第14話「シーソーゲーム」
『カニ、た〜べ行こう〜♪ はにかんでいこう〜♪』
両耳のイヤホンから漏れ出す軽快な音楽。それは男の意識を外界から遮断し、男は自分を呼ぶ声に気が付いていなかった。
「――おい麻柄、麻柄!!」
傍の男は痺れを切らし、右肩を荒々しく掴む。
そうしてようやく、男は両耳のイヤホンを外した。
第14話「シーソーゲーム」
「お前、それ音量でかすぎだろ!」
男は声を荒げ、麻柄のイヤホンを奪い取る。それを軽く受け流す様に、麻柄は笑った。
麻柄杏輔。生まれつき真っ直ぐな、細い髪の毛。平均的な男子と比べて、麻柄は少し背が高かった。
「ごめんごめん。でも、コレが無いとどうもね」
「ったく。――まあ、それは良いとして……」
「良いとして?」
「お前、高嶺さんと別れたらしいな」
「………………」
麻柄は男から視線を逸らし、後ろを向き直して歩き出す。
「お前なー。高嶺さんのどこが不満なんだよ! 高嶺さんと付き合いたくても付き合えない奴なんか山程いるんだぞ!」
「いや……だから、その人達の為に断腸の思いで別れたんだよ。俺は」
麻柄は、頭に拳骨を喰らった。
「いって〜。別に俺の勝手だろーが」
「だから、そんなんなら最初から付き合うなっつーの!」
「……付き合ってる内に好きになれるかもしんないじゃん」
「あり得ないね。そのセリフ、今まで何百回聞かされてきたか」
男は呆れたように両手を上げ、溜息をついた。
「そんな事言って良いのかな〜。俺、実は好きな人出来たんだよね」
「は?」
男は目を丸くして聞き返した。
「何!? ――お前、好きな人できたの!?」
麻柄は頷いた。
「ま、マジで!? 誰!?」
「いやそれが、名前は知らんのだけど……」
「………………。うっわ〜、お前も遂にか〜」
「今まではお前のセンスが悪かったんだよ。高嶺だの栗藤だの、訳の分からんのばっかり勧めやがって」
「訳分からねーのはお前だ。……いやまあ確かに、栗藤さんはブスになっちゃったけど」
「?」
「お前にゃ関係ねー話だ。それより、放課後見に行こうぜ。俺ならそいつの名前分かるかもしんねーし」
「……いーけど」
「おっけー。んじゃ、帰りのSHR終わったらお前の教室行くから。じゃな」
そう言って、男は自分の教室へと走っていった。
その背中を見ながら、麻柄も手を振った。
***
「おっしゃ、行こーぜ!」
麻柄のクラスのSHRが終わるのとほぼ同時に、男は麻柄の教室へと入ってきた。
「はや」
「早くしねーと見逃しちゃうかもしれねーからな。で、噂のそいつはどこにいんの?」
「知らねーよ。でも今朝は同じバスだったし、多分帰りも同じかな」
「おっ、んじゃすぐ行こーぜ」
「おい麻柄!! お前今日掃除当番だぞ!」
教室の中から聞こえてくる罵声。それは耳を傾ければ、女性のものだった。
「………………」
麻柄はイヤホンを両耳につけ、そのまま教室を出ようとする。
「麻柄!」
「………………」
麻柄は不満そうに、伏目がちに振り返った。
「…………、ちょっと待ってて」
男にそう言い残し、麻柄は掃除用具箱の中からモップを取り出した。
「お前、何回連続で掃除サボれば気が済むんだよ! 今日水汲みとゴミ出しな!」
「………………。お前、手伝う?」
麻柄は、居た堪れない目で男の顔を見る。
「…………いや、またの機会に」
「くっそ〜、掃除ぐらい別に良いじゃねーか」
掃除を終わらせた麻柄は、不満そうに顔を歪ませた。
「ま、とにかく急ぐぞ。早くしねーとバス来ちゃうんじゃねーの?」
「やば。そろそろ時間だ」
教室の時計に目をやって、麻柄達は教室を飛び出した。
玄関で靴を取り替え、氷の張った地面で転ばぬ様に、摺り足の様な走り方でバス停へと向かう。
「いるかな」
バス停に着くと、麻柄は辺りを見回した。自転車通学が出来なくなり、バス停は大勢の人で溢れ返っている。
しかしその人込みの中で麻柄はすぐに、栗藤つむぎの姿を捉えた。
「あ、いた、いた! あれあれ!!」
麻柄は男の頭を掴み、それをつむぎの方へと無理矢理向ける。
「――――――!!」
男は驚愕した。
そして、丁度バスはやってくる。
「お、お前の好きな人って……あいつ?」
「あっ、何? やっぱり知ってる奴? んじゃ、メールでも明日でも、名前教えてくれよ」
「あ、ああ…………」
バスの扉が開き、人がその中へとなだれ込む。その最後尾、麻柄はバスに足を掛けた。
「んじゃな。俺はこのバス乗っから。シーユーアゲーン、アデュー。葉山」
右手の人差し指と中指で軽く敬礼し、麻柄はバスの中へと乗り込んでいった。