第18話「女神に惚れた男達」
「槙原!!」
翌日の放課後。人のいなくなった教室で、葉山が俺の元にやってきた。
「どうした?」
葉山が深刻な表情をしている理由も、当然俺には理解できない。
第18話「女神に惚れた男達」
葉山は俺の襟元を掴み、かつてない程真剣味を帯びた表情を見せた。
「後輩の土愛って奴が、栗藤の事を好きらしい…………!」
(!!)
「それも今日か明日、とにかく近い内に告白する気だ…………」
葉山はゆっくりと、一言一言に重みを帯びさせて語る。
「お前は……どうするんだ」
――――。
その言葉は、俺の胸に深く突き刺さった。
「……どうもこうも、ねえよ…………。そいつの告白を邪魔する権利は無い筈だ」
「…………。そりゃ、そうだが……」
葉山は納得のいききらない顔をしながら、襟を放した。
「だけど……もし、もしも栗藤が土愛の告白を受けたらお前、どうするんだ…………? お前は、それで良いのか!?」
(――――!)
そんなの、嫌に決まってる。でも……。
「……その時は、その時だろ」
葉山は歯を噛み締めた。
「いつまでも意地張ってんなよ!! お前、栗藤の事が好きなんだろ!? もし、もしこのまま栗藤が土愛と付き合ったら、お前一生後悔するぞ!!」
「…………! 栗藤が自分で土愛の事を選んだなら、俺がそれに口出しする事はねえ」
――本心では無い。でも、告白して振られるという想像が怖すぎて、俺は自分の感情に蓋をする。
「………………!」
葉山は、今にもその拳を振るいそうな。そんな表情で俺の顔を睨んだ。
「お前、告れよ……! 栗藤に!! もし……もし土愛が先に告白して、それが成功しちまったらお前、もう告白するチャンスすら無くなるんだぞ!! ……そんな思いは二度としたくないって、森川の時にそう思ったんじゃねーのかよ!!」
「!!!」
心の中が暗くなる。決別した筈の過去が、頭の中を埋め尽くす。
「俺は…………、お前の恋を応援してる中で、色んな奴を見てきた」
葉山は深く息をつき、少し荒れた息を整えた。
「…………?」
「栗藤がブサイクになった途端、あっさり別れちまった奴。栗藤が太ってからこそ、栗藤に興味を持った奴。栗藤の外見が変わっても、変わらず好きでい続けた奴――」
無数の感情が、頭の中で交差する。
「――お前はどうなんだ? 槙原――」
(………………!)
「………………」
――葉山は、隣の机の上に置かれたトランプを手元に引き寄せた。
念入りなシャッフルを繰り返した後、裏のままそれを机の上に置く。
「赤のマークか黒のマークか、選べ」
これは、昔一度だけやった事がある賭けだった。ハート・ダイヤか、クローバー・スペードか。一番上の一枚を捲り、そのマークの色を当てる。
「赤なら、告白しない。黒でも……、告白しない…………」
――俺は、この賭けを受けなかった。
「――そうか。考え抜いて考え抜いて、それでもお前がそう言うなら、俺はもう何も言わねえよ」
葉山は静かに。爽やかな笑みすら最後には浮かべ、教室を出て行った。その笑みこそが、何より俺には響いた。
誰もいなくなった教室で、俺は一人俯く。
(しょうがねえよ…………。俺は、今の関係で幸せなんだ。もし……もし万が一付き合えるかもしれないチャンスがあっても、今の関係が壊れるかもしれないのは耐えられない)
机の上に置かれた、トランプの山に視線を落とした。
「………………」
何となく、その一番上のカードを開いた。結果の分かりきった、無為な賭け。
「!」
一枚のカードに描かれたジョーカーのイラストが、俺の目に飛び込んできた。
(………………!!)
『三週間ぶりに見かけた彼女は、なんか知らない間にブスになっていた』
『栗藤さんは二、三度辺りを見回した後、そのソフトクリームのカップを鞄の中にしまい込んだ』
『俺は公園の芝生の中で、泥だらけになったキーホルダーを見つけた』
『同じ学校の制服を着た男と二人で歩く、栗藤さんの姿を視界に捉えた』
『……、私、振られちゃった…………!』
『俺は天を仰ぎ、勝利の咆哮を上げた』
『――ごめん。俺、このバス乗らなきゃいけないから!』
『……えと、病院………………』
一年半、ずっと片思いしていた事を考えれば、少し短いかもしれない四ヶ月。でも、その四ヶ月の間に詰まりに詰まった想い出が、胸の底から溢れ出る。
――俺は、教室を飛び出た。
廊下を駆け抜け、階段を飛び降り、上靴のまま外へと駆け出す。
(……栗藤! 栗藤…………!!)
一瞬たりとも足を緩める事無くバス停に辿り着くと、少し離れた所で栗藤が見知らぬ男と向き合っているのが見えた。
(!! 栗藤っ…………!!)
「好きです!! 付き合って下さい!!」
俺の耳にまで届く、初々しい告白。男は頭を下げ、告白の返事を待った。
――その気持ちが、俺には痛い程理解できる。この瞬間を邪魔する事など、俺には到底出来なかった。
俺はただ、黙って答えを待つ。すると少しして、栗藤が何か声を掛けると男は頭を上げた。
俺は少しだけ近づき、耳を傾ける。
「本当にありがとう。びっくりしたけど嬉しいよ」
嫌な予感が、まるで心臓を握り締める。胸が苦しくなり、呼吸がし辛い。
――栗藤は、口を開いた。
「でも……ごめんね。私今、好きな人いるんだ…………!」
「――――――」
それ以降の会話は、頭には入ってこない。ただただ、今の一言だけが頭の中で何度も繰り返される。
――告白を断られた男は、二、三度頭を下げてから走って離れ、俺とすれ違った。
――そして俺は、正面から栗藤と向き合った。