ハボット伯子息事変
さてこんにちは、グナエウス王国第二王子のシャングリア・グナエウスです。
先日学園の人気者、男爵令嬢ヘレン・アドリア嬢と階段でエンカウントし、爆弾と言っても過言ではない日記帳を拾った。その日記帳にはなんとこの世界の未来が!何ともあほらしく下手したら一人の傾国によって滅亡しかねない未来が書かれていた。この国重鎮の息子たちが悉く、ヒロイン、ヘレン・アドリア嬢に誑かされ、悪役令嬢のパトラ・ミオス嬢は国外追放されるそうな。
そんなことさせない!とばかりに息巻いていたが息巻く必要もないただの夢見がちな令嬢だということが発覚。必死に誑かそうとし、悪役令嬢こと義姉上パトラさんに対し牙をむいているが可哀想なくらいうまくいっていないようだ。まあ当然である。いくら可愛いとはいえ、言ってしまえばそれだけである。貴族としての常識もあまりないし破天荒に振る舞う彼女は愛され上手の困ったさんだ。可愛くなければ許されない振る舞い、というのも考えるだけで恐ろしいが、その可愛さ故に許されている彼女もまた恐ろしい。可愛さは正義とはよく言ったものである。
ヘレン・アドリア嬢は愛らしい。陶器のような白い肌、その頬に指す桃色に誰だって一瞬惑わされる。一瞬だが。一目ぼれする人間はきっと後を絶たないだろう。だが家の地位が上がるだけで、恋心の芽生えは難しくなるだろう。どれだけ可愛くとも、愛らしくとも、傍若無人なふるまいをする令嬢を嫁にしたいと考える人間は少ない。少なくとも、彼女の持っていた日記帳に書かれていた重鎮の息子たちが誑かされるとは考えにくい。
最早彼女の求愛行動ともいえる突飛な行動は学園中から生温かい目を向けられる名物と化している。
そんな彼女の日記帳。私は未だ返せていない。
いや、どんな顔してこれを返せばいい?彼女としてはとんでもないものを落としてしまったという自覚はあるだろう。一刻も早く取り返したいと思っているはずだ。だがもしも私が彼女にこれを返したら彼女は心臓が止まってしまうだろう。その日記帳には私のことも書かれていたのだから。だがしかし、適当なところに放置して、他の生徒に見つかるようなことがあれば大変なことになる。もちろん、彼女以外にも重鎮や王子に取り入って玉の輿を狙うお嬢さん方もいるだろう。だが文字になるとまずい。非常にまずい。そういった野望は心の中だけにとどめておくべきだ。
そんなこんなで、彼女の日記帳という名の爆弾は今も私が持っている。
私が焼却処分なりすればいいという考えもなくはなかった。だが完全に日記が消えてしまうと日記がないという不安をアドリア嬢は永遠に抱えることになるだろう。私はその日記を円満に返却する方法を今も探しているのだ。
……断じて、断じて面白おかしいから読みたい、彼女の行動を先回りして阻止するなり備えるなりしたいとか、そういうことを考えているわけではない。
そんな傍から見ると面白おかしい彼女だが、先日より愉快な逆ハーレム要員を手に入れたらしい。
アークタルス・ハボット。辺境の伯爵子息。容姿端麗で頭脳明晰、冷静沈着な将来有望といえる男子学生だ。日記曰く、少々生真面目すぎており不愛想な性格に難がある。ヒロイン、ヘレン・アドリア嬢とは実は昔馴染みで幼いころ身分を隠してよく遊んでいた。そしてアドリア嬢が学園に来たことで運命の再会を果たす。以下、何のかんの障害があったりめくるめく桃色の日々があったりして相思相愛だのなんだのの関係だという。
彼自身は一応知っていた。目立つ生徒であるし、その有望さゆえに兄上も一目置いている。私個人で言えば、まあアドリア嬢がどこでどんな逆ハーレムを作っていても一向に構わない。アークタルス・ハボットとて成長してまとも領地を治めてくれればどんな女性関係を持っていても私たちに実害はないのだ。
だがしかし、苦い顔をするのはこんな優良物件を手玉にとれるならそれで我慢しておけよ、だ。他に手ぇ出すなよ。基本は一夫一妻、愛人もままあるが、逆はないよ、普通。多夫一妻制とかは流石に。さらに言えば、アークタルス・ハボットで満足してろ。兄上や私まで射程圏内に入れないでくれ。あとヒューイさんも個人的に。
最低限、私と身内、それから私の大事な人たちに手を出されなければ何をしていても構わない。義姉上、パトラさんに噛みつくのだって正直迷惑ではあるけれどたいした害にもならないため目も瞑っていられる。だが私たちまで食い散らかされては黙っていられない。
アークタルス・ハボットには悪いが、昔馴染みとして彼女の手綱をどうか握っていてほしい。いっそ彼が凄まじく重たくて兄上ばりにアドリア嬢を束縛してくれればいい。そうすれば頭痛の種が見事に消え失せる。アドリア嬢はハボット伯爵に嫁ぎ、すべて丸く収まるだろう。
もっとも、破天荒の代名詞ヘレン・アドリア嬢だ。そうは問屋が卸さないだろう。
と、思っている時期もあった。
「本っ当に申し訳ございませんでしたぁぁああ!!」
ゴッと風を切る音と共に全力で頭を下げている青髪の青年。
件の逆ハーレム要員、アークタルス・ハボットである。
彼の左手にはヘレン・アドリア嬢の後頭部。
何がどうしてそうなった、と隠すことなくドン引きしているのは私、シャングリア・グナエウスと義姉パトラ・ミオス嬢、in学園の玄関。
事の始まりはいつものことだった。偶然(多分)アドリア嬢と玄関で遭遇し他愛もない話をしながら以前彼女に流された、第二王子のシャングリア・グナエウスの好みの女性は「姉貴肌の色素の薄い、刀を扱うゴリラ」という不名誉極まりない噂の撤回をしていた。そもそもどんな勘違いの仕方だろう。ヒューイさんにこれを言われたときは、ヒューイさんは天然の申し子なのかと内心で血反吐を吐きながら地団太を踏んでいたのだが、もしアドリア嬢が本気でそう思い込んでいたなら彼女も相当だ。きっと彼女の頭蓋骨下にはお花が根を張るための空間があるに違いない。頭の天辺から咲く花。意外と似合うと思う。
そんなことを綺麗な笑顔の下にしまって、無難に適当に褒めながら彼女の話を聞き流す。と、いつものごとく彼女は失言した。いや、そもそもの話題が無礼の極みであるから失言に失言を重ねることになるのだが。天然娘ヘレン・アドリア嬢の最大の天敵、パトラ・ミオス嬢は彼女の失言を聞き逃すことがない。何故かいつもどこからともなく現れては「あらアドリアさん!」と、彼女の失言をツンデレ方式で注意するのだ。そこからはもう、一部の生徒をにやけで顔面崩壊させるスーパーツンデレタイム。もはや最近ではパトラさんの立ち位置はアドリア嬢のマナー指導員だ。そして相変わらず、ツンデレはアドリア嬢に通じない。額面通り、嫌味やただの罵倒として取ってしまうのだ。そんなこんなで恒例行事となりつつある、言葉のキャットファイトの開催である。天然×ツンデレ。平和な着地点などこの世に存在しない。
いつものように、彼女たちがヒートアップしている間そっと一歩離れたところでそれを私は傍観している。最初こそ止めていたが、あんまり多いので面倒くさくなってきた。それにどうせ脱線しまくって最終的に私のところに議題が投げられるのだ。しかもうまく答えられないような。調理されるのを待つ憐れな仔羊として、目の前のキャットファイトを眺めていた。
のだがそこに突然、アークタルス・ハボットが現れたのだ。どこから走ってきたのかすでに息を切らしていて、どこに向かうのかと思えば、目を見開かせてアドリア嬢の隣で急停止し、
「本っ当に申し訳ございませんでしたぁぁああ!!」
と、冒頭の盛大な謝罪をかましたのである。キャットファイトしていたことすら忘れパトラさんもたじろぐレベル。私も思わず一瞬のけぞった。
沈黙が支配する。
誰も、私もパトラさんも周りの生徒もリアクションがとれない。
頭を下げているのは伯爵子息と男爵令嬢。公爵令嬢と第二王子に頭を下げているのは身分的に問題ない。特に軋轢を生むことはない、が、いきなり飛んできて他人の後頭部を抑えつけ強制的に盛大に謝罪をする、というのは誰も理解が追いつかない。それも頭脳明晰、聡明で知られるアークタルス・ハボットが、である。
状況把握ができない。
「……あの、ハボットさん、何を、」
「申し訳ございません!シャングリア様!ミオス様!この恥知らず常識知らず身の程知らずが多大なるご迷惑をおかけしたようで!誠に申し訳ございませんでした!」
一瞬息継ぎでもするようにバッと顔を上げ再び頭を垂れる。青頭に返す言葉もない。
あ、うん、事実。
思わずフォローの言葉さえ忘れそうになる。
「僕の言うことじゃない、というのは重々承知していますが、田舎から出てきた平民上がりの芋娘で、まだまだ礼儀もなっていない子供同然……いえ赤子同然なのです。どうか、これから十分監督、指導しますので、どうか平に、平にお許しください!」
ドン引き第二波である。
とりあえずここ数秒でわかった。
アークタルス・ハボットは逆ハーレム要員などではない。学園内における彼女の保護者だ。彼の胃が痛む音を聞いた気がした。
「ふ、ふんっ!そう思うならしっかり彼女を見張っておくことですわ!隙あれば身の程知らずに高貴な身分の方に話しかけ、失言を繰り返す彼女はあまりにも目に余ります!」
ドン引きながらもツンデレを発揮し、彼女の悪い点を伝えるパトラ様とぺこぺこと米つきバッタになりながら頭を下げるアークタルス。あれだ、厳しい教師の家庭訪問みたいな場面になっている。うちの子がいつもお世話になって――みたいな雰囲気だ。ますます彼の保護者感が増す。
「シャングリア様も、これに困らされていることがあれば何なりとおっしゃってください……!」
「い、いえ、アドリアさんはとても楽しい方ですよ……。はい。明るいですし、天真爛漫で素敵だと思います」
辛うじて作り笑いを浮かべて青くなりかけている彼を見返す。それはそうだろう。相手は王家に次いで力を持つ公爵家の一人娘と、王家の第二王子だ。そんな二人に対面して昔馴染みのしりぬぐい。納得の顔色である。全く、可哀想にすらなる。ちなみに最初から頭を真下に下げ続けているアドリア嬢は顔色が赤色に変わりつつある。もちろん、羞恥心などというものではなく、単純に頭に血が上っているからだろう。
「あ、アークタルス放してっ、私は別に悪く……、」
「黙れ君は地面にめり込むくらい頭下げてろヘレン……!」
「あの、ハボットさんそれくらいに……、」
「本当に真に申し訳ございませんでした!」
もう一度深く深く頭を下げたハボットは、いまだ状況を把握できていないアドリア嬢の首根っこを掴んで風のように去って行った。本来なら許しを得ずに去るのは不敬になるが、そんなことを気にする余裕もないのだろう。アドリア嬢なら通常運転だが、あのアークタルス・ハボットが、となるとやはり違う。
それからしばらく、アークタルス・ハボットはありとあらゆるところに現れた。
パトラさん曰く、「アドリアさんを注意すると大抵姿を見せ、すさまじい勢いで謝罪して彼女を連れ去っていく」とのことだ。どうも学園内に地獄耳がもう一人増えた模様。一人は言わずもがな、パトラさんだ。
伯爵子息がご乱心かと、俄かに学園内に激震が走ったが、アドリア嬢がいないところでは相も変わらず完璧な優等生で孤高の不愛想を演じきっているらしい。豹変するのはアドリア嬢がやらかした時だけだ。走った激震はあっさり収まった。「なんだアドリア嬢の保護者になったのか」である。魔法の言葉、アドリア嬢である。大抵の異様な現象はアドリア嬢のせいか、で片づけられるのが最近の学園内風潮だ。いろいろと考えるよりもアドリア嬢が関わっている、と言った方がはるかに納得がいく。というよりわかりやすい。もともと破天荒天真爛漫非常識な子だ。今更誰も彼女の奇行に驚いたりはしない。
「まあそんなこんな。アドリア嬢の保護者が増えて少しは彼女の奇行も鳴りを潜めるのではないですか?」
「へえ。パトラとアドリア嬢が喧嘩してるとアークタルス・ハボットが来るのか」
「ええ、そのようですね。アドリア嬢を止めるなら必然的に。それだけ彼女の失言が多いということですが」
「シャングリア、それはもはやパトラのストーカーと言って良いんじゃないか?」
「ブレないですね兄上」
どんな話をしていても最終的に愛しの婚約者パトラ・ミオス嬢に帰結する兄上シュトラウス・グナエウス。まあ逆にパトラさんの話にならなければそれはきっとシュトラウスの影武者か何かだろう。今のところ、パトラさんお話にならなかったころは彼女と出会うはるか昔、幼い日のかなたのときだけなので影武者など彼は作っていないのだろう。
「アークタルス・ハボット……確かハボット伯は北の方の領地を治めていたな」
「兄上、流石にそっちの方まで手を出すのはまずいです。ハボット伯もとばっちりも良いとこですよ」
パトラさんのこととなるとブレーキ皆無のフルスロットルな兄上。ある意味安定のパトラさん厨だが家絡みで手を出すのは流石にまずい。冗談のように言うが実際は本気だろう。パトラさんは公爵家令嬢で次期王の婚約者、要は未来の妃なのだ。そんな彼女に手を出そうと思う命知らずなどこの国にいない。
「何を言ってるシャングリア!パトラがどれだけ可愛いかお前わかってるのか!?この世の天使としか思えないあの愛らしい笑み!すぐに赤く染まる柔らかそうな頬!人を注意するときの強い口調に対して困ったように下げられる眉!凛とした立ち姿!僕に好かれようとするいじらしさ!ああ可愛い可愛い僕のパトラ!愛してるよ!」
ガタッと椅子から立ち上がり一息に賛美すると糸が切れたように椅子に腰を下ろす。初めて見た人からすれば発作か何かのように見えるが、これがパトラさんが絡んだときの通常運転だ。
「まあ、そんなパトラだよ?この世の全人類のオスを無意識に惑わせても何らおかしくないし、むしろパトラに魅力を感じないとか極刑ものだよ」
「理不尽です兄上。じゃあどうしてほしいんですか……」
「可愛い可愛いパトラは僕のもの。他の野郎どもは大人しく指咥えてみてろ」
「簡潔でしたね」
結局のところ、パトラさんに認知されてる男が許せないというだけだった。実際指咥えて見てる男がいれば全力で目をつぶしに行くくせに。男の嫉妬は見苦しいというが、シュトラウスの場合男の嫉妬は凄まじい。誰が見てもドン引きものな兄上の愛だが、きっとパトラさんが聞けば顔を赤くしながらテレテレとするのだから末期である。兄上の毒に侵されたと言ってしまえばそれまでだが。
「にしてもシャングリア。随分ハボットの奴を庇うな。何だ?ヒューイから乗り換えたのか?」
「……仕方ありません。わかりました」
「おい何をわかったか知らないが剣から手を離せ。僕はお前と骨肉の争いをする気はないぞ」
兄上は私を見くびっているように思える。私はそんなほいほい男に惚れるような尻軽ではないのだ。私が好きなのは幼少期よりヒューイさんただ一人!強く正しく誇り高い騎士!老け顔なのを気にしてるけどそれが良い。訓練中や職務中のキリッとした表情は思わず鼻血が出てないから確認してしまうほどかっこいいのに、ふとした時にする困った顔や控えめな微笑みの可愛さのギャップたるや、人類の心を一人残らず射抜くこと間違いない。もはやテロだテロ。あの広い背中に飛びつきたい症候群。
「僕が悪かった。前よりも悪化してないか?」
「おっと、口に出ていましたか。お恥ずかしい」
「恥ずかしいとか欠片も思ってないだろ。大丈夫か?病院行くか?」
「生憎と、私も兄上も手遅れですよ」
特効薬と言えば思い人だが、手に入れるまで悪化し続ける。もっとも、狙った獲物を逃がすような血筋ではない。
「そういえば、うかうかしてると手遅れになるぞ」
「……何がですか?」
「ヒューイに見合いの話が来てるんだと。伯爵家のお嬢さんだってさ」
「どこの?」
「北の方」
「その姓は?」
「ハボット」
「ギルティ」
一周回って戻ってきましたハボット伯爵家。
思わず立ちそうになる中指をそっと収め、歯ぎしりだけにとどめておく。ギルティ。有罪。どうせあれだろ?辺境の伯爵家令嬢なんてヒューイさんのこと大して知らないんだろ?護衛部隊隊長で国王からの覚えも良いからっていう玉の輿だろ?中枢との縁を深めておきたいだけの政略的な縁談なんだろ?許さん。王家の名をもって許さん。越権行為?上等。欲しいもののためなら全力を尽くす。不安要素は全て刈り取る。逃げ場などないよう外堀を埋めるのは常識だ。
「趣味は刺繍や編み物らしい。伯爵家の分家だ」
「なるほど。剣を抜くまでもなさそうですね」
「武力行使」
「あるものを使わないのは馬鹿のすることですよ、兄上」
ここにハボット伯子息・令嬢掃討作戦同盟が爆誕した。
やりすぎ?いいえ、愛ゆえの聖戦なのです。
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さてひとまずアークタルス・ハボットを探そうか、ということになり、学園。以前までは高く買っていたのに本人の知らないところで株が大暴落している彼を見つけるのは簡単である。
「シャングリア様こんにちは!」
というヘレン・アドリア嬢のセリフに始まり。
「あらアドリアさん!シャングリア様に対してそんな口の利き方、」
という地獄耳1、パトラ・ミオス嬢が突如として現れ。
「申し訳ございませんシャングリア様!ミオス様!」
そして釣れる地獄耳2、ターゲットことアークタルス・ハボットである。
こんな簡単な釣りがこの世にあっただろうか?釣り堀で魚釣りをするよりもはるかに簡単である。撒き餌すらいらない、アドリア嬢を餌にした一本釣りだ。「シャングリア様!」「あらアドリアさん!」「申し訳ございません!」の3コンボ。恒例行事と化したこれで、ハボット子息を炙り出すことができる。
そして謝り倒して去っていく後ろ姿を見送らず、私は城から脱出しヒューイさんのいる訓練場へと向かうために鍛え上げられた抜き足差し足をフル活用し、追いかけた。
たどり着くは人気のない教室。間者よろしく、耳を扉に押し付けた。構図からして淑女としても人間としても王族としてもいろいろとアウトな絵面だが、致し方ない。中にいるアドリア嬢とアークタルス・ハボットの会話に耳を傾けた。
「ヘレン!本当にいい加減にしろ!」
「だから何が!?私はシャングリア様と仲良くしたいだけなの!」
「それがもう烏滸がましい!あの方がどれだけ尊いお方なのかヘレンはわかってないんだ!」
侃々諤々。昔馴染みだからか何なのか、アドリア嬢もパトラさんと話す時以上にあらぶっている。正直ぴったり扉にくっつかなくても聞こえるくらいだ。冷静沈着と名高い優等生がこんなミスをするなど、その胸中とは何だろうか。
「だいたい君が僕のことを幼馴染だ、なんて言うから君の面倒見なくちゃいけなくなったんだぞ」
「だって事実だもん。それとこれ、関係あるの?」
「あるよあるだろ!君の行動が僕の評価にまで影響するんだぞ!?勝手に僕の株が落ちてくのを黙って見てろっていうのか!」
残念!君の株は全然違うところで地面にめり込んでるよ!
「大体評価評価って、アークタルスは気にするけど、アークタルスは普通に優等生なんだから大丈夫でしょ?」
「そうだよ。僕は優等生だ。君がある程度暴走してるのも、まあ実害がないなら傍観してる。……でもシャングリア様はダメだろ!ミオス様も!これからこの国の中心になる方々だ。折角同じ学園に入ってお近づきになるチャンスもあるのに、君の聞くに堪えない失言のせいで悪い意味で王家に目を付けられたら堪らないだろ!」
「シャングリア様そんなことで目を付けるような人じゃないよ!」
「それは君に失言の自覚がないから言えるんだ!もしシャングリア様たちが過激な方たちだったら君の首はいくつあっても足りない!」
正論である。が、聞けば聞くほど気が滅入る話だ。まだ爵位を継いでいないというのに一丁前の口をきく。領主として、上を目指す思考や関係の重要性を理解していること、利のために立ち回れるその器用さは評価できる。だが詰めが甘い。こんな話を人に聞かれかねない場所で話すべきではない。そんなのだから私たち兄妹にすでに目を付けられているのだ。いや実際は理不尽な理由だが。
「少なくとも、王都にいる間にシュトラウス様やシャングリア様に気に入られて、領地に戻って継ぐまでに何とか王政府でキャリアを積みたいんだ!リミットはあるけれど、そこで経験を積み、コネクションを作れば僕らの領にとって大きなアドバンテージになる!」
「あの、アークタルスの野望はわかったからもう行ってもいい?ちょっとこのあと用事が……、」
「君が奇行をするのは一向に構わないが、くれぐれも王家周辺の権力者へのおいたは大概に、」
「このあと次のイベントが……!」
「わかってるのか!?」
「わかったわかったわかったから!気を付けるからさ!またね!」
「ヘレン!」
突然開けられた扉。慌てて壁にへばりつき隠れる。隠れられていない気がしたが、急いでいるアドリア嬢は私に気づくことなく走り去っていった。廊下を走るあたりハボットの注意はまるで耳に残っていないらしい。教室からは深いため息が聞こえた。
さて、どうするのが一番いいだろうか。
「ヘレンの奴……本当に勘弁してくれ……」
「そう思うならぜひ彼女のことを見ていてくれると助かるのですが」
「っ!シャングリア様っ……!?」
「こんにちは、アークタルス・ハボットさん」
消沈とした様子で教室から出てきたハボットの肩を掴むと、バッと振り向きそれから顔を真っ青を通り越して土気色にした。
「い、いつからここにいらっしゃって……?」
「ほんの数分前ですよ。隣の空き教室に用があったのですが、こちらの教室から随分大きな声が聞こえてきまして」
「聞いて……、」
「随分貴方は志が高いようですね。その年で自領のためにと奔走しようとするその野心は見事なものです」
訳:すべて聞いていました。随分な野望をお持ちのようですね。
冷静沈着ポーカーフェイスなどかけらもなく、今にも倒れてしまいそうなハボット。突けば簡単に崩れるあたり、まだまだだ。
「顔色が優れないようですが、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です。お気遣いなく……、」
いつものように謝り倒して逃げ出すことはできない。それを許さない肩にかけた私の右手。訓練で鍛え上げられた握力は林檎を潰すのも容易い。そんな手でつかまれた頭脳派アークタルス・ハボットが身動き取れるはずがないのだ。
「向上心があるのは大いに結構ですが、こうも大きな声で語るのはあまり得策とは言えませんねえ」
「っ……!」
「誰が聞いてるかも、わかりませんよ。ねえ?」
「はっ、はい……、軽率でした、申し訳ございません」
気分はさながら小動物を甚振る猫そのものだ。もっとも殺したり食べたりはしない。私たちは理性的な人だ。
使えるものは有効活用しなくては。
「ハボット領は確か北の方でしたねえ。王都は少々暑いくらいでしょう。……過ごしにくくはありませんか?」
訳:自領に帰るつもりはありませんか?
「っそ、そんなことはありません!王都はあちらと比べても気候は安定していますし!とても!とても過ごしやすいです!」
「あれ、そうでしたか。でしたら、よろしければいっそ王都に移りませんか?ご親族の方々もご一緒に」
訳:ハボット領の管理は他の方に譲りませんか?
「き、機会さえあれば」
そう暑いわけでもないだろうに、汗をかいているのがよくわかる。間接的な脅し、その裏の意味を素早く感じ取ってくれて話が早い。誰に聞かれてもごまかしの利く話し方がこれだ。
「そういえば、今度そちらのお嬢さんが王都の方にいらっしゃるようですね。確か、縁談で」
「へ……え、ええ。従妹が一人」
「なるほど、心配ですね」
びくり、と肩が大きく震えた。顔色の悪いまま不安そうに目が震える。
ハッタリ一つ投げ込もう。
「それは、どういう……、」
「数日前、王都から見て北の方、ハボット伯領の手前あたりで盗賊が現れたという証言が上がってきてまして。まだ真偽のほどは確かではないのですが。もし彼女がこちらにいらっしゃるというならば、」
これ以上ない、というほどにハボットの顔が引きつる。
「心配ですねえ」
泣きそうにすらなっているハボットの方からパッと手を離した。
「ま、盗賊に襲われる、なんてことはないでしょう。そんな被害者はほんの一握りですし、伯爵家の紋がある馬車を襲うなんてリスクの高い方法をとるとは思えませんから」
「そ、うですか」
「ええ。それとハボットさん。貴方には期待していますよ。アドリア嬢も貴方がいれば安心ですね」
「彼女の件は、本当に申し訳、」
「謝罪は聞きあきましたね」
にこ、と完璧な笑顔を浮かべれば完璧だ。
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それからしばらく、アドリア嬢はパトラさんはもちろん、私の前に姿を現すことはほとんどなくなった。ハボットは私の言葉を真摯に受け、謝罪することのないよう最初からアドリア嬢を全力で止めることにしたらしい。ありがたい話である。もっとも、アドリア嬢からすれば彼女のシナリオ通りに動けないわ、昔馴染みは小うるさいしで散々だろうが。ハボットに対する遠回しな脅迫、正直あんなことをするほどの権力を私は持っていない。当たり前だ。王家と言えど今は何の決定権も持たない子供。理不尽な理由で伯爵家をどうこうできるわけがない。だがしかし、気づかない方が悪い!
「ヒューイさん!」
「シャングリア様。どうかなさいましたか?」
「あの、来週末相手してほしいんですけど、時間ありますか……?」
城内を歩くヒューイさんを引き留め腰の剣を叩く。いや、本来はデートとかのお誘いをしたいが如何せんそんな度胸はない。結局いつも通り剣術の相手をしてくれと頼むことしかできないのだ。色気なしのお誘いだが生憎これ以外に誘い方を知らない。
ちなみに来週末はXデー。ヒューイさんの縁談の日だ。情報ソースは兄上シュトラウス。
「大丈夫ですよ。私でよろしければ喜んで」
「本当ですか!」
「ええ、縁談があったのですが先方の都合で破談になったようで、一日暇になってしまいました」
困ったような顔をするヒューイさんマジで世界遺産。そしてごめんなさい。破談にさせたのは私です。全力で潰させていただきました。結婚したいならもう数年待っていて下さい。
「そうでしたか……残念ですね」
「いえ、そちらの方は最初からお断りするつもりでしたので」
「え?」
「そんなに驚かれますか?」
目を丸くすると、苦笑いするヒューイさん。笑うときによる目元の皺が可愛、違う。今注目すべきはそこじゃない。
私にはまだ早い、と言うヒューイさんだが、そう早いわけでもない。20代も後半だし、彼の部下たちも結婚し始めている。むしろ適齢期と言ってもいいだろう。
「家庭を持つにしても、私にとっては仕事が一番です。そんな私が誰かを幸せにできる気がいたしません」
「そんなこと、」
「少なくとも、シャングリア様に剣をお教えしているうちは、鈍らぬよう最前線にいたいと思っていますので。他にかまけている暇はありませんよ」
衝撃のあまり言葉を失う。
そんな私など知らないように少しだけ気恥ずかしそうに笑ってみせるヒューイさんは一礼して職務に戻っていった。
何なんだろう。ヒューイさんは本当に何考えてんだろう。素敵可愛いカッコいい結婚してください。もうあれだよ。私一生一人前にならなくていいよ。ずっとヒューイさんに剣習いに行くよ。
時間差でこみ上げる喜びニヤつき羞恥。思わずアドリア嬢よろしく廊下をダッシュしたことをどうか咎めないでほしい。この言葉にしようもない思いを誰かに吐き出したい。
「兄上!」
「どうした弟よ。それと扉が壊れるから静かに開けろ」
ぶつかって跳ね返る扉など気にせずそのまま兄上にタックルする。
「弟じゃないです!」
「ヒューイか」
「そうです!」
「どうした」
「かっこいい!!」
「語彙力どうした?」
「砕かれました!!」
ヒューイさんショックのあまり語彙力IQともに凄まじい勢いで低下し、ヒューイさんかっこいいしか言えない生物になり下がる。
すっかり忘れていたが、これよく考えたらアークタルス・ハボット脅して縁談を潰す意味なかったんじゃなかろうか。しかしまあいっか、と心の中で片づける。ヒューイさんが断るとはいえ、相手方がヒューイさんに惚れない可能性もなくはないのだ。いや、まず惚れる。間違いなく。その可能性を潰せたのなら上等。
ヒューイさんの縁談は破談。
アークタルス・ハボットが予防線を張ったため彼とパトラさんの顔を合わせる機会は減った。
ハボット伯子息事変。ミッションクリアである。
ご閲覧ありがとうございました!
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