第八話「姫島彩乃」
「18歳になった姫島君ですが、何かやりたい事はありますか?」
マイクを持った女性司会者。
彩乃は特に表情を強張らせるでも無く、優しく微笑むでも無く。淡々と質問に答える。
「やりたい事……と言うよりかは僕の夢ですが」
「是非、お聞かせ願えますか?」
司会者は興味津々に顔を輝かせた。
「25歳までにジャニーズを引退する事……それが僕の夢です」
街角の大型ビジョンに映る姫島彩乃は、平然とそう言ってのけた。
「彩乃君!!」
テレビ番組の撮影終了後。マネージャーは彩乃の楽屋の扉を荒々しく叩いた。
「なんですか?」
彩乃は、個別に呼びつけたマッサージ師のマッサージを受けている所だった。横になったまま、顔をマネージャーへと向ける。
「なんだじゃないよ! さっきのインタビュー、もう日本中で大騒ぎになってるぞ!?」
事務所トップクラスのタレントである姫島彩乃。あんな発言をすれば、ある程度騒ぎになるのは目に見えていた。
「知りません。僕は聞かれたから答えたまでで……。文句ならあの不細工なインタビュアーに言って下さい」
「おい、そういう事言うのもやめろって言ってあるだろ? 一般人に聞かれたらスキャンダルになる……って、俺が言いたいのはそんな事じゃなくて、何だよ、25歳で引退するって!!」
マネージャーのまったく纏まらない話を片耳に聞きながら、彩乃は不快感を露にしていた。どうやらこの騒ぎでマネージャーは相当大変な思いをしているらしい。
「どうもこうも……話してなかったですか? 僕は25歳までには事務所を引退します」
彩乃は優しい笑顔でそう語る。
「引退って……どうしてだよ! タレント業が辛いか!?」
「まあ、それもありますけど」
マッサージがとても気持ち良いようで、彩乃は大きな欠伸を吐き出した。
「冗談やめてくれ! 今だって何とか頑張れてるじゃないか! 大学も卒業して、仕事に専念できるようになればきっと楽しくなる!」
「今は無理矢理体に鞭打ってるだけです。これをこの先何十年と続けるなんて……寿命が勿体無いです」
「いや、そもそも僕は大学なんて行かなくても良いって言ったじゃないか。彩乃君なら人気が落ちて仕事が無くなるなんて事は絶対に無いし、学歴なんて付けなくてもやっていける筈だ」
そう言うと彩乃は重い体を起こし、マッサージ師に楽屋を出る様指示した。
「……な、なんだよ」
二人きりになった楽屋で、マネージャーは少し萎縮した。
「確かに……なりたくてもなれない人間が星の数程いるこの職業。せっかく美しく生まれてきた僕が自ら身を退くのは多少なり申し訳なくも思う。マネージャーの言う通り、学生時代が終われば少しは負担も減るのかもしれない。だがね……」
彩乃が一歩、二歩とマネージャーの方へと歩み寄るのに比例して、マネージャーは後方へと下がってゆく。
「僕はね、美人な人といっぱいエッチな事がしたいんだよ」
一瞬、信じられない程に空気が凍り付いた。
あまりの衝撃に、マネージャーは言葉を失う。
「おっと、君とてこの意思を批難する権利は無い筈だ。男として生まれたからには、異性とそういうコトをしたくなるのがこの世の常」
彩乃は高らかに、まるで選挙演説かの様に持論を語り出した。
「だがどうだ。ジャニーズという悪魔の団体はそれを許さない。ちょっと女と街を歩くだけでやれスキャンダルだやれ熱愛報道がどーたらだの……まるで拷問だ」
そう語る彩乃の目の奥は深く濁っており、憎しみの深さが伺える。
「それ以前に、こんな殺人レベルの仕事の忙しさではそもそも機会が得られない! 一体事務所の基準はどうなってる!! ちゃんと労働基準法を守っているのか!?」
「そ、それは彩乃君が北海道の大学に行くからじゃ……」
「やかましい! 東京は人間の住む所では無い!! 水の汚さ、人の多さ、人間味の無さ、ゴキブリ……こんな所に住めと言うなら俺は自害するぞ!!」
彩乃は激昂した。マネージャーの胸ぐらを掴まんばかりの勢いで叫び散らす。
――こんなやりとりが暫く行われた後、彩乃は正気を取り戻したかのようにゆっくりと呼吸を落ち着かせた。
「まあ……という事です。何があろうと僕は25歳までにはジャニーズを引退するし、東京にも住みません。今、なんとか事務所に籍を置いているのは、たくさんエッチな事をするのにお金を貯めているからです。事務所を引退した後、貯金が無くて他の職業に就くのでは意味が無いですからね」
「……本気なのか?」
マネージャーは真剣な目つきで、彩乃の意志を確認するかの様に聞いた。
「本気です。その為に……素晴らしい出逢いを求めて、僕はわざわざ大学に進学したのですから」
彩乃は笑ってそう答えた。