緊急救出イベント・水の祭り事変 3
どこかしこも人で溢れかえる大通り。笑顔と笑い声、色とりどりな花と硝子、さらさらと流れる川。ドレスの端をはためかせ、お手本のような微笑みを標準装備すれば祭りを楽しむ人々の一員。
「スーラ様、彼方の御令嬢を追ってるんですかぁ?」
「ええ、あの子を見失わないようにして頂戴」
雑踏の中で追うのはふわふわと髪をたなびかせ、満面の笑みで蝶のように露店を覗いて回る水色のドレスを着た少女。
そう、我らがヒロイン、ヘレン・アドリア嬢である。
この人混みの中、目的を持ったように歩く私の視線の先に護衛であるブロンクスが気が付かないはずもない。
「なぜか理由を聞いても?」
「勘よ。でもあの子を見ると胸騒ぎがするの。それが理由じゃ足りないかしら」
「……まさか、お嬢様のそれとあらば言うことなどありませんよぉ」
”胸騒ぎ”と勘で押し通すには無理があるのは百も承知。だがそれ以上のことを彼に言うつもりはないし、言えはしない。
今のところ彼女の持っていた日記を基準に動いているがそれが実際に起こるという証明などできない。言ってしまえば夢物語のようなものなのだ。この世界のシナリオも予言も予知も。私とて心の底から信じているかと言われれば否だ。しかしアドリア嬢がそれを信じ行動しているのであればそれを想定してこちらも対策を取らざるを得ない。
「ま、私の我が儘に付き合ってくださいな。たまには外に出ないと気が滅入ってしまいますわ」
「もちろん、今日はあなたにお付き合いすると決めておりますので、ご心配なく」
にこにこと物分かり善さげなことを言う使用人に舌打ちをしたくなる。それなりに演じているがあの顔はあとで私のこの演技について揶揄い倒してやろうという顔だ。やたらと作りこまれた設定に義姉上を恨みたくなってしまう。適当な令息のふりであれば楽でだったのに。
しかしながら今更そんな不平など抱いても仕方がないことで。
「ブロンクス、あのりんご飴が食べたいわ」
「ダメです。俺が毒味できるものにしてくださいよぉ。間接キスを気にしないというなら問題ありませんが」
「そんなピュアなことを気遣われるとは思いませんでしたが積極的にしたいというわけでもないので遠慮します」
ちらりとアドリア嬢の方を見れば人波の間から青髪、アークタルス・ハボットの姿が見えた。なるほど彼女の交友関係からして妥当だろう。昔馴染みといえど彼の立ち位置は完全にアドリア嬢のお世話係。暴走する彼女に胃を痛まされながらも頑張ってくれている。
たぶん、もしアドリア嬢が攫われたとあれば彼は彼女を助けに行くだろう。
実際に彼自身が行くかといえば怪しいが間違いなく彼女を助けるために奔走してくれることだろう。武闘派ではないが、彼自身は優秀。有事のときはきっと自分にできる最適解を叩きだして行動できるだろう。
「連れがいるようですね」
「ハボット伯の御令息。幼いころアドリア嬢とかかわりがあったみたいよ。昔馴染みで学園でも彼がお世話をしていると聞いているわ」
「ほーん……。ああ、どこかで聞いた覚えがあると思ったら、いつかにヒューイの見合い話が出たときの令嬢の家じゃないですかあ」
「有耶無耶になってしまったようですが」
「あなた様が握りつぶしましたもんねぇ」
「どこまで知ってるかわからないけどお黙りなさいブロンクス」
握っていたラムネの瓶を握り割りそうになる。丈夫なものでよかった。
ヒューイさんの見合い話だが別に握り潰したわけではない。ハボット伯令息と世間話をしていたら彼が大事をとって従姉の見合いを控えたというそれだけの話だ。強迫?ちょっと覚えがないなー。なんにしてもヒューイさんも断るつもりであったと言質もとっているから別に何も起きてないのと同じだよねー。誰も悪くない、ご縁がなかっただけー。
「……いつも思いますがあなたはいったいどこまで知ってるの?普段はお父様の近くにいて私たちのところには来ないくせに」
「あなたが奴にお熱なのは護衛部隊にいたころから知ってますよお。というよりあなたのそれとお兄様のそれはどれも公然の秘密に近いですよ」
まじか。
「じゃ、じゃあまさかヒューイさんも、」
「いやあいつは鈍感朴念仁だから普通に知りませんねぇ」
「ですよねーーーー!」
知ってたぁ!あれだけ私頑張ってるわりにヒューイさんに気付いてもらえてないよね!?いつまでたっても子供扱いから抜け出せてない!私にはいつも優しいし無碍にもされないけどそれは王族だからって理由があるし、そもそもヒューイさんは誰に対しても優しいテライケメン紳士だし!あああああああ抱き着いてみたい飛びついてみたい私にだけ笑ってほしいけど正直仲間と一緒に笑ってる緊張感のない笑顔も最高にかわいくて大好物ですごめんなさいヒューイさんこっち向いて!!
「…………なんですかその顔は。無礼が過ぎるのでは?」
「いや、何かこうあなたがお熱なのは知ってましたがそこまでとは……」
「それで?」
「正直めっちゃ早口で怖いし若干ヒューイにエールを送るレベル。あとお兄様との血筋を感じる」
「あら、声に出てましたか。あと勝手に聞いておいて引かないでください。普段は兄上にしか吐きませんよ。今日は兄上がいないのですから付き合ってください」
普段であれば兄上の部屋の扉を閉めるまで耐えられるがあいにく今日は兄上は式典。私の周りにいて、事情を知っているのはブロンクスのみ。そのうえ愛しのヒューイさんの話を振ってきたのだから私の話に付き合ってくれるという意思表示に等しいのでは?おとなしく護衛と私の熱い愛の叫びに付き合っていただきたい。
「むしろそれだけ病的、いえ大きな感情を抱えていながらよくまともな人間の皮を被っていられますねえ」
「ご存じないの?外面をよく保つのは我が家の必須スキルですわ」
外面を保てずに何が王家か。
私と兄上がまあ?くそでか感情を抱えてるのがDNA的な問題であれば?それはまあ?父上や母上がまともであるはずもなくて?
「たぶん周囲が思っている以上に私たちは似た者家族ですから」
「……悍ましくて聞きたくなかったことだから聞かなったことにしておきますねえ?」
口元を片手で覆うのはおそらく常に傍にいる父上のことを思い浮かべたからだろう。
そうだよ!あなたの予想通りこの国の現王は私たちの父親だよ!つまりそういうことだ!
「興味があるなら今度父上に母上との馴れ初めか何かの話でも振ってみてください。きっと私や兄上以上のものが見られますわ」
「しませんよそんな恐ろしいこと……雇い主が取り乱して愛を叫ぶ姿なんて見たくないですよお」
「いえ、父上は私たちと違って真顔かつ淡々と、しかし早口でお経のように愛を紡ぎだす機械と化します」
「なおのこと嫌ですしもうこの話題やめましょうよぉ?どこまでいっても俺がひたすらにダメージを受けるだけなんですけど」
「しかたな、動きました。私たちも追いますよ」
尾行されているとも知らずご機嫌な様子で歩く男爵令嬢と伯爵令息を追いかけた。
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ヘレン・アドリア嬢は今まであった数々のイベントと違い、実におとなしく、まったく一般的に祭りを楽しんでいるように見えた。
露店を覗きこみ硝子のアクセサリーに目を輝かせる。川の水面に浮かぶ硝子球を指さし笑う。走り抜けようと転んだ子供を立ち上がらせあやす。通りに広げられた油絵に足を止める。呆れたようにため息をつく友人の手を引き飴細工を差し出す。
「……なぁんかわかりませんねぇ、スーラ様。いたって普通のお嬢さん、というかかなり素行の良い部類にも思えますが」
「妙ですね……普段なら隙あらば何らかのトラブルを起こす子なのですが」
「そんな風には……どちらかといえばほぼ丸一日使って学生二人のストーキングをしている私たちの方がどう考えても不味いんですがぁ」
「今更過ぎますわ」
とうに昼を過ぎ、時間は祭りの終了、午後5時をもう間もなく迎えようとしていた。
丸一日使ってまるでお嬢様口調が板につかない私も私だが、彼女の彼女だ。アドリア嬢は彼女がアクティウム学園に来てから最も静か、かつ無害に過ごしていた。いつもこうであれば私たちの日常は平和で穏やかであろうにと歯噛みせずにはいられない。
このまま一日終わってもおかしくはない。
もしかしたら彼女はあの日記に書かれた内容に従うのをやめたのかもしれない。
悪役令嬢だとか、ヒロインだとか、ハッピーエンドだとか。そんな夢物語をなぞろうとするのではなく、一人の男爵令嬢としてこの国の祭りを楽しんでいるのかもしれない。
「このまま何も起きなければ私はあなた様とデートしただけになりますねぇ」
「何も起きないに越したことはありませんわ。このまま祭りを終えられるならあなたには何かお土産を買ってあげましょう」
「それよりヒューイの奴に何か土産でも買ったらいかがですかぁ?あいつは祭りには一切参加せずひたすら護衛ですし」
「最高の提案ですねブロンクス」
「お褒めにあずかり光栄ですよお嬢様」
夏といえど午後5時も近づくと西の空はほんのりと橙に染まってきていた。
祭りの最後は音楽隊の行進で飾られる。王宮の方面から華やかなラッパの音が聞こえてきた。終了の時間まではまだ少し時間はあったが肩の力が抜けた。
しかし隣にいたブロンクスは弾かれたように顔を上げた。
「どうしました、ブロンクス」
「……お嬢様、後方で発砲音がしました。聞こえていない者が多いため騒ぎにはなっていませんが、おそらく楽隊に合わせて発砲したのかと」
「行きなさい。あなたしか気づいていないのなら向かうのはあなたの仕事です」
しかしブロンクスは逡巡した。今日任された仕事は他の護衛隊や警備隊と違い、私一人を対象にした護衛。それも公私混同ともとられかねないが父上、現王から直接指名され下された命であった。
「ですが、」
彼の様子を見て懐中時計のつまみを回した。
「ブロンクス、私の時計はもう午後5時です。そのため私はあなたに任務の完了を告げます。あなたの本日の業務はただいまをもって終了した。今からあなたが何をしようと自由だ」
「シャングリア様、」
「行きなさい。不安なら近くの警備隊に情報共有し現場を特定し、対応にあたったのち私のところに戻ってくるように」
「……申し訳ありません。あなた様はそこから動かないで。御身を最優先してください」
それだけ言うとブロンクスは人波を潜り抜けあっという間に姿を消した。