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第5話「森川大和」

 栗藤さんが、男と二人で歩いている。

 心の奥底ではこの事から導き出される答えにとっくに辿り着いていながら、俺はそれを何度も否定した。

「おい槇原、大丈夫――」

「悪い」

 俺は葉山の言葉を遮った。

「……今日、帰っていいか」

「………………」

 葉山は黙り込んでしまった。俺は鞄を肩に掛け直し、いつものバス停に向かった。



 第5話「森川大和」



 翌朝、俺は自転車に跨っていた。バスで栗藤さんと顔を合わせるのが嫌だったし、そもそも今はもうバスで通う理由が無いのだ。俺は片道三十分かかる通学路を、二十分程で走り抜けた。

 教室に入ると葉山が俺の元へとやってきた。

「葉山。昨日は悪かった」

「……いや、心中お察しするよ」

 葉山は口元に笑みを浮かべながらそう言った。

 ――心中。俺は一体、今何を感じているのだろうか。一年半好きでいた女性に彼氏がいた事への喪失感? 今はもう好きでも何でもないのに、一年半好きでいたという事実が今も栗藤さんを特別視させている?

 ――いや……もしかしたら、俺は今でも……。

(いや、それは無い。それだけは絶対に無い)

「………………」

 しかし、それ以外に胸から湧き上がるこの感情を説明する言葉が浮かばなかった。

「お前、昨日栗藤さんの隣にいた奴が誰か知ってるか?」

 俺は首を横に振った。帰宅部である俺は、基本的に他クラスの生徒について疎い。

「だよな。俺も直接話した事がある訳じゃないんだけど、たまに話題に挙がるんだ」

 と言うことは、この学年ではそこそこ有名人なのだろうか? 俺は黙って葉山の話を聞いた。

「二年八組、森川大和。昨日見た通りのイケメンの上に運動神経抜群、性格も優しいって評判だ」

 ……有名になる理由も分かる。そんな奴が恋敵じゃ、そもそも俺の出る幕は無かったか…………。

「つっても森川が栗藤さんと付き合ってるなんて話、聞いた事無かったけどな」

 当然だ。この俺が昨日まで知らなかったんだから。

「もしかしたら、別に付き合ってる訳じゃねーかもよ?」

 恐らく、俺を励ます意味でそう言っているのだろう。俺はそれを十二分に感じていた。

「ああ……。俺が直接確かめる」

「マジ?」

 葉山は顔をしかめた。

「……どっち?」

「……森川の方。栗藤さんに直接聞くなんて絶対無理」

「だろうな……。まあ、同学年の男子に聞く内容としては別に不自然でも無いが――」

「無いが?」

「もし森川が栗藤さんと付き合ってても、手は出すなよ」

「出さねーよ」

 恐らく、昨日の放課後葉山といた時以来。自然と笑みが零れた。



 帰りのSHR終了後、俺は葉山とアイコンタクトだけ交わした後、即座に教室を出た。

 俺達前半クラスの生徒が利用する階段の反対側、東階段の所に森川はいた。そいつは右肩に鞄を背負い、一人階段を降りていく。

「森川!」

 二階と一階とを繋ぐ踊り場、気付けば俺は森川の名を叫んでいた。

「…………。何?」

 俺の方を振り返った森川は怪訝そうな顔をしていて、一瞬俺はたじろいだ。

「い、いや、ごめん」

 俺と森川は正面から向き合った。その顔は見れば見る程、(昔の)栗藤さんに相応しい。

(ああ……。やっぱり、俺なんかが敵う相手じゃねえ……)

 俺は思わず黙り込んでしまっていた。

「おい、何だよ?」

「あっ、わ、悪い」

「………………」

 森川は目を細め、明らかに嫌そうな顔をしている。俺はとにかく本題に入る事を決意した。

「あ、あのさ……、森川、もしかして栗藤さんと付き合ってる?」

 聞いた。聞いてしまった。その答えが返ってくるのが恐くて、俺は目を逸らした。

「………………」

 好きじゃない。俺は栗藤さんの事は好きじゃない。でも、違うと言ってくれ…………!

 森川から俺の顔が見えない様に俺は頭を下げ、ひたすら祈るように目を瞑った。

 一年でも二年でも、死ぬまで掃除当番代わったって良い……。毎日昼飯おごっても良いし、やれって言うなら裸で校内一周もする…………。

 だからお願いだ 違うって言ってくれ………………!

 どれ位経っただろうか。永遠の様に永く感じられた数秒後、森川は気だるそうに口を開いた。

「何……? お前知ってんの?」

 体中の体温が引いていき、顔が青褪めるのが分かった。

 俺は下げた頭を上げる気力も無く、今にもその場に倒れ込みそうになるのを必死に堪える。

(ああ……、そっか。やっぱり、こいつが栗藤さんの彼氏なのか…………)

 こいつが栗藤さんと付き合っていた一年半、俺はただ眺めるだけしか出来なかった。俺はそれが悔しくて、情けなくて、気付けば大粒の涙が頬を伝っていた。

「…………。おい?」

 森川の声で俺は我に返り、焦ってワイシャツの袖で涙を拭いた。

「……お前、もしかしてつむぎの事好きなのか……?」

 つむぎ。栗藤さんの事を平然と下の名で呼ぶ森川の事が、憎らしくも羨ましかった。

「い、いや、別にそんなんじゃなくって、ただ気になったって言うか……」

 目の前で涙を流しておいて、この言い訳は何だろう。でももう今は何も考えられなくて、頭に浮かんだ言葉をただひたすら並べた。

「…………。良いぜ、好きにしなよ。どうせ俺はもうつむぎとは別れる」

 こいつが今何を言っているのかまったく分からないのに、不思議と涙は枯れていった。

「え……? ど、どういう事?」

 俺はワイシャツの袖で目元を隠したまま話した。どうせ、泣いていた事はバレている。でもせめて泣き顔は見られたくなかった。

「言葉通りの意味だよ。俺がそろそろつむぎを振る」

 こいつが栗藤さんと付き合っていると聞いた時以上に、体の芯が冷たくなる。

「な……、なんで?」

「あ? お前も見りゃ分かるだろ。なんか知らねー間に勝手にデブりやがって。もうあいつの事は好きでも何でもねーよ」

 葉山の言葉が無ければ、俺はこいつの事を殴り飛ばしていたかもしれない。拳に力が入った瞬間、葉山の一言が俺を冷静にさせていた。

 ただ、俺が森川に飛び掛ろうとするのを止めたのはそれだけでは無かった。ある一つの考えが、俺の中にはあった。

(俺は…………)

 膝の上に両拳を置き、それに力を込めた。

(俺は こいつと同じかもしれない…………!)

 栗藤さんの事を顔だけで判断し、ちょっと太ったからと言ってそれを批判し、好きだった感情が冷めていく。

 俺に、森川を責める資格など無かった。

 膝の上の拳に更に力が入り、頭が下がる。それを見た森川は黙ってその場を去った。

 


 俺は涙を拭きながら、校門を飛び出した。まだバスに間に合うかもしれない。

 どうしても、栗藤さんに聞きたい事がある。

 全速力でバス停までの道を駆け抜けると、ベンチに佇む栗藤さんの背中が目に入った。

「あれっ? 槇原くん?」

 俺の足音に反応し、後ろを振り返った栗藤さんと目が合った。俺は栗藤さんの正面に回り込む。

「どうしたの?」

 学年中の男子が驚愕した丸い顔。頬や顎には肉が付き、しかし確かに、栗藤さんだという事を俺に分からせる瞳。

「あ、あの……栗藤さん、今、付き合ってる人、いるよね……?」

 途切れ途切れになりながら、必死に言葉を繋げる。それを聞いた栗藤さんは顔を赤くした。

「えっ……? えっ? なんで?」

「昨日……、森川って奴と歩いてるの見たから…………」

 栗藤さんは驚いた様に目を丸くしていた。しかし俺が言葉を言い終えると、照れくさそうに笑った。

「えへへっ……、見られちゃったか」

 その笑顔は今の俺にはあまりに重過ぎて、暫く頬が痺れた。

 でも……それでもどうしても、栗藤さんの口から直接聞きたい事がある。

「……栗藤さんは、も、森川の事、好き…………?」

 それを聞き、栗藤さんはもう一度驚いた様な表情を見せた。しかし彼女はすぐに笑みを浮かべ、嬉しそうに目を細めた。


「うん、大好きだよ……!」


 言った後で栗藤さんは恥ずかしそうに口をつむぎ、可愛らしく下を向いた。

 それ以降、どんな会話を交わしたか覚えていない。ただすぐにバスが来て、俺は用事があるからと栗藤さんを見送った。


 誰もいないバス停のベンチで、俺は顔を両膝に埋めた。

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