第3話「避難警報」
(無理! 無理! 無理無理無理!!)
朝のバスの中、俺は追い詰められていた。
恐らく、今栗藤さんはこちらを向き昨日のタオルを返すチャンスを窺っているだろう。
(無理無理無理! 話しかけられたらパニック確実!!)
という事の顛末で、俺はひたすら寝た振りを続けていた。
第3話「避難警報(the boy possibly...)」
八時二十分。後およそ五分程で学校へ到着する。それまで決してこの両目は開いてはならない。起きている事を気付かれようものなら、栗藤さんに話しかけられてしまう。
(男だ太陽! 寝ろ! 無心になれ!)
とは言え、栗藤さんが本当に俺にタオルを返そうとしているのか気になり薄っすら目を開くと、体を捻りこちらを向いている彼女の姿が目に入った。
(うおっ! やばっ、今目合ったかも!!)
俺は即座に目を閉じ、再び無心に返る。
そんな事を繰り返していると、運転手が学校前のバス停の名を読み上げた。
(どっ……どうすんの!? バス降りる時話しかけられたら逃げ場がねえ……!!)
俺は、冷や汗が頬を伝うのを感じていた。
(バス降りる時まで寝た振りしてる訳にいかねーし……、いや、寝過ごした振りして次のバス停で降りよう! よし、これでいこう! これしかない!)
俺は寝過ごした振り作戦の決行を決め、バスが学校前のバス停で止まっても尚目を開かなかった。
運転手がいつもの定型文を読み上げ、扉が開く。バスの前方から人が降り中央部から人が乗り込み、人の乗り降りが終了し、そして扉が閉じる。
(あ〜……、危なかった……)
俺は大きく息を吐き、目を開いた。
先程の体勢のまま、前方の席からこちらを向いている栗藤さんと目が合った。
(………………)
俺は、ゆっくりと瞼を閉じた。
(降りろよ!!)
心の中で一旦ツッコミを入れておく。
(ま、まさか栗藤さんまで残ってるとは……。俺にタオルを返す為? そうだよな、やっぱり……)
鼓動が激しさを増す。掌がしっとりと湿り、恐らくではあるが顔が紅潮しているのを感じていた。
バスはすぐに次のバス停へと到着する。俺は腹を括り、ポケットから携帯を取り出し右耳のイヤホンを外した。
「もしもし?」
寒い。寒すぎる。しかし四の五の言ってはいられず、俺は電話を掛けている振りを続けた。
電話をしていれば栗藤さんは話し掛けられないだろう。俺は首を傾け肩と耳の間に携帯を挟み、空いた両手で財布から二百三十円を取り出した。それを淡々と機械に通し、バスを降りる。
降りた所には栗藤さんがいたが、俺はそれに気付かない振りをして学校へ向かった。
その日、俺はほとんど教室から出なかった。廊下で栗藤さんと遭遇するのを避ける為だ。
栗藤さんには悪いと思ったが、本当に何も話せる気がしない。栗藤さんと話すというのがこれだけ緊張する事だとは、一人遠くから眺めていただけの頃には知る由も無かった。……と言うか、今の不細工になった栗藤さんの事など何とも思っていない筈なのに、何故緊張するのだろう。
(………………)
俺は、それ以上考えるのをやめた。
放課後。もしかしたら栗藤さんは今日最初のバスに遅れるかもしれない。俺は帰りのSHRが終わるのと同時に教室を飛び出した。万一、栗藤さんに話し掛けられても耳にイヤホンを付けていれば「気付かなかった」で通る。俺は両耳のイヤホンに頼もしさを覚えながら校門を通り抜けた。
案の定、栗藤さんはバス停にいた。
(……、栗藤さん、すまん! そのタオルはあげますから!)
俺は栗藤さんに気付かれる前に方向転換し、いつもの古本屋へ向かった。
俺はどうしてこんなに情けないのだろう。少し前まで好きだった女性に対して、言葉を交わす事も出来ない。古本屋で漫画を読んでいると栗藤さんに対する申し訳無さは益々募り、俺は自分で自分が嫌になってきた。
(……こんなんじゃ、栗藤さんも俺なんか嫌だろうな〜。いや、今はもう俺も栗藤さん嫌だけど)
既に四時半を回っている。古本屋に来てから三十分。俺は一度漫画を棚に戻したが、またすぐにそれを取り出す。
(……一応、後三十分ここにいよう…………)
朝の事が頭をよぎっていた。
結局、それから更に一時間後。俺は漫画を棚に戻し、古本屋を出てバス停へと向かった。
(流石にもういないだろうな……)
帰宅部は既に帰宅し、部活に入っている奴は部活。この時間バスを利用する生徒は稀だ。俺は安心してバス停に着いた。
見覚えのあるタオルを膝に置き、ベンチで佇む女性の背中が目に入った。
その女性は両足をブラブラと前後させながら、ただひたすら何かを待っている。
「………………」
俺は観念し、両耳のイヤホンを外した。
困ったこと
サブタイトル考えるのに10分とかかかること