奴隷売買契約
イオーサはよろよろと自室に戻り、宇宙服も脱がずにベッドに倒れ込んだ。
初めて2位を取り、スタッフがあれやこれやと褒めてくれたが……。
食事をとる気にすら、なれなかった。
「私は、何をしようとした……」
ボワンゾを、ミサイルで撃とうとした。
どういうタイミングで撃てば相手が避けられないかは、嫌と言うほど知っていた。今まで全部のミサイルを避けてきたのだから。
ボワンゾを撃墜し、ナリタからの攻撃を避けて、ゲートを潜れば、1位だ。
イオーサは、自分にそれができたと確信していた。
ただボワンゾを殺す覚悟を決めればいい。それだけだった。
たったそれだけで、最悪に落ちてしまう所だった。
最後の直線で、イオーサはモニター越しに観客席を見ていた。
海賊コスプレの男が叫んでいるのを見て、ボワンゾが攻撃態勢に入ると確信した。
海賊コスプレの隣にいた男。
イオーサは、あれが自分に2000クレジット投じた人間ではないかと、根拠もなく思っていた。
イオーサは、ボワンゾに狙いをつける時、その男の顔を見ていた。
もし、あの男が「撃て」と意思表示をしていたら、イオーサは迷わず撃っていただろう。
だが、やめろ、と言っているように見えた。
だから撃たなかった。
「……って、んなわけないか」
結局は、自分がビビっただけ。イオーサはそう結論付けた。
重い体に力を入れて、どうにか起き上がった。宇宙服を脱ぎ捨ててロッカーに放り込み、その下に着ていた服は床に脱ぎ捨て、シャワーを浴びる。
しばらく湯に当たっていると、ぐちゃぐちゃだった頭もすっきりしてきた。
途端、AIが告げてくる。
「イオーサ・ミュリア。あなたに面会依頼が入っています。名前はロッセル・バイスト、受けますか?」
知らない名前だ。受ければ、多少はお金を受け取れるが、イオーサは、基本的にその手のやりとりは断っていた。
「適当に断っておいて」
「承知しました。それと、あなたに花束とケーキと野菜ジュースが届いています」
「花束はいつも通り、宇宙空間に捨てといて。待って、ケーキって言った?」
花束は、マルクス商会からだ。
マルクス商会は、イオーサが生存する、に滅茶苦茶な大金を投じているらしい。
そしてレースで死人が出て追加配当が出ると、喜んで花束を贈ってくる。
今回の死亡は四人。特に、カーチスとネーブルが死んでいる。向こうも大儲けだろう。
そんな花、見たくなった。
それでも花に罪はない。だから、死んでいったチェイサー達に献花するつもりで、宇宙に放流させている。
「花束は二つあります。一つはマルクス商会から。もう一つは、ロッセル・バイストからです」
「ロッセル? 誰それ? ……あ!」
イオーサは、慌ててシャワーを止めた。
「待って! そいつの顔写真とか見れる?」
壁の一角に表示されたのは、イオーサが予想した通りの顔だった。
イオーサは、はぁ、とため息をつく。
「ケーキと野菜ジュースも、ロッセル・バイストからです」
「わかった。こいつがくれた物は部屋に運んどいて。マルクス商会からの花束はいつも通りに」
「承知しました」
イオーサは、髪から水を滴らせながら、シャワールームを出る。
体の水気を落として、適当な服に袖を通した頃、部屋にロッセルからの贈り物が運ばれてくる。
花束は、シンプルにバラの花。ケーキは、ラストベガスの有名店の物。
そして野菜ジュースは、イオーサがプロフィール欄に書いておいたものだ。
「あんな適当に書いたもの、信じちゃって……」
イオーサは、くすくす笑いながらケーキを食べる。甘かった。
「そうか、ケーキって、こんな味だったんだ……」
〇
レースの翌日。
俺は、イオーサと面会ができる事になった。
手続きは簡単、申し込んで金を払うだけ。金額は、安くはないが、イオーサ生存で払い戻された分とほぼ同じだった。ここで使ってしまおう。
もちろん先方の同意も必要で、一度は断られたのだが、その直後に了承の返事が来た。中で何かあったのだろうか?
ベガスステーションの中を、あちこち移動させられた挙句、妙な部屋にたどり着いた。
厳重な身体検査を受けてから、部屋に通される。
部屋の真ん中にテーブルがあって、両側に椅子。警備員が、数人、壁際に立っている。
紳士服を着て、一見非武装に見えるが、丸腰という事はないだろう。
警備員の中に、少年のような小柄な男がいた。
そいつだけ立ち位置が少し違う気がした。
椅子に座って待っていると、向かい側の扉から、赤いドレスを着た少女が出てくる。
イオーサだ。
「ど、どうも」
俺は、気後れしてしまって、そう言う事しかできない。
イオーサも、緊張したように硬く微笑む。
「はじめまして。ええと……私に、何を望むのかしら?」
いきなりそんな風に言われる。
何を望むって……特に何も望んではいないが……。じゃあ、俺は何で面会依頼を出したんだ?
いや、アレだな。ここですべきは、アレの話しかない。
「なあ。サイクラノーシュの出身だというのは、本当か?」
「えっ?」
イオーサは目を丸くする。
「ええ、本当だけれど……それが?」
「実は、俺もなんだ」
サイクラノーシュは、俺の生まれ故郷の惑星だ。
そして120年前、テラフォーマーの暴走により、滅びた。
惑星中の全ての炭素化合物が、装置に吸収されてしまったのだ。全ての動植物、石灰岩、二酸化炭素、もちろん人間も。
200年前、軍に入ってからは、殆ど帰っていなかった俺が難を逃れたのは、運が良かっただけだ。
あの瞬間に惑星上にいた全ての人間は死んだ。
そして今も、着陸どころか接近すら許可されていない。
「そう、なんだ? どのあたりに住んでた?」
「ヒペリオの中央区だ」
「へぇ……私は、テレースに住んでいた。50歳までだけど」
「どうして無事だったんだ?」
あのテラフォ災害が起きる直前まで、住んでいたことになる。直前に引っ越したとか、そういう事だろうか?
イオーサはため息をつく。
「私の両親は、ちょっとした会社を経営してたんだけど、何かの取引で失敗したとかで、凄い額の借金を作って……自殺しちゃって」
「う、うむ」
思った以上に重い身の上話が始まった。
「それで、私は、気づいたら、借金を返すために働かなきゃいけないことになってた、らしい」
「らしい?」
何かがおかしいのでは、と思っていると、警備員の一人、少年のようにも見えるやつが、出てくる。
ここのリーダーだろうか?
「失礼ながら、口を挟ませていただきます。契約は全て合法的に行われました」
「本当に?」
「当然です。こちらの資料によれば、当時のミュリア家の資産状況は、非常に悪化しており、借金の担保にできるような物は一人娘のイオーサしか残っていませんでした」
だからさ、人間を担保に使うのが本当に合法なのか、って聞いてるんだけど?
まあ、どこかの法律では有効なんだろうな。そうじゃなきゃ、こんな奴隷みたいな扱いを、堂々と120年も続けていられるわけがない。
「そういうわけで、私は合法的に誘拐された。……こことは別の場所に、チェイサーの育成所みたいなのがあるんだけど、そこについて、初めて聞いたニュースが、テラフォ災害だった。運がよかったね、って言われたっけ」
イオーサは、ひきつった笑みを浮かべる。
俺はイオーサの方に手を伸ばす。
イオーサはちらりとその手を見て、一瞬腕を上げかけたが、テーブル越しでは手を伸ばしても届かないと思ったのか、行動には移さなかった。
俺も腕を引っ込める。
「今は、幸せか?」
「さあ? どっちでもないかな」
「自由に、なりたくないのか?」
「それは……でも、借金があるから」
「それは、120年働いても、返せないような金額か?」
イオーサは、警備員リーダーの方を見る。
「ねえ、私の借金、あとどれぐらいだっけ?」
「およそ400万クレジットです」
かなり大きな家が建つな。
大金、と言えば大金だ。俺の年収、40年分ぐらいだ。いや、階級が上がったから昇給もするだろうし、37年分かな?
200年の間、溜まる一方だった貯金を崩せば、余裕で支払える。
「俺が、それを建て替える、って言ったら、どうなる?」
「イオーサはあなたの物ですね」
「物って……奴隷売買は禁止されているだろう」
「奴隷ではありません。独占的無期限専属雇用契約です」
なんかゴチャゴチャした法律用語が出てきたが、それは奴隷と同じだろ。
イオーサは、戸惑っているようだった。
「一応、本人の意見を聞きたい。どう思ってる?」
「私は……ここで、ずっとレースをして、死ぬんだと、思ってた。でも……もう一度、外に行けるなら……」
イオーサは泣くのを我慢しているようにも見えた。
警備員リーダーは、俺の方を、虫か何かのように見る。
「お金があればいいという物ではありませんよ?」
「なら、何が必要なんだ?」
「覚悟はあるのですか? 彼女を幸せにする覚悟が」
警備員のくせに、随分と首を突っ込んでくるな。こいつは、雇い主の意向とか気にしないタイプなのか?
「少なくともここよりはマシだ」
「大金を払ってまで助けたいと思う理由を聞いているのです。こう言っては何ですが、女なんて、他にいくらでもいるでしょう?」
「あんただって、レースを見てたらわかるさ。こいつは、あそこに居てはいけない種類の人間だ」
「……あなたが、観客席にいる人たちと、趣味が合わなかったように?」
よく見てるな。こいつ、昨日の会場のどこかにいたのか?
「ここは、いくらなんでも趣味が悪すぎる。人間の心を持ってたら、耐えられないだろ」
「……あなたは、我々が人の心を失っていると、そうおっしゃるのですか?」
「あー、いや。気を悪くしたら謝るよ。言い方が良くなかったかもしれない。けど……」
「けど?」
「主張の本筋を変えるつもりはない。ここは、クソだ」
「……」
俺と警備員リーダーは、数秒の間、無言で睨み合った。
「わかりました。では、この書類を全て熟読したうえで、問題なければサインをお願いします」
警備員のリーダーが、懐から何かを取り出しテーブルの上に置く。
20枚ぐらいの紙束だった。
一つ一つ読んでいく。イオーサの引き渡しに必要な契約書類のようだ。
すげぇな。紙の書類なんて、軍に入隊した時ぐらいしか見たことないぞ。
しかも今日の日付が入っている。……え? どうなっている?
「ちょっと待て? この書類はなんだ? 何で用意してある?」
「必要になると思ったので」
「いや……、なんであんたが持ってくる?」
何かがおかしい気がしてきた。
「俺はあんたを警備員だと思っていたが、もしかして違った?」
「法律書類を作成できる資格を持っている、とだけ答えておきます」
え? この書類、おまえが作ったのかよ?