おまけ「エリと雑賀の2月14日」
二月も半分が過ぎようとしている14日。
放課後、普段とは違う校内のざわめきに、エリの心も弾むようなくすぐったいような心地がした。
今日はエリが雑賀と付き合い始めて初めてのバレンタインデーだ。
「お疲れ様でーす!」
エリはいつもより少しだけ大きな声で天文部の扉を開いた。
木造校舎の奥まったところにある、見渡すほどの広さもない小さな部室には、すぐにその声が響き渡った。
「ああ、エリちゃん、お疲れさま」
参考書から顔を上げた雑賀は、エリを笑顔で迎えた。
エリは瞬時に雑賀の周囲を観察し、その持ち物に普段と変わりのないことを確認した。
「センパイ、今日は何の日か知ってますかー?」
エリはわざとらしく訊いた。
雑賀は照れたように口角を上げて応えた。
「今日は期待してもいい日、かな?」
エリも雑賀につられて口の端をつり上げた。
「へっへー! まあ、正解ということにしましょう!」
エリは少しだけもったいぶって、背中に隠し持っている紙袋を弄んだ。
コンコン。
唐突に、部室の扉がノックされた。
部員はノックなどせずに部室へ突入するため、ノック音にエリは少し驚いた。
普段、いや、エリが入部して以降に訪問するひとなどもいなかったため、エリには嫌な予感さえした。
雑賀は椅子から立ち上がった。
「ごめんね。少し席を外すよ」
「あ、はい。お願いします」
エリは扉に手をかける雑賀をぼんやりをと眺めた。
「はい、今出ます」
雑賀は少し声を張って、扉の外側の人物に応えた。
ガチャ。
「え」
エリはノックをした人物の姿を捉えて、思わず声がでた。
そこには、エリの知らない女子生徒が立っていた。上履きの学年カラーが赤いので、おそらく雑賀と同じ二年生だろう。
そして、彼女はエリと同じく、背後に何かを携えているようだった。
「あ、あの、雑賀くん、部活中にごめんね。たぶんここにいるだろうって、更科くんから聞いたんだ。それでね、少しだけ、時間もらってもいいかな?」
女子生徒は早口でそう言い終わると、上目遣いで雑賀を見つめた。
雑賀は思いもよらぬ来客に、対応に困った。
雑賀には、彼女が自分にどのような用事があるのか分かったからだ。
「ああ、えっと。それって、明日とかじゃあ、ダメかな? 今日はちょっと忙しくて」
雑賀はうそをついているようで心苦しくなったが、エリとの時間を遮られたことには少しばかり苛立ったので、目を合わせずに言った。
女子生徒は特に忙しい様子もない寂れた部室をちらりと見やった。
雑賀はその視線に気まずくなった。
「すごく急ぎの用事とかなら……対応するよ」
雑賀はぎこちなさを笑顔で覆い隠して、女子生徒の視線を遮った。
「そっか、それなら、いいや……」
女子生徒は眉を下げて、エリをじっと見つめた。
突然に目を向けられたエリはどきりとした。
「ごめんね。じゃあ、また明日、教室でね」
雑賀はそそくさと扉を閉めて、おざなりに会話を中断させた。
扉を閉めると、雑賀は背中にエリの強い視線を感じた。
「あ、あはは。なんの用事だったんだろうね……?」
雑賀は雑にはぐらかした。
エリは言葉を発することなく、雑賀を無表情で見つめた。
「ま、まずかった、かな……?」
雑賀は様子を伺うようにエリに問いかけた。
「何がまずかったんですかー? 何の用事かも分からなかったんですよねえ?」
エリの冷たい目に雑賀は観念したように、俯いた。
「いやあ、さすがに用事の見当はついたよ……。でも、エリちゃんもいるし、ねえ?」
雑賀はエリがなぜ不機嫌そうにしているのか、分からなかった。
「じゃあ、センパイは私がいなかったら、受け取っていたんですか?」
エリは不貞腐れた。
「いや、それは言葉の綾というか。あ、あの、エリちゃん、怒ってる?」
雑賀の言葉に、エリは隠し持っていた紙袋に手を入れ、小さな箱を取り出した。
「怒ってはないですよ、別に。センパイが断っているのを見てほっとしてもいますよ。でもなんか、なんだか、もやもやするんです」
エリは箱からボンボンショコラを取り出し、自分でひとつ食べてしまった。
「もやもや?」
雑賀にはやはりよく分からなかった。
エリは自分で作ったチョコを呑み込んで、ため息をついた。
「だって、あの先輩、私がいたせいでチョコを渡せなかったわけじゃないですか」
「まあ……」
雑賀はそっと自分の椅子に腰を下ろした。
「たしかに、センパイが他の女の子からチョコをもらうのは嫌ですけど、私のせいで、あの先輩がセンパイにあんな態度とられるのって、なんだかもやもやします!」
エリはずいっと、自分のチョコを雑賀に突き付けた。
「そっかあ。じゃあ、受け取れば良かったのかな……?」
相変わらず、雑賀にはエリの思考が読めない。
「そういう問題じゃないんですって。うーん!」
エリは自分のまとまりのない感情を表す言葉を必死に探した。
「なんだか、さっきのセンパイはあの先輩の好意を蔑ろにするような感じだったじゃないですか。私としては、センパイがモテるのは誇らしくもあって、そこがまた好きなんですけど。でも、いつも私には優しくて真摯に向き合ってくれるセンパイが、あんなふうに適当にあしらうようなことをするのは、なんだか嫌です……」
エリは話しつつ、上手く伝えられずにうなった。
「とにかく、私は誰にでも優しく丁寧に接しようと努力するセンパイが好きなんです! だから、そうじゃない、さっきのセンパイは嫌だなって思ったんですよ。だって、あの先輩だって、時間をかけてセンパイのことを想って、色々と用意してくれたわけじゃないですか。それをあんなふうに……」
エリの悲しそうな顔に、雑賀は胸が苦しくなった。
「なるほどね……。たしかに、僕の態度は良くなかったかもしれない」
そう反省してはみたが、雑賀は素直にそう思えなかった。
「今日は、エリちゃんからだけに貰いたくて、それに、エリちゃんとの時間を邪魔させた感じがして、そこまで考えられなかったや」
雑賀はふと、エリは結構まじめな子なのだろうなと思った。
雑賀にはエリほど相手の気持ちを思いやろうとする心がけが足りなかったからだ。
「エリちゃんはすごいね」
「すごい? 急になんですか?」
エリは首を傾げた。
「自分を最優先で考えずに、他のひとの気持ちも想像できるところだよ。優しいね」
雑賀は思ったままに伝えた。
「まあ、センパイよりかは、そうかなって思いますけど。センパイ、意外と自分勝手ですもんね。さっきだって、なんだかんだで、チョコ貰えそうで嬉しかったんですよね? 一瞬、にやにやしてました」
エリの追及に、雑賀はぐうの音も出なかった。
たしかに、同級生からチョコを貰える自分に少し酔ってさえいたからだ。
「そ、そうかなあ。あはは……。ところで、これは貰ってもいいんだよね?」
雑賀は話を反らすために、エリに雑に突き付けられた小さな箱に触れた。
「そうですよ! 本命チョコってやつです! にやにやして食べればいいと思います」
エリは照れ隠しも含めて、ぶきらぼうに言い放った。
「ありがとう。嬉しいよ」
雑賀は落とさないようにボンボンショコラを口に含み、その甘味が広がるのを感じた。




