迷走ヒロイズム 2
深々と頭を下げた彼女にかける言葉を私はもっていなかった。
彼女の話すことは、夢物語のような信じ難いことばかり。けれど彼女の口調や表情、そのすべてが真摯であった。自嘲、後悔、悲しみ、先日までの明朗快活な様子は欠片も見られない。
「……その件につきましては、先ほど申し上げた通りその責任はあなただけのものではありません。止める術を持っていたのに私は行使せず、杜撰な自身の作戦に貴方を囮として組み入れました」
「まさか。それは私のセリフです。何も知らない子ならともかく私はいい大人。自分がこの祭りに参加すればどうなるかくらい想像がついていました。想像がついたうえで、私は”イベント”に参加したんです。……きっと誰かが助けてくれると。自分から能動的に動くわけではないからこそ、この”緊急救出イベント”で何かわかる気がしたんです」
それまでの能動的なイベントの発生と違った他者からの行動により発生する誘拐。
「何をしてもうまくいきませんでした。何をしても、ヒロインのようにはいきませんでした。……どうなんでしょうね。この世界が実のところゲームじゃないからなのか。それとも私の中身があまりにもヒロインからかけ離れているからかなのか」
ぐったりとした様子の彼女はまるで処刑の執行を待つ囚人のようだった。どうしたものかと思わずため息をついた。
正直なところ、ゲームがどうだのヒロインがどうだのという話はどうでもいいのだ。少なくとも私を含め彼女の以外の人間はその真偽を知ることができないのだ。何が正解だとかどうするべきだったとか、そんなのは知る由もない。
ただこの現状を見る限り、彼女の行動原理を知ってしまって日記を読んでしまった私はこの場における裁定者として位置づけられているようだった。だが私は裁きを与えられるような立場にない。何より引っ掻き回したことが罪だというならそれこそ「今度から気をつけてね」という注意しか言えることがない。彼女にどれだけ罪悪感があろうと、傍から見たら別にそれは罪ではない。ただ身勝手な行動を慎んでくれ、というだけだ。
「……ものすごく無礼に思えるかもしれないけど、一瞬だけ、本物のヒロインになれた気がしたの」
「…………ものすごく無礼かもしれませんが、あなたにそんな瞬間ありました?」
なくない?最初からここに至るまで休むことなくひたすらポンコツヒロインやってきたのに、立派なヒロインになれた瞬間なんてあった?
彼女の自覚のある通り、彼女のヒロインらしさというのはから回るほどの元気さと笑顔くらいしかなかったはずだ。
「あなたが、シャングリア様が助けに来てくれたときです。あのとき、あの時だけは私は確かにヒロインでした」
誰かが助けに来てくれると、前世の記憶だけを頼りに賊に攫われた。でも誰も来てくれないんじゃないかって、心のどこかで思ってた。縋るように祈りながら、荷馬車の中で揺られて、来てくれるだろう”誰か”を待っていた。
「本当に、誰も私に気が付かなかったら、誰も私を助けに来なかったなら、その時こそ私は本当に名前すら持たない誰かになるところだった。この世界の主人公なら、必ず助けが来てくれる。逆に、誰も助けが来なかったら私は主人公でも主要キャラクターでもない、ただの迷い込んだだけの人だったんだって」
ここに来て、初めて彼女は笑った。
「馬鹿な私を、シャングリア様が助けに来てくれました」
いつもの笑顔とは違う、穏やかで泣きそうで、安堵した表情。
「真っ暗な馬車の中で、布の隙間から入る月明かりを浴びたシャングリア様は美しくて……一瞬本当に誰だかわかりませんでしたが、その声と触れた手で誰だかわかりました」
「わっかる……!!」
「へ、」
「あ、いえ、遮ってしまってすみません」
勢いのまま口から同意の言葉が飛び出していったのを咳払いでごまかした。
いやだってめっちゃわかる。わかりみが深すぎる……!
ピンチでもはや助けも来ない、そんな諦めかけたときにヒーローが助けに来るなんて最高のシチュエーションじゃないか。ついこの間までの私であれば鼻で笑い飛ばしたが、実際に経験してしまった私はもうあれを笑うことができない。激しく同意を示すことしかできない。
あんなかっこよく助けられたらさあ!?
「誰かが来てくれると、身勝手に願いながらそれでも誰が来てくれるかイメージすることすらできませんでした。でもまさかシャングリア様が来てくださるとは思いませんでした。あなたはいつも私によくしてくださいましたが、いつだって作り笑いでしたし。……でもあの瞬間、私はヒロインとしてのヘレン・アドリアとして救われた気がしたんです」
「あぁ、」
ようやく腑に落ちた。確かにあの瞬間の彼女は”ヒロイン”だった。私自身、あの時の彼女は紛れもないヒロインなのだと認識したのだ。
か弱く、嫋やか。けれど真摯で気丈だった。
それまでの彼女はすべてヒロインを演じたものだった。天真爛漫な様子といまいち会話が成り立たなかったのはおそらく彼女の人格と演じている役との乖離からくるものだったのだろう。彼女自身が、ヒロインの行動や言動を理解しきれていない。表層のみで演じるからこそ歪なものとなっていたのだ。
けれどあの時の彼女は違った。
あの場から逃れたいと願い、現状を打破しようと震える足を奮い立たせた。
感情に流されず、ただ自分にできることを必死に全うした。
恐れながら、怯えながら、それでも彼女は夜の森を駆け抜けたのだ。
あの時の彼女はヒロインを演じていたのではない。彼女自身がそれを願い、自らの身体を奮い立たせた。
ヘレン・アドリアではなく、ウリコ・スズメとしてヒロインと成ったのだ。
「……普段のあなたのことは微塵も信用してはいませんでした。けれどあの夜のあなたであれば助けを呼びに行くのを任せられると、一人で逃げ切ってくれるだろうと思えたんです。演じられた誰かではなく、地に足をつけてあの場にいたあなたであれば」
ようやくあの日、私は彼女と会話ができたのだ。
攫われたヒロインを救い出す王子も、迷い込んでしまったヒロインを見つけ出してあげる王子。なるほどあの瞬間二つのおとぎ話が成立していたことになる。
「それにしても、あんな格好をしていたのに手と声ですぐに私だとばれてしまったんですね。パトラさんたちが頑張って化粧をしてくれたので、あまりばれない自信はあったのですが」
「性別は手にも出ますからね。確かにシャングリア様はしっかりとした手をされていますがそれでも男性と比べたら小さいですし華奢です」
そこまで話して彼女はどうしてか苦笑いをした。この流れでどうしてそんな表情をするのかわからず首をかしげる。
「どうしました?」
「いえ、それに前シャングリア様が仰っていたじゃありませんか。あなたの好みは『年上で、背が高くて、銀髪青目。気高く強い。落ち着きがあり刀が扱える方』と」
おおっとぉ?
最近なんだか前に私が口にしたセリフが数か月の時間差で私に突き刺さっている気がするぞお?思わず頭を抱えたくなってしまった。
その直後別に誰も何も言わなかったじゃないか!
いやアドリア嬢は学園内に「姉貴肌の色素の薄い、刀を扱うゴリラ」という噂を流していたこんちくしょう。
なんにせよなぜ数か月も私のセリフ一つをみんな胸に抱えてしまうのか。聞いた途端忘れてよ。
「それがどうして」
「あの言葉を聞いた時はとりあえず私のことは眼中にないというのはわかりました」
よくお分かりで。オブラートなどないに等しかったらしい。
「その条件に完全に当てはまっている方が同じ場所にいたのでてっきりあなたは同性愛者の方だと思ったんです。それで婚約者もいないのかと。……でも華奢な手ととても麗しいドレス姿で勘違いとわかりました」
「はは、それでは普段の私の男装は完璧だったんですね」
「ええ本当に。でもあなたが王子ではなく王女だと知ってようやくいろいろと繋がった気がします。シャングリア様が好きなのはヒューイさんだったのですね」
つい数分前まで暗澹たる表情を浮かべていたのに私のことに話がシフトした途端やたらといきいきとしだした。なんとも言えない気分になりつつ、「だからあなたがヒューイさんと二人で話しているのを見て亡き者にしようかと思いました」という言葉は胸の内にそっとしまっておく。
「ですがあのヒューイさんですよ? 誰だってあんな素晴らしい人が近くにいたら惚れるでしょう?」
「……そうですね」
「はい?実はアドリアさんもヒューイさんを実は狙っていたんですか? 水の祭りではあわよくばヒューイさんに助けてもらおうだなんて思ってたんですか?」
「待って待って待ってください! 今のはいったいなんて答えるのが正解だったんですか!? 肯定しても否定してもとんでもなく角が立ちます!」
「ええまあ冗談ですが、さすがに。ただあの誘拐事件で救出に来るのは兄上かブロンクスだと思っていたのですが」
よもやヒューイさんが来るとは想像もしなかった。アドリア嬢にはシュトラウスを呼んでくるように伝えたし、ハボットにはブロンクスを呼んでくるように伝えた。それがどうして護衛部隊隊長の彼が来ることになったのか。
「ああ、私が頼んだんです」
「……で、ですが彼は兄上より近寄りがたいと思うのですが。兄上は一人で要人たちの相手をすることはありますが、ヒューイさんは常に陛下の傍にいますし」
「それはまあ、この美少女の皮を被って真摯に必死に願い乞えば陛下の傍に近づくこともできます」
ほら、この顔ってとんでもない美少女じゃないですかぁ、まあ男の一人落とすこともできないんですけどねえ、と死んだような目で笑う彼女にもはや苦笑いを返すことしかできない。ぺちぺちと美少女フェイスを掌で叩く彼女はシュールだ。男の一人落とせないのは彼女の奇行のせいなのだが、彼女はもうそれも自覚しているだろう。おそらく学園で過ごしてきたすべて彼女の黒歴史と化していることだろう。
「……私はシャングリア様に助けられて、正直もう主人公だとかヒロインだとかどうでもよくなってました。少なくともあの時、憧れていたヒロインになれた気がしましたし、助けに来てくれたあなたは今まで見た誰よりも格好良かった。だから私は少しでもあなたの助けになることがしたかったんです」
「だとしても、よくあの生真面目の権化に本来の職務を放棄させて救出に向かわせることができましたね」
百歩譲って彼女の強すぎる顔と真摯さで父上の傍に行けたとして、ヒューイさんを動かすのもとてつもなく難しい気がする。我が儘など言ったところで聞いてくれない人だ。今回のことだって伝えたところで指示を出すことはあるとしても十中八九部下に行かせ、本人が父上の傍を離れることはないだろう。
「え? でも『シャングリア様はあなたに助けてほしいだろうから』って言ったらすぐに動いてくれましたよ?」
「ぐっ……あなたが神か……!!」
まさかの!まさかの伏兵……!とんでもない敵泥棒猫と思っていたこともありましたがこの子は私の神だった。
そしてそれで動いてくれたのは彼女の暴力的なまでに美しい顔のせいなのかそれとも私のうぬぼれるようなことと考えて良いのか……!
「シャ、シャングリア様、お顔が……」
「顔? ええ今にやけそうになるのを必死にこらえているので私の動悸と浮足立ちまくる心が落ち着くまでしばしお待ちください」
「えぇ……」
ドン引いたような声が聞こえたような気がしたがそれは聞かなかったことにする。
いや、さあ? そりゃあヒューイさんが助けに来てくれたら死にそうになるほどうれしいよ? でも来ると思わないじゃん? ヒューイさんになんの利もないじゃないか。兄上は手柄になる。ブロンクスなら名誉挽回になる。でもヒューイさんはどうしたって良い印象にはならない。ヒューイさんがそれをわからないはずがないのだ。
それなのに「助けてほしいだろうから」なんて理由で投げ出して私のところまで来てくれるとか、最高過ぎるし、頭がおかしくなってしまいそうだ。
「シャングリア様ってそういう感じの方だったんですね……」
「おっと声に出ていましたか、失礼しました。でも今の内容は大分控えめですし、シュトラウスよりかなり私はまともな部類ですよ。あとポンコツ系天真爛漫お嬢様の蓋を開けたら超絶卑屈な転生系電波さんだったアドリア嬢も相当なギャップですよ」
「うぐぅ……!」
「天真爛漫なポンコツヒロインさんは『うぐぅ』なんてうめき声をあげたりしません」
ポンコツ系ヒロインは蓋を開けたら意外と話のできる人間だった。転生だのゲームだのの話は分からないけれど、まともな情緒構造思考回路をしている。やや卑屈で回りくどい性格のようだが、以前の彼女よりはるかにまともだろう。
「まあ、そんなくだらない話は置いておいて、建設的な話をしましょうか。あなたの今後の話です」
緩んで弛んでいた空気がぴりりと引き締まる。それは彼女の緊張によるものだが。その整った顔からは不安と怯懦と戸惑いと諦めの色が浮かんでは消えていた。
「……国外追放、ですか?」
「日記を読んだ時から思ってたんですけどなんでやたらと国外追放させたがるんです? 困ったさんを国外にやるなんて余所様の御迷惑でしょう。悪役令嬢ことパトラさんもそうですが、いくら何かやらかしたとはいえ、重要な家の一人娘をそう簡単に処断できるわけないでしょう。あなたも同じです。小さいと言えど領地持ちの男爵家の娘を国外追放なんてできません」
「うっ」
遠回しに現実が見えてないといえばまた縮こまる。
「建設的な話をするんです。罪だの罰だのといった話ではありません。文字通りあなたの今後の話ですよ。簡単に言えばここまでさんざんやらかしまくってきたヘレン・アドリア嬢の今後のフォローの話です」
「フォローって……そんな、」
「言っておきますが、もはやあなた一人で何とかなるレベルではありませんよ。学園中で浮きまくってて、もはやどこの家でも地雷扱いだと思います」
「で、ですが、これ以上シャングリア様のお手を煩わせるわけには」
もごもごと躱そうとするがどうにもへたくそだ。とんでもないお嬢さんかと思ったが想像以上に扱いやすそうで普通な子だった。
「囮としてあなたを危険に晒してしまったお詫びとでも思ってください。それに私の本当の性別を知っている人間も限られています。いろいろと私の本音も聞いてしまったでしょう。本心を話せる友人というのも悪くないと思うのですが」
にっこりと安心させるように笑えば彼女はかすかに顔をひきつらせた。この顔で微笑めば誰でもいいなり、などと思わないわけではないが、さすがにある程度本性が知られていると難しい、と思いつつもやはりうっすらと期待するような色を見せる彼女は扱いやすい。
「どこから来たのか存じ上げませんが、あなたの持つ知識もきっと何かの役に立つでしょう、ウリコ・スズメさん」
手を差し出せば、もう彼女にはこの手を取るという選択肢しかなかった。
転生だとかゲームの知識だとか、そんなことは私にはわからない。そして彼女以外の誰にも分らない。
であれば、私にできることはわかる範囲で、面白おかしく少しでも良い方向に働くように引っ掻き回すだけの話だ。
今まではなんだかんだ彼女に振り回されっぱなしで、ほとんど後手後手に動くことになってしまった。けれどもう彼女は私の手の中に落ちてきた。これからは私が彼女を振り回す番だ。
「愉快に楽しく堅実に、未来のことを考えようじゃないか」
迷走ヒロインの道標になってやろうじゃないか。
 




