第4話「fragile」
「何? お前そんな事してたの?」
葉山は驚いた様に目を丸くする。
「あ、ああ……」
俺は、葉山にだけは昨日今日の出来事を話していた。雨の中栗藤さんのキーホルダーを探した事、タオルを借した事、そして昨日初めて彼女と言葉を交わした事。
「俺の知らねー間にそんな事しやがって」
「いや、別にただ、流れで……」
葉山は俺の顔を一瞥した後顔を寄せた。
「お前……じゃあもしかして、栗藤さんの事……」
当然、その先は聞かなくても分かる。ただ俺はその返答に困り、時間を稼ぐ様に葉山が全てを言い終えるのを待っていた。
「好きなのか?」
「………………」
三秒ほど沈黙が流れる。
「…………別に」
少し、顔が赤くなっていたかもしれない。俺はそれを葉山に気付かれたかどうかだけが気になっていた。
「本当かよ? お前、本当は栗藤さんの事好きなんじゃねーの?」
……多分、気付かれてない。
「いや、無いって……。どんなに性格良くても、外見があれじゃあな……」
「それ言ったらそうだけど」
葉山も納得した様に頷いた。
そうだ、栗藤さんはとてつもなく良い人だ。限り無く善人だ。でも、不細工だ。ならば俺は栗藤さんの事を好きな筈は無い。
俺は自分に言い聞かせる様に、それと同じ様な意味の話を葉山に話した。
第4話「fragile」
「お、おい槇原! 高嶺さん!」
葉山は教室の入り口から俺を手招いた。
「マジ?」
俺は椅子から立ち上がり葉山の元へ駆け足で詰め寄る。
「うわっ……美人……」
率直な感想だ。端整な顔立ち、綺麗な瞳。決して大きく顔を崩さない笑みは見る者を魅了する。
俺と葉山は高嶺さんが通り過ぎたのを見届けてから自分の席に戻った。
「………………」
栗藤さんの顔を思い浮かべると、心の底から溜息が出た。
「お前……、失礼すぎるだろ」
「だってさあ……」
「まあ気持ちは分かるが……。お前、本当に栗藤さんの事好きだもんな……」
何気ない一文だが、俺はその違和感を聞き逃さなかった。
「……過去形にしろ」
「何? お前今日放課後ヒマなの?」
帰りのSHR終了後、俺は葉山に声を掛けた。
「毎日ヒマだっつーの。ただ今までは栗藤さんと同じバスに乗りたかったから遊ばなかっただけだ」
「……、もう良いのか?」
「だから良いってば。今日はカラオケでもいこーぜ」
「お、いいねえ!」
葉山のテンションが上がるのが見るからに分かった。
「槇原とカラオケなんていつ振りだ?」
「……たまに行くだろ。土日祝日だけど」
――そう。俺はもう栗藤さんと同じバスに乗る必要は無い。と言うか、もうバス通学する必要が無いな。
「んじゃ、行こうぜ」
学校の近くにある、歩いて行けるカラオケ。
(良い……んだよな)
俺は胸にもやもやとした物を抱えつつ、葉山の後について行く。
「あ。そう言えば俺今日朝の星座占いで運勢最悪だった」
葉山は唐突にそんな事を言い出した。
「……て事は、俺もか」
別にそんな物を信じる性分では無いが、こう言われると少しは気になる。と言っても、後はもうカラオケに寄って帰るだけだ。俺は葉山の話を適当に聞き流していた。
「なあ……槇原」
「なんだ?」
「お前、栗藤さんの事好きだろ」
「好きじゃねーって」
「本当か?」
「……本当だよ」
葉山は不満気に俺の顔を見た。
「もし、栗藤さんに好きな人がいたらどうする?」
………………。
何故だろう。それは少し嫌かもしれない。
「……。嫌なんだな?」
「別に…………。俺は、高校に入学して以来一年半、ずっと栗藤さんの事が好きだったんだ。そりゃあ、少しは嫌な気分にもなる。それだけさ」
葉山と話している様で、俺は自分の脳内に向かって話しかけている様だった。
「別に今はもう、好きでもなんともねーよ。メチャクチャ良い人だとは思うけどな。あ、だから友達にはなってみてーな。それ以上どうこうとは思わねーよ」
「…………」
この答えに葉山が満足していないであろう事は分かっていた。しかし葉山はそれ以上何も言わず、ただ黙っていた。
(……そう、栗藤さんはただ物凄く性格の良い人。それだけだ。もう恋愛感情は無い……)
俺は気付けば唇を噛み締めていた。すぐ我に返り口を開いたが、唇には微かに痺れが残った。
右手で唇を触れようとした。それと同時か、少し遅いか。同じ学校の制服を着た男と二人で歩く、栗藤さんの姿を視界に捉えた。
栗藤さんは笑いながら男の背中を叩く。その笑顔は、俺が今まで見た事の無いものだった。
全ての思考回路が止まる。視界がぼやけ、頬が強張る。
唇の痺れなど、既に頭から消えていた。真っ白な頭の中で、丸い顔の栗藤さんだけが笑っていた。
「嘘」
左肩の鞄がずり落ちた。