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第8話「群青日和」

 あの日、栗藤さんが見せた涙が頭の中を埋め尽くす。

(栗藤さん…………)

 俺は立ち上がりベンチに戻ろうとした。その時、一滴の雨が頬を伝った。

「うわっ、雨!」

 クラスの女生徒が声を上げる。

「中止になるかな?」

「いや、よっぽどの事じゃなきゃ中止にはならないよ。三年生は最後だしね。去年も大雨の中やったらしいし」

「ふーん……」



 第8話「群青日和」



 試合は、終始八組が押していた。野球部二名に加え野球経験者の多い八組は、明らかに地力で三組を上回っている。

 ただ、なかなか追加点を奪う事は出来ずに1―0のまま試合は三回の裏を迎えていた。

 キイン!

 鋭い金属音。打球はサードとショートの間を走り、俺は横っ飛びで必死にそのボールを抑えた。

「おお、槇原!」

 俺は素早く起き上がり一塁を見る。しかし、その時にはバッターは既に塁上を駆け抜けていた。

「よっしゃーナイスバッティーン!」

「チャンスだーっ!」

 一塁にも二塁にも三塁にも、八組の生徒が立っている。八組側のベンチが一層盛り上がった。

「ツ、ツーアウト満塁かよ……」

 ピッチャーは肩を落とし、下を俯く。

「森川くーん! 打ってー!!」

 八組側ベンチから湧く歓声。森川大和がバッターボックスへと向かう。

「し、しかも森川……。お、終わった…………」

 クラスメイト達から飛ぶ声援とは対照的に、グラウンドに立っている選手達は落ち込んでいた。今の状況の深刻さを理解しているからだ。

「………………」

 俺はゆっくりとピッチャーの元へと歩み寄り、そして右手を差し出した。

「俺が投げる」

「! 槇原……!」

 ピッチャーは一瞬戸惑った後、俺に白球を手渡した。

 一回以降、激しさを増す雨。真横から吹く風。大勢の観客が見守る中、確かに、俺は森川と目が合った。

 俺は大きく右腕を振りかぶる。綺麗に整った、森川の投球フォーム。俺は見よう見まねで左腕をホームベース方向に掲げた後、右腕で大きく弧を描いた。

 鋭い音と共に、白球がミットの中に収まる。

「ストライーク!」

 審判の右手が上がる。それと同時に、バックの選手達が大きく湧いた。

「ナ、ナイスピッチーン!」

(………………)

 俺は冷静を装ってはいたが、内心胸が張り裂けそうになる程緊張していた。

(…………。結構速いな……)

 森川はタイミングを合わせる様に、二、三回バットを振る。

「い、いけるぞ槇原ーっ!」

 一塁側のベンチから、身を乗り出して声援を送る葉山。俺は当然それに気付いていながら、顔を向ける余裕が無かった。

 ――快音を残して、打球が飛ぶ。

「!!!」

 二球目、あっという間に高く、遠くへと伸びた打球は風を受けて流れ、ギリギリの所でファールグラウンドに落ちた。

「ファール!!」

 グラウンドが騒然とする。

(森川の野郎……、二球目でいきなり……。しかもあの飛距離……)

 三球目、ボールを受け取った俺は再び森川と目が合った。俺は咄嗟に目を逸らし、下を向く。

(ダメだ……打たれる。俺なんかが何をしたってあいつは抑えられない……!)

 その様子を、森川は笑って眺めていた。

「槇原ーっ、頑張れー!」

(……勝手な事言うんじゃねえ、打たれちまうだろうが……!)

 どうしようも無い八方塞。気を紛らわせる様に周囲に目をやると、不安そうな表情で試合を見つめている栗藤さんと目が合った。

(………………)

 そうだ……。俺は、何が何でも森川に勝つんだ。

 右腕を大きく振りかぶり、左手でホームベースを掴む様に差し出す。

 気が付けば、緊張はどこかへ吹き飛んでしまっていた。

 今までで一番綺麗に、力強く弧を描いた右腕。白球は森川のバットの上を行き、キャッチャーのミットに飛び込んだ。

「ストライーク! バッターアウト!」

 審判が、高々と声を上げた。



 最終五回の表。三組の攻撃。

 俺達は既にツーアウトと追い込まれていた。

「頼む!! 出てくれーっ!!」

 俺は、ネクストバッターズサークルから必死に声を張り上げている。

 ――ギイン! 鈍い金属音を残し、打球は三塁線付近を転々とした。

「サード!」

 三塁手はスムーズな動きで球を掴み、一塁へと送球した。

「勝った!」

 キャッチャーが声を上げる。しかし彼は、三塁手が雨で濡れたボールに指を滑らせていた事を知らなかった。

 送球は一塁手の遥か頭上を行き、フェンスに直撃した。

「なっ……!」

 それと同時に湧き上がる歓声。その中で、バッターランナーは一塁ベースを踏んだ。

「おっしゃあーっ!」

 一塁ベースの上で、両手を上げて喜ぶバッター。それに応える様に、クラスが一丸となって湧く。

 そして俺は、バッターボックスに立った。

「………………」

 森川は悠然とボールを高く上げ、そしてそれを右手で受け取る。そんな事を繰り返しながら、俺がバットを構えるのを待つ。

 雨で濡れたグリップ。俺はゆっくりと、両手でそれを擦った。二、三回バットを振り、そしてそれを肩の所で構える。

 一瞬間が流れた後、森川が大きく右腕を振りかぶった。

 ――今までより速く、大きく、森川の右腕は弧を描いた。

 雨の音を切り裂いて、ボールがミットに飛び込む。

「ストライーク!!」

「……は、速すぎる…………」

 目を丸くして驚く葉山。俺はそれを視界の端に捉えながら、またバットを構える。

「俺の球は打てねーよ」

 唸りを上げてミットに向かってくる剛速球。俺は、夢中でバットを出した。

「ストライーク!!」

 またも審判の右手が大きく上がる。バットは決してボールを捉える事無く、ただただ空を切るだけだった。

「追い込まれた……」

 より一層、激しさを増す雨。

(は、速すぎる…………)

 目を見張る程の容姿に、噂通りの運動神経。森川大和は、正に俺が理想とする様な人間だった。

(……そもそも、俺が敵う様な男じゃなかったって事か…………)

 失望と喪失感の中で顔を上げると、雨の中試合を見守る栗藤さんと目が合った。

「………………!!」

「あっと一球! あっと一球!!」

 八組側のベンチから湧き起こるあと一球コール。その重圧の中で、俺は力強くバットを構えた。

「つむつむ、雨やばい! 教室戻ろ!」

「…………ごめん、先戻ってて。私、この試合は最後まで見たいの……」

「つむぎ……!」

 

「終わりだ」

 大きく開く両足、しなる右腕。森川の指先から放たれた白球は、ミットを目がけて唸りを上げる。

 鈍い金属音と共に、白球がフェンスに直撃した。

「!!」

「ファール!!」

 審判の両手が、大きく上がった。あと一球コールがざわめきに変わる。

(……当てやがった)

 森川はキャッチャーからボールを受け取り、両手で雨を拭う。

(……この野郎)

「あ、当たった……」

 バットを握る両手。グリップを通して、ビリビリとした痺れが昇ってくる。

 不思議とそれは心地良かった。

(栗藤さん……俺は、森川の様に出来た人間じゃないけど…………)

 森川が右腕を大きく振りかぶる。

(でも…………)

 ――頭の中にあるのは、栗藤さんの涙だけだった。

 大きさを増すあと一球コール、地面を叩く雨の音。

 唸りを上げる白球の、風を切り裂く音が聞こえた。

(でも俺は、栗藤さんを泣かせはしません………………!)



 雨の音が、止んだ気がした。

 心地良い金属音だけがグラウンド中に響く。

 無我夢中で振りぬいたバット。それは森川のボールを芯で捉え、打球はあっという間に外野へと飛んだ。

 ――外野に向かって叫ぶ森川。俺はただその場に立ち止まり、打球の行方を見ていた。

 白球は外野に立てられた簡易フェンスを越え、グラウンドの外に飛び込んだ。

 その瞬間、耳を劈く大歓声が湧き起こった。

「――――!」

 俺はゆっくりと、快音の余韻を味わう様にダイヤモンドを回る。

 一塁、二塁、三塁、一つ一つのベースをしっかりと踏み締め、最後の白線を進む。

 森川は、そこに立っていた。

 俺は真正面から森川の目を見た。森川もまた、ただ真っ直ぐ俺の顔を睨む。

 ――お互い、何も言わずにすれ違った。

 最後のベースを踏むと、雨で髪を塗らした栗藤さんと目が合う。

 一瞬、二人の間に静寂が流れた後、栗藤さんは満面の笑みで俺を迎えてくれた。


 俺は天を仰ぎ、勝利の咆哮を上げた。

この第8話は、とりあえずこの作品の一つの区切りとなります。

多くは語りませんが、ここまで沢山の方に支えて頂きました。本当に感謝しています。

当然これからも作品の続きを書いていきますが、是非またお付き合い頂ければ幸いです。



野球やソフトボールがいまいち分からないという方、この2話は苦痛だったと思います。私もです(笑)

そういう事もあって本当は1話に纏めたかったのですが、案外長くなってしまいました。

でもなるべく、野球やソフトボールに興味が無いという方でも楽しんで読める様な描写や展開を心掛けたつもりです。どうか、読み飛ばさず作者に付き合ってやって下さい(笑)

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