番外編「渚にまつわるエトセトラ」
槙原太陽は、一抹の不安を胸に秘めていた。異性との交際中に誰もが抱く、相手が他の相手へ心変わりしてしまうのでは無いかという、恋愛の根本にして最大の苦悩。
(ましてや、相手は学校一の美人だからな……)
バスの後部座席に座った槙原は溜息をつき、漫画雑誌のページを捲った。
それから間もなくして、バスはいつもの停留所へ着いた。
「おはよっ!」
栗藤つむぎは満面の笑みを浮かべて槙原の横に腰を降ろしたが、挨拶を返す槙原の顔はどこか浮かないものだった。
「どうしたの?」
つむぎは槙原の顔を覗き込む。
「いや、別に。大丈夫」
槙原は少し顔を引きつらせながら、笑顔を返した。
「…………、そう?」
(……学校に着いたら、またあいつに相談してみるか……)
槙原はつむぎの話を半分に聞きながら、そんな事を考えていた。
「? 栗藤が心変わり?」
葉山はストローを咥えながら目を丸くした。
「いや、実際にそういう事があった訳じゃなくて、何て言うか、心変わりしちゃわないかなーて……」
槙原は言葉を詰まらせる。
「なんだ、ただの不安かよ。てっきり栗藤が浮気でもしたのかと」
葉山はバカバカしそうに笑う。
「おい、真剣な話なんだぞ!!」
槙原は葉山の口元から紙パックのジュースを取り上げた。
「杞憂だと思うけどねー」
「……かもしんねーけど、何か不安なんだよ。どうにかなんねーのか?」
「俺はドラえもんじゃねーっつの」
葉山は紙パックを取り返した。
「ま、学校一の美人と美人と付き合ってりゃ敵も多いし、気持ちは分からないでもねーけど……、あ」
葉山は何かを思い出した様に言葉を途切った。
「そんなに不安なら、試してみるか」
「なっ……、何を」
「栗藤の気持ちがお前から本当に逸れてんのかどうかさ」
葉山はニコリと笑みを浮かべる。
「ど、どうやって!?」
「俺も、昔ちょっと聞いた事があるだけの話なんだけどさ。ただ彼女に『彼氏が浮気してますよ』みたいな事を言うだけなんだよ」
「……それだけ?」
槙原は懐疑心を露にした。
「栗藤が本当に心変わりしていればラッキー! となって嬉々としてお前を振るだろうし、お前の事を好きなままなら悲しむだろう。その反応で判断するのさ。簡単だろ?」
葉山は自身気にそう言った。
「ええー……、それ怖すぎるだろ。もし心変わりしてたら……」
槙原は顔を青くする。
「確かめねーと気が済まないんだろ? 安心しろ、俺がその役は引き受けるから」
葉山はそう言って槙原の頭をポンと叩くと、紙パックをゴミ箱へと捨て教室を出た。
「………………」
槙原は、不安そうにその後姿を眺めていた。
昼休み、葉山は一旦槙原の教室を訪れた。
「オイ、これから栗藤んとこ行ってくるからな」
「おっ……おい、本当に行くのか!?」
槙原は葉山の袖を掴んだ。
「ああ、不安な気持ちのまま付き合ってちゃいけねーんだぞ。こういうのはハッキリさせねーと。お前も付いてくるか?」
「まさか! い、行くわけねーだろバカ!!」
「ま、そうだろうな。んじゃちょっと待ってろ。なるべく早く戻ってくるから」
「あっ、ちょ……」
槙原の制止を振り切り、葉山は廊下へと駆け出した。
(……マ、マジで…………)
槙原の顔からは血の気が引き、落ち着かない様子で足をガタガタと震わせる。
「栗藤!」
階段の下で葉山は栗藤を呼び止めた。長い髪をなびかせて、栗藤は後ろを振り返る。
「どうしたの? 葉山くん」
「ちょっと良いかな? 話があるんだけど」
「?」
つむぎは少し困った顔をしたが、とりあえず千尋を先に教室へと返した。
「どうしたの?」
廊下の端で、つむぎと葉山は向き合って言葉を交わす。
「いや、ちょっと小耳に挟んだ話なんだけどさ、なんかこの前、槙原のヤツが女と街を歩いてたって噂が……」
「?」
つむぎは目を丸くした。
「いや……あくまで噂なんだけど、槙原が浮気してるかもしれないっつー話が…………」
葉山は冷や汗を流しながらそう続けた。するとつむぎは話を理解し、少し顔を俯かせて黙り込んだ。
「葉山くん…………」
呟くつむぎの、目元は髪に隠れて見えない。
「……な、何?」
つむぎは、ゆっくりと顔を上げた。
「嘘つき!」
つむぎは、満面の笑みではっきりとそう言い放った。
「えっ……!?」
葉山は驚き、呆然として聞き返す。
「もう、どうしてそんな嘘つくの? まだエイプリルフールじゃないよ?」
つむぎは可愛らしく頬を膨らませ、葉山の胸をポンと叩いた。
「………………!!」
何か信じられないものを見る様な目で葉山は、叩かれた位置を自分の手で摩る。その時予鈴が廊下に鳴り響き、つむぎはハッと時計を見た。
「やばっ! 早く戻らないと!」
つむぎの体は軽やかに、教室に向かって駆け出す。
「ちょっ、ちょっと待って!」
葉山は思わず呼び止めた。
「ふ、不安じゃないの?」
するとつむぎは振り返り、再び笑顔を葉山に向けた。
「全然!」
「――――――」
そしてつむぎは階段を駆け上がる。葉山は今度はそれを止めなかった。
「…………ったく、杞憂にも程がある。どんだけ信じ合ってんだっつーの」
そう言って、葉山は馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに舌打ちをした。
「お、おい、どうだった!?」
槙原は階段の上から顔を出し、恐る恐る尋ねた。
「……ばーか、下らねえ心配してないで教室戻れ」
葉山はそう言って槙原の肩に腕を回し、二人は階段を上っていった。
久しぶりでしたが楽しく書かせていただきました。これからも時々書けたら良いな。