第2話「男達は誰が為に動く」
「ばっかじゃねーの?」
葉山の一言が俺を貫いた。
「な〜にが『ソフトクリームのカップを持ち帰った』だよ。お前バカじゃねーのか」
「うるせーよ。今時そんな女子高生いねーぞ!」
俺が言葉に熱を帯びさせてそう葉山に言うと、葉山は呆れた様に頭を掻いた。
「まあ……栗藤さんが性格良いってのは分かったよ。そこはそういう事にしといてやる。で、何? まさかお前それであの栗藤さんの事を好きにでもなる訳?」
葉山は淡々と言葉を連ねた。
「いやまあ……それはまた別の話で……」
俺は言葉を濁らせる。それを見て葉山は笑った。
「悪い悪い。でも俺はお前が高嶺さんを狙うなら応援するぜ。お前、高嶺さんの事も美人だってずっと言ってたじゃん」
俺は、正直高嶺さんの事を相当可愛いと思っている。栗藤さんさえいなければ、そもそも俺は高嶺さんの事を好きでいたかもしれない。
「まあ……考えとくよ」
俺はそう言って机に顔を伏せた。
第2話「男達は誰が為に動く(For whom does the man move?)」
翌朝。未だバスで通い続けている俺は栗藤さんの会話に耳を傾けていた。
「つむつむ、そのキーホルダー変わってるね」
”つむつむ”改め栗藤つむぎ。栗藤さんが美人であった頃はそのあだ名も狂おしいほど愛らしいものであったが、今ではそれも不愉快なだけだ。
「これ?」
栗藤さんは肩にかけたスクールバッグについたキーホルダーを指差した。糸の様なもので練り込まれた洋風の人形は、満面の笑みを浮かべていた。
「このキーホルダー、お爺ちゃんの形見なんだ」
「あっ、……そうなんだ」
栗藤さんの友人は目を伏せた。それを見て、栗藤さんは微笑んだ。
「ううん、いいの。このキーホルダーは私が四歳の時に家族で海外旅行に行った時、お爺ちゃんが買ってくれたんだ。二個」
二個?と思わず声に出そうになったのを俺は抑え込む。
「私、旅行中にこれと同じものをお爺ちゃんに買ってもらったのにすぐ失くしちゃったんだ。それに気が付いたのはもう飛行機に乗る直前で、もう一度買いに戻る事も出来なくて私は空港でわんわん泣いちゃってたらしいの」
俺は、黙ってその話を聞いていた。
「飛行機も今更キャンセル出来ないし売店にも売ってないし、私は益々大泣きしてその場に座り込んじゃったらしいんだ」
栗藤さんは、少し恥ずかしそうに笑った。
「そんな私を見かねて、お爺ちゃんだけがそこに残ってもう一度同じキーホルダーを買い、一人次の便で帰ってくる事になったの。今思えばそんなの考えられないけど、その時の私はそれで納得してたらしいんだ」
ここで栗藤さんは少し間を置いた。
「……日本に帰ってきた時、お母さんは飛行機事故のニュースを見て泣いてた」
一瞬、空気が固まった気がした。
俺はすぐに我に返り、栗藤さんの気持ちを考えてみた。
そうしたら、涙が頬を伝った。
「つむぎ……」
栗藤さんの友人は言葉を失っていた。俺は、自分がこの会話に参加していない事を幸運に思った。俺が会話に参加していたとしても、栗藤さんに何と声を掛ければ良いか分からなかっただろう。
俺はただ黙って前を向き、バスが学校に着くのを待った。
***
厚い雲のかかった、薄暗い放課後。俺はいつものバス停でバスを待っていた。
今日は体育委員の関係で帰るのが遅くなり、バス停には俺と栗藤さんとその友人の三人だけが立っていた。俺は少し離れた位置にいたため栗藤さんの会話を窺う事は出来なかったが、何となく栗藤さんの方を眺めていた。
俺は、右肩に物をかけない。昔野球部でピッチャーをしていた頃の名残か、今でもその習性が残っている。その為、栗藤さんの右肩にかかった鞄が目に入ったのは偶然ではなく、そして朝はその鞄についていた筈のキーホルダーが今は無い事に気が付いた。
(………………)
つけたり外したりしているのだろうか。そのキーホルダーについてあれこれ考えていると、頬を一滴の水が伝った。
俺は瞬間的に朝の涙を思い出し咄嗟に頬に手をやったが、もう一滴額に水が落ちたのを感じて冷静さを取り戻した。
(雨か…………)
俺が今立っているバス停の傍には、一箇所だけ雨を防ぐ事の出来る屋根がある。しかし栗藤さん達がすぐにその下に入ってしまった為、俺は近くの古本屋で読書に耽る事にした。
――約一時間後、俺は漫画を棚に戻す。十五分で戻る予定が、漫画が面白すぎたのでついつい予定の四倍の時間を過ごしてしまった。こんな事も、以前は絶対に無かった。栗藤さんと同じバスに乗る事を何より優先していたからだ。
俺は店の出口へ進み、中から外を眺めた。
(うわっ……雨すげえ……)
雨はあの後更に激しさを増し、既に傘無しでは外を歩けない状態になっていた。しかし俺は最低でもバス停までは傘無しで移動しなければならない。鞄を頭の上に掲げ、雨の中を駆け抜けた。
歩道に溜まった水溜りを何度も足で鳴らしながら先程の屋根の下に着く。当然ながら、もう栗藤さんはそこにいない。俺は鞄を足元に置き、鞄の中からタオルを取り出し頭を拭いた。
少し走り抜けただけでこれだ。俺は屋根の存在に感謝しながらバスを待つ。
三分後、バスはすぐにやってきた。俺が屋根の下を出ると入り口が開き、俺は急いで中に入り込んだ。雨だからか、中は混んでいる。俺は左右を見渡し空いている席を見定めた。
運転手の後ろの席が空いている。俺は前方に歩き出した。
途中で何と無く外を眺めると、どしゃ降りの雨の中を歩き回る栗藤さんの姿が目に入った。
栗藤さんは体勢を低くしたりキョロキョロと周囲を見回したり、何かを探している。
先程の、キーホルダーのついていなかった栗藤さんの鞄を思い出した。
俺は馬鹿だ。なんでこんな事に気が付かなかったのだろう。鞄にキーホルダーがついていたのは、ただ単に失くしていたからだったのだ。
俺はバスを飛び出し、どしゃ降りの雨の中に体を放り込んだ。降り頻る雨を防ぐ事も無く、俺はただ栗藤さんの元を目指して走り抜けた。
視界の悪くなった雨の中で、膝をつき地面を見回す栗藤さんの後ろに俺は立った。栗藤さんの友人はいない。キーホルダーの事を言わず、ただ「先に帰ってて」と友人をバスに乗らせた栗藤さんの姿が目に浮かぶ。この雨の中、友人をキーホルダー探しに付き合わせる様な事はしない。栗藤つむぎとは、そういう人間だ。
どれ程の時間をこの雨の中で過ごしていたのだろう。風呂に入った後の様な髪、黒く変色しているかの様なブレザーを見ても、俺には「もう止めろ」とは言えない。後ろに立つ俺に気付く事無くただキーホルダーを探し続ける栗藤さんを見て、気付けば俺は走り出していた。
校内にあるならば、誰かが拾っているだろう。そもそも、栗藤さんが校舎内はもう探し終えているはずだ。……いや、そんな理屈じゃない。女子がこの大雨の中傘も差さずに探し続けているというのに、俺だけ雨の無い校舎内を探せるだろうか。
俺は校門からバス停に続く道を、ただひたすら探し続けた。排水溝付近、ガードレール、花壇の中、あらゆる場所を探す。しかし、栗藤さんとは遭わない様にしながら校門からバス停までの道を何往復しても、キーホルダーは見つからない。半ば諦めそうになったその時、校舎のすぐ傍にある公園が目に映った。
――別に、感謝が欲しい訳じゃない(以前の栗藤さんならまだしも)。何の為にこんな事をしているのか分からない。
でも、何故か見捨てられない。
俺は公園の芝生の中で、泥だらけになったキーホルダーを見つけた。
「…………!? !?」
俺が後ろから栗藤さんの肩を叩くと彼女は驚いてこちらを振り向き、そして俺の姿を見てもう一度驚いた。この大雨で、俺が今どんな姿になっているのか自分でも分からない。でもそんな事は、とりあえずどうでも良い。とにかく、一秒でも早く彼女にキーホルダーを見せてあげたい。その一心で、俺はキーホルダーを持った右手を差し出した。
「!! ……え、これ、どうして…………!?」
栗藤さんはそれを見て目を丸くた。俺は黙って右手を突き出す。
「これ、探してくれたの…………?」
栗藤さんは俺の右手から恐る恐るキーホルダーを受け取り、そう尋ねた。俺は黙ったまま二度頷いた。
「嘘……あ、ありがとう…………!」
それが雨なのか涙なのかは、彼女本人にしか分からない。栗藤さんの頬を水滴が伝った。俺は急激に恥ずかしくなり、鞄の中からタオルを取り出しそれを彼女に投げつけた。
「えっ……、これ、使っていいの?」
俺は頷く。
「あ、ありがとう」
栗藤さんはそう言うとそれで頭を拭きだした。俺はそれが終わるのを待つ事無く、その場から走り去ろうとした。
「えっ……、ちょっと、どこ行くの……!? このタオル……」
俺は彼女を振り返り、右手を振り「要らない」という意思表示をした。
「いや……あの、まだ…………」
俺は二度と振り返る事無く、その場から全力で逃げ去った。
(あああ〜……、絶対変人だと思われた…………!!)
翌朝、バスの中で俺は昨日の事を振り返っていた。
(突然現れて無言で去るんだもんな〜……、つーか栗藤さんからしたらお前誰だよって感じだろ。何あの大雨ん中必死になってキーホルダー探してあげてるんだよ。キモイっつーの! あの泥だらけのキーホルダーも捨てちまったかもな〜)
考えれば考える程後悔が深まり、俺は頭をかきむしった。
そうこうしている内にバスはいつものバス停で止まる。俺は焦ってイヤホンを付け、栗藤さんが俺に話し掛けてこない様に寝た振りをした。
(来るな〜……来るな〜……)
俺が必死で念じていると、どうやら栗藤さんは前の方の席に座った様だ。
安心して薄っすらと目を開くと栗藤さんは右肩に鞄をかけていて、変わらず満面の笑みを浮かべる泥だらけの人形が目に入った。