第6話「ひと恋めぐり」
森川と言葉を交わした翌週の月曜日。俺は完全に放心していた。
「槇原……。やっぱ、栗藤さん付き合ってた?」
「……ああ」
俺は力無い返事を返した。
「あ〜、そんなに落ち込むなってば!」
葉山は俺の両肩を掴み、前後に大きく振った。
別に、それだけで落ち込んでる訳じゃねえよ……。言わねえけど。
「とにかく、今はもう体育祭に集中しようぜ? な?」
体育祭。俺の通う高校では三日間に渡り大々的に行われるイベントで、毎年その時期が近づいてくるとクラスはそれ一色となる。
「槇原、お前は今年もソフトボールで出るんだろ? 経験者だし。他の奴らは練習しに行ってるぞ」
……とてもじゃないが、気分になれない。
「悪い……。今はそんな気分じゃねえよ」
俺は席を立ち上がり、教室の扉に手を掛けた。
「ソフトボール、森川も出るんだぞ!」
扉に掛けた、右手が止まる。
「…………。だから何だ。そんなんで一矢報いたって、今更何にもならねーよ」
俺は扉を開き、教室を出た。
第6話「ひと恋めぐり」
カキイン!
渡り廊下の窓から、心地の良い金属音が聞こえる。
(そもそも、経験者の俺が素人相手に勝ったって何にもなんねーだろうが……)
窓の外に目をやると、クラスの連中がキャッチボールをしているのが目に入った。
(下手だな…………。まあ、未経験者ならこんなもんか)
視線を戻すと、正面から歩いてくる栗藤さんと目が合った。
気付けば俺は目を逸らしていて、栗藤さんは少し戸惑っていた。
視界の端で栗藤さんは友達と喋っていて、俺は二度と顔を上げる事なく彼女とすれ違った。
「……………………」
悔しい。
今、彼女と言葉すら交わせないのが例えようも無く悔しい。
悔しさと情けなさに右手を震わせていると、何だか広い世界に一人置き去りにされている様な気がして、俺は逃げるようにすぐ傍の男子トイレに入った。
「何? お前栗藤と別れんの?」
中に入ると二人の男子の会話が聞こえてきて、俺は陰からそれに耳を傾けた。
「あたりめーだバカ。お前も見ただろ」
「あ、ああ……。まあそりゃそうだけど、お前栗藤の事好きだったんじゃねーの?」
「美人だった頃はな。もうあいつに用はねえよ」
………………。
「あ〜あ、しかしあいつと別れた後はどうすっかな。高嶺とでも付き合うか」
「おい! 高嶺さんは俺が狙ってんだ、お前邪魔すんじゃねーよ!」
俺は、ただただ黙って聞いていた。
やりようの無い怒りは俺の体内を駆け巡り、微かな涙として体外に出た。
「あ〜ああ、本日もお勤めご苦労さんでしたっと」
帰りのSHRが終わると、葉山は背筋を大きく伸ばした。
「中年かよ」
「うるせーな。つーか、ソフトの連中は放課後練習してくらしいけど、お前はどうすんの?」
「いや……俺は帰るよ」
「そっか」
葉山はそう言って小さく笑い、俺の背中を叩いた。
「あ、でもお前知ってる? 森川って小学校の頃ソフトボールのチームでピッチャーやってたらしくて、かなり本格的らしいよ」
「………………。だから?」
「いや、言ってみただけ」
そう言って葉山は微笑んだ。
「………………」
(森川が…………)
その時、クラスメイトの二人が話しながら教室に入ってきた。
「いや〜、栗藤さんマジで変わりすぎだろ、あれ」
「ほんと何があったんだって感じ。あ〜、俺栗藤さんの事好きだったのにな〜……」
「俺だってそうだっつの。でも、森川の奴はまだ付き合ってんだよな」
「そうなの?」
そいつは意外そうな顔をした。森川の本性は、男子の間では割と知られているのかもしれない。
「ああ。さっき二人で帰ってくの見たぞ」
ガタンと大きな音を立て、俺は立ち上がった。
「な……何? どうしたの?」
葉山は目を丸くした。
(森川は、もう栗藤さんの事を何とも思ってない。なら、今日一緒に帰るのは…………)
栗藤さんは、今日森川に振られる。それを理解した俺は鞄を掴み、教室を飛び出した。
「槇原!?」
四段間隔で階段を一気に駆け下り、下駄箱の中の外靴を荒々しく掴む。
クラスの奴の呼び止めに振り返る事もなく玄関の扉を開いた俺は駐輪場には向かわず、ただ全力で走った。
学校の傍の公園や花壇、ガードレールを横目に走っていると雨の日の出来事が頭の中に浮かんでくる。
「………………!」
俺は、唇を噛み締めた。
息は荒れ、汗が髪を湿らせる。いつものバス停に着くと、いつものベンチに栗藤さんは座っていた。
昔の面影など残っていない、がっちりとした彼女の背中。頭は少し俯き、その後姿はどこか沈んでいる様に見えた。
俺は後ろからゆっくりと栗藤さんの傍に歩み寄った。栗藤さんは俺の足音に反応し、ビクッと体を揺らす。
「栗藤さん…………」
「…………、槇原くん……?」
栗藤さんは顔を上げなかった。声だけで、俺を俺だと分かってくれた。
「……あ、あの、栗藤さん――」
俺の言葉を遮る様に、栗藤さんは顔を上げた。
顔を上げた栗藤さんは、笑っていた。
「……、私、振られちゃった…………!」
確かに笑っているはずなのに、その目元では水滴が光っていた。
口は震え、必死に涙を堪えている顎には皺が寄る。
(…………!)
俺はそれを見て、言葉が詰まった。
彼女は、一体どれ程の辛い言葉で突き放されたのだろう。
好きな人に振られた悲しみは好きな人にしか癒す事は出来ず、そしてそれは俺じゃなかった。
何と声を掛ければ良いのか分からない。俺に、彼女を慰める事など出来はしない。今、それが出来るのは森川大和だけだ。
俺は歯痒くて、切なくて、気付けば栗藤さんの両肩を掴んでいた。
「…………、これ、栗藤さんには、関係無いかもしれませんけど……」
栗藤さんは目を丸くして俺の顔を見ていた。
「……栗藤さんにとってはこんな事、どうでも良いかもしれませんけど…………」
自然と、栗藤さんの両肩を掴んでいる両手に力が入った。
「……俺、森川の球を打ちます。体育祭で、必ず森川に勝ちます。……だから、見ていて下さい…………!」
彼女の目から、大粒の涙が零れ落ちた。