王子様は幕を引く 5
「ソーヴィシチ……君はなんてことを……」
「な、んでニコラシカが、ここに……」
「あなたはこの時間に私とニコラシカ殿下を鐘撞小屋に来るように言った。私と殿下は示し合わせて午後4時に鐘撞小屋に集合。それから鐘撞小屋が見えるこの時計塔であなたのことを待ち伏せしてたんです。こんな重要なこと、私ひとりで聞くわけないでしょう」
喘ぐように聞いたソーヴィシチに答えないニコラシカの代わりに淡々と返事をしてやる。
正直なところ、ここにニコラシカを連れてくるかは迷った。
別に私ひとりで聞いてもいい。答え合わせ自体は可能だし、ニコラシカがいたからといって何か期待できることもなかった。なにより私は一応ギャルゲなるものの世界だと彼が思っていることは知っていたが、ニコラシカは違う。混乱させすぎれば話が進まなくなる可能性がある。けれどニコラシカは一緒に来ることを望んだ。自分に対してだけなら、きっとソーヴィシチは取り繕って見せるし、自分にそれを暴くだけの気の強さも自信もない、と言って。
その結果ソーヴィシチは私に対してありのままを話した。取り繕うことは早々に諦め、詳らかに。そして転生の話が出てもニコラシカは大きく反応することも、部屋に突入することもなく、ただただ静かに、扉の外で私たちの話を聞いていた。
「自分が何をしでかしたのか、わかってるのかい……?」
「あ……ちがう、違うんだ」
「違う? 何か彼に話したことに間違いがあったなら言ってくれ」
「……違うんだ、ニコラシカ、でも俺は、ただお前を、」
真っ青になった顔で、ただ違う、という言葉を繰り返すソーヴィシチ。ニコラシカは辛抱強く、彼の話を聞こうとしたが、ついぞ、何が違うか、という言葉は出てこなかった。
否定したかったのだろう。ニコラシカの失望を、衝撃を。いつものように大丈夫だって、それを払ってやろうとした。それでも、払える疑念などない。すべてが事実で、たった今、そのすべてを話してしまったのだから。
「ソーヴィシチ、君はシュトラウス・グナエウスを殺そうとした。ボンベイとグナエウスが戦争になる可能性も考えたうえで、君はボンベイの仲間にシュトラウス殿下を殺させようとした。……いや、君の口ぶりからすると、殺したのかな」
「…………、」
「黙っていてはわからないよ、ソーヴィシチ」
たった今、衝撃的な話を聞いたというのに、ニコラシカの言葉は凪いでいた。ソーヴィシチを責め立てるでも詰るでもなく、ただ悪戯をした我が子から理由を聞き出そうとする母親のような穏やかさでソーヴィシチに尋ねた。
「君は、すべて僕の幸福のため、と言ったね。そのためにグナエウス王国へ来る必要があった。ボンベイから逃げ出すために、僕が王配になることを企んだ。そうだね?」
「ああ……そうだ、それしかないと」
「君とは、子供のころからずっと一緒だった。君が、マルロフ伯爵から僕を殺してくるよう命令された日から、君は僕を暗殺しようとするふりをしながら、傍にいた。……君から見た僕は、数多の犠牲の上の安寧を望むような奴に見えたのかい?」
「ち、がう、お前は喜ばない……でもお前が何も知らなければ、俺がただお前を裏切っただけ、勝手に両国を戦争を始めただけ、お前はただ被害者でいられた……」
「僕は、何も知らず、疑問に思わず、君のことをまるで疑いもしない、そんな風に見えてたみたいだね」
「…………」
今度こそ、ソーヴィシチは返事をしなかった。それが事実なのだろう。
そして実際、ニコラシカはソーヴィシチのいうことをすべて鵜呑みにしてきた。だからこそ本来王族であればありえないような行動を何度も取っていた。すべてソーヴィシチが指示を出したから、彼が大丈夫だと言ったから。なにより、大きな問題は確かに起きなかった。けれど疑問に思うには十分な時間があった。
ハラハラと涙が床に転がる。取り乱した風もなく、感情をコントロールしているように見えるニコラシカの涙だけが、耐えかねた悲しみを表していた。
「馬鹿だなあ、君は。見せしめとして僕も君も、殺されるとは思わなかったの?」
「……俺は殺されるだろう。でも王族のお前は違う。グナエウス王国側にも、もっと使い道がある」
「じゃあ僕が責任を感じて自殺するとは思わなかったの?」
「は、」
「すべての責任を負うために、僕が君を殺して、それから自害することだって、ありえる。そうだろう?」
ぞっと肌が粟立った。きっとただ見ている私だけじゃない、相対しているソーヴィシチもだろう。青い白い顔で硬直していた。
さっきから全く声のトーンが変わらない。けれど脅しやただの可能性の話をしているだけではないのがわかった。
もし戦争になるようなことがあれば、本気でそうするつもりなのだ。
ソーヴィシチは読み違えていた。というより、出会いを忘れてしまったのだろうか。
初めて会った時、ニコラシカが「殺されていい」と言った、と話していた。馬鹿なことをした部下を殺して自殺する可能性は予見できたはずだ。けれどソーヴィシチの思考からはニコラシカの人柄という前提条件が完全に抜けていた。きっとゲームの中のニコラシカは自殺などしそうにないキャラクターだったのだろう。
だがここはゲームの世界ではない。
「全部の僕のせいだね。君がこんなことをしでかしたのも、グナエウス王国の人たちが巻き込まれてしまったのも、全部僕のせいだ」
「違うっ、お前は悪くない! 悪いのはボンベイだ! 他の王子たちだ! 腐った貴族たちだ! お前は悪くない! ……今回だって、俺が全部悪かった。全部俺が考えて、それをお前にやらせた。全部、全部俺が悪かった……!」
「でも僕がいなかったら、君はこんな事せずに済んだ。そうだろう?」
「ちがっ……ニコラシカっ」
座り込んだままのソーヴィシチの前にニコラシカが膝をつき、突然ソーヴィシチの上着の中に手を突っ込んだ。そしてそのまま何かを探し始める。途端にソーヴィシチが尋常でなく慌て始める。
「ま、待てニコラシカっ……」
「どこだろう。君、持ってたよね。拳銃。オークションのとき使ってたし。警戒心強いから部屋の中に置き去りにするタイプでもないし」
あ、あった、と言う声を聞いてソーヴィシチが渡してなるものかとダンゴムシのように丸くなる。
「大丈夫だよ、ソーヴィシチ。最後まで友達といられる僕は、きっと幸福だから」
泣きながら笑うニコラシカにソーヴィシチまで泣きそうになる。
日が沈み薄暗くなった時計塔の中、泣きながらもみ合う男二人をただ眺める私の場違い感がすごい。
「君はシュトラウス殿下を殺した。君の勝手な幸福観のせいで、殺されてしまった。彼にもきっと大切な人がいただろう。輝かしい未来があっただろう。なのに君はすべてを奪ったんだ。自分の価値観しか信じず、身勝手に。命で償っても足りない。君の行動で、きっと数多の人が死ぬことになる。きっと君と僕の命だけじゃ足りない。でも差し出せるものなんてこれくらいしかないんだ。大丈夫。怖くないよ。一瞬だ」
「あー、ニコラシカ殿下。あなたがどういった道をお選びになるかわかりませんが、ここで殺害、自害するのはおやめください。遺体を運ぶのが大変ですし、事情を私しか知らないというのもまずい。別の者にも証言してからにしてください」
「……でも僕らが拘留されたら、自害する機会など与えないでしょう?」
「まあそうですね。監督不行き届きは避けたい」
こちらを振り向いたニコラシカの目が思った以上に据わっていて思わず目を逸らしてしまった。ここで死なせるつもりは私にもない。が、このまま強行突破される可能性が一瞬脳裏にちらついた。そうしかねないと思わせるような凄みがあった。
「もう日も暮れました。最後の種明かしに移りましょう」
「……たね、あかしって」
あっさりと退いたニコラシカをソーヴィシチからは唖然と見上げながら、再び開いた扉に肩を跳ねさせた。
「やあ、ソーヴィシチ・マルロフ。君が殺そうとしてた第1王子だよ」
「は……な、なんでここに……!?」
場違いなまでににこやかに入室してきたシュトラウスに、ソーヴィシチは後ずさろうとして壁にぶつかった。
襲撃を受けていたはずなのにこの時計塔にいるうえ、衣服に乱れも砂埃の一つもついていない。いたっていつも通りのシュトラウスがそこにいた。
「あはは、びっくりしてるね。ふふ、本当に僕が襲撃されてると思ったのか。面白いなあ」
「で、でも王家の馬車は出たはず……いや、視察は」
「ソーヴィシチ・マルロフ。君はここじゃあアウェイだよ。情報収集や情報操作をして襲撃したつもりかもしれないけど、そもそも君が掴んだ”ハボット伯領の視察”自体がフェイクだ。君が飛びつくと思って用意した、ね」
「な……」
「ちなみに馬車には僕の幼馴染の騎士が乗ってるし、周囲には騎士団の精鋭もついてる。奇襲ならともかくこちらは迎え撃つ気満々だからね。つつがなく捕縛させてもらったよ。こちらの被害はゼロだったって報告も受けてる」
いまだ幽霊を見たような顔をしているソーヴィシチを横目に一人安堵のため息を吐いた。
今回の件は結局、早々に兄、シュトラウスに相談したのだ。
闇オークションにニコラシカ、ソーヴィシチが来ていたことを、ブロンクスは王である父上に報告しなかった。あくまでもボンベイ王国の者が噛んでいるとだけ報告し、留学生二人の存在については私にしか伝えなかったのだ。
要するに、私のところでどうとでも片を付けることができるということだ。
放置しても良し、問い詰めても良し、握りつぶしても良し。正直なところ、この段階でソーヴィシチを押さえても良かった。
当初はあの日記をニコラシカのものだと思っていたが、あまりにも本人とキャラクターの乖離がありすぎたうえ、彼が演技しているようにも見えなかった。よくよく読み直してみればどこにもニコラシカに転生したとは書いていないのだ。そしてただあの日記の持ち主がボンベイの者であることは確実。なおかつニコラシカ以外で王配ルートを匂わせたりアシストしようとしたりする者はソーヴィシチだけだった。一緒に来たストラースチはニコラシカにべったりで、一人で私に話しかけてくることもない。けれどソーヴィシチはまるで根回しでもするように私に声をかけることが度々あったのだ。
そして極めつけは闇オークションの件。
アドリア嬢は攫われる数時間前、ソーヴィシチと話をしており、授業後の予定についても雑談の中で話したという。おそらく、ソーヴィシチはその予定を聞いてボンベイの人間に流し、アドリア嬢を攫わせたのだろう。しかもソーヴィシチは逃走する際スムーズにニコラシカとアドリア嬢を連れて逃げた。裏口を最初から知っていたのだ。そしてそのうえで銃で暴漢に発砲。あまりに用意周到すぎた。
そもそもアドリア嬢に何度も接触しているソーヴィシチは不自然なのだ。アドリア嬢は本来ただの男爵令嬢。確かに私から目をかけられていて、パイプの一つだと考えてもいいが、それならば公爵令嬢であるパトラさんに接触した方がよっぽど有益だ。ソーヴィシチはアドリア嬢が助っ人の男爵令嬢だとあたりを付けたからこそ何度も接触を試みていたのだろう。
私はアドリア嬢が攫われてオークションに出品されていたこと、ニコラシカとソーヴィシチが現場にいたこと、アドリア嬢が出品された原因はソーヴィシチである可能性があること、グナエウス王家自体に弓引く可能性があることをシュトラウスに伝えた。
そしてついでにアドリア嬢が巻き込まれたことから”誰が”巻き込まれてもおかしくない、と伝えたのだ。
「ていうことは世界で一番かわいくて未来が明るくてこの世の太陽と言っても過言でもないパトラも攫われたり事件に巻き込まれたりする可能性は普通の人間よりずっと高いわけだ」
「ソウデスネ。ソウオモイマス。シンパイデス」
そこからはもう早かった。
シュトラウスはパトラさんの守護神だ。いろんな意味で、ありとあらゆる危険をリスクを薙ぎ払うだけの地位と知恵と情報がある。
ボンベイ国内で後継者争いがあること、ニコラシカが疎まれていること、お供であるはずのソーヴィシチの実家は第2王子派であり、闇オークションから芋づる式に捕まえた関係者のうち複数人の暗殺者が見つかりそのどれもがターゲットはニコラシカであると話したことから、シュトラウスは今回の作戦を立てたのだ。
まず極秘の職務としてハボット伯領に視察に行くという偽の情報をソーヴィシチの耳に届くまで流す。そして実際に馬車や一行を用意するが、その中身は騎士見習いであるマートン、護衛部隊隊長であるヒューイさんをはじめとした精鋭部隊。
正直、シュトラウスにソーヴィシチが何かをするとはぎりぎりまで確信が得られなかった。しかしニコラシカ名義の手紙が来て確信を得た。
現状ではこれ以上イベントを進めたとして決して王配ルートには入れない。現王もシュトラウスも健在だからだ。だがイベントを推し進めるということは王配ルートの可能性を捨てていないのだろう、と推測した。そしてそのルートを迎えるため、それまでに何か行動を起こすだろう、と。
だからあえてシュトラウスは自分を暗殺しやすいシチュエーションをわざと用意した。それにソーヴィシチが便乗し、実家の雇った暗殺者を利用するだろうと推測して。
今回囮である馬車にヒューイさんを付けてしまったため、父の方の護衛は手薄になってしまっているが、決して父から離れないようにブロンクスに言い聞かせてある。そうでなくても、王宮にいる現王を襲撃するなどあまりに荒唐無稽すぎるのだ。実際、時計塔から見る限り王都で混乱は起きていないように見える。王宮で何かあれば大騒ぎになるのだ。ここから見てわからないわけがない。
シュトラウスの作戦通り、ソーヴィシチは王家の紋章のついた馬車を襲撃させた。しっかり対策をして待ち構えていた騎士団はつつがなく制圧し、危険な馬車の中にいたマートンもヒューイさんも大きな怪我はなかったのだろう。ヒューイさんの強さは折り紙付きだが、それでも心配しないわけではない。
ソーヴィシチは何から何まで、シュトラウスの掌の上で踊らされていただけ、という結果だった。
 




