ブラッドノーチラス、2
ノーラは艦隊を動かさなかった。
ブラッドノーチラスも、移動しようとしない。
ここは輸送船のブリッジなので、ヴィジャボードはない。
モニターの表示をあれこれ切り替えて、情報を確認していく。
ブラッドノーチラスは、赤いオウムガイのような形をしている。
丸っこいボディー、後部に伸びた無数の触手のようなパーツ。
さっきは体積64倍と言ったが、縦方向にも大きめなので、もしかすると、100倍かそれ以上、あるかもしれない。
軍としては、海賊船を見たら沈めに行くしかない。
しかし、ノーラに与えられた任務は、輸送船の護衛。
輸送船を放り出して、海賊討伐などやるわけにはいかない。
海賊もそうだ。
何の目的でここにいたのかはわからないが、軍の艦隊とケンカするつもりで待ち構えていたわけではないだろう。
イオーサが、退屈そうに言う。
「このまま、睨み合って、それで終わり?」
「そういうわけにはいかないだろ」
このままだと、こちらが先にワープを使う事になるので、主導権は海賊側に移ってしまう。
かといって、相手がワープするまでお互いにらみ合いを続けるのも、いい考えには思えない。
「どこかから援軍を呼ぶのが軍としての最適だと思うが……」
「援軍が、マリリノスの基地を今すぐ出たとしても、到着まで最低2日はかかりますよ」
シャゴンは諦めたように言う。
逆に、2日待てば、にらみ合いは終わり、海賊は一方的に殲滅できる。
海賊側も、それは理解しているはず。その前に何か行動を起こすだろう。
「どうなってるのかノーラに直接聞けば、教えてくれるんじゃないの?」
「ダメだ。向こうは忙しいだろ。今、意味のない問い合わせなんかしても仕方ない」
ノーラは、海賊が攻撃を仕掛けてきた場合に備えて、陣形を考えているはずだ。
たぶん、もうすぐ移動指示が来るはず。
と思っていたら、こちらの艦隊から数千キロの距離で、空間が歪み始める。
ブラッドノーチラスが短距離ワープを起動したらしい。
跳んでくる。
「攻めて来たか。ずいぶん思い切りがいいな……」
この状況から海賊側が生き残る方法はただ一つ。
こちらの艦隊を攻撃して、ある程度ダメージを与えて混乱させてから、急に全力で逃げに転じる。
それしかない。
だが、本当に仕掛けてくるとは思わなかった。
艦隊も動く。攻撃に備えて、着々と陣形を整えていく。
シャゴンは周りで動く戦艦を見て、困っている。
「ええと、我々はどこに逃げたら?」
「この状況なら、たぶん、ポイントE4ぐらいだろう」
俺が言った直後、ノーラから通信が来た。
「輸送船は、ポイントE4に移動してください」
「ほらな」
「了解、ポイントE4に移動します」
シャゴンは応え、船を操作しながら、俺の方を見る。
「なんで先にわかったんですか?」
「まあ、ノーラとは付き合いも長いからな。艦隊指揮なら、何を考えてるかは大体わかる」
「そうですか。それで、勝てると思いますか?」
「さあな」
シミュレーターで、俺が巨大艦役をやったことがある。
確かその時は、割と手堅い戦術で沈められた。
ただ、俺が艦隊でノーラが巨大艦の時は、やっぱり俺が負けたからな。才能の差かも知れない。
艦隊が動いていく。
空間が歪んでいるポイントを中心に包囲するようだ。
ブラッドノーチラスがワープしてきた瞬間に、大量のレーザーを叩き込んで、一気にシールドを割り、ガウス砲で破壊する。
そういう作戦だろう。
ただ、相手のシールドの性能が不明だ。
火力が足りるかはやってみないとわからない。
しかも、包囲が完成するよりも、敵のワープが完了する方が先になりそうだ。
あまりいい作戦に思えないが、他に代案も思いつかない。
「これ、本当に大丈夫? なんか、まずい気がするんだけど」
イオーサも、何かを感じ取ったか不安そうに俺の方を見る。
「被害が出るのは仕方ない。この船は大事な荷物を抱えてるからな。沈まないことを第一に考えよう」
「そうじゃなくて……」
「敵が攻めてくるって事は、勝算があるはず、って言いたいんだろ。俺もそう思うよ」
「じゃあ、どうするの?」
「輸送船にできる事は何もないな」
敵のワープが完了した。
艦隊のすぐそばにブラッドノーチラスが実体化する。
空間の捻じれが解けて衝撃波になり、輸送船がガタガタ揺れる。
そして、ブラッドノーチラスは、即座に電磁パルスを放ってきた。
こちらのレーダー系がダウンして、モニターに警告表示が点滅する。
外の様子がわからなくなった。
「これは……まずいな」
宇宙では、目視はあまりあてにならない。
数千キロ離れた位置を飛ぶ宇宙戦艦に攻撃を当てるには、正確な座標と移動速度がわかっていなければいけない。
レーダーが必要だ。
この状態では移動も危険だ。
周りの船の移動速度が正確にわからないのだから、一人で勝手に軌道を変えたら事故になるかもしれない。
ただし、ブラッドノーチラスも自分の放った電磁パルスの影響は受ける。
これでは時間稼ぎにしかならない。
「電磁パルスが止まったら、その後はどうなるの?」
「たぶん、その前に、敵はもう一度、ワープして逃げるはずだ。最初からやりあう気なんてなかったんだな」
「じゃ、敵は何をしに近くまでワープしてきたの?」
「それは……」
なんだ? 敵の狙いが全くわからない。
こちらの陣形を崩すとか、今のうちに機雷をばらまくとかか?
あるいは敵の船の性能が俺の予測よりもよくて、こちらのレーダーが回復するまでの時間で、雲隠れできるのだろうか?
10億キロも離れているのに敵を発見できたのは、空間の歪みがあったからだ。
次の移動の時に、痕跡を残さず、移動後に一切通信もせず潜伏していたら、ノーラでも見失ってしまうだろう。
と、輸送船が少し揺れた。
一瞬の衝撃ではない。
妙な振動が、いつまでたっても終わらない。
「どうした? 何かぶつかったのとは、違うようだが……」
「これは……どこかに引き寄せられています」
ジャゴンは何とかして体勢を立て直そうとしているが、どうにもならない。
「トラクタービームか!」
トラクタービームは、遠くの荷物を引き寄せるために使う物だが、出力が強ければ船を引っ張る事もできる。
目視でも、ある程度狙いが合っていれば、効果を発揮する。
敵は、最初から輸送船狙いで襲ってきたのか?
「なにそれ、逃げられないの?」
「メインエンジンを全力で噴射したら、振り切れるかもしれません。でも今それをやると、何にぶつかるかわかりませんが、あ……」
船全体がビリビリと振動した。これは……
「短距離ワープ、したようです」
「なんてこった」
まさか、船ごと誘拐されるとは思わなかった。