緊急救出イベント・水の祭り事変 6
アドリア嬢を逃がした時点で、私の仕事の大半は終わったといってもよかった。少なくとも彼女を囮にして害を被るという失態自体は回復できただろう。この東の森はオオカミやクマといった大型の肉食獣の類はもう長くいない。今自身が走ってきた中にも不審な人物や危険は個所はなかった。幸い今日は満月で月明かりが煌々と森を照らしている。獣道の足元を照らすには事足りるだろう。
あと私が行うべきことは生きて帰ること。それからのこの賊に国境を越えさせないことだ。
耳を聳てて会話を聞いていると犯人グループは四人。今後の予定としては一人が馬に乗り道の先を行き安全を確認、馬車に合図を送りながら国境を越えるらしい。もう一人が馬を操り、残りの二人がアドリア嬢、基私の監視および追っ手の警戒を行うらしい。人を攫い売る不届き者のくせに随分と計画的で慎重な逃走劇であった。その熱量を別のことに使えばいいものを。
追っ手の方は問題ないだろう。きっとハボットはブロンクスや周囲に私の伝言を伝えたはずだ。ブロンクスに伝わっているならとうにこちらを捜索しているはず。そして彼が不自然な獣道に気づかないはずがない。
そしてアドリア嬢にしても。彼女が王宮に乗り込んで兄上に伝えてくれたのであれば彼は間違いなくうまく動いてくれる。
すでに私の頭は保身に向けて動いていた。そもそも体調不良で祭典を欠席していたのになぜ賊に攫われているのか。その時点で大問題だ。王族が祭典をさぼった。そのうえ賊に攫われたとあれば国の恥。私の居場所はなくなるに違いない。
シナリオは二種類だ。
私は賊の情報を仕入れ、祭りを部下と共に巡回していた。そして祭りの最中に男爵令嬢が攫われるところに遭遇。部下に後を追うよう指示を出し男爵令嬢を救出後、賊の目的を探るために犯人グループの下に敢えて身を置き情報収集を行っていた。そのまま国境を越えないよう立ち回り、妨害を行いながら救援まで時間稼ぎを行う。
これはブロンクスたちが先にこの幌馬車にたどり着いた時のシナリオ。もう一つが兄上の部下がここへ着いた時のシナリオだ。
シュトラウスは賊の情報を手に入れたが、彼は第一王子として祭典を欠席できない。そのため弟である私に指示を出し、探らせた。あとは一つ目と同じだが、すべて兄上の命令で行った、という形にするのだ。そうすれば兄上自身の評価が上がる。的確に指示を出すことができ、自身は安全な場所にいながら部下たちを使うことができる。要するに王の器に相応しいという話になるだろう。
どちらにしてもすべて想定内だった、何から何まで私、もしくはシュトラウスの掌の中だったというシナリオにしたいのだ。祭典は完璧だったという実績を作るために。この国に隙などないと知らせるために。
どう転んでも、恐らく問題ないだろう。あとは私が適当に演じたところで収拾はつく。何よりアドリア嬢に怪我がなかったのが不幸中の幸いだ。もし彼女に被害があれば私の言い訳は通用しない。逆に私はここまで来れば命さえあれば失態となることはない。怪我一つなく帰れば何より、怪我の一つでもすれば箔が付くというもの。
そこまで考えて、馬の嘶きと足音が遠ざかっていくのを聞いた。慌てて両足が隠れるようドレスの端を引っ張り、両手首を隠すように身体を丸め横たわった。わざわざ解いた縄をつけてやる義理はないだろう。
「まだ目も覚まさねえか」
「そっちの方が都合が良いだろう。お貴族様の餓鬼には睡眠薬はちょっと刺激が強かったみたいだな」
横たわる私に意識はないと疑いもせず、下卑た笑いとともに男が二人乗り込んできた。予定通り、一人は先見となり、もう一人が馬を操るのだろう。馬車がゆっくりと動き出し、幌が風に揺れた。
男二人は私とアドリア嬢が入れ替わったことには気づいていないらしかった。私とアドリア嬢は似ているわけではない。私の方が体格は良いし、顔つきも髪色も似ていない。今日似通っているところといえばドレスの色くらいだろう。だが男たちに気づいた様子はない。おそらく、本当に誰でもよかったのだろう。例えば、顔立ちがいい、抵抗できなそう、金のある貴族の娘。金になりそうで捕まえられそうな娘なら誰でもよかった。そんなところだ。改めて腹が立つ。必ず越境前に護衛部隊等々に引き渡してやると心の焔を燃やした。
「ボンベイまでは、1時間くらいか」
「ああ、あっちの方には正規の門以外から抜けられるところがある。門番もいやしない。出ていくのも簡単さあ」
だから!この国はどうしてこう隙があるかなぁ!?
城の壁の穴だとか隠し通路だとかエトセトラエトセトラ……今の今まで侵入を試みる人間がなんの力ももたないご令嬢で、今回のこの誘拐事件も三下のような悪党数名で済んでいるからいいものの、そんな重大な欠陥があればいつ他国に攻め入られてもテロリストに乗り込まれてもおかしくない!
戻ったら、戻ったら絶対王都、国境並びに各領地の欠陥の有無の調査をしたうえで補修に必要な補助金を提案をする。こんな小悪党ばかりではないのだぞ。
とはいえボンベイまで1時間くらい、という情報は有益だった。国境までまだまだ時間的猶予がある。このまま1時間近くこの寝心地の悪い馬車で狸寝入りを決めるのは身体的にややしんどいものがある。
自分自身についている見張りは二人。双方ともに大柄であるが、二人程度であれば余裕をもって相手をすることができる。おそらくあと二人の仲間に気づかれることなく落とすことができる。だがそのあとのプランがない。二人を落としたとしても馬車は止まらない。馬車から飛び降りることはできるがそれでは彼らを逃がしてしまうだろう。
では二人を落としてから御者を背後から奇襲、落とす。その後馬を奪い、先を行く最後の一人の仲間を追う。
……ふむ。よくないかこれ。馬奪って追う、まあいけないわけではないだろう。なんて言ったって私だ。完全無敵な理想の王子様である私に初対面と言えど馬を乗り熟せない理由があるだろうか。いやない。私ならできる。
「ん、んんん……」
「お、ようやくお目覚めかぁ?お嬢ちゃん」
嘘くさい寝起きの演技を疑うことなく小悪党は予想通り私ににじり寄り顔を近づけた。
ので、身体をバネのように跳ねさせ無防備な側頭部に膝を叩きこんだ。
声もなく倒れこんだ男。きっと自分が何をされたか理解する間もなく昏倒したのだろう。死んではいないはずだ。
そしてその一部始終を呆然と見ていた男が声を上げそうになったところで膨らんだスカートの中に隠してあった短銃の持ち手で同じく側頭部へフルスイングした。
「ぐ、う」
「おっと、」
短いうめき声を上げさせてしまった。失敗したかとも思ったが、舗装されていない地面を走る車輪の音を思えば些細な物音だっただろう。実際、数秒前と変わらず、御者は自身の仕事を全うしているようだった。
転がる成人男性を見下ろしながら先ほどまで全貌を見ることが叶わなかった車内を見回すと錆びたナイフとアドリア嬢を縛るのに使ったらしい縄が落ちていた。
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御者を昏倒させるにしろ、馬を奪ってもう一人を追うにせよ、何もせずこの男二人を放置するわけにはいかなかった。効率的な人間の縛り方など知る由もないが、とりあえず以前兄上からもらった本に書いてあった縛り方をして床に転がしておいた。兄上からのよくわからないプレゼントが役に立つ日が来るとは思わなかった。
無様に転がる男二人にある種の達成感を覚えながら一息つく。
それにしても、改めて考えると随分とらしくもない状況に身を置いているものだ。
攫われて助けを待つヒロインポジションにまさか私がなるとは思はなかった。こういうのはかわいらしく嫋やかなお嬢さんがなるのが道理だろうに。まあある意味そのヒロインポジションを力づくで奪ったともいえるのだが、そんな無粋なことは今は考えないことにしておく。
助けられヒロインならどんな救出劇になるのだろう。
もし兄上が来たとしたら、多分その場では颯爽と助け出してくれるだろう。「よくやった」だとか何とか言って、私の考えた作戦に乗ってくれるに違いない。そして部屋に戻ってからしばかれるまでがセットだ。たとえ作戦がうまくいったとしても、なんだかんだ兄上はシスコンだ。どれほど心配かけただろう。多少ぼこぼこにされたとしても文句が言えない。
もしブロンクスが来たとしたら、多分ため息をつきながらも頭でも撫でてくれそうだ。ひとしきり無事を確認した後「陛下にはちゃんと上手いこと説明しといてくださいよぉ」なんて言って保身に走る。現金なやつだがなんだかんだで真面目で嫌いじゃない。今回は完全に私に非がある。残業代には色を付けてくれるようかけあってみよう。
正直一番状況的に来てほしいのは無論勿論天下のヒューイさんなのだが、それは贅沢が過ぎるというもの。今回私に宛がわれたブロンクスや芝居を打って利のある兄上と違い、ヒューイさんは護衛部隊として父上の傍にいなければいけない。傍に置かれた彼にとって最優先事項は国王陛下の身の安全だ。身勝手に動くお転婆王子ではない。
いつかにアドリア嬢が不逞な輩に絡まれたとき、ヒューイさんが助け出していた。あの時は「私とヒューイさんじゃ共闘の未来しか見えない!」みたいなことを考えていたが、今の私は完全に自分ではどうにもできない状態。いや、まあ馬を奪い取るまでの話だが。動いている馬車からは流石に飛び降りたりはできない以上、誰かの助けにより馬車を止めてもらう必要があるのだ。
まあもうすぐ御者の男を昏倒させて馬を奪って残りの一人を追いかける予定なのだが。まあかわいらしいお姫様じゃありませんし?お姫様は不逞な輩を膝や短銃で昏倒させたりしませんし?馬を奪おうとしたりしませんし?か弱いお姫様なんて私には役不足だ。私は無敵で素敵な王子様なのだから。
さて次は御者役の男を昏倒させよう、と外に意識を向けたとき、どこからか馬の蹄の音が聞こえてきた。
馬車に繋がれた一頭と、先を見に行っている馬一頭しかいなかったはずだが、それよりずっと多い。前からではなく、後ろ、王都の方面からそれらが近づいてきていた。
「来てくれたか……!」
応援がもうすぐそこに来ていた。
アドリア嬢が兄上に伝えてくれたか、それともハボットから聞いたブロンクスがこの森の中の道を見つけ出したのか定かではないが、無事越境する前に捕縛ができそうだ。
アドリア嬢を逃がせたところで緊張感などなくなっていたかと思っていたが、そうでもなかったらしい。弛緩した体から深いため息があふれ出た。
「……れっ、そこの馬車よ止まれ!」
「なっ、なんでもう来てんだよ!おいっ、手前ら仕事しろ!背後を警戒しとけって、」
御者の男が焦った声をあげながら馬車の中の仲間を見ようとした。
「残念。もうずいぶん前に警戒できる状況ではありませんよ」
唖然とした間抜け面が思い切り歪んだ。そして私は自分のミスを思い知った。
「畜生っくたばっちまえ……!」
自棄を起こさせるべきではなかったのだ。この状況では逃げ切れないことくらい馬鹿でもわかる。ならば何をしてもおかしくなかったのだ。つまりまあおとなしくお縄についてくれるわけでもなくて。
「何を、うっわああ!?」
男越しに見えたのは開けた道ではなく狭い木々の間。当然大きな荷台をつけた幌馬車通れるはずもなく、激しい衝撃と轟音と共に幌馬車はひっくり返った。
「最っ悪だ……」
よりにもよって立っているときに馬車がひっくり返ったせいで完全に馬車の中でシェイクされる結果となった。頭を打ったようでクラクラとしたがとりあえず五感と五体が一通り揃っていることに安堵した。相変わらず気絶している縛られた男二人も別段どこかが千切れたりかけたりはしていない。ぐったりと四肢を投げ出しているが多少ぴくぴくと動いているので死んではいないだろう。
幌の外ではたくさんの人間が取り囲んでいる気配を感じた。
多少の想定外のことはあったが、何はともあれ私の仕事の大部分は終わった。誰も大きな被害を受けることなく誘拐事件は終わりそうだった。
砂埃にまみれた幌が取っ払われようとする手がかけられた。
兄上か、ブロンクスか。追いかけるスピードを考えればブロンクスだろうな、と思いながら横転した馬車にへたり込んでいた。
「シャングリア様! ご無事ですか!?」
「……へ?」
どうしてか私の幻覚か、月明かりの中から現れたのはここに来るはずのないヒューイさんだった。




