プロローグ 建築の女神
人類は発展した。科学は発展した。
わずかな電気だけで惑星間飛行ができる宇宙船。
数光年先まで一瞬で移動できるHSドライブ。
空気すらなかった惑星を、人が住める環境にまで改造するテラフォーマー。
そして、人間の体内で活動する、細胞よりも小さい機械。ナノマシン。
ナノマシンは、人間の寿命を数百年に延ばした。そして脳を強化し、もう一つの恩恵を与えた。
『ステータス』と『スキル』だ。
人間は、その仕事に適したスキルを持っていれば、そうでない人の何倍もの効率で作業ができる。
ただしスキルを得るには個体値、いわゆるステータスが要求される。欲しいスキルを習得できるとは限らない。
そして、スキルが当たり前になった現在では、対応するスキルを持っていなければ、その職に就くことは、不可能。
〇
俺は真っ白な部屋で、椅子に座っていた。
ここはコンピューター内に構成されたVR空間。俺の本当の肉体は、頭に機械をつけた状態で寝椅子に横になっている。
診断AIが、結果を告げる。
「ロッセル・バイスト。あなたの脳に取りついたナノマシンの測定が終わりました」
「ああ……」
「あなたのステータスは、勇猛D 感覚E 知識B 閃きA 統治C 交渉B……。保有しているスキルは『施設建設』『施設強化』です」
「そうか……」
200年前、軍に入った時に告げられた数値と、何も変わっていない。
このステータスとかスキルとかは、本人の意志ではどうにもならない部分がある。
「つまり俺は、戦艦の艦長とか、艦隊指揮官には、なれないのか?」
不可能とわかっていても、つい聞いてしまう。そもそも、俺が軍人になったのは、それが目的だった。
だが、診断AIは、正直に答える。
「良きパイロットとなるためには、勇猛と感覚のステータスがBを超えている必要があります。艦隊指揮のスキルを取るには、統治Bが最低ラインと言えるでしょう。残念ですが、あなたは向いていません」
「そうか」
「しかし、知識と閃きは高い値を示しています。スキルトレーニングによっては、研究系、探索系、などのスキルが発生する可能性はあります。スキルトレーニングを開始しますか?」
「……いや、それはいらない」
AIの中身は200年前から変わっていないようだ。
200年前に言われたのと、一言一句、そのままの言葉を聞き終えてから、俺はVR空間を離脱した。
背もたれを倒した椅子の上で、目が覚めた。
ここはステータス測定用の部屋だ。リクライニングシートが、十数個並んでいて、それぞれの椅子の上に、機械付きのヘッドバンドが置かれている。
俺は頭に取りつけた機械を外して、椅子から立ち上がる。
壁にかかっている鏡を見れば、そこに映っているのはおっさんの顔。
350歳、ナノマシンで老化が遅いとはいえ、200年も経てば老ける。軍のために働き続けて、変わったのは年齢だけか。
俺はため息をつくと、ステータス測定用の部屋から出た。
廊下、扉を出てすぐの所に、軍服ワンピースを着た女が立っていた。
ノーラ・スプリット。
250歳にして、小規模ながらも艦隊指揮艦の立場を手に入れたエリートだ。
「あら? 妙な所で会うわね」
ノーラは微笑む。
「でも、あなた、今は休暇中のはずよね? スキルトレーニングなんかして、随分と熱心なのね」
「やることがないだけだ」
休暇中と言えなくもないが……。
俺は、ここ50年ぐらいの間、このマリリノス星系の宇宙ステーションの増改築をやっていた。それらが去年ひと段落して、俺がいなくても保守管理できる目途が立った。
で、基地司令が「そろそろ次の所に行ってもいいんじゃないかな」とか言い出したのだ。
いわゆる、用済み、ってやつだな。
次に送り込まれるのは、ここから100光年ほど離れた未開の恒星系、アッシリア。俺はそこで、一から宇宙ステーションの建設をさせられることになるらしい。
転勤と言うか、ほとんど左遷だな。
「おまえこそ、こんな所で何を?」
「んー、別に? ちょっと歩いてただけよ」
「そうか? てっきり俺のことを探していたのかと思ったよ」
俺が冗談で言ってみると、とたん、ノーラの顔が茹でダコのように真っ赤になる。
「なっ、何言ってるのよ。そういうのセクハラだからね」
「悪かった。取り消すよ」
謝りながら、俺はふと思う。
ノーラは宇宙戦艦の艦長であり、五隻程度の小規模だが、艦隊を任される立場だ。俺が欲しかったものをアッサリと手に入れている。
俺はノーラに嫉妬しているのだろうか? そうかもしれない。
「それはそうと、バイスト少佐、昇進、おめでとう」
「ありがとう。でも、あれは左遷ついでの昇進だろ」
アッシリアでは、俺は基地管理官という役職につく。向こうでは一番偉い……のだが、なぜか基地司令は別にいるという、微妙な配置だ。
ともかく、そのために俺の階級を上げる必要があったらしい。
「それに、昇進したのは君も同じじゃないか。スプリット大尉」
「どうも。……また追いつけなかったわね」
「追いつかれてたまるか」
こっちは200年軍人をやっている。100年しか軍人をやっていないヤツに抜かされてたまるか、と言いたいところだが。
追い抜かれるのも時間の問題かもしれない。
俺がそんな風に思っていると、ノーラはラッピングされた箱を差し出してくる。
「これ、昇進のプレゼントよ」
「ああ、ありがとう」
受け取ってから、ふと気づく。
「俺は何も用意してないんだよな。何かあった方が良かったか?」
「えっ?」
ノーラは驚いたように目を瞬かせる。
「いや、貰うだけじゃ悪いだろう。昇進したのは、そっちも同じわけだし」
「そ、そうね。じゃあ、次に会う時までに、何か用意しておくことね。き、期待してるわ」
ノーラは急に慌てだし、早足でどこかに歩き去っていった。
遠くの方から、やったぁ、とか聞こえたような気がする。ノーラの声だろうか。
何か過剰に期待されているのかも。何を送るかは慎重に考えた方がよさそうだ。
ちなみに、貰ったプレゼントの中身はネクタールだった。神の酒、と言われる高級酒だ。飲んでから寝ると夢見が良くなるらしい。
現実がやるせないなら、いい夢ぐらいは見れるといいんだがな……。
〇
「おい、起きろ。起きろよ。話があるんだ」
誰か男の声がした。バシバシと肩を叩かれる。
「……なんだよ、眠いんだ、後にしてくれ」
俺がそう言うと、男はどこかに行ってしまった。
〇
「……起きなさい。ロッセル・バイスト」
凛とした女性の声が響いて、目が覚めた。
いつの間にか、俺は真っ白な部屋にいた。
VR空間に似ているような気がするけれど、何かが違う。
目の前には、知らない女性が立っている。手にごちゃごちゃと飾りがついた錫杖を持っていて、頭の上にはビルの模型が乗っかっている。
「ええと、どなた……ですか?」
俺が聞くと女は答える。
「私は女神。建設の女神です」
「なっ……」
建設の女神、だと? やっぱり、俺の所にはそんなのしか来ないのか。
いや、もちろん建設は重要だ。人が住む家、荷物を置いておく倉庫、何かを作る工場、宇宙空間なら農場も……。どれも建設によって作られた物だ。
建設がなければ、人間は生きていけないと言っても過言ではない。
ただ、正直に言うと、別に俺がやらなくても、他の誰かがやってくれればいい、と思っている。
建設の女神は、そんな俺の微妙な思いを感じてしまったのか、少しきまずそうだった。
「あなたの、建設に対する情熱に応えたいと思ったのです」
「情熱……、そんなに情熱あったかなぁ?」
どうせなら、艦隊指揮官への情熱をくんで欲しかった。
「何か欲しい加護があれば、与えますよ。私にできる範囲でですが……どうします?」
「いや、建築関連で、特に要望とかはないです」
「でしょうね」
建築の女神は、わかっていた、と言いたそうな表情で頷く。
「それより、もしよかったら、艦隊指揮官と関わりが深そうな神様を紹介して欲しいのですが……」
俺が言うと、建築の女神は目を逸らす。
「あー、それがですね。艦隊指揮の神は、いるには、いるんですけど……」
「……けど?」
「さっき、あなたが寝ぼけて追い払ってしまったのが、そうです」
「な……、なんだと?」
俺は、なんてことをしてしまったんだ。人生の転機が訪れるかもしれなかったのに。望み続けた物を、自らふいにしてしまうとは……
建築の女神は、同情するように苦笑する。
「まあ、今生は、縁がなかったということで」
「今生って……」
生まれ変わらないと無理なのか。
俺が愕然としていると、建築の女神は、カードのような物を差し出してくる。
「しかし、まだ諦めてはいけません。ここに、艦隊指揮の神からのメッセージがあります」
「おお……」
完全に見捨てられたわけではないのか。
俺が一縷の望みを託してカードに触れると、さっきも聞いたような覚えがある男の声が流れ出す。
「私が艦隊指揮の神だ……。ロッセル・バイストよ。私はおまえが、艦隊指揮官に強いあこがれを抱いている事を知っていた。だが、無理だった。こちらから交信しようとしても、線が繋がらないのだ」
向こうも、俺の願いをかなえようとしてくれていたのだ。
「性格的にはそんなに相性が悪くないはずなのに、交信できない。その理由がなんなのか。長い間、私にはわからなかった。だが、つい最近、ようやく一つの答えにたどり着いた」
なんだと? 何か、理由があるのか?
「それは、おまえが童貞だからだ」
は?
「女を抱け。そうすることで、おまえは渇望を理解するだろう。激しい戦いの中でも生き抜く道を見いだせるのは、強い渇望を持つ者だけだ」
何を言ってるんだ? これが、神からのアドバイス? 艦隊指揮官の神って、こんなヤツだったのか?
「相手がいないなら、もう開き直って女を買え。アドバイスは以上だ」
メッセージはそれで終わりらしかった。
ええと……、何の話だよ。
俺は困惑して建築の女神の方を見る。
建築の女神はうんざりしたようにため息をついた。
「用が済んだので、私は帰らせていただきます。というか、女性にこれを配達させるのはセクハラでは?」
「……そうですね」
〇
自室のベッドの上で目が覚めた。
俺は、横になったまま、ぼんやりと呟く。
「何だよ、今の夢は……」
まさか、ネクタールのせいか? ノーラ、どういうつもりだ?