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スノードロップ  作者:
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序幕 現在

 どこからともなく線香の香りが漂う季節がある。田舎に住んでいれば、盆という鎮魂の時期には当たり前に感じることだ。

 車が進入できない町屋の小道に踏み入ると、気だるそうに日陰で涼む猫と懐かしい香のかおりが出迎えてくれる。久方ぶりに故郷へと帰ってくる先祖の魂も、きっと口元が綻ぶことだろう。


 しかし、なにもこんなに暑い時期を狙って帰ってこなくてもいいだろうに。俺は果てしない石階段を登りながら、息を切らしつつ毎年思ってしまう。


 我が佐倉家に代々受け継がれてきた墓地は、町を一望できる山の、ほとんど頂上と言っていい場所にある。

 駐車場から水桶を片手に、十分ほど階段を登らなければならない。それも整備されたコンクリート製の階段なんて気の利いたものではない。石垣を組んだような歪で無規則な石段は、注意深く登らなければ足を取られて真っ逆さまとなる。

 墓所で命を落としたなら笑い話にもならない。顔も知らない先祖ならともかく、天国にいる両親や妻と娘にも申し訳が立たないというものだ。おそらく土下座くらいでは許してはくれまい。もしかしたなら情けなくて泣かれるまである。

 ユキ、きっと君は俺の顔をひっかいて血まみれにのするだろう。



 吹き出る汗を首にかけたタオルで拭きつつ、ようやっとたどり着いた墓地にはいくらかの人たちがいた。早朝にもかかわらず照りつける太陽のもと、皆長袖で草むしりをしている。互いに会話すらなく黙々と作業する様は、どこか厳かで、言いようもないほどの愁傷と祈りに満ちていた。


 先週末に掃除を終えていた俺は、早速花を手向け、吹きすさぶ風の中線香に火をつけるためジッポライターを取り出す。百均の使い捨てライターはまるで役に立たない。悪戯好きの風の精が纏わりつくのだ。火が点いた途端にふっと消える。まるで真横から息を吹きかけているみたいだと思った。


 それもそのはずで、墓地の周りの樹々は伐採されてここだけがぽっかりと穴が開いた風になっている。遮るもののない空白地を、風がなめる様に駆け抜けていくのだ。


 墓参りに訪れる人は皆風に背を向け、たっぷり時間をかけて線香と向き合わなければならない。しかしその代償として、我々も、そして墓の下で眠る魂も、田園風景が広がる小さな町を一望することができる。


 何もない町だ。人口七十万弱の地方都市で、さらに郊外にある町の小さな集落。しかしだからこそ、変わらない風景がある。時間の止まった、進化と進歩を拒絶するような寂寥感は、きっと死者に安堵を与えてくれるだろう。


 俺は墓前で手を合わせた後、しばらく町を見下ろしていた。特段何か想いを馳せていたわけではない。

 そうしなければならない理由も別にありはしない。だがいつも俺はこんな風に町を見下ろす。止まった時間の中で眠る君たちの側で、歩き続けている俺がいる。全身の力が抜けるような、それでいて今にも全力で駆け出してしまいそうな、言い表しようもない感覚を感じる時間が俺には必要なのかもしれない。


「あら、佐倉さん?」


 聞き覚えのある声に振り向くと、近所に住む高齢の女性だった。雑草を詰め込んだゴミ袋を抱えて、汗だくで歩いてくる。


「あ、おはようございます。朝から暑いですね」

「ほんまにねぇ。私ら年寄りにゃえらい堪えるが。じゃけど、放っておいたら死んだもんが不憫じゃけえな。死んだ爺さんに枕元立たれちゃかなわん。きょうてぇきょうてぇ」


 そう言って仕留めた獲物でも自慢するようにゴミ袋を掲げて見せた。


「ほんで、佐倉さん。言うとった通り、猫ちゃんも同じ墓に入れたんやな?」


 なかなか目ざとい。咎めるように視線は、墓石に刻まれたひとつの名を差していた。


「ええ、まぁ。ユキは家族でしたから」

「そうじゃけどな、ペットと同じ墓に眠りょうる順子さんと楓ちゃんは不憫じゃ思わんのかね?」


 これまでもなんども交わされた会話だ。終着点はない。価値観の違いをまざまざと思い知らされるだけだ。

 私は女性に曖昧に笑って見せた。その話はこれでおしまいだという暗黙の解答に、年輪を重ねた人は気づいてくれる。年寄りとは面倒臭いものだが、時として誰よりも分かってくれる存在でもある。分かるからこそ、面倒臭いのかもしれないのだが。それでも俺は、今は亡き妻と娘への心遣いはありがたく頂戴した。


「まぁなんにせぇ、こんな暑い時分に帰ってこにゃぁならん先祖は大変じゃ。私が死んだら、流行りのハロウィンとかいう時に帰ってくるかね」

「あはは。その時は甘いお茶受け用意して待ってますよ」


 そう笑いあって、俺たちは町をしばらく見下ろした。


 たった一年間、ユキと暮らしたこの町を。



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