疾走エスケープ
やあやあ皆さんごきげんよう。素敵で無敵な第二王子シャングリア・グナエウスです。
数か月前、私は王宮の庭で一冊のノートを拾う。なんとそこには未来のことが書かれていた。どうもこの世界は”ぎゃるげ”なるものの世界らしい。そしてその世界の主人公は隣国ボンベイの第三王子、ニコラシカ・アレクサンドロヴィチ・ボンベイだという。留学生としてグナエウス王国に来た彼はこの国の令嬢たちと愛をはぐくんだりなんやかんやして結婚したりするというのだ! 令嬢たちみんな婚約者いるのに! 攻略対象が基本婚約済みって不健全過ぎない? しかも攻略対象の中に私がいるんだけど。一応第二王子ぞ? 王女だって言うのは国家機密だぞ? しれっと私を数に数えないでほしい!
どこかで聞いた話だね! 私もそう思う! ノートの中を見た時の私のやっちまった感、半端ない。
なんとしても誰も攻略させず、おとなしくボンベイにお帰りいただきたい! と、東奔西走していましたが、先日状況が一変。
日記の持ち主は留学生のうちの一人、ソーヴィシチ・マルロフ伯爵子息だったのだ! しかも彼の目的は第三王子を私と結婚させ、王配とすること。そのために王位継承権第一位の兄、シュトラウスの殺害まで試みる外道っぷり! 人殺しに対するフットワークが軽すぎる!
しかしそれを先回りした私とシュトラウスの手により未然に防ぎ、襲撃者たちも騎士団が恙なく制圧した。グナエウス王国の大勝利である。
さて変わった状況。
このまま彼らを国に返しても普通にまずい。
ニコラシカは継続して命を狙われつつ、盛大にやらかしグナエウス王国と一触即発となる火種を撒いたソーヴィシチは処刑一択ではないだろうか。
要するに軽々に返せないのだこの問題児たち。
留学期間は間もなく満期。
私たち一体どうしたらいいのー!?
さてここで我らの賢い兄上に丸投げである。
そんなこんなで迎えた衝撃の事実から翌日。私とシュトラウスは来賓専用の屋敷まで赴いていた。午後1で父、グナエウス王国現王と謁見のアポがとってあるためそれまでに今回の一件に関する口裏合わせと、今後ボンベイ一行がどうしていくかという方針を確定していく必要がある。
「さあ、一晩明けたがよく眠れたかい?」
「おかげさまで、問題ないよ」
よく眠れた、とは言わないニコラシカ。もっともよく眠れているようには到底見えなかったが。ニコラシカはいつも以上に顔が青白いし、ソーヴィシチの目の下にはくっきりと隈ができている。眠れるはずがないだろう。二人とも生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ。生きたとしても、国に戻れば地獄であることは変わりない。
「まあ眠れても眠れなくてもやることは変わらないけどね。まずソーヴィシチ・マルロフ。生きるか死ぬか、覚悟は決まったかい?」
「……いえ、どちらでも構いません。死ぬ覚悟はできています。しかし生きることでできることがあるなら、生きていくこともできます。僕はシュトラウス殿下の決定に従います」
「ははは、昨日と比べると随分とお行儀がよくなったね。いいのかい、君の一つしかない命を僕に預けてしまって」
「ええ、あなたの一つしかない命を奪おうとした僕なので」
生きるも死ぬも、と死にそうな顔つきで答えた。
この場にいるメンツは昨日の時計塔の小部屋と変わらないが、改めて見ると、殺そうとした人、殺されそうになって嵌めた人、幸福を願われながら死んでもいいと思ってる人、というだいぶカオスなメンバーだ。特に殺そうとした人であるソーヴィシチからすると気まずさは想像を絶するだろう。ここにいるだけで死にたくなっていそうだ。
「端的に言うと、二人には生きていてもらおうと思う」
「……良いんですか? 生かしておいて」
「ああ、だがいずれは”生かしておいて良かった”と思わせてほしいところだね」
憔悴した表情でソーヴィシチはシュトラウスを見るが、驚いたような様子はなかった。
グナエウス王国の傾向として、現行犯逮捕の際に死亡してしまうようなことはあれど、死刑は基本的に行わない。軽度なら罰金程度、重度でも収監と労働くらいだ。それに私たちはまだ学生。留学生を処刑するという判断を下すのはあまりに重すぎる。本来であれば裁判により刑罰は確定するが、あいにくと今回は私たちの手で真実を作り上げることとなるため、着地点まで考えておく必要がある。
何よりシュトラウスの性格だ。今回の件も襲撃されることを知っていながら避けるのではなく、利用してボンベイにさらなる借りを作ることとした。そんな彼がただソーヴィシチが死んで終わり、なんて短絡的な終結を選択するとは考えにくい。
「……僕らをどう使う? 正直今の僕らには大した価値も影響力もない。けれどあちらに戻ったところで僕もソーヴィシチも殺されて終わりだ」
「繊細な顔してる割に、結構面の皮が厚くて安心したよ。それくらい図太くいてもらわないと」
「兄上、物言いが。面の皮の厚さはここにいるみんな同じくらいなものですよ」
大概、面の皮が分厚い。面の皮の厚さは処世術なのだから。他国の王子に対して無礼すぎる物言いだが、一番に苦言を呈しそうなソーヴィシチはさすがに口を噤んでいる。殺人未遂までしたくせに言葉選びに文句を言えるはずがない。
「まあニコラシカ殿下の想像通り、二人には当初の留学期間を超過してグナエウス王国に滞在してもらう。ボンベイ王国には帰国せず、ほとぼりが冷めるまで留学を継続する。今回ある程度打撃を負うだろう第二王子派の勢力の様子も見つつ、殿下にはグナエウス王国とボンベイ王国をつなぐ太いパイプになってもらう」
「太いパイプ、というと。……半ば亡命という形になる僕が、グナエウス王国に見返りとして手渡せるものは何もないが」
「見返りは未来だ。あなたの将来を見返りとしろ。自分との繋がりは有益なものと見せかけ、この国の人間と関係を結び、投資させるといい。その投資はボンベイに帰った後の資産となり。それをもとにボンベイで確固たる地位を築くことが、グナエウス王国の者にとっての見返りとなる」
いつもより毅然としていたニコラシカの眉が微かに困ったように下がった。おそらく、シュトラウスの要求が今までの彼からすると困難であるから。
ニコラシカには闘争が向いていない。自分を大きく見せることも、支配階級として振舞うことも彼は好まない。もっとも好まない、なんて言葉で済む立場では本来ないのだ。それでも逃げ続けることができていたのは今まで周囲からそう振舞うことを要求されていなかった。要するに利害が一致していたからだ。
しかしグナエウス王国はでくの坊などいらない。血筋も地位もあるだけでは意味がない。使ってこそ価値があるのだ。
「ニコラシカ殿下あなたはもう逃げられない。生き残るためには戦わなくてはなりません。あなたに用意された道は二つ。ボンベイの第一王子、第二王子を排し、自身が王位に即位するか、即位した王が軽々にあなたを排除できないくらい、重要な人物になるか」
もともと逃げ出せる立場にはないのだ。
好きで王族に生まれたわけでも、王位継承権を持っているわけでもない。けれど生まれたからには戦わなければならないのだ。それこそ、グナエウスのように兄妹仲がよく王位継承になんの憂いもないなら別だが、彼ら三兄弟はすでにこじれにこじれている。もはや第一王子第二王子のどちらかに取り入るなんてことは望めない。歴史を見る限り、争うことがボンベイ王家の宿命なのかもしれないが。
「あなたがどちらかを達成できれば、それだけで私たちのメリットになります。あなたは力を尽くしてそれを目指し、それを前提とすることで自分を売り込み、貴族たちに投資をさせてください。あなたとつながっていることは、いずれ大きな利益につながると思い込ませてください。そう思われることが、あなたの価値、力になります」
「貴族とのつながりなど、煩わしいものと思っていましたが。……それを利用するべきなんですね」
隣にいるシュトラウスが鼻で笑ったのを視線で諫める。
改めて思うが、この第三王子は本当に今まで放置されていたのだろう。最低限の教育だけは受けているが、振舞い方や政略、情報戦、そういったものと縁がなかったように思える。だからこそ、身の守り方すら知らない。
「貴族のつながりは、確かに利益を求めてのことです。恩を売り売られ、貸しを作られ作ります。けれど利に群がる者は利を得るためにあなたを守ってくれます。あなたにそれだけの価値があると、投資するに値すると思えるならば。あなたは身を守るために、自分の価値を見せつけてください」
「お綺麗な生き方なんてできない。生きていたいなら清廉さはベッドの中にでもしまっておくと良い。世の中は利で動いている。正直は利の基盤となり、気風の良さは広告となる。親切は恩を着せ、良い付き合いは相手を縛る契約になる。嘘や裏切りは利の崩壊を意味して、生きていく道は閉ざされる。だが嘘とばれない嘘は嘘ではない。誠実である必要はない。だが誠実なふりをすることは必要だ」
この、甘ったれた第三王子のことを、あまり嫌いになれなかったのは、私たちがこうだからだろう。一方のシュトラウスは、その人柄を少なからず嫌悪しているようだが。
困ったような戸惑ったような、無力を装うこの第三王子は、そうして少しばかりの味方を作り、多くの敵を作ってきたのだろう。強欲に生きて、シンプルな純粋さなど捨ててきた者にとって、彼は守りたくも、壊したくもある。そこだけは、ヒロインであるアドリア嬢と少し似ていた。
黙りこくっていたソーヴィシチが、ニコラシカを見据えた。
「殿下、あなたはただ生きていてください。あなたがしたくないことは俺がやります。あなたが見たくないものは俺が見ます」
「……ソーヴィシチ、その結果がこれだ。わかるだろう。逃げるのはもうおしまいだ、僕は見るべきものを見る必要がある。考えるべきことを、考える必要がある」
「そうです。だから一緒に、戦いましょう。もう俺は、あなたをただの人形にはしません」
ソーヴィシチの目はもう死んでなかった。泥水啜ってでも生きてやろう、生かしてやろうという意地を感じさせる。
「俺はどんな手段も問いません。目的のためなら方法を選びません。あなたが生きるのに必要な道を俺は探して用意します。けれど決断するのはあなたであってください。殿下は謀略を考えるのには向いてません。でも俺は得意です。俺には誠実さや正直さはありません。けれど殿下には誠実や正直さ、地位や血筋があります。あなたは基本清廉な王子殿下であってください。綺麗汚いではなく、ただ向き不向きとして、俺のことを使ってください」
「ソーヴィシチ……」
「俺は今回失敗しました。盛大に。取り返しがつかないほどに。敗因は驕ったこと、自分の作戦への自信が過剰だったからです。しかし考え方を改めます。俺は馬鹿で視野が狭い。だから俺はもう一人では考えません」
「……ああ、これからは」
「これからはシュトラウス殿下やシャングリア殿下に相談します」
「え、」
「えっ」
綺麗な笑顔で振られ思わず変な声が出る。基本パトラさんのこと以外では動じないシュトラウスでさえ変な声が漏れる。そしてこれからは手を取り合って協力していく、なんて言葉を吐こうとしていたであろうニコラシカは目と耳を疑っていた。いや実際そういう流れだと私たちも思っていた。
「え、ここは僕と一緒に考えるとか相談するとか、そういうのじゃ」
「いえ、殿下そういうのは向いてないですし。向き不向きの話ですよ」
戸惑うニコラシカをばっさり切り捨てるソーヴィシチに言葉もない。
「俺なんかよりシュトラウス殿下たちの方がはるかに頭が良いですし、積極的に頼っていきたいです」
「お前……殺そうとしてた相手に対して……遠慮のなさと面の皮の厚さがえげつないな」
さすがのシュトラウスもドン引きである。切り替えの早さはある種の美徳だが、面の皮の厚さにびっくりである。つい10分前までは自殺しそうな勢いでへこんでいたというのに、もうピカピカの作り笑顔である。
「使えるもんは使え、ですよね。何より先ほどの話からして、ニコラシカ殿下の最大の投資者はお二人でしょう?」
ならば積極的に投資していただきたく、と笑うソーヴィシチはなるほど確かにこちら側に向いていた。
人を人と思わないのが今回の失敗だったが、人と人と思わないのが本来の彼の強みなのだろう。ソーヴィシチにない良心をニコラシカが補い、ニコラシカにない謀略をソーヴィシチが補う。正直どちらも程度が突き抜けているため、バランスが良いと言えば良い気がする。
「俺たちを生かしておくことが、お二人にとっての投資です。投資したからにはニコラシカ殿下から利を回収を目的としています。それならばうっかり殿下や俺がやらかしそうになったときには口を出してくれるはず」
「今まで一人で抱え込んでたぶん突然人に聞投げ出し始めましたね」
「駄目ですか?」
「いや、好き勝手やられるよりはるかにましだ」
開き直り具合に一抹の不安を覚えないが、いつまでもうじうじとされていては話しが進まない。ニコラシカはおそらくまだまだ引きずるタイプなので、ソーヴィシチには積極的に動いてもら必要がある。おそらく、ソーヴィシチはもう馬鹿なことはしない。ソーヴィシチが居なければこの不安しかない第三王子は一人でやって行かなければならないのだから。今後のことをニコラシカ一人で乗り越えられる、とは彼も思っていないのだろう。彼を一人にしないために、ソーヴィシチは死に物狂いで頑張ってくれることだろう。
「ストラースチさんはどうしますか。今まで話に出てこなかったということは、彼は今回のことに関与されてないと思うのですが」
「僕から話すよ。そのうえで、ストラースチもグナエウス王国に残るのか、それとも帰るのかを選ばせる。彼の家は僕も兄たちも押していない中立派。実家を裏切ったソーヴィシチと違って国へ帰るという選択肢もある。全部話したうえで、今後の希望を聞くよ」
なんとなく、ストラースチは残るのだろうな、と思った。多分、ストラースチは戻っても問題はないのだろう。それこそ様々な詰問をされるだろうが、中立派の貴族の息子であれば暗殺等の心配はおそらくいらない。自分の命が可愛ければ余計なことを漏らすこともないだろう。
「わかった。留学期間の延長については父に話を通しておく。だが実際の延長願いや事情の説明は改めてニコラシカ殿下にしてもらう。それでいいね」
「ええ、迷惑をかけ続けて申し訳なかった」
「本当にな」
ひとまず対応は決まった、ということでシュトラウスが早々に立ち去る。それを追おうとして一つ言い忘れていたことを思い出した。
「ソーヴィシチさん。言い忘れてましたが、アドリア嬢に謝っておいてくださいね。今回関係なかったはずなのに巻き込まれたんですから、その説明はちゃんとするように」
「ええ、わかりました。彼女にも本当に理不尽なことを」
「あなたの日記を拾った時、中身を彼女にも見せたので彼女も事情は知っています」
「え、は……は!?」
目を見開いてソファから立ち上がりかけたその表情に、爆撃が成功したことを確信して私は部屋から出た。途中から随分と余裕たっぷりになって腹立たしかったのだ。言い逃げてしまえばどれほど彼が悶々とするだろうか。アドリア嬢に彼が謝りに行く前に、ことの顛末も彼女に伝えたほうが良い。それと私たちのことをこれでもかと心配してくれたパトラさんにも。きっと彼女はこれからも、私たちの力になってくれようとするだろうから。
そして何よりヒューイさん。ニコラシカにまとわりつかれたせいでヒューイさんとの時間が減ってしまった。なんとしてもそのブランクを取り戻さなければ。
どこにデートに行こうか、なんて言えばついてきてくれるだろうか、どうやってこれから外堀を埋めていこうか。明るい未来を夢見て足取り軽やかに屋敷から出た。
男装王女と天然王子による恋愛大戦争、これにて閉幕である!




