗しやがりますか。この先生を名乗る汚部屋製造機は。
「や・り・ま・すッ! いいですねッ!!」
もう、優しくなんてしてられないわね。私は思いっきり怖い顔をしてみたのよ。
「……」
不破先生、黙っちゃった。もう、お前は子供か。
「返事はッ!?」
そしてふたりが座っているベッドを平手でパンッと叩く。すると埃がもわもわと……。ち、ゴミや物が無い安全地帯だと思っていたら、地雷原だったとは。
「はい」
「声が小さいッ! もう一度、大きな声で返事ッ!」
「イエスッ! マムッ!」
右手を額ピシッと当てて『イエスッ! マムッ!』って、お前はアメリカ軍人か? それにマムは無いでしょう。マムは。私はまだ独身で子供もいないのよ。……いえいえ、それ以前に私、男の子だったわ。
「よろしい。じゃ、もう時間も無いから、今日は最低限のところだけ片づけます。まずは水場としてのキッチンを片づけましょう」
あ、その前に……。
「え、好恵ちゃん。なんで服を脱いでるの?」
「制服が汚れちゃうといけないから脱いでるんです」
幸いにも今日は体育の授業があったから体操服を持っていたので、それに着替えたというわけよ。これなら多少汚れても何とかなるし。
「片づけたり掃除したりするにも、まずは水回りがきれいになってないと、不便ですからね。とにかくキッチンを片づけますよ」
脱いだ制服はきれいにたたんで、ベッドの上に置いておく。でも後でブラシをかけて埃を落とさないとね。
さて、キッチンを片づけると言っても、どうしよう。シンクの中には使用済みの食器が山ほど詰まれていて、洗おうにも洗うスペースが無いのよ。まずは食器自体をどこかに移動させないといけないのに、それを移動させる場所も無いの。
しょうがないからキッチンを片づけるのはあきらめて、他の水場をきれいにしましょう。
「キッチンがダメなら、風呂場です」
……風呂場はバスタブの中まで物置と化していました。旅行のお土産っぽい何かとか、ビールの空き缶とか空き缶とか空き缶とかッ!!
「不破先生、この空き缶の山はなんですかッ!? どうして捨てようとしないんです」
「だって、旅先で買ったご当地ビールの空き缶なのよ。中身は空だけど思い出がいっぱい詰まってるのよ」
「思い出が詰まってるのは頭の中だけです。ビールの空き缶には詰まってません。それになんですか、置いとくにしても中を洗ってないでしょう。ものすごくアルコール臭いんですけど」
「それがいいんじゃない。それぞれの土地のビールの残り香がするって、思い出そのものでしょ」
「そんな思い出はいりません。ていうか、不破先生、お風呂は入らないんですか?」
まさか、ずっと風呂なし生活なの? 私は戦慄してしまったわよ。
「そんなことないじゃない。ちゃんと旅行先の旅館じゃ温泉に入ってるし」
けらけらと笑って答える不破先生。ダメだ。こんなにも不破先生に常識が通じないだなんて。
「もういいです。じゃあトイレに行きましょう。そこにも手を洗う場所くらいありますよね」
「まああるけど……」
そして風呂場の横にあるトイレのドアを開けると、そこはまあ実用に耐えるレベルのトイレでした。
「さすがにトイレには物を置いてないですね」
「トイレばかりは旅先だけで、とはいかないからね」
なぜそこで胸を張る?
「まあ、トイレの水洗タンクの上にある手洗い用の水とは別に、手洗い用の水場があるのは良かったです。片付けの際の水場はとりあえずここを使いましょう」
ないよりはマシというレベルだけどね。
さて、次は部屋の中にスペースを作る方法を考えましょう。とは言っても選択肢はひとつだけかしら。
「……ゴミを捨てるしかないわね」
結局のところまずは部屋の中からいらないものを捨てることからしないとどうにもならないという結論に達した私は、長期戦を覚悟したのよ。
「不破先生、今度の土日でまずはゴミを出せるようにしましょう。いいですね。まずはゴミを分別したうえできちんとまとめて、いつでも捨てられるようにするんです」
すると、先生は難しい顔をして言ったのよ。
「それはダメよ。好恵ちゃん。毎週土日は彼氏と旅行に行くことになってるんだから」
「毎週ッ!? よくそんなにお金が続きますね」
「そうなのよ。大変なのよ。泊まるところもビジネスホテルとかじゃなくてちゃんとした旅館やホテルとかだからけっこう料金も高いし」
「ふたりで半分ずつ出してるにしても、それでも高いんでしょうね」
「ん? 旅行代金はいつも、私が全部出してるわよ」
「えッ!?」
あれれ、もしかして、これって、不破先生、だまされてる? 普通、恋人同士の男女がふたりで旅行に行って、料金が折半じゃないっていうのはあり得るのかしら?
これがまだ昭和とか平成でもはじめの頃の話なら、男が全部出すっていうのが常識だったらしいけど、今の時代、男女で折半というのが普通じゃないかと思うんだけど。
「あの、毎週どこかに泊まりがけの旅行に行って、しかもそれなりに良いところに停まるとなると、出費が大変じゃないですか? 宿泊費もそうですけど、旅費とかも」
「あ、旅費のほうはいつも車で出掛けてるから、それほどでもないのよ」
「そうか、彼氏さんと交代で運転したら、それなりに遠距離の旅行先でも大丈夫ということですね」
ああ、もしかして私の予想が外れますようにッ!
「あら、運転するのは私だけよ。彼、免許持ってないし」
うわ、予想通りの答え。じゃあ……。
「そうなんですか。でも、さすがにガソリン代くらいは彼氏さんも出してくれるんですよね?」
お願い。そうだと言ってッ!
「ガソリン代も高速代も私持ちかな」
床にゴミが積み上げられていなければ、私はその場で床に手をついてたわね。それぐらいの衝撃だったわよ。
「せめてお土産は彼氏持ちですよね?」
「ええ、いつも彼氏が選んでくれるわよ。『これ、美味しそうだよ』とか『このゆるキャラ人形かわいいよね』とか言ってね」
選んでくれる。なんだ。買ってはくれないのね。
「不破先生。まさかとは思うんですけど、その彼氏さんって、働いてなかったりします?」
おそらく働いてないんじゃないかなあと思いつつ、念のために聞いてみたの。
「よく分かったわね。彼ったら、将来の夢のために今は自由人をしてるのよ♪」
ニコニコ笑顔の不破先生なんだけど、あ、頭が痛くなってくる。
「念のために聞きますけど、彼氏さんの目指す将来の夢って何ですか?」
どうせクソろくでもないことなんだろうと思うけど、もしかしてもしかするとまともなものかもしれないし。
「ビッグになるっていう夢よ♪」
あ、ダメだ。そいつ。完全にクズ男だ。もう絵に描いたようなというか、キングオブクズというか、つきあわないほうがいい男性っていうやつに間違いないわね。
そもそもビッグになるって言っても、何をどうしてビッグになるっていうんだろう? バカじゃないの? でも今、それを不破先生に言っても聞いてはくれないんだろうなあ。
「ああ、そうですか。じゃあ土日に片づけたり、掃除をしたりするのは無理ですか?」
とりあえず不破先生の彼氏の話はここまでにして、優先順位が高い汚部屋の片付けのほうに集中しましょう。彼氏の話は先生が目が覚めたところで徐々に話していくしかないでしょうね。
「うーん、部屋の中に貴重品は置いてないから、合い鍵を預けてもいいわよ」
「え、いいんですか?」
不破先生、セキュリティ意識低すぎ。こういうところが男にだまされるところなのかしら?
「いいわよ。好恵ちゃんなら信用できるし。でもいいの? 部屋を片づけてくれなくても私はぜんぜん大丈夫なんだけど?」
「先生が大丈夫でも、私の気持ち的に大丈夫じゃないんです」
「そうなの? じゃあお願いね」
そう言ってベッドの横に掛けてあった手提げかばんの中からマンションの合い鍵を出して、渡してくれたのでした。
合い鍵、ゲットだぜッ!!
ていうか、ほんとうに大丈夫なのかしら。不破先生。
不破先生。ダメダメです。そんな不破先生と徐々に深い関わりを持とうとしている好恵ちゃんはこれからどうなるんでしょうか? 心配ですね。
え? 心配はしてないって。そうですか。




