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可惜夢の客人 2

 一緒にされたくない、なんて俺の我儘だ。

 一度うっかり殺しかけた相手に対してどんな物言いだと言われてしまっても仕方がない。それでもふつふつと腹の底で湧く苛立ちは、そう簡単に収まりそうになかった。

 理不尽だという自覚はある。それでもまるで仲間だと、同類だと思われるのは耐えきれなかった。



 「俺は違う」

 「え?」



 驚いたような瓜子すずめの声で、心の声が口から漏れ出たことを自覚した。しかし一度出た言葉はもう戻ってこない。

 一緒にされたくない。そう思いながらも、言うつもりはなかったのだ。理不尽だと自覚している。彼女が悪いわけじゃない。


 ただ、俺の運が悪かっただけだ。



 「……俺は、違う。あんたとは違う」

 「…………どんなところが違うの?」



 ティーカップを置いて、彼女は静かにそう聞いた。

 怯えも戸惑いもなく、俺の言葉だけを待つようなその姿に、飲み込もうとしていた言葉がこぼれだす。



 「俺は、あんたみたいに恵まれてなかった」



 言うつもりなんてなかった。

 言ったところで、何も変わらない。言われたところで彼女にはどうしようもない。

 誰も救われない、誰も喜ばない。



 「俺はあんたみたいに、機会も与えられなかった、ただのモブ。ただの背景で、舞台の小道具だ」



 口にしたところで、ただただ俺が惨めになるだけだ。



 「俺は、あんたとは違うんだ」



 こんなの、羨望の裏返しだなんて、考察するまでもない。

 惨めで、駄々っ子のようで。それでも、彼女の明けの空のような瞳を見ていると、汚されることのなかった白い肌を見ると、何もかもぶちまけて、この惨めさとともに彼女のことを微かでも傷つけたくなってしまった。



 「どんなところが違うのか、教えてくれる?」



 すべて借り物の姿をして、女主人公の姿をして、そのうえで役割を全うできなかったみっともない彼女のことを、薄汚い惨憺たる泥濘に引きずりこみたくなるのだ。


 借り物の姿で謳歌するくせに、まるで聖女か何かのように、俺の言葉を受け止めようとする彼女を、汚泥に突き飛ばして、嘲笑いたくなるのだ。

 自分の方がまだましだと、思いたくて。



 「あんたは恵まれてた。あんたはこの国に生まれた。豊かで穏やかで安定したこのグナエウス王国に」

 「うん。そうだね。この国に生まれて、私は幸せだよ」

 「なのに俺は、ボンベイに生まれた。不安定で、外部には栄華を装いながら、常に紛争が、暗殺が絶えない国に生まれた」



 生まれる場所を、親を、子供は選べない。

 そんな言葉を生前どこかで聞いた。けれどその本当の意味を知ったのは、自身が死に、そうして生まれた時だった。



 「あんたは幸せな国で、少なくともこの年まで生きることが約束されてた。俺は不安定な国のモブで、いつ、どこで死んでてもおかしくなかった」

 「そっか、ここまで君は、大変だったんだね」



 目も逸らさない碧眼に、唾を吐きかけたくなる。

 けれどその瞳に映る自分の顔を見たら、余計情けなくて、泣きたくなった。



 「ゲームが始まるまで、いや、この時まで君はずっと、必死で生きてきたんだね」

 「そうだよ! あんたとは違ってな!」



 その顔をやめろ。その目をやめろ。

 俺の言葉をぶつけられても決して汚れない、ぶれない。そんな顔をやめろ。

 他人様の目で、髪で、顔で、まるで自分自身のように振舞う、その悍ましさを知れ。その醜さに直面しろ。


 無様な俺を受け止めようとするような、その顔をやめろ。

 腹が立って、仕方なかった。苛立って、ムカついて、吐き気がする。

 女主人公そのものでもないくせに。



 「なんで生まれ変わってまで俺は、苦しまなくちゃいけなかった。同じような境遇のあんたは、労せず主人公に成り代わって、ぬくぬくと生活してたのに! 俺は誰でもないただのモブになって、いつ死んでもおかしくない状況に怯えて、騙して、すり寄って、必死で生きなきゃならなかった! なんでっ」

 「ソ……そういちくん、」

 「いきなり焼け死んで、いきなりクソみたいなところに生まれさせられて、」



 初めて、目の前の女が動揺をあらわにした。

 目を見開いて微かに口を開いて硬直する。ようやく、この女の心に、傷をつけられた気がした。



 「そうだよ、俺は焼け死んだ。訳も分からず、いきなり」

 「……え、」

 「大学生だった。3年生の、インターンだった。インターン先の会社で雑務をしてた。小さい出版社の、編集部。子供のころから写真が好きで、不況ってわかってても、写真雑誌にかかわりたかった。少しずつ実績を積めたらって、そうやってインターンに行った」



 今でも鮮明に思い出せる。

 冬だった。大学3年の冬。小さな出版社でインターンをさせてもらってた。年季を感じさせるビルでも、俺には憧れの場所だった。


 その日は朝からよく晴れていて、口か出る息は白くて、空気はとても乾燥していた。会社の暖房は点検日で、社員たちが古いストーブを持ち出していた。古びたストーブは映画や漫画の中でしか見たことのない形でまじまじと俺が観察していると、ジェネレーションギャップがどうとかと笑われた。

 鼻につくガスの匂いにもすぐに慣れ、俺は社員に指示されるまま倉庫へ資料探しをしていた。

 古い雑誌のバックナンバーを集め歩いていると、ふと倉庫内が暑いことに気が付いた。

 この倉庫と言えば社内でも一二を争うほど寒いのだと社員たちが笑い話のようにしていた倉庫だ。そのために社内だというのに手袋までしている。いくら良く晴れていても、日焼け防止のために窓も何もないこの部屋では寒いはずではないのだろうか。携帯で天気を見ようとポケットに手を突っ込み舌打ちする。今日に限って携帯をデスクの上に置いてきてしまった。タイミングが悪い。


 バックナンバーを集め終わり、俺は倉庫の外へ出ようとした。

 扉の方が暑いことに気づいて、社員たちがストーブを焚きすぎていると思った。

 そう思ったのだ。


 扉を開けた瞬間、赤が溢れた。


 悲鳴も、きっと上げなかったと思う。

 目の前は鮮やかな赤に塗りつぶされ、そうして俺も倉庫の赤に包み込まれた。

 きっと目が焼けたのだろう。あとは真っ暗で、ただただ熱を感じた。

 声を上げることも、呼吸をすることもできず、俺は灰になった。



 「バックドラフトだったんだろうな。本当に運が悪かった。たまたま俺がその会社を選んだ。たまたま天気が良かった日にストーブを使った。たまたま火事が起こった。たまたま倉庫にいたから俺は気づくのが遅れた。たまたま手袋をしてたから扉が開けられてしまった。……それでたまたま生まれた国が悪かった」

 「きみは……」



 初めて彼女が泣いた。傷ついて、涙した。

 明かな動揺に気分がスッとする。受け止められる気でいたのか。どんなことを話されても、許容できるとでも思ったのか。矮小な人間だと思い知ったのか。俺を同類として扱うことの間違いに気が付いたのか。


 惨めで、いまだ癒えない傷がじくじくと痛んでも、それでも俺は勝ち誇ったような気分になった。



 「丸本、聡一くん。……君はあの日、助からなかったんだね」

 「……は、」



 涙を流しながら、彼女は俺を見た。揺れる瞳の中、俺の虚を突かれた顔が映る。

 彼女は今なんと言った。あの日、あの日だ。まるで、何か知っているような、心当たりがあるような。

 勝ち誇った高揚感は割れた風船のように一瞬で萎み、鳩尾には氷の礫を詰め込まれるような冷たさが広がった。


 考えたくもなかった。考えもしなかった。

 あの涙は、自分の至らなさに傷ついたものじゃない。あの動揺は、自分の間違いに気が付いたからじゃない。



 「写真部のインターンに来てた、大学生の男の子。丸本聡一くん。インターン生なんてめったに来ない職場だったから、覚えてる」

 「あん、た」

 「私のいる文芸部には1度挨拶に来ただけだったけど、珍しいから」



 純粋な悲しみ、共通点の驚愕。



 「文芸雑誌編集部の瓜子すずめ、です。君はきっと覚えていないんだろうけど」



 あの出版社の他部署の社員。



 「辛かったよね。怖かったよね。私だって、熱かったし痛かった。苦しかったし泣いちゃった。……君はもっと怖かったよね。苦しかったよね、辛かったよね」



 瓜子すずめ。

 あの日、同じ火に、別の場所で生きたまま焼き殺された者の一人。



 「……悲しかったね、悔しかったよね」



 浮かぶ涙は、年少者を憐れみ悲しむそれだった。


 言葉を失い、俺は膝から崩れ落ちた。

 ぐちゃぐちゃになった顔で、彼女が慌てて駆け寄り、俺をソファへと座らせる。俺は、礼の一つも言えなかった。目を合わせることもできなかった。

 それでも彼女は窘めることも呆れることもなく、泣きながらただ俺の手を握っていた。

 泣いているのは自分の方のくせに、まるで小さな子供を宥めるように、落ち着かせるように。彼女は俺に「苦しかったよね、辛かったよね」と囁き続けた。

 薄汚いのも能天気なのも、安っぽいヒロイズムに浸っているも、思い知ったのは俺の方だった。




 「取り乱してごめんねぇ……もう中身はおばちゃんなのに」

 「いえ……」



 ようやく泣き止んだ彼女は目と鼻を赤くしたままヘラリと笑った。自虐のような言葉だが正直人生2周目の俺にもしっかり刺さっている。いい歳していつまでも悲劇のヒロイン気どりしている俺の中身はすでに40手前だ。今まで2周目の人間が周りにいなかっただけに、突然目の前に突きつけられる現実に立ち直れる気がしない。



 「あの、俺の方こそ本当に、本当に申し訳ありませんでした。何も知らないで、馬鹿みたいに偉そうなこと言って……」



 砕けた膝で絨毯の上に膝を詰めて頭をこすりつける。いわゆる土下座だ。俺の知る限りで一番の謝意を伝える姿勢であり、同郷の者にしか伝わらない伝統的な謝罪方法。

 きっともっと、ちゃんとした謝罪の方法がある。俺の頭なんて安いものだ。土下座自体に価値なんてない。もっと他に言うべきことがきっとあるし、もっとふさわしい謝罪の言葉だってあるだろう。けれど社会に出たことすらない俺には、この場でもっとも反省を表すことのできる何かを持っていなかった。



 「そ、そんなそんなそんな! こ、こっちの方こそ本当にごめんなさい! うちの社員の不注意のせいで未来ある若者の命を無駄に散らしてしまい……本当に、許されることじゃないし、言葉を尽くしてもあなたの救いにもならないだろうけど。……もうどこで何をしているかもわからない、うちの社員たちの代わりに謝らせてほしい……。本当に申し訳ありませんでした」



 自分の方こそその社員の不注意で若くして焼き殺されたというのに、彼女はまるで自分自身が焼き殺したような思いつめた顔で頭を下げた。これがどこかの企業に所属する、ということなのかもしれない。けれど今は個人の話だ。



 「俺は、あなたに嫉妬してました。羨んでました。……幸せそうで、楽しそうで」

 「だから、私がオークションの商品になるように仕組んだの?」

 「……半分は、そうです。もう半分は、あなたなら騙せそうで、捕まえるのも簡単だろうと思ったから、です」

 「ふふふ、そっか。そう見えるよね」



 軽く笑った彼女から目を逸らす。

 その理由が本当にすべてだった。

 ニコラシカならきっと誰が攫われても、関わりだしたら助けにどこだって向かうだろう。要するに誰でもよかったのだ。


 オークション会場から果敢に逃げ出そうとするような自信と力がなく、お人よしで誰の話でもとりあえず聞いてしまい、力が弱く、押しにも弱い、そんな人間なら男女問わず誰でもよかった。


 ヘレン・アドリアが手頃だったのだ。


 彼女がギャルゲの中のサポートキャラクターだろうと、当初はあたりを付けていたが、彼女はこれといって役には立たなかった。特に有益な情報ももたらさなかったのだ。精々シャングリアとの共通の話題として振るくらいだろう。それでも切らなかったのはシャングリアに寄り添う人間として、ニコラシカを王配にしたときに使えると思ったからだ。でもそれは別にパトラ・ミオスでも構わなかった。

 だからあのオークションイベントのとき、多少雑に扱っても代えはいるし、ここで使ってしまおうと思ったのだ。シャングリアが指摘した通り、シナリオ上オークション出品キャラクターは死なずに救出されると思って。

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