# 3:「ワウ」
僕はカワウソだ。
なのにヒトの様に話せる。思考することが出来る。何故なのかは知らない。
ある時、気が付いたら知らない宇宙船のとある部屋にいた。それは後から知った
が「ディスカバリー」という宇宙船が何故かこのホシに次元転位してきた時なのだ
という。やがて地面と同化した宇宙船とその周りに出来たこのマチのヒトたちは、
それを「トランス」と呼んでいる。あの時、誰もいない知らない部屋で僕はとても
不安だった。そこにやってきたのがスキルだった。僕は彼を見て「やあ」と言った。
なぜ自分がしゃべれるのか分からなかったしスキルが誰かも知らない僕は、それ以
外にどうしていいか分からなかったのだ。その時スキルは不思議そうな顔をしてい
たが、僕らはすぐに打ち解けた。スキルは僕に根掘り葉掘り聞かなかったし、僕も
余計なことは言わない。だからずっと、それなりにいい関係でやってこられた。ス
キルは当初僕のことをカワウソ、と呼んでいたが今では短くなってワウ、になって
いる。
実はトランス時から、僕の中には微かな記憶が存在する。スキルが記憶の欠片、
と呼んでいるものだ。マチのヒトびとがそれぞれ持っている、おそらくトランスよ
りも前のものであろう微かな記憶。僕の場合は、僕が以前はネコやビーバーだった、
というものだ。ひょっとして前世?なんて考え方もあるが、僕自身はそこまで大袈
裟なものとは考えていない。大体ヒトがーーまぁ僕はカワウソなのだがーーそれが
生まれ変わる、なんて話をまともに信じられる訳がない。今の生命は今一度きりだ。
僕の中に別の人格が存在する、という方がまだ信憑性がある。
とはいえ、それぞれが今の所無限に近い寿命を持つこのマチでは、今一度の人生
もいつ終わりが来るのか分かったものではない。
さて、僕は今いささか奇妙な状況にいる。
ここはスキルの部屋の前だ。僕はスキルと二人で座って待っている。
部屋の中では、スキルと最近過ごす様になった旧オリエンタル系の女性ーーファ
イが、今日触れれば消えるはずのマチの境界を越えてやってきた謎の女性を着替え
させている。
「…………」
スキルは膝に手を置いたまま、視線を床に落として考え込んでいる。
あの女性が現れた時ーー僕とスキル、ファイは「ファントム」で繋がっていた。
「ファントム」と言うのはヒトの手の甲にあるタトゥーの様な紋章のことで、それ
は生体的な通信端末になっていてデータや会話のやりとりに使える。マチのヒトた
ちに広く普及していて日々の通信などに利用されているのだが、『ヒュー』ーーあ
のマチを取り巻く境界を容易に突破してくる謎の少年と繋がると、奇妙なことに「
ファントム」はその能力以上の深さを見せる。お互いの感情や過去などともシンク
ロしてしまう。お陰で本来「ファントム」など持ち合わせていない僕も「ファント
ム」を持っているのと同じ様な、いやそれ以上の繋がりを持つことがその時だけは
できている。もっとも、それができた相手は今の所スキルとファイだけなのだけれ
ど。
そしてあの時、僕はスキルの記憶の欠片ーースキルのほぼ再生技術で作られた体
の中で唯一残った右目の角膜をくれたドナーの女性を探している、というイメージ
を見た。そしたら、その女性と瓜二つのヒトが突然現れた。それも、マチの外から
境界を越えてやってきたのだ。
今ファイが濡れた身体を拭いて着替えさせているのはその女性だ。彼女はあの時
「久しぶり、スキル」と言ったあと気を失った。その後スキルが背負ってここまで
連れてきたのだ。
僕はスキルを覗き込んだ。
「ワウ……」
そう言ったスキルの表情はその長い金髪に隠れてよく見えなかった。
「なあに、スキル」
僕が話をするのはスキルとだけだ。ファイがは何と無く気がついてるっぽいけど、
まだ向こうが言ってくるまでは話すのはいいと思っている。
「彼女のことーー見たか」
「……うん」
「ファントム」で繋がっている時に、ということなのは分かったので僕はそう答
えた。やはりスキルは先ほど僕も繋がっていたことに気づいていたのだ。ファイの
方はまだ気づいてはいなかったと思う。
「俺のことを、知っている様だった」
「そうだね」
「トランス前に、会ってるってことか……」
僕は少しため息をついた。
いつもは冷静なスキルだが、さすがに今は普段通りにはいかないらしい。
「でも……あの人は『ヒュー』とどんな関係があるんだろうね」
「……そうだな………」
勿論、僕らがいくら考えていても答えは出ない。『ヒュー』ーーあの白い少年に
関しては、まだ何も分かってはいないのだ。
ーーーガチャッ。
部屋のドアが開いてファイが顔を覗かせた。
「!どうだ」
スキルはすぐさま立ち上がろうとしたが、ファイが制した。
「今は寝てる。あたしが付いてるよ」
「……そうか……」
「あたしの部屋、使ってていいから」
「……彼女のこと、頼む」
「任せて」
ファイがドアを閉めた。
「…………」
スキルは再び腰を下ろした。
通路にまた静寂が訪れる。
長い夜になりそうだった。
✴︎ ✴︎ ✴︎
スキルは部屋の前を動かなかった。
壁にもたれて座り、そのまま仮眠を取っていた。
「…………」
肉体的にというよりは精神的に疲れたのだろう。スキルは兵士としてはかなり優
秀だが女性とのプラトニックな関係となるとかなり久しいのではないだろうか。
僕は少し歩くことにした。
マチの外からやってきた彼女のことに気づいているのはスキルとファイ、そして
連絡を取っていた情報部の老人のソダーだけみたいだった。マチの皆が話している
のはプラントで起こった銃撃戦のことだけでそれもいつものこと、と言った風に特
に恐怖に怯えるでもなく皆眠りについていた。
僕は「ディスカバリー」の船体中央の亀裂から夜空を見上げた。
外は相変わらず吹雪いていた。カワウソの僕にはちょっとだけ寒い。
「………」
何となくキュイッ、と動物風に鳴いてみた。
もちろん何も起こらない。側を歩いていた預言者のおばあさんが「あん?」とい
う目を向けただけだった。
スキルがよく行く船体上にも行ってみた。特に変わった感じも無い。
ただ、あまりに寒くて早々に退散した。
僕は、例の気配を探していた。
……実は僕は、『ヒュー』の気配が何となく分かる気がするのだ。理由は分から
ない。現れる時は何となく感じるものがある。だから『ヒュー』と出会った人間の
顔は大体分かる。気配のおかげでその場によくいたからだ。昨日のドラッグ事件の
大柄な老人も、彼が『ヒュー』に会った時側にいて見ていた。さすがにその後ずっ
と追っていた訳ではないので、その人がドラッグや爆弾を集めていたということま
では知らなかったんだけど。
とは言え、僕はスキルの日々の仕事に特別何か干渉する気はない。何かを知って
いたとしても、多分言わなかった様な気がする。僕は僕で、マチを歩いては違う基
準で日々生きている。ごはんもスキルが用意してはくれているが、基本的にマチに
いればどうとでもなる。
自分が何のために生きているのかーーそんな青臭いモラトリアムを抱えて生きて
いる訳じゃない。僕はマチを漠然と観察しながら生きているだけだ。
そんな中、久しぶりにマチに現れた『ヒュー』の存在はとても新鮮だった。僕が
初めて見たのは多分ファイの母親の前に現れた時だと思う。あの時、僕は初めて感
じた『ヒュー』の気配に興味津々だった。ファイの母親はまだ自身の妊娠に気づい
ていなかった。あれはとても陽気のいい日だった。窓から入る風に彼女がふと顔を
上げると、そこに『ヒュー』はいた。その白い髪と服の少年をボウッと見つめてい
る彼女のお腹に、近づいてきた『ヒュー」はそっと触れたのだ。そうして、ファイ
は生まれた。五十年もの間子供が生まれなかったこのマチの、最初の子供として。
このことはまだスキルにもファイにも言っていない。
何故言っていないのかーーーは自分でもよく分からない。スキルのことはそれな
りに信頼しているが、ヒトとカワウソの線引きはしている、ということだろうか。
それともスキルがしばらく『ヒュー』のことをパトリスに言わなかったように、マ
チの停滞感が招く「何となく」とかいうものだろうか。
僕は吹きすさぶ風と雪に少し身震いしながら、マチを歩いていた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
スキルの部屋の前に戻ると、まだスキルは仮眠中だった。
僕は体を震わせて体の湿気を弾き飛ばすと、例のドア横の僕用の隠し扉からそっ
と中に入って行った。ファイをわざわざ起こすのは忍びない。
「…………」
狭い通路を通って、僕はダクトから部屋内に這い出た。ファイは簡素なテーブル
の前で椅子に座って寝ていた。彼女も今日は色んなことがありすぎたことだろう。
昨日、船体上でファイと二人きりになることがあった。彼女は色々思いつめてい
る様だった。僕は知っている。かつて境界で弟を失ってから、家族とうまくいかな
くなったこと。それは結婚した後も同じだったこと。母親が『ヒュー』に出会った
ことからファイは生まれたのだが、それ故か何かがどこかでずれていったのだ。そ
して今、彼女もまた『ヒュー』に関わろうとしている。ヒトの言い方を借りれば、
それは運命なのだろうか。
彼女は多分僕のことを『ヒュー』が姿を変えた存在なのではないかと思っている
のだろうが、今のところ違う。それはいつか、確かめたいと思っている。
僕は振り向いて、少し開けてあった寝室のドアへと向かった。
中を覗くと、例の女性が横たわっていた。
なるべく音を立てない様にベッドに乗った。フカフカの毛布の感触が足に心地よ
かった。
「…………」
旧インド系の褐色の肌に長い黒髪。見れば見るほど、あのスキルのイメージの中
の角膜の女性にそっくりだった。
「………」
そっと匂いを嗅いでみた。
大人の女性の、いい香りがした。
「ん………」
女性が少し声を出したので僕はちょっとびっくりした。
「………!」
彼女の頬に、ツーっと涙が一筋流れた。
「え……?」
涙は流れているが、その表情は悲痛なものではなかった。
僕は顔を近づけて彼女を見た。無表情というか、微妙に微笑んだアルカイックス
マイルにも見える、深い表情だった。
彼女は今、どんな夢を見ているのだろうか。そこにスキルは出てきているのだろ
うか。
そしてーーー彼女は、『ヒュー』とはどんな関係なのだろうか。
今のところ、『ヒュー』が現れる時の様な感覚は全くない。
僕はしばらく、彼女を見つめていた。
静かに、夜が更けていった。
✴︎ ✴︎ ✴︎
「かわいい……君の名は?」
上から声がして僕はハッと起きた。いつの間にか眠っていたらしい。スッカリ夜
は明けていた。窓の外はまだ吹雪いている様だ。
急いで頭上を向くと、褐色の顔が覗き込んでいた。僕は上体を起こした彼女のヒ
ザの上にいた。毛布の上で体を起こして、僕は彼女を見つめた。彼女の緑色の瞳は
僕をドギマギとさせた。
キュイッ、と鳴いてとりあえずカワウソとしての体裁を保ってみた。
「………フフッ」
彼女は笑った。
それでも、もしかして話せることとか見抜かれているのではないか、という思い
は消えなかった。何故だろう。彼女が持つ深い表情のせいだろうか。
「あ、起きた?」
ファイが気配を察して戸口から声をかけてきた。
「あ……?」
彼女はハッと顔を上げた。
「あなたは……?」
「あ、あたしはファイ。スキルと昨日あなたを連れてきたの」
褐色の彼女は何かを思い出す様な顔をした。
「……スキル……」
「えっと……知ってるんじゃないの?」
確かに彼女は昨晩、「久しぶり、スキル」と言った筈だった。
ファイは訝しげに彼女を見つめた。
「彼女、起きたのか」
左目のセンサーで気配を察したのであろうスキルもやってきた。
「うん、でも……」
戸口からスキルが顔を出した。
「よう」
「あ……」
彼女はスキルを見つめた。……やはり何かを思い出す様な表情だった。
「………」
スキルもそれを察していた。
スキルはやってきて側にしゃがみ込んだ。
「じゃあ……知っていることを、話してくれるか」
いつもの様にスキルは自分の気持ちをスパッと切り替えて実質的なことを優先さ
せた様だった。
僕はさすがだなと思った。
彼女が話した内容は、随分と期待外れな感じだった。
彼女はほぼ何も覚えていなかった。自分が何処から来たのか、このマチに来る前
のことは全く知らなかった。唯一覚えているのは自分の名前が「リジー」であるこ
とだけ。
「………何だか、ごめんなさい」
「じゃあ、久しぶりって言ったのは?」
ファイは当然の質問をぶつけた。
リジーは首をかしげた。
「あの時は、確かにそう思ったの。何故だか分からないんだけど」
「………」
ファイとスキルは顔を見合わせた。
「つまりーー?」
「それだけが、記憶の欠片ーーってことかな」
「ーーーそうなの?」
リジーはキョトンとした顔で二人を見比べていた。
名前以外は、全く新情報は無いということらしかった。
僕は黙り込んだ三人をベッドの端から見つめていた。
「あの……」
先に口を開いたのはリジーだった。
「何か食べさせてもらえると……お腹空いちゃって」
「あ……」
「そうだな……」
「お願い」
リジーは手を合わせて屈託の無い笑顔を見せた。
僕はその表情をなんだかきれいだなと思った。
✴︎ ✴︎ ✴︎
スキルとファイはリジーを船体外の屋台街に連れて行こうとしたが、吹雪が酷く
断念した。
代わりにファイの部屋で非常用のミリタリーレーションをふるまうことにした。
「おいしい!」
質素だがそれなりに口には合った様だ。
「………」
スキルはそんなリジーの様子を優しい表情で見ていた。そしてファイはそんなス
キルを少し気にしていた。
僕は知っている。リジーが現れる直前に、スキルとファイは『ヒュー』の前で「
ファントム」で繋がった。それはお互いにとってより深い繋がりであったろう。お
互い内に秘めたものを感じ取っただろう。どちらかというと今までそういうことか
ら遠ざかっていたファイには、とても新鮮な感覚だったのではないだろうか。それ
は恋愛というのとは少し違うが、少なくともスキルの占める割合はそれなりに大き
くなった筈だ。
それなのにーーーそのすぐ後に、リジーが現れた。まだ分からないが、スキルに
とって大事な存在になるかもしれない女性。思うところはあるだろう。
「………」
僕はなんだか面倒になって部屋を出ようとも思ったが、スキルの部屋と違ってフ
ァイの部屋は自由に出入りは出来ないしスキルにいちいち頼むのも違うかと思って
我慢していた。ので部屋の隅っこで大人しくしていた。
「スキル……どうする?」
ファイがスキルを呼び込んで話をしていた。
「どうって……」
「パトリスには?」
「………黙っておこう」
予想通りスキルはそう返した。
「まさかとは思うが、上層部に伝わって彼女を拷問でもされるとな」
「そうだね……」
「えっと……」
「!」
「どうした」
リジーが空のレーションをつまんで恥ずかしそうにしていた。
「おかわり……ある?」
ちなみにその手の甲には「ファントム」は無かった。
たったそれだけのことでも、やはり外から来たーーと思えて仕方が無かった。「
ファントム」の使えないランプなども、手の紋章自体は一応存在するのだ。
「あぁ……ちょっと待って」
ファイが申し訳程度の小さなキッチンスペースへと向かった。
「……ありがとう」
「…………」
はにかんで笑うリジーを、スキルは少し微笑んで見ていた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
お腹が満たされるとすっかり元気になったリジーは、マチを見たがった。
「……大丈夫なの?」
「あたしは全然」
「じゃなくて、上層部に見つかったら」
「そうだな……」
スキルは少し考え込んだ。
結局、ひとしきり状況を説明したあとリジーはファイが持っていたベールを被せ
た状態でマチに出ることになった様だった。
僕も面白そうなのでついていくことにした。
エキゾチックな褐色の肌と黒髪にエスニック風のベールは割とマッチしていた。
マチの人種構成は様々で、似たようなヒトも時々いる。あの自称預言者の婆さんも
同じ様な格好をしていた気がする。
吹雪がひどいので、スキルたちはなるべく船体中央の亀裂部からは離れて奥の方
の通りを歩いていた。
「へぇ……」
連れ出したリジーはマチのあちこちを見ては興味深そうに声を上げていた。
それはまるで初めて都会に出た子供の様な反応だった。
「面白ーい………あ……」
その時、走ってきた女の子が後ろの母親に気を取られていてリジーにぶつかった。
「あらら」
リジーは女の子を優しく受け止めて、しゃがんでその頭を撫でた。
「ご、ごめんなさい」
「ううん、大丈夫。ほら、お母さんが呼んでるよ」
「……うん!」
ニパッと笑って駆け出していく女の子を、リジーは優しく見送った。
「………」
スキルはそんなリジーの様子を眺めて微笑んでいた。
僕はふと思った。
おそらくリジーは……あの『ヒュー』とは違い、生身の人間なのだろう。それを、
『ヒュー』がこのマチに何らかの方法で連れてきた。もしかしたら、このマチの人
間の様に寿命は長くなくて、見た目通りの三十歳前後の年齢なんじゃないだろうか。
だから、精神的に老いたこのマチの人々とは何処か違うのではないだろうか。
「リジーの右目……どうなってるの?」
「!?あぁ……まだ角膜はあるよ」
スキルとファイがそんな会話をするのを耳にした。
すでにリジーの体はスキルの左目でスキャン済みなのだろう。
だとしたらーーリジーはスキルの角膜の女性とは違うのだろうか。
それとも、未来でそういうことになる女性と今、ここで出会ってしまっていると
いうのだろうか。このマチなら、そして『ヒュー』ならばーーーなんでもありだと
思う。
「…………」
まぁ、僕が一人で考えていてもしょうがない。
僕は彼らのあとを、そっとついていった。
やがて夕方近くになり、彼らは「ベルリン」へと足を向けた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
「よう」
「ベルリン」ではランプが出迎えた。
ランプは見かけは少年だが、実は百歳を超えている。このマチの不思議に翻弄さ
れた一人だ。かつてはマチを憎みテロを起こしかけたのだが、今はこのマチでほぼ
唯一のバーを取り仕切っている黒人青年、キャメロンの手伝いをしている。スキル
たちはいつものカウンターではなく、奥まった目立たないテーブルについた。僕も
そばの窓枠にちょこんと陣取った。
「いらっしゃい。……そっちの女性は?」
「ちょっと仕事でな」
スキルはなるべく情報は出さないようにしているみたいだった。ランプもその辺
は感じ取った様だ。リジーが自分と同じ様に「ファントム」が使えないこともすば
やく確認していた。
「俺はビール。……リジーは?」
「えっと…オススメは?」
リジーは屈託の無い感じでランプに話しかけていた。
「何でも美味いよ、ここは。呑めるなら」
ランプはリジーのフランクさが意外と気に入った様だった。
「じゃあ、シングルモルトをロックで」
「あたしも同じのを」
ファイもいつの間にかリジーと打ち解けているようだった。
「後、ワウにも水」
「…!」
スキルは僕のことも忘れていなかった。ありがたいことだ。僕も皆にまじって一
度酔うということを経験してみたいが、カワウソの構造上無理らしい。何度か試し
たことはあるが、ひどく頭が痛くなっただけだった。
「スキル、そこのキレイな姉ちゃん、紹介しろよ」
「そうそう、新しい知り合いか?」
「ベルリン」の常連たちが早速やってきた。リジーのことを隠しておきたいなら選
ぶ店ではなかったようだ。皆すでに白脱した瞳を持つ、このマチ特有の老人たちだ。
「あ、よろしくお願いします」
リジーは運ばれてきたグラスを老人たちとチンと合わせて飲み始めた。
「……おいしーい!」
「お、いける口だね」
「スキルもとうとう身を固めるか」
「そんな訳ないだろう、仕事だよ」
スキルもやんわりと返しながらも悪い気はしていないようだった。
老人の一人がファイの方を向いて話しかけた。
「ファイちゃんはいいのかい」
「え、何がですか」
「ほら、スキルを……さ」
僕はやれやれ、と頭を足で掻いた。酔っ払った老人たちは悪気はないのだが時々
タチが悪い。
だが、皆気はいい連中だ。すでにリジーに「ファントム」が無いのは気づいてい
るだろうが、誰も何も言わない。
「まぁ……、大丈夫ですよ」
「え、二人って付き合ってたの?」
受け流したファイをリジーが追った。周りの老人たちもさてどうなるのかとニヤ
ニヤしながら見ている。
「まさか」
「そんなんじゃない」
ファイもスキルもその辺りはするっとスルーした。
「そうなんだ……なんか、邪魔したかな」
「だから、付き合ってないってば」
「わたし昨日スキルのベッド使っちゃって…」
「だーかーらー」
「……」
二人の会話にスキルはそ知らぬ顔をしていた。
周りの老人たちもほほお、とそんな二人を眺めていた。
スキルはそれでもちょっと困っている様でちょっと面白かった。
「よろしいですか」
「……!」
後ろから冷たい声がした。
一同が振り返ると、そこには少し背の低い中年の男がいた。かっちりとした上層
部用の制服のボタンを襟の上まで止めた細身の筋肉質の男だった。顔は旧ロシア系
に見える。
「ハークと言います。以後お見知り置きを」
「スキルだ……パトリスの所で何度か会ったか」
パトリスというのはスキルの元上司で、このマチの上層部の一人だ。
スキルは立ち上がった。老人たちは面倒なことになりそうなのでいそいそと散っ
ていった。
ハークという男は、生真面目だが融通の効かなそうな感じに僕には見えた。
「皆が身構えるだろ。パトリスだってここに来る時はくだけた格好をする」
僕は知っている。このハークという男はスキルはあまり好きではないタイプだ。
「私はこれ以外は着ないのです」
「そうかい」
「あなたのことはよく知っている。パトリスの庇護の元、好き勝手をやっている様
ですね」
「………」
スキルは片眉を上げた。ファイとリジーはその様子をじっと見ている。
「上層部の中にはあなたに反感を持っているものも多い。気をつけた方が良いかと」
「……そうするよ」
スキルは特に表面に嫌悪感を出してはいない。
「ところで…」
ハークはじろりとリジーたちの方を見た。
「見た所お連れの一人は「ファントム」を持っていない様ですが」
リジーが「?」という顔をした。
スキルは表情を変えなかった。
「……で?」
「この間の例もある。テロでも起こされたらたまりませんのでね」
後ろでランプがキッと睨んだのが分かった。
スキルは冷静に返した。
「俺の友人に、手出しはさせない」
「ほう……」
ハークはその細い目を更に細めた。
「……!」
突然ハークは目を逸らした。
誰かからーーおそらくパトリスから「ファントム」で連絡が入ったのだろう。
「………」
「………はい」
スキルにも同時に話しかけられている様だった。
ハークの表情が歪んだ。
「く……」
察するにパトリスからそれ以上踏み込むな、とでも言われたのだろう。
その前にカウンターのキャメロンが何処かに連絡していたようだったがパトリス
に伝えていたのだろう。
「……失礼します」
「あぁ」
ハークは肩を怒らせてベルリンのスイングドアを開けて出て行った。
「ーー大丈夫?」
ファイは心配そうに聞いた。
「リジーのことを頼む。ちょっとパトリスのところへ行ってくる」
スキルはリジーに向かって笑顔を作ってから出て行った。
✴︎ ✴︎ ✴︎
「……どうだった?」
「とにかく移動だ」
帰ってきたスキルは、リジーたちを用意しておいた別の部屋に連れ出していた。
僕はパトリスのところへは付いていかなかったので、そこで話された内容は知ら
ない。
今スキルたちがいるのは「ディスカバリー」の船体の奥まったところにある小さ
な部屋だった。もしもの時の為にスキルが用意していた様だ。
リジーはエスニックな格好から持ってきたファイの服に着替えさせられていた。
「あの……、やっぱりわたしのせい?」
リジーは思いつめた様に聞いた。
「いや……このマチのせい、かな」
「パトリスは何て?」
「ハークのことは謝られたが、それでも奴に同意する者も多いらしい」
「派閥争い、みたいな感じ?」
「シッ」
「!?」
スキルはドアの小さな覗き窓から廊下の先を覗いた。この部屋からは距離はある
のだが、スキルの部屋前が見えるのだった。スキルの目なら何が起こっているのか
確認は出来る。
「やはりな……」
「ハークの部隊?」
「あぁ」
「リジーを捕まえる気か……」
「………」
黙りこくったリジーの頭を、スキルがポンと叩いた。
「大丈夫、俺たちが守る」
「……何だか、ごめんなさい」
「ううん、まだまだ話、聞きたいしさ」
「ファイ……」
スキルもファイも、いつの間にかリジーを守る守護者のようになっていた。
僕はその関係を、親子のようだと思った。ヒトの関係は時によく変わる。こうい
う状況だと、特にだ。
「……!」
スキルとファイが反応した。
おそらく、情報センターにいるこのマチのネット環境を作った老人のソダーから
連絡が入ったのだろう。この三人の連絡は「ファントム」ではなく、内耳に装着し
たトランシーバー的なもので行われている。どちらにしろ残念ながら僕には聞こえ
ない。
「何?」
「大丈夫、仲間だ」
「誘導してくれるって」
「そう……」
「じゃあファイ、リジーを頼む。俺は陽動だ」
「了解」
「最終的には「カサブランカ」で」
「うん」
「カサブランカ」というのはマチのほぼ唯一の娼館だ。金を払って子孫繁栄の為
ではない交尾をするというヒト特有の場所。僕には特に縁がないが、スキルは時々
寄って情報をもらっているし、ファイも時々娼館の主人のキャスリンと話し込む間
柄だ。
「俺が先に出る。よろしく」
スキルはドア外をスキャンしてから出て行った。
僕は少し迷ったが、ファイとリジーの方についていくことにした。
✴︎ ✴︎ ✴︎
「こっち……!」
ファイとリジーは、ソダーの手引きもあってマチのカメラをなるべく避けつつマ
チの奥へと向かっていた。既に日はすっかりと暮れている。
僕は目立たないように天井近くの配管などを伝って走っていた。
ソダーの誘導は的確で、ファイたちがあのハークの部隊と出くわすことは無かっ
た。
走りながら、リジーがファイに話し始めた。
「……ねぇ」
「何、今忙しいんだけど」
「ちょっと、思い出したことがある」
「!?」
壁際で立ち止まり、辺りを警戒しながらファイは答えた。
「……何?」
「わたし……、ファイのことも知ってるような気がしてきた」
「……どういうこと?」
「初めてスキルを見た時みたいに……何だか前に、会ってる気がする」
「………?!」
「何だろう……この感じ」
「………?」
ファイは少し考え込んでいたが、通信で言われたのか突然ハッという顔をした。
「リジー、ごめん!」
「えっーーーん!」
ファイは突然リジーを抱き締めて唇を奪った。
「んっーーーん」
それは割と激しいキスだった。僕は少し見とれた。
最初は戸惑っていたリジーの手も、やがてファイの腰に回った。
その側を上層部直属の制服が走り抜けて行った。ファイたちをチラリと見たが、
リジーに気づきはしなかったようだ。
そいつがいなくなってから、ファイはリジーを離した。
「………ぷはっ」
「…ごめんね、咄嗟に」
「ううんーーわたしこそごめん、変なこと言って」
「気になるけど……ごめん、後で!」
「うん!」
再び二人は走り出した。
その姿は今度は仲の良い姉妹のようにも見えた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
ファイたちは「ディスカバリー」内を走っていた。
そのうち僕は気づいたのだが、結構な数のマチのヒトたちが逃避行に協力してく
れていた。
時にリジーたちを部屋に入れて制服組をやり過ごしたり、変装用の服装を貸して
くれたり、店の裏口を使わせてくれたり。それはスキルが手配したのか、はたまた
「ベルリン」などで仲良くなった人たちが互いに連絡を取り合ってくれていたのか。
僕はそれを不思議に思った。普段は割と停滞感漂うマチが、こういう時にはまた
違った顔を見せる。ヒトとはそんな一面もあるのだ。
もちろんそれはスキルやリジーが持つ人徳、みたいなものもあったろう。
特にリジー……彼女には、よく分からないがヒトを引きつける妙な雰囲気がある。
もしも『ヒュー』と関係が無かったとしても、それでも彼女は特別な何かを持っ
ている。少なくとも、そう思わせてくれる。不思議な女性だと僕は思った。
「……え?」
とある倉庫の陰で、ファイが片耳を押さえて立ち止まった。ソダーからの通信だ
ろう。
「どうしたの?」
「「カサブランカ」が押さえられたって。行き先変更だね」
ファイは困惑した表情を見せた。
「カサブランカ」はスキルが普段よくいく場所でもある。そこを最終地点にする
のは早計だったみたいだった。
「……!」
また例の内耳の通信機で連絡があった。内容からすると相手はランプの様だ。
「……了解。頼むわ」
「どっち?」
「あっち!」
またファイは走り出した。
今度は各所の階段を目立たない様に降りて行った。ランプの指示だろう。
行くうちに、僕は分かった。
今向かっているのはーーかつてランプが暮らしていたのと同じ様な、最下層の隔
壁の一つだ。その先はマチと境界の地下部分が接している場所。そして今やマチの
ドラッグ関係の温床となっている場所の一つでもある。だがそれだけに上層部の手
は届きにくい。
問題は宇宙船の船首にある「カサブランカ」などよりも更に逃げ場が少ない、と
いうことだ。もちろんスキルもその辺は考えていると思うのだがーーひょっとして
マチに現れた時の様に、そこからリジーを外に帰そうということなのだろうか。
そんなことを考えながら僕はファイとリジーについて走っていた。
やがてランプが追いついてきた。
「こっちだよ!」
「ランプ!よろしく」
ランプは器用にあちこちのハッチを開け、階層の積み重なったマチを降りて行っ
た。
✴︎ ✴︎ ✴︎
「ちょっと待って」
例の隔壁まであと少しというところでランプは立ち止まった。
内耳の通信機でソダーやスキルと連絡を取った様だ。
「……了解。無理しないで」
「どっちも大変そうだね」
どうやらソダーのところにも手が回ったのでこれ以上の追尾はできないらしい。
スキルはスキルでマチのあちこちを走り回っては追っ手をかわしている様だった。
つまりここは、ランプとファイで何とか隔壁の向こうまでリジーを連れて行くし
かない。
僕も少し息が上がっていたが、今回だけは最後まで見届けたかった。
「リジー」
ファイは真剣な顔でリジーを向いた。
「何、ファイ」
リジーも分かっている様だった。
「この先にあるのは、例のマチの境界の地下部分」
「うん」
「あたしたちが触れたら消えちゃうけど、あなたなら、もしかしたら突破できるか
もしれない。マチに入って来た時の様に」
「でも、そのあとファイ達は?」
「俺はさっさと逃げるけどね」
ランプは肩をすくめた。
「あたしはーー何とかなる。元々死んでる様なものよ」
「何でーーー何でわたしにそこまで?」
リジーは少し涙を浮かべた。
ファイはスキルがやる様にリジーの頭をポンとやった。
「ーーー分からない。でも、多分あなたはスキルの大事なヒトだしーー」
「し?」
「もしかしたらあたしにも、かもしれない」
「ーーーごめんね、わたしはまだ、何もしてないーー思い出せてない」
ファイは首を振った。
「何かするために、来たんじゃないのかも」
「ーー?」
ファイはフッと笑んだ。
「このマチは、分からないことだらけなの。皆何故ここに、何の為に来たのか、何
故此処から出られないのか。外はどうなっているのか、何故環境が変わるのか、何
故時々モノが現れるのか、そして何故寿命が無いのかーー。『ヒュー』だってその
一つ。あなたは彼が連れてきた」
「うん……」
「だから、今は謎のままでもいいの。何かの、きっかけにさえなれば」
「…………」
「あたしたちはあたしたちで、ちゃんとやっていくから」
僕はちょっとファイのことを見直した。ファイは、そんなことをずっと考えてい
たのだ。
リジーは少し考えてから、頷いた。
「ーーーありがとう」
「うん。ーー行こう」
「うん!」
隔壁の端末に、ロックパスが打ち込まれた。
ファイとリジーはその潜水艦の様な巨大な丸い出入り口を開けた。
ギィイイイッ。
「……誰もいない?」
「みたいだけど……」
二人はその中へと歩み始めた。
だけど僕は気づいた。人の気配がするーーーそれも一人じゃない!
「フーッ!」
僕は猫のように威嚇音を放った。
「!?」
遅かった。既に隔壁が後ろで閉まった後だった。
「動かないでいただこう」
あの意地悪そうな男の声がした。
「!!」
誰もいなかった目の前の景色が、ビュワッとカーテンでも開くかのように切れて
目の前に人影が現れた。
「……あっ!」
まるで手品のように現れたハークとその部隊は同じ様な制服と銃を構え、僕たち
を取り囲もうとしていた。
ライトカモフラージューーその辺り一帯を覆い隠して向こう側を写しそこにいる
ものを見えなくする技術だ。トランス時に軍隊だったマチのヒト達は持っていたが、
電力の都合でやがて見なくなった技術だった。
ハークは旧ロシア系の顔にいやらしい笑いを浮かべた。
「そちらのお嬢さん、我々について来ていただこう」
「く……」
「……」
ファイはリジーをかばって前に出た。
「ファイ。邪魔立てするならお前とて容赦はしない」
「待って!リジーは……彼女は特別なの」
ハークはニヤリと笑った。
「特別なのは分かっているよ。だからこそ我々がいただく」
「一体彼女を、どうするつもり?」
「調べるのさ。我々が知らないことを知る為に」
「その為なら、殺せるの?!」
ハークは冷たい目を離さなかった。
「当然だ」
「くっ……」
ファイは必死で策を考えている様だった。
ハークと部隊は十人ほど。撃ち合いになればタダでは済まない。
何より、リジーが危険に晒される。
さて、どうするーー?
「パトリスに助けを求めてもムダだ。この場で「ファントム」は通じない」
「?!」
既にソダーも抑えられているし、「ファントム」を抑える新たな技術を、この男
は有しているのかもしれない。
僕はごくりと唾を飲み込んだ。少しヒトっぽい仕草だと頭の端で思った。
ハークの部隊は、銃を構えたままファイたちにジリジリッと近づいてきつつあっ
た。
✴︎ ✴︎ ✴︎
「リジー、伏せて!」
ファイが叫んでしゃがんだ。リジーもあわてて身を伏せた。
ゴワッ!!
「!??」
突然辺りが揺れた。ファイたちの背後から金属塊が乱れ飛び、その後煙幕弾が投
げ入れられ辺りは煙に包まれた。
「こっち!」
ファイは叫んだ。
恐らくスキルが右手の振動波で隔壁を破ったのだろう。その前からファイとは内
耳の通信機でタイミングを図っていたのだ。
スキルの目なら煙幕の中でもファイとリジーの位置を特定することは可能だ。
「くそ、撃て!」
ハークは煙の中でヒステリックな声を上げた。天井近くに逃げていた僕にはファ
イたちが壁際に移動し、そこにスキルのシルエットが迷いなく向かうのが見えた。
弾除け用の鉄板も抱えていた。
だがハークの部隊の側にも赤外線スコープはあった様だ。やがてスキルたちは銃
撃を受け始めた。
キュイーン!
と、緑の閃光が一瞬走った。
「うあっ」
スキルの左手の生体レーザーは、隊員の銃のみを正確に狙い撃っていた。
「あうっ!」
「貴様、これだけのことをしてタダで済むと思っているのか!」
ハークが喚いた。
既にスキルたちは開いた隔壁の穴へと向かっていた。
僕も急いでそちらに向かった。
煙幕の中では混乱した制服部隊の悲鳴と怒号が聞こえていた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
「大丈夫か!」
「えぇ、リジーは?」
「あたしも!」
三人は船体内を走っていた。今度は上方へ。
「ディスカバリー」の外側へと。
「…………!」
船体の亀裂から空が見えた時、そこは吹雪から雲ひとつ無い夜空へと変化を遂げ
ていた。
天空に伸びた塔が星空をバックにシルエットで見えていたが、その中はある程度
の高さから上は境界の向こう側だ。僕も何度か行ったことがある。
「吹雪が……!」
「あぁ、いつものことだ」
僕も三人に遅れない様に走っていた。
この何処までも続く星空は、希望に向けて走るスキルたちの気分のメタファーだ、
などと思った。……これもまた、ヒトっぽい思考だろうか。
リジーが走りながら言った。
「スキル……」
「何だ」
「このままーーわたしは帰るの?」
「……嫌か?」
「またーー会える?」
「そう願うよ」
まるで長く付き合った二人の様な会話に、僕は少し照れた。ファイはどう聞いて
いたのだろうか。
「わたしはーー自分が何者なのか、知りたい。スキルのこともーーファイのことも」
「……」
「……あたしも知りたいよ」
ファイは笑いかけた。
リジーも笑った。
「あの壁の向こうだ」
船体外はもうすぐだった。
「………えっ?」
外に出た僕たちはそこの光景に目を見張った。
普段はあまり見ない群衆が、そこにあった。
「ようスキル」
「今回はなんだ」
「もう遅いのに、起きて出てきたんじゃぞ」
「ファイとリジー、どっちを選ぶか発表でもすんのか?」
見れば「ベルリン」や「カサブランカ」で見かける老人やキャメロンやキャスリ
ンなど、スキルたちに関係したヒトたちを含め多くが集まっていた。
そこは船体外の商店街。その裏手のスペースに、マチの全員とまでは言わないが
かなりの人数が集まってきていた。
「……何このヒトたち?」
「スキルが呼んだの?」
「あぁ、この際リジーのこと、皆に伝えようかと思ってな」
「!……大丈夫なの?」
ガンッ!
銃声がした。
振り向くとハークとその部隊が数を増してやってきていた。
「そこまでだ……!」
「来たか」
「スキル……」
心配そうなリジーの頭を、スキルはポンとやった。
「大丈夫だ」
「何が大丈夫だ」
ハークは乱れた髪のまま拳銃を構えて前に出てきた。
僕はその血走った目をヒト特有のものだと思った。動物は食べるために殺すが、
そこにあんな憎しみは無い。
「おぉ……?」
「な、なんだぁ……?」
集まった老人たちは戸惑っていた。
「お前らは黙っていろ!」
銃を突きつけながら怒鳴ったハークの剣幕に、一同は水を打ったように静まり返
った。
「相変わらず、偉そうだな」
「何ぃ!」
スキルは恐れていなかった。
撃たれたりはしないのだろうか。僕は屋台のテントの上に陣取って何が起こって
も見逃すまいと様子を見守っていた。
「勘違いするな。お前は支配者じゃない。奉仕者だ」
「何だと」
「それが分からないから、いつまでもパトリスの上には行けない」
「貴様……!」
痛いところを突かれたのだろう。ハークは怒りに震えていた。
その銃口はまっすぐスキルに向けられていた。
今にも火を噴きそうだった。
「………」
スキルはハークを見据え、しっかりと立っていた。
「このマチは、もう限界なんだ」
ハークは震えながら絞り出すように声を上げた。
「幾多の謎を解かねば、いずれ滅ぶのだ」
「………?」
僕は思った。このヒトは、過去に一体何があったのだろう、と。このねじれ方は、
ただの支配欲だけでは無い気がした。
「……それならそれで、仕方ないさ」
「!?」
ハークは血走った目を見開いた。
スキルは続けた。
「だがこのマチはまだいい人間がいっぱいいる。この子を殺して生きるくらいなら
皆死を選ぶさ」
「く……!」
その時僅かだが群衆の中から声がした。
「そうだそうだ!」
あれは多分ランプだったと思う。
「俺たちは俺たちでやってきとる!」
「余計な詮索などいらんのじゃ」
「皆もう充分生きた。今更死など怖くないわい!」
主に「ベルリン」の常連たちがこぞって騒ぎ始めた。
まるでマチに漂う倦怠感が別の形になって現れたようだった。
「うるさい!」
ガンッ!
ハークが空に向けて発砲した。
「う……」
「お、横暴だぞ!」
「お前らはいつもそうじゃ!」
そこはマチなのですぐに暴動になるわけでは無いが、それでも騒ぎは治まりそう
になかった。
「くそ……!」
ハークが業を煮やしてスキルに向けていた銃口を人々に向けた瞬間、スキルは素
早く前に出た。
「ハーク!」
「くっ!」
スキルは再び向けられようとしたハークの銃身を握り、反対方向に捻り上げた。
そのまま後ろに回りこんでチョークスリーパーの体勢でハークを締め上げた。
「ぐあっ!?」
制服部隊の一人が銃を構えて叫んだ。
「スキル!これ以上問題を起こすな!」
「………」
「投降すれば、周りに被害は出ない!」
「……離すぞ」
スキルはパッと拘束を解いて両手を見せた。だがスキルの両手は震動波に整体レ
ーザーを備えている。部隊も容易に近づこうとはしなかった。崩れ落ちたハークは
肩で息をしている。
「……………」
これから、スキルはどうするのだろう。
どう決着をつけるのだろうか。
僕はじっとそれを見つめていた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
ーーーーウィーッ。
「ーーー!」
その時、その場にーーーいや、マチの全体に音声放送が入った。
普段は「ファントム」を使うのだがーーまだマチにそんな設備が残っていたとは
意外だった。
そこからはパトリスの声が流れてきた。
「!?」
「何だ何だ?」
マチの一同は驚いていた。
”パトリスだ。これより上層部からの重要なメッセージを伝える”
「な……パトリス!」
腕を押さえたままのハークが叫んだ。
”これは、全てのマチの市民に向けたものだ”
まだ「ファントム」が使えないのでこのような手に出たということなのだろうか。
僕は久しぶりの空気が震えるスピーカーの感覚を全身に浴びながら聞き入った。
”今日伝えたいのは、皆が『ヒュー』と呼んでいる光る少年のことだ”
「……お?」
「ようやくかい」
「こんな連絡、珍しいの」
マチの一同はそれぞれ反応を見せていた。
”知っての通り『ヒュー』は確かにマチの外からやってきている。そしてトランス
以降から、実は何度も我々に干渉している”
「え?」
「マジかよ……」
「パトリス、それはーーー!」
ハークは動揺していた。パトリス自らが上層部が秘密にしていたことを暴露し
ているのだ。
”『ヒュー』の目的は、そしてその正体はまだ不明だ。それを解き明かした時、マ
チの謎ももしかしたら解けるのかもしれない”
「……!」
「ふむ……」
「ほぉ……!」
一同は静かに聴き入っていた。
”だが、我々としては『ヒュー』を捕らえようとか制御しようという考えは無い”
「!!」
ハークがハッと顔を上げた。
”今回、『ヒュー』が連れてきたと思われる女性がマチにいる。彼女に対しても同
様だ”
「それって……」
「ベルリン」の老人たちは白脱した瞳を見合わせた。
「リジー、か?」
「どこか様子が違うとは思っとったが……」
老人たちはリジーの方を眺めた。
スキルたちの周りに少し、スペースが出来始めた。
”彼女は今の所何も覚えていない。勿論何か思い出したことがあれば話は聞きたい
がーーー”
「う……」
”それは友好的に、だ。監禁や拷問などありえない”
「………く………」
ハークは項垂れて拳を握り締めていた。
”何か進展があれば必ず皆に報告する。それまではパニックなど起こさないよう振
る舞ってもらいたい。マチの治安は今まで通り全力で守る。以上だ”
音声放送は切れた。
「………パトリスに話、つけてたんだね」
「まぁ、ギリギリだったけどな」
スキルとファイは近づいて笑顔を交わした。
「あの……あたしは……」
リジーは戸惑っているようだった。
「いていいんだ」
スキルはリジーに手を差し出した。
「本当に……?」
スキルも、ファイも頷いた。
「もしわたしが、おばあさんになっても……?」
確かに、寿命の問題はある。スキルやファイの外見が変わらなくても、リジーは
どんどん老けていって先に死んでしまうこともありうる。
それでも、スキルはしっかりと頷いた。
「あぁ。ずっと」
「…………」
僕はその様子を、あったかい気持ちで見つめていた。
できるなら、このままこの場は終わってほしかった。また新しい雰囲気でマチが、
始まるかもしれなかった。
でもその時、僕は感じたんだ。
それはーー例の気配。
『ヒュー』が現れる時に、何故か感じるあの気配。
僕はスキルに知らせようとテントの屋根を飛び降りて向かった。
「スキル!『ヒュー』が!」
その時、緑色の光が現れた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
キィーーン!
「!!」
その柔らかな緑色の光は、突然スキルたちの頭上高くに現れた。
僕はスキルの肩に飛び乗った。
「これはーーー」
「『ヒュー』……の光か?」
「おぉ………!」
その光は柔らかく、ふわりとまたたいていた。
皆、光に見とれていた。
でも僕はその時、リジーを見ていた。
この光が目指すものは、会いに来たものは、それはリジーだと思ったからだ。
「…………!」
リジーは、何かを感じ取ったようだった。
僕はスキルの顔をちょいちょいとやった。
「!……どうした、リジー」
「リジー?」
リジーは僕がベッドで見た時のように、うっすらと涙を一筋流していた。そこに
はやはり、悲痛さは無い。
「……どうした?」
「………ありがとう」
リジーは、スキルに抱きついた。必然的に、僕も一緒に抱かれることになった。
「本当にーーーありがとう」
やっぱり、リジーは大人の女性のいい匂いがした。
「……リジー?」
「ごめんーーーやっぱり、わたしは行くみたい」
「ーー!?」
「…………」
リジーの緑色の瞳に宿る深い表情が、全てを物語っていた。
「……そうか………」
何故、とか行かないでくれ、などとスキルは言わなかった。妙に物分りがいい、
と言うか実利的ないつものスキルだった。でも奥歯をグッと噛み締めているのを、
僕は感じている。
「ごめんねーーー」
リジーは体を離した。その手はスキルの顔に触れていた。
「分かったのーーーあたしは、いつかあなたに、あげるのね」
「!!」
リジーの目は、スキルの右目に注がれていた。
「やっぱり、そうなのかーー?」
スキルは、知らない親にでも会ったかのような複雑な表情をしていた。
「ごめんーーー今は、それだけ」
「またーーーーまた会えるのか?」
「うんーーー必ず」
「………」
リジーは横のファイにも目をやった。
「またね、ファイ」
いつの間にかファイも涙を流していた。
「絶対、来てよーーー来なかったら、あたしが行くから」
「うん……」
皆も、何も言わなかった。頭上にある緑色の光がそうさせているのか、それ以上
は誰も疑問を口にしなかった。
僕は思った。まだあの白い少年ーー『ヒュー』は、姿を見せていない。
そして、「ファントム」でその場の皆が繋がり、その奥底まで感じ取れる現象も
まだだ。
今までのそれと、何が違うのだろうーー
もちろん、ハークがソダーを押さえていたので「ファントム」が稼働していない
ということもあるかもしれない。
考えたのだが、もしそれが違うというならーーそれはリジーがいること、ではな
いだろうか。
彼女が確かに、この場で何かを行っているのではないだろうか。
僕も何処か胸の中が暖かい気持ちになっているのは確かに自覚している。
今、マチの皆も同じ気分なのだろう。
でも、だがーーー。
あえて僕はリジーが何ものなのかを、知りたいと思った。
このままリジーに、ついていきたいと思った。
でも動けなかった。
リジーは、ゆっくりとマチの外へと歩いて行った。
皆、ゆっくりと後を追った。
そろそろマチの境界というところでリジーは立ち止まり、もう一度マチの方を降
り返った。
「…………」
マチのヒト達の先頭にいたスキルとファイが見つめ返した。
ずっとスキルの肩にいた僕もだ。
「…………!」
その時、僕が感じるあの気配は、さらに強いモノになった。
キィーーーーン!
緑色の光が、より強く光った。
『!!』
『わぁーー!』
『すごいーーー!』
マチの周りを取り巻く草原が、一瞬にして稲穂の海へと姿を変えた。
そしてその一瞬で、僕たちは「ファントム」で繋がった。いささか浅いそれでは
あったが、皆の驚きや感激は、まるで自分のことの様に感じ取ることが出来た。
『ーーー!』
そして僕は感じた。
今まで僕の中にあった微かな記憶ーーー僕が以前はネコやビーバーだったという
記憶が、少し形を変えていることに気づいたからだ。
それはーーー僕が、彼らによって「生み出された」のだというイメージだった。
『おぉーーー』
『何じゃ……!』
『これはーーー!』
その変化は、恐らく周りも同様だった。皆内に秘めていた記憶の欠片を再認識し、
その変化を体感していた。
僕はスキルを見つめた。
おそらくその中の記憶も、少し形を変えたのではないだろうか。
スキルはリジーを見つめたまま頷いて笑んだ。
ファイも微笑んで手を振った。
新世代のファイには記憶の欠片はないはずだが、今彼女の中では何が起こっただ
ろう。
「ファントム」の無いランプは?
あのハーク達も銃を持ったまま惚けているが、彼らの心中はどうなのだろうか。
リジーは、風に揺れる稲穂の中をゆっくりと下がっていった。
その先に、きっとあの白い少年ーー『ヒュー』はいるのだと思った。
リジーは既に明らかにマチの境界の外にいる。
その先がどうなっているのかは、まだ誰も知らない。
だが今、マチのヒト達は初めて、消えずにマチの外に出て行く存在を『ヒュー』
以外では初めて見たのだ。
今、この稲穂の海を走って行ったらどうなるのだろう。
あるいは外に、出られるのだろうか。
試すものはいなかった。
彼女は、そして『ヒュー』は特別なのだーーーそれだけは、皆分かっていた。
リジーは、やがて稲穂の中に消えていった。
マチの皆は、立ち尽くして風にたなびく黄金色の絨毯を感じていた。
緑色の光は、しばらく僕たちを見つめるようにまたたいていた。
( 続 )