緊急救出イベント・水の祭り事変 7
月明かりの中で佇むのは本来ならここにいてはいけない人だった。
「ヒューイさん、」
「シャングリア様っお怪我はありませんか!?」
「わ、私は何とも、」
ああああああああ! ヒューイさんが、ヒューイさんがいる! ここにいないはずなのに! 絶対助けに来るなら兄上かブロンクスだと思ってたのに! なぜか! ヒューイさんが!いる!
めちゃくちゃシリアスな局面にも拘わらず私の頭は完全にトリップしていた。
いやいやいや! なにこれ! ダンスパーティの夜に続き夢!? 妄想!? いや妄想じゃない足痛いし! ていうか! 顔! 表情! いつもどこか余裕ありげで大人っぽい顔で私に対してはいつも「仕方のない子だ……」みたいな表情ばっかしてるのに! 今のヒューイさんは焦燥感と安堵を綯交ぜにした表情。いつもと違うお顔ありがとうございます数年間で一番の御褒美です!そのうえ日中の式典からそのままここへ来たせいで今のヒューイさんの格好はレア度SSR級の式典用の渋カッコいい軍服+白い月明かりによるスポットライト! ありがとうございます私のメンタルはオーバーキルです。このまま死んでも微塵の後悔も残りません。
目の前の光景のあまりの尊さにクラリとするとすかさずヒューイさんが受け止めた。
「シャングリア様、やはりどこかお怪我を……!」
ごめんなさい違いますどちらかといえばたった今、というか現在進行形であなたにメンタルを殺されています悔いはありません!!
私の人生では決してあり得ないと思っていたヒーローに助けられるヒロイン役が今ここに……!
完全に脳内がお花畑に占拠され蝶と小鳥が飛び交っている中、ハッとする。
まだ、まだヒューイさんにかまけている場合じゃない!
「ヒューイさんっ」
「まだ安静になさってください!」
「そんなことはどうでもいいです!この賊たちの人数は私の把握できる限りでは4名です!うち二人はこの馬車の中で伸びている二人。一人は馬車を操っていた男、恐らくこの近くで投げ出されているでしょう、逃げられる前に確保をお願いします。それとこの馬車より先にもう一人、先見役として馬に乗った男がいます。」
「なに……!?」
あ、目を見開いててもイケメン……と一瞬意識を持っていかれながらも鋼の理性で意識を呼び戻す。
「十中八九、こちらの馬車が王国側に捕らえられたことに気づいているでしょう。犯人たちはこの先のボンベイ王国に逃げるつもりだったようです。一人になったとしても、先見役は間違いなくボンベイへ逃げ込みます。どちらの国に属しているかはわかりかねますが、決して国境を越えさせてはいけません。確実にグナエウス王国内で捕縛してください。これは外交問題にかかわります」
「……聞いていたな、お前たち! 2番部隊はこのままボンベイへの道を辿れ! 殿下の尽力を無駄にするな!」
すかさず指示を出し、それと共に複数の蹄の音がボンベイへ向かっていくのが聞こえた。つい安堵のため息をこぼす。長い長い一日がようやく終わった。
これにて緊急救出イベント・水の祭り事変、終幕である。
捕まった賊たちにどのような沙汰が下されるか、それは所詮未成年に過ぎない私には預かり知れぬところだが、ハッピーエンドはハッピーエンドだ。
「シャングリア様」
「あ、はい」
顔を上げれば拳一つ分ほどの距離にヒューイさんの素晴らしいイケメンフェイスが。や、やめてください! 私のライフはもうゼロよ!
とまあ普段でも口にできない阿呆のようなセリフは今回はとても口に出せそうになかった。真面目な顔に固い声。
「……本日は随分と愛らしい格好をしてらっしゃいますね」
「…………お褒めにあずかり光栄です」
キャー褒められちゃたー、なんて軽口心の中でさえ出てこない。
表の顔も心の顔も完全に真顔だ。
私とヒューイさんは決して短い付き合いではない。幼いころからヒューイさんにまとわりつき少しでも彼と一緒にいようとした私である。一応この国の第二王子兼王女だというのに剣を振り回し馬を乗り熟すようになるまで傍にいた私である。
彼が言葉の通り褒めていないことなど声色だけで察するに余りある。そうつまり、
「この度の式典をお休みになれたのは体調をお崩しになり、お部屋にこもられている、と聞きうかがっていたのですが。……いったい全体どう転んだら自室から飛び出し、このような美しい格好をして、その挙句誘拐犯に捕まるような事態に王女殿下が陥られるのか、この愚かな私にご説明いただけませんか?」
激レア、激おこヒューイさんである。
思わず心の底から表情がなくなる。
あ、これはダメなやつだ。
歴代激おこヒューイさんの中でも比べ物にならないほどの怒りようだ。ヒューイさんの後ろの般若が見える。さっきまで彼を光り輝かせてた月のスポットライトは彼の顔に深い深い影を落とす舞台装置だもん。「しょうがない子だ」みたいな視線じゃすまない。完全に視線が私の顔を蜂の巣にしている。
そのうえ今回は言い逃れができない。
一般市民や部下たち、兄や家族には言い訳ができる。
この祭りの成功を確固たるものにするため市民に紛れ街へ出た。
誘拐された令嬢を救出した。
そのうえ賊の情報を手に入れ、半分を捕縛した。
王子という立場として、この国の上に立つ人間として、素晴らしい行いと結果を残した。私にどんな文句がある。そう笑って見せることができる。
でもヒューイさんはダメだった。
「あなたはご自身が何をしたかわかっていますか?ご自身の立場をわかっていますか?あなたはこの国にとって代わりのいないお方です。簡単に傷ついても落としてもいい命ではないのです。私たちを騙し、自ら危険な行為をし、窮地に陥る。あなたの仕事は身体を張ることではありません。あなたにそうされては私たち護衛部隊の立場がありません」
ぶすぶすと言葉が突き刺さる。
が、簡単に聞けるほど素直な性格を私はしていなかった。大変、残念なことに。
「……私の感覚と我が儘で動いたこと、それについては申し訳なく思います。しかし今回はこうするしか考えが浮かびませんでした。”なんとなく”などという曖昧な理由であなた方を動かすわけにはいきません」
護衛隊の命は簡単に傷つけて良いほど軽くない。
「そしてこうして男爵令嬢の代わりに攫われたこと、手を煩わせたことは反省していますが、後悔はしていません。愛し、慈しむべき国民を危険に晒すくらいなら、私はいくらでも命も身体も張りましょう」
国民を守ることは王族として決して譲れない責務だ。
「それと最後に、私の代わりはいないかもしれませんが、それ以前に私は兄上の代わりです。」
私の代わりは用意されていないけれど、私はそもそも兄上のスペアだ。次期王である彼を支え、そして万が一の時は彼の代わりをする。それが私の役割だ。
自分は悪くない、などと宣うつもりはないけれど、これらだけは譲れなかった。
青色の目をしっかりと見返す。簡単にすべて受け入れずに、真摯に話すことが何よりも誠実だと思ったのだ。少なくとも、長いかかわりの中で、私が大切にしようと思ったことである。
「あなた様は、正直なところわかっておられるでしょう」
深い深いため息と共に、吐き出すように彼は言った。
「あなたのされたことは、讃えられることだとわかっているでしょう。ある者は勇者であると。ある者は行動力ある切れ者だと。ある者は愛国心に溢れたお方だと。そして陛下たちでさえ、あなた様を手放しでほめることはなくとも、お認めになられるでしょう。そして」
ぴりぴりと舌がしびれるのを感じた。今は私はこの人に怒られているわけでも諭されているわけでも、叱られているわけでもないのだと。全身が鈍くしびれていていくのを、彼の顔を見ながらどこかで感じていた。
「……そして、私たちのような下々の者があなた様を止めることも咎めることもできないと、あなたはご存知でしょう」
「…………ええ、どう転んだとしても功としかなりえない方法をとりました。ですが咎めることはできるでしょう。止めることはできずとも」
「止められなければ意味がないのですよ。……ですから私、ヒューイから申し上げさせていただきます。護衛部隊隊長でも、あなたの部下でもない一個人として」
大きな両手が私の顔を優しく、割れ物でも扱うように包み込んだ。
「どうか私に、シャングリア様を大切にさせてください」
叱っているわけでも、怒っているわけでも諭しているわけでもない。いつものように呆れているわけでも、諦めているわけでもない。
――これは、懇願しているのだ。
「国民にとって、あなた様の代わりはいるでしょう。しかし私にとって、あなた様の代わりは決していないのです。あなた様は私にとって唯一無二な方、守りたい方なのです」
「あ、あなたの守るものは、陛下であり、国民では、」
「それは”護衛部隊隊長”の守る”べき”もの。私の守りたいものが、シャングリア様なのです」
身体中の血が顔に集まっているんじゃないかというほど、顔が熱かった。その熱が彼の両手に伝わっていると思うと、さらに。
「『年上で、背が高くて、銀髪青目。気高く強い。落ち着きがあり刀が扱える方』」
「あっ、あれは……!?」
「自惚れでないのであれば、どうか観念していただけますか?」
数か月前の自分のセリフがとんでもない威力の刃になって私の下へ返ってきた。
ああてっきりド天然な解釈をして私の重量級の感情に気づいていないと思っていたのに。あの時そのまま正しく意味を捕らえていたとしたら、この人は。
「ず、ずるい……! あまりにずるい……!」
「ええ、ずるい大人ですので。こうでもしないと私のかわいいずるい人は自分の身を削るばかりで、私に大切にされてはくれないでしょう」
ヒューイさんは口の端を歪めるようにして少しだけ笑った。
いつもの優しさなんて微塵もない笑顔。
半分呆けた頭でもレアスマイルを網膜に焼き付けていると頬から大きな両手が離れていった。血色のよくなりすぎた頬がもとに戻るのを感じて安堵するとともに僅かばかりの名残惜しさに自分の頬を撫でた。恥ずかしい。恥ずかしいが接触が嬉しくないわけではないのだ。可愛くなくて面倒なのは百も承知なのだけれど。
「さて、これくらいにして戻りましょう。我々はここにいる三人と共に王都へ向かいましょう。残り一人ももう捕縛されているころです」
「了解しました。……あ、あのなぜ私を抱えられているのですか?」
さあいい加減馬車から出ようというところでなぜか私はヒューイさんに抱えあげられていた。
「それはどこぞのどなた様がなぜか両足共に靴を履いていらっしゃらないうえで足が傷だらけだからです。心当たりが?」
そこで足音を出さないために馬車へ忍び込む際脱いできたことを思い出す。馬車の外に靴が、と思うがここは脱いだ地点よりかなり移動していた。
「よもや靴を脱いだ状態で馬にご自分で乗るおつもりでしたか?」
「うう……で、できますよ、多分」
「危険ですのでおやめください。王都まで私と一緒に馬に乗ってください。そして事情を知らない他の護衛部隊から『なぜか女装をしている上に隊長にお姫様のように抱えられているグナエウス王国第二王子』という誤解の辱めを受けていてください」
「絶妙に私の嫌がることをしますね!」
せっかく人が割とかっこよくて何でもできて切れ者な第二王子を演じているのに全力でぶち壊しに来る人だ。
「あなたの喜ぶことも、嫌がることも、存じ上げているつもりですよ」
悪びれもせずカウンターを決めてきたヒューイさんに下がっていたはずの身体中の血液がまた顔に集中していた。散れ! 私の血液散れ!
なにを返してもきっとこの人には勝てない。というより本気になったこの人に私は全くかなわないのではないだろうか。
このさき私の心臓は果たして無事でいてくれるのかという不安と滲むような喜びを胸の奥で味わいながら、私は滑稽な『なぜか女装をしている上に隊長にお姫様のように抱えられているグナエウス王国第二王子』というお仕置に臨んだ。
緊急救出イベント・水の祭り事変は、ヒューイさんのニヒルな笑みと壊れそうな私の心臓と、滑稽な辱めの中、終幕を迎えた。




