# 2:「ファイ」
謎の光『ヒュー』を巡るお話、第2話です。今回はスキルの相棒、ファイが主人公のお話。よろしくお願いします。
わたしは、五十歳を迎える少女だ。
歳は五十だが、身体は二十代後半のまま止まっている。
いつまでも若々しくていいわねぇ、などと言われることもあるが、わたし自身はこの気持ち
悪い年齢と身体のギャップがあまり好きではない。皆の様に年相応に老けてから成長が止まれ
ば良かったのに、といつも思う。
そしてわたしの精神性は、この身体よりも遥か手前で止まっている様な気がする。
かつて弟が消失した。その後、結婚はした。離婚もした。子供を身ごもったこともある。結
局生きて生まれてくることはなかったけれど。
弟と、我が子の喪失。
わたしは、既に二度死んでいるのではないかと思う。
ずっと、死んだまま生きている。
✴︎ ✴︎ ✴︎
百周年をこの間迎えたマチは、静かな日常を続けていた。
わたしの名はファイ。わたしは、その出現以来五十年間子供が生まれることのなかったこの
マチに新しく生まれた最初の子供らしい。その辺の詳しい事情は大きくなってから聞かされた
ので、未だに実感は無い。
わたしが生まれるまでのマチは本当に大変だったという。トランス以降ーートランスという
のは、宇宙船「ディスカバリー」がこのホシに次元転位してきた現象のことだーーマチは多く
の犠牲者を出してきた。一番多かったのは「ディスカバリー」を離れようとしてマチの境界に
触れ、消えてしまったヒトたちだ。弟もその一人になる。
境界は「ディスカバリー」の船体から大体百メートル程のところにある。その位置は常に一
定ではなく、目にも見えないので今では誰も近づかない。それに触れれば、存在が消える。だ
からわたしたちはこのマチから永遠に出られない。
だがトランスから百年が経った今、そこを容易に突破してくる謎の光る少年ーー『ヒュー』
の存在が明らかになった。
今日もわたしはスキルと、不思議なことに寿命の存在しないこのマチを歩く。
『ヒュー』の情報を求めて。
そして、人々にそれぞれ残っているトランス以前の僅かな記憶ーー記憶の欠片を集める為に。
「美味い」
スキルはわたしの隣でケバブに舌鼓を打っている。
マチの船体周りにある屋台街で、わたしたちはブランチを取っていた。
今日はよく晴れた空が広がって暑いほどだった。
「当たりだったな」
二つ目のケバブを頬張るスキルを、わたしはそっと見つめた。
スキルはトランス時からこのマチにいるオールドタイプだ。なのに外見はわたしより少し上
なだけで止まっている。長身にロングの金髪、こげ茶色で全く白脱が始まっていない瞳。さぞ
かし同世代の中では浮いていることだろうと思っていたが、本人はもはや大して気にしていな
い様だ。この世慣れているというか妙に達観した感じは一体何なのだろうか、と時々思う。わ
たしなどはこの外見のせいか昔の幼馴染とはとっくに疎遠になってしまっているというのに。
スキルは今の所わたしの相棒だ。あの謎の少年、『ヒュー』を追う。その目的の為に一緒に
いる。わたしをスキルの所にやった上層部の一人パトリスはわたしをスキルとくっつけようと
思っているのかもしれないが、今の所そんな気配はない。何度か裸は見られたがそんな雰囲気
にはならなかった。別に望んでいる訳でもない。お互い妙に歳を取っていることの多いこのマ
チでは、恋愛になるのもそう簡単ではない。
「特に何も、起きないね…」
わたしは自分のケバブをかじりながら独り言ちた。
例の事件からしばらく経ったが、相変わらず『ヒュー』の情報は無い。マチで聞き込みをし
ていても、結局記憶の欠片が新しく更新された、という人は少なかった。あの時『ヒュー』が
放った緑色の光を直接見なかったヒトは関係無いのかもしれなかった。
スキルは「ん?」という顔でちらりとこちらを見た。そのこげ茶色の瞳にわたしーー黒髪で
旧オリエンタル系の女性が映っている。年齢よりは若すぎる外見を持ったヒトが。
「……焦ったって仕方ないぞ」
「うん……」
スキルとは八十歳程度の歳の差があるのだが、普通に話す様に言われている。本当はまだ少
むず痒い部分もあるのだが、勤めてフランクに話す様にしている。
「ねえ、スキルは今まで毎日どうしてたの」
「今までとは」
「『ヒュー』に出会うまで」
「……そうだな……」
スキルは残りのケバブを口に入れてしばらく咀嚼していた。
わたしは答えを待った。
「…普通だ」
「………そう」
それだけで会話は止まった。
スキルとはよくこういう感じになる。説明が面倒なのかそれともわたしがわずらわしいのか、
まるで倦怠期の夫婦の様に会話が無くなる時がある。本当は少しだけ不満なのだが、それを除
けば今の所関係はうまくいっていると思っている。
「……!」
キュイッ、という感じの音が脳内に響く。「ファントム」ーーわたしたちが普段通信に利用
している左手甲にあるタトゥーの様な生体通信端末ーーではなく、このマチのネット環境を作
ったラテン系の老人、ソダーからのトランシーバーによる通信だった。わたしたちの内耳には
それが埋め込まれていて、スキルにも同時に伝わっている。万一「ファントム」が使えなくな
った時の為に、ということでそうしている。
「ソダー」
「スキル、調子はどうだ」
「特に進展は無い。今もそれでファイに責められてた」
「……責めて無いでしょ」
真顔で言うスキルにわたしは少し口を尖らせて反論した。別に本気で怒っている訳でもない。
脳内でソダーの軽い笑い声が響いた。
ソダーは普段船体上部の塔になっている場所の基部辺りにある情報センターで過ごしている。
そこから外に出てきた姿を見たことはまだ無い。
「こちらも特に無いっちゃ無いんじゃが……」
「どうした」
「こないだの少年ーーランプな」
「!……ああ」
「ランプ……」
ランプというのは、マチの唯一のバー「ベルリン」でテロ事件を起こしかけた少年だ。少年
と言ってもわたしの様な新世代ではなく、実はトランス時から少年でそのまま成長が止まった
オールドタイプだった。「ファントム」が使えないせいで社会から取り残され、長いこと独り
で暮らしていたのだという。あの事件の後上層部に引き渡されてしばらく強制労働ーーマチの
掃除程度の作業をしていた筈だ。
「釈放、らしいぞ」
「早いな」
「まぁ情状酌量ってのもあるしーー」
「し?」
「しばらくスキルのところに預ける、ってことで話が着いた様じゃな」
「え」
「ん?」
あたしもスキルも少し驚いた。
「聞いてないぞ」
「まぁ、そのうち連絡が行くだろうよ」
「そうか……」
スキルは苦笑していた。そんなに嫌という訳でもなさそうだった。
「ベルリン」の事件の時に現場で直接説得していたのはスキルだ。ある種の共感みたいなも
の、理解し合えるものがあったのかもしれない。わたしはそう思っていた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
程なくして上層部のパトリスからスキルに「ファントム」で連絡があった。
『……まぁ、了解です』
スキルは神妙な顔をしながら脳内で答えていた。因みに「ファントム」も一対一だけではな
く、一度に多人数でも会話することが出来る。わたしも一緒に聞いていた。
『ところでファイ、調子はどうだ』
パトリスはわたしのことを何かと気にかけてくれる。両親とも私がハタチ前に亡くなったの
で、パトリスが親代わりの様なものだった。既にわたしが五十歳を超えようとしている今でも。
『ええ、よくしてもらってます』
『そうか?ならーー』
『でも、結婚とかは無いですよ』
わたしは先回りして言った。
「ファントム」の向こうの庁舎内の簡素な部屋でパトリスが肩を落とすのが分かった。少し
胸がチクッとした。
気を使ってスキルが間に入った。
『まぁまぁ……じゃ、「ベルリン」で』
スキルはランプとの再会場所に「ベルリン」を選んだのだった。
「いらっしゃい!」
「ベルリン」のスイングドアを開けると、黒人青年のキャメロンが威勢のいい声を上げた。
ランプが起こした例の事件で前オーナーのヴェンダーが亡くなったので、その遺言通り今の
「ベルリン」はキャメロンが切り盛りしていた。
「あれ、今日はファイ一人?」
「え?」
振り返ると、スキルの姿が無かった。此処に来るまで一緒だった筈なのに?
その時、スイングドアの向こうにスキルの長身のシルエットが近づいてきた。
「何してんだよ」
「入りにくいんだよ…」
「ゴチャゴチャ言ってても変わらないだろ」
見ると、引きずられるようにしてランプが一緒に来ていた。
ははぁ、とわたしは腰に手をやって出迎えた。ランプは先に着いたものの、入るのが億劫で
物陰にでも隠れていたのだろう。因みにスキルの左目はセンサーになっていてサーモスキャン
や生体反応チェックなども出来るので彼と隠れんぼをするのはオススメしない。
「………!」
「おい………」
「あいつ……」
スキルに連れられて入ってきたランプをキャメロンや「ベルリン」の常連たちは黙って迎え
た。
「………!」
もうゴーグルはしていなかったが、ランプの格好は相変わらず少年っぽい服装のままだった。
なりは子供だがその白脱しきった目は彼が純然たるオールドタイプであることを物語っている。
ランプは決まり悪そうにしばらく立ち尽くしていたが、やがて緊張した面持ちで一同に勢い
良く頭を下げた。
「すみませんでした!」
心を決めたのかハッキリとした声だった。
「皆さんの友人の、ヴェンダーを死なせてしまって、申し訳ありません!」
「………」
スキルはじっと皆の反応を待っていた。あたしも皆を見た。
最初に口を開いたのは、キャメロンだった。
「……まぁ、じいさんは満足して逝ったんだから、さ」
キャメロンはカウンターやテーブルの皆にも促す様に顔を向けた。
老人たちもポツポツと話し始めた。
「そうそう……連れてったのはあの光るガキだからな」
「こいつも、苦労したんだろうし……」
「ここが無くなってたら、ただじゃおかなかったけどな」
老人たちの反応は概ね悪いものではなかった。
「………!」
予想外だった様で、ランプは少し涙ぐんでいた。
「あ……ありがとうございます……」
「えっと……飲めるんだっけ?」
キャメロンはウィスキーの瓶を上げて見せた。
「じゃあ……薄いサングリアだけ……」
「ほいよ」
ランプはスキルに促されてカウンターに座った。あたしもランプを囲む様に反対側に座った。
「良かったね」
「……あぁ」
「じゃあお前、しばらくキャメロンの手伝いやんな」
「え」
ランプは意外そうに顔を上げた。
既に話は通してあるらしく、キャメロンも頷いている。先程歩いている間にはそんな気配は
無かったので、ランプが釈放になる前から用意はしていたのだろう。
わたしはそのやり方に好感を持った。
ランプは少し戸惑っていた。
「あんたの手伝いって聞いてたけど……」
「とりあえず「ベルリン」からだ。こっちの手伝いがいるときには勿論頼む」
「りょ……了解。お願いするよ」
ランプはキャメロンに深々と頭を下げた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
「こうなること、予想してたんだ」
「ベルリン」を出て歩き始めてから、わたしは聞いた。
見上げた船体の亀裂の向こうには強烈な日差しが照りつけている。
「ランプのことか」
「うん……」
「ベルリン」で貰ったアイスラテを飲みながら、わたしたちはマチを歩いていた。
「あいつも苦労してたんだし、その位はな」
「いいとこあるね」
「………」
照れたのかどうでもいいのか、それきりスキルは黙った。
「……そう言えば、ワウは?」
わたしは話題を変えた。
「さぁな……出歩いてるよ」
「……そう……」
またも話は単純に終わった。
ワウというのはカワウソだ。スキルのペットというか、ずっと側にいる存在らしい。付き合
いはトランス以来だから既に百年になる。
「………」
わたしはそっとスキルを窺った。
実は、ワウは言葉が話せる。何度かこっそりとスキルと話をしているのを聞いたことがある。
でもそのことは二人だけの秘密の様なので、わたしも触れない様にしている。でもいつかー
ーー話してくれると良い。
それにしても話すカワウソとはーー正にこのマチは、何でもありだと思う。
「……持ってろ」
「え?」
スキルがわたしにラテのストローカップを渡してきた。
視線の先を追うと前を歩いているおばあさんの後ろからそっと忍び寄ろうとしている初老の
男の姿があった。
「あ……」
スキルが走り出した。わたしは落ちそうになったカップをギリギリでキャッチした。
初老の男は突然おばあさんからバッグを奪い取ると走り出した。おばあさんはよろけて倒れ
た。
「あぁっ」
「おい!」
スキルが追った。十歩も行かないうちに初老の男は取り押さえられた。スキルは長身だが、
かなり身のこなしが軽い。
「う……離せ!」
「じいさん、無理するなよ」
わたしはおばあさんを助け起こしてスキルたちの元へ向かった。
「大丈夫ですか?」
「あ、ありがとう、ほんとに」
おばあさんはオロオロしながらお礼を言っていた。
スキルに取り押さえられていた初老の男はもがきながら謝っていた。
「すまん、出来心なんじゃ、本当に」
スキルは取り戻したバッグを見て目を細めた。
「……じいさん、命拾いしたな」
「あん?」
「あぁあんた、ありがとうよ」
おばあさんが急いだ風にスキルの手にあるバッグに手を伸ばした。
が、スキルはその手をすり抜けて立ち上がった。じいさんはその場にしゃがんだままキョト
ンとしている。
「……え?」
「ばあさん、これはなんだ?」
スキルは素早くカバンを開きその中からガム型の薬の袋を取り出した。
「う……?」
じいさんは何が起こったのかと目をしばたかせている。
気の良さそうだったばあさんはチッと舌打ちしてずる賢い顔を見せた。
「え……?」
わたしは一瞬何が起こったのか分からなかったがすぐに理解した。おばあさんはあの新型ド
ラッグの売人の一人だったのだ。
「じいさんは行きな。もうやるなよ」
「あ、あぁ……」
ひったくりのおじいさんはオドオドしながら去って行った。
スキルはすました顔でおばあさんの手を取って「ファントム」同士を近づけた。
「ほら、観念しな」
スキルはおばあさんに顔を近づけた。
おばあさんは深くため息を付いた。
ビッ。お互いの手の紋章が少し光った。
「ファントム」経由でおばあさんの身分証が転送された。スキルはカバンからドラッグの束
を全て取り出して言った。
「これは没収だ。いずれ処分が来るだろうよ」
「何だよ、偉そうに……」
悪びれないおばあさんの顔にズイとスキルの顔が近づけられた。
「偉くなくてもいい。ばあさん、これ何処で手に入れた」
✴︎ ✴︎ ✴︎
庁舎で証拠の新型ドラッグを預け、軽く報告書を書いてからわたしたちはパトリスに挨拶を
しに寄った。
「また例のドラッグか」
パトリスは渋い顔でわたしたちを出迎えた。
スキルはパトリスの前だと上司と部下という態度を崩さない。だがその裏にはわたしなどと
は違うお互いへの信頼が垣間見える。トランス以来ずっと一緒に苦労を重ねてきた年期がそう
させるのだろうか。もう五十歳になるというのに、その辺はわたしがまだ追いつけていないと
ころだと思う。もっとも、所詮男同士の間には女であるわたしなど入れないのかもしれないが。
「えぇ、やはりマチの何処かで現れているみたいですね」
スキルは直立不動のまま答えた。
このマチには、時々モノが現れる。必要なモノも、そうでないモノも。そして知らないうち
に消えてしまうこともある。その環境と同じように、このマチでは起こる何がしかに対してわ
たしたちが出来ることは少ない。
そして今の新型ドラッグにはこのマチには存在しない植物の成分が含まれていて、マチの外
から現れたものではないか、というのが今の所の見解だった。
「引き続き追います」
「よろしく頼む。……『ヒュー』の方はどうだ」
スキルは少し俯いたがパトリスから目は離さなかった。
「そちらの方はまだ……」
「まぁ、すぐにどうこうなるものでもない。根を詰めない様にな」
パトリスは簡素な椅子に持たれた。気を使ってくれた様だった。
「ふぅ…」
庁舎のブロックを抜けるとスキルは大きく息を吐いた。
「緊張してたの?」
「いや……こないだ『ヒュー』のこと黙ってたことがあったから、ちょっと……な」
ランプの事件の時、スキルは『ヒュー』ーーあの光る少年に出会ったということをしばらく
パトリスには黙っていたのだ。本人も理由がイマイチ分からなかったというがーーわたしも何
となくわかる。そう、理由は何となくーーだ。マチにうっすらと立ち込める閉塞感がそうさせ
る、何か。
「さて……どうするか」
「「カサブランカ」でも行く?」
「………」
スキルは少し目を泳がせてから首を振った。
「何かあったらキャスリンは連絡くれるから……」
そう言ってスキルは歩き出した。
「………」
わたしは知っている。
マチでほぼ唯一の娼館「カサブランカ」の経営者兼娼婦のキャスリンとスキルは、この百年
で何度も性交渉があるということ。そしてこの間はしようとして出来なかった、ということ、
スキルがそれを気にしている、ということも。
実はキャスリンとはあれから話をする様になっていた。キャスリンはスキルより少し歳上の
オールドタイプだ。旧ラテン系の肉感的な肢体と既に白脱した瞳を持つ。わたしとはかなり歳
は離れているが、普段友人付き合いもないわたしはオフの日は時々寄ってはお茶がてら話し込
む。今では「ここでバイトする気ない?」と冗談っぽく言われる間柄でもある。もちろん、今
の所娼婦になる気はないのだけれど。
「まぁ、気長にやるさ」
スキルはそう言って歩き出した。
「……あ……」
その時、わたしは物陰を走っていく小動物の影を見た。
あのシルエットは、多分ワウだとは思うのだがーー?。
✴︎ ✴︎ ✴︎
その日は調査は早めに切り上げて別れた。
まだ日が沈むには少しあったので、わたしは先程ワウを見かけた辺りに行ってみた。
「………?」
何の変哲もない路地で特に何かある場所、という訳でもなさそうだった。
わたしはワウが走って行った先へと歩き出した。
船体中央の亀裂から横方向の暗がりへと、わたしは入っていった。
「へぇ……」
スキルと二人で何度か歩いたことはある道だが、一人で歩くとまた少し違った雰囲気に感じ
られた。薄暗い微灯だけの鉄の廊下。周りよりも幾分天井の低いエリアはまた妙な閉塞感が漂
っている。
この辺りは、確か所々に空き部屋があった筈だ。マチの管理はそこまでシステマティックで
はないのでヒトが流動的な地域は時々こうなる。その部屋の何処かに何かあるのだろうか?
単にワウを追ってきただけだったのだが、そこまで考えたところでわたしは少し警戒して腰
の銃に手をかけたまま歩き始めた。母の形見のリボルバーではなく、支給されたオートの方だ。
「…………」
スキルほど戦闘に長けてはいないが、一応訓練は受けている。銃の腕だけなら負けるとは思
わなかった。
わたしは警戒しながら、歩き続けた。
カタッ。
背後の物音にわたしは素早く銃を抜いて構えた。
「!?」
「キィッ」
ネズミが走り抜けて行った。
「………ふぅ」
少し、気が抜けた。
そこまで警戒することもないだろうか。
そう思った時、側のドアがギイと音を立てて開いた。咄嗟に振り向いて銃を構えた。
「………!」
出てきたのは、前に会ったことのある預言者だという老婆、失礼、おばあさんだった。
「あ……」
「あぁ?あんたかい」
おばあさんは相変わらずのエスニックな格好だがどうやら寝起きらしかった。頭をかきなが
ら眠そうな目をわたしに向けた。
「何でこんなところにいるのさ」
「……えっと……」
わたしは銃を抜いたままだったことに気づいて腰に戻した。ドアを開けたら銃を抜いた私が
いたのだから、相当怪しかったことだろう。
「この辺りが怪しい、っていう情報があって」
曖昧過ぎる言い方だった。もっといい言い訳があるだろうに、と心の中で舌打ちした。
「そおねえ……」
おばあさんは何かを思い出すような顔をした。
「そういや、ふた部屋向こうが空いたままのはずだけど、時々出入りがある様だね」
「え」
適当に言ったのだが意外にもいい情報だった。
「あ、ありがとうございます!」
わたしはお礼を言って立ち去ろうとしたらおばあさんが声をかけてきた。
「ところで、例のあんちゃんはいないのかい」
「はい、今日は」
「ちゃんと捕まえとかないと、浮気するよ」
「付き合ってませんから……」
「言ったろ。終末が近いんだ。グズグズしてると……」
「はい、頑張ります……」
ため息をついてわたしはその部屋を覗いてみることにした。
まだ自分の部屋から覗いてサムアップしているおばあさんを手で制してから、わたしはその
ドア前に立った。
「………」
スキルに連絡すべきだ、というのは分かっていたがーーー
わたしは警戒しながらドアに手をかけた。
ーーーーギィイイッ。
目の前に現れた景色は、簡素で殺風景だった。
わたしは銃を構えたまま部屋の隅々まで確認した。
空のダンボールがいくつかあり、更にその中には空き箱が一つだけ残されていた。
「これはーーー?」
わたしはそれを手に取った。
ただの箱ではない様な気がした。
✴︎ ✴︎ ✴︎
「何故入る前に呼ばない」
予想通り呼び出したスキルは少し不機嫌だった。
「……ごめん」
わたしは素直に謝った。
確かに、銃を持った数人と鉢合わせしたりドアを開けた瞬間爆発したりする可能性もあった
のだ。
スキルが鑑識も連れてきていて、簡素な部屋内はごった返していた。
「ったく……」
ブツブツ言いながらスキルが例の箱を持って左目でスキャンした。
「……例の新型ドラッグの反応が僅かにある」
「やっぱり……」
スキルは箱の入っていたダンボールを見下ろした。
「だがこれだけのブツがあればソダーのところで反応出来る筈だがーー」
今までもそうやってドラッグの取引現場を何度となく押さえてきた筈だった。
スキルは内耳の通信機でソダーと連絡を取った。
「ソダー……どうだ?」
「やはり、こっちじゃドラッグ反応は出とらんな」
「ということはーーー?」
「量が少なかったか、箱に何か仕掛けがあるのかーー?」
スキルはもう一度箱を念入りに調べていた。
わたしは手元を覗き込んだ。
「………ん?」
スキルが何かを発見した様だった。
「これはーーー」
「何?」
「ファントム」経由でスキルからデータが送られてきた。同時にソダーの元へも送られた様
だ。だがざっと見たところわたしにはよく分からなかった。ソダーは理解した様だった。
「ほほう……」
「何です?」
「中に、特殊な偏層フィルムが挟み込まれておるな」
「フィルム……」
「これのお陰でセンサーに引っかからなかったということじゃ」
「ふむ……」
「巧妙化しとるな」
「ソダー、これをどうにか突破できるか?」
「やってみよう」
「後、このフィルムの出処もだな」
「ほいよ」
ソダーとの通信は終わった。
「ファイ」
「え」
スキルはわたしの頭を撫でた。
「一応お手柄ではあったな」
「子供じゃないんで…」
と言いつつその手を払いのけたりはしなかった。妙に心地良くて妙な気分だった。スキルは
笑った。
「今日は寝ておけ。明日は色々あるかもしれない」
「……了解」
久々に自分でも何かが出来た、という感じがしていた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
その晩、わたしは自分の部屋で一人シャワーを浴びていた。
わたしの少し赤みがかった黒髪が、ミストに包まれて湿っていく。
「………」
まだ少し、さっきの高揚感みたいなものが体に残っている。
早めに寝ようとは思うが、無理かもしれない。
こんなこと位で喜ぶなんてどうかしている、とも思う。五十年もの間、自分は何をしていた
のだろうって感じだ。思えばパトリスの庇護の元、上層部の組織で言われたことだけこなして
いた自分に気づく。
ーーいや。それは自分で何処か心を閉ざしていたからだろう。自分でも分かっている。二度
の喪失を経て、わたしは自分から何かをしようとはしなくなったのだ。普段は普通にしていて
も、その内側は冷たく乾いている。周りに対して一見問題が無い様には振舞うが、結局深く関
わり合うことを止めているのだ。
「…………」
ふと、シャワールームの窓ガラス越しにかけてあったリボルバーに目をやった。いつも手の
届くところには置いてある、わたしの母親の形見だ。彼女は特に射撃などするヒトではなかっ
たが、トランス時に持っていたというそれをとても大事にしていた。
あーーーと思ったが既に遅かった。忘れられない言葉が、蘇る。
『あの子がいたら……』
あれはわたしの母親が、ふと漏らした言葉。
弟がマチの境界に触れていなくなった後に、両親は二人ともわたしを責めなかった。子供の
わたしには、それが逆に辛かった。お前のせいだ、と言われて泣きながら思い切り謝りたかっ
た。でもその頃のわたしはただ涙をこらえていることしか出来なかった。
そんな母親が、たった一度だけ言ったのだ。あれは士官学校を出てパトリスのいる上層部に
配属になった時。父親とは既に離婚していた。今日から働くよ、と言ったわたしを見て、独り
言の様に言ったのだ。『あの子がいたら……』と。
喜んでくれただろうね、と続く普通の励ましの言葉だったのだと思いたい。でもわたしには
ずっと母親がわたしを心の中で責めていた心情があの時ふと外に出たのだ、と思えてならなか
った。結局、母が亡くなる前にそれを聞くことはなかった。
その後わたしは結婚して離婚した。その時にも我が子の喪失を経験した。当時の伴侶も母親
と同じ様にわたしを責めなかった。それが却ってわたしを蝕み、離婚の一因にもなった。結局
わたしの心の中の冷たさがそうさせたのだろう。今ではもうその相手の顔も覚えてはいない。
数千人しかいないマチだ。すれ違うこともあるのだろうが今のわたしは気づきもしないだろう。
母親と同じ様に家庭を続けることは出来なかった。そして今もーーーー死んだまま、わたしは
生きている。
「……………」
高揚感はとうに消えていた。
わたしは黙って体を拭いた。やけに濡れた髪が重たく感じた。
「…………!」
そしてその時、ふと思った。
結局、ワウはあの周辺で何をしていたのだろうか、と。
「……………?」
心の中で、何かが引っかかっていた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
次の日は寝不足のままスキルと合流した。
ソダーや上層部が調べたところによると、例のフィルムは最近マチに現れた原料から作られ、
既に原料は使い切られた後だという。その工場はもう捜索済みで工場長や手引きしたものは逮
捕されていたが、それを箱に加工した後持ち去ったグループはまだ行方が分かっていないとい
う。今の所不鮮明な監視映像を解析中とのことだった。
「肝心の実行犯は、まだだね」
わたしの言葉にスキルはやれやれと言った表情を見せた。
「俺たちは俺たちで動くことにする。……ソダー?」
内耳の通信機でわたしたちはソダーと連絡を取った。
「そっちはどうだ」
「微弱ではあるが、例のフィルター自体の反応を追っておる」
「いけそうか」
「屋内深くだと無理じゃが、運ぶ最中である程度枚数が重なっていれば何とかなるかもしれん」
「頼む」
ソダーはほぼ寝ていないだろう。普段でもあの情報センターから出歩くことは少ない。どう
やって暮らしているのか気にはなっているが、スキルは知っているのだろうか。いつか聞いて
みたいものだ。
「じゃあ、差し当たってーー?」
わたしたちはしばらく情報待ちになった様だ。
スキルはサバサバとした表情で言った。
「……ちょっと「カサブランカ」に行ってくる」
わたしは片眉を上げた。こんな時に娼館?
「…へぇ」
スキルは笑った。
「そっちじゃなくて、偵察な」
「……そう」
確かに、実行犯が隠れる場所としては「カサブランカ」も考えられなくはなかった。
「ファイは待機」
「了解……あ、スキル」
「何だ」
「……ところで、ワウは?」
昨日路地にいたことを思い出して聞いてみたのだがーー当たり障りのない様聞いたつもりだ
が少し不自然だったかもしれない。
「……さぁな」
スキルはいつも通り気の無い応答をして「カサブランカ」方面に向かった。
「………ふぅ」
わたしは、警戒がてら少しマチを歩くことにした。
マチは今日も晴れていた。船体の向こうには商店街が、そしてその向こうにはいつもの草原
がゆらりと風にたなびいていた。
わたしはいつの間にか、スキルがよく来る「ディスカバリー」の船体上に出ていた。
前に何度か黙ってスキルをつけてきたことがある。スキルは暇な時は時々ここで過ごしてい
る。風景や背後の塔を眺め、左目を閉じて遠い目になる。
前に聞いたことがある。スキルの体はほぼ再生技術によって作られた物で、元の体は右目し
か残っていない、ということ。その右目だけで、自分は世界を見ているのだ、と。
偶然を装って声をかけても良かったのだが、邪魔はしたくなかった。誰だって自分だけの場
所はあるものだ。……心の中にだって。
「………」
確かに、ここは気持ちの良い場所だった。背後を見上げると、「ディスカバリー」の高い塔
の様な部分が空に向かって突き刺さっている。塔の中には無数の部屋があって、そこに現れる
モノをいつ消えるか分からない覚悟をしたヒトたちが日夜捜索を行っている。そのお陰で、わ
たしたちは色々な物資を供給してもらっているのだ。
「…………」
わたしは気持ち良い風に当たりながら目を閉じた。
しばらく天を向いて目を閉じたまま、瞼の裏に太陽を感じていた。
「…………!」
わたしの後ろ手についた手の甲に、柔らかい感触があった。
「?」
見ると、ワウがいつの間にか側に来ていて前足で触れていた。
「あ……」
わたしは手を引っ込めてワウを向いた。
「こんにちは」
「………」
ワウはツブラな瞳でこちらをずっと見ていた。
何かを見透かすような、不思議な瞳だった。
「……ゴメン。ここに来てること、スキルには黙っててくれる?」
冗談めかして言って見たが、ワウは少し首をかしげただけだった。
わたしは少し不安になった。
ひょっとして、このカワウソは全てを見抜いているのではないか?
「ワウ……最近は何をしてるの?」
軽口風に言ってみたが、ワウはあくびをしただけだった。
「…………」
もしかして、わたしがスキルとワウが話をしていることに気がついている、ということも知
っているのではないだろうか。
知った上で、素知らぬ顔をしながらこちらを観察しているのではないだろうか。
ふとそんなことを思った。
「…………」
ワウは答えなかった。反応すらせずにずっとわたしを見ていた。
やがて、わたしは空を見上げた。
まぁ、それも致し方ない……か。
視界が、少し涙でぼやけた様な気がした。
「………!」
急にまた、自分の中の冷たさが襲ってきた様な気がしてわたしはぎゅっと胸元を握りしめた。
「…………」
ワウの方を恐る恐る振り向くと、ワウはやっぱりツブラな瞳でわたしを見つめていた。
「………ワウ………」
このカワウソは、やはり何かを知っている。
わたしがそう思った時だった。
キュイッと通信の呼び出し音が内耳に響いた。
「ファイ!」
「スキル。何かあった?」
スキルの声は少しだけ上ずっていた。
「L地区のプラントへ急げ!」
「!!」
そう遠くない場所だった。
わたしは急いで立ち上がった。
「………!」
ワウはそれだけの会話の間に何処かへと姿を消していた。
わたしは後髪を引かれる様な感じでそこを後にした。
✴︎ ✴︎ ✴︎
「………!」
わたしがプラントに着くと、既に上層部の部隊が包囲して中では散発的に銃撃戦が始まって
いた。
「ファイ」
スキルは指揮を取っているパトリスの側にいた。
「どうしてここが分かったんです」
「あの箱に残っていた僅かな指紋から辿ったらしい。俺は小さすぎて無理だと思っていた。流
石に本職だな」
パトリスはモニタを見つめながらテキパキと指示を出していた。
「プラントが傷つくとまずいんじゃ……」
「その辺は心得ているさ」
わたしたちは小声で話していた。
聞いた所によると、前にわたしも所属していた部隊は指紋の線を辿って賊の一人宅を急襲し
たらしい。そこから交友関係も辿り、このプラント襲撃計画の情報を得たのだという。例の画
像解析も終わり、箱を受け取ったグループのメンバーは既にほぼ特定されていた。
今の所プラント内にいる賊たちは徐々に制圧されつつあった。モニターを見るまでもなく、
スキルはその反応を左目で感じ取っていた。
だがわたしは何かが引っかかっていた。
「それにしても……何故ここが標的なのかな。……水源にドラッグを?」
「さぁな……ここの食物をダメにしたいのか、それともマチの皆も一緒に幻覚を見ようとかい
う刹那主義か……」
スキルは状況を見守りながらもこちらを向いた。真剣な顔だった。
「だが確かに」
「……え」
「自分たちで使った方がより長く夢は見ていられる。マチの多数を少々中毒にしたところでそ
れだけの量は供給出来ない」
「うん……」
スキルはパトリスに一言告げて、わたしと共にその場を離れた。
「これが陽動ってこと……?」
「あぁ、もし相手が狂人でなければ、ありうる」
わたしたちはマチを反対方向に歩いていた。
パトリスから「ファントム」で連絡があった。
『プラントには、あのフィルム入りのドラッグの箱は三つしかなかった』
『じゃあ……』
『箱自体は、もっとあった筈だ』
『了解です!』
キュイッと脳内で別の呼び出しがあった。
スキルは「ファントム」から内耳の通信へと切り替えた。
「ソダー!」
「例のフィルターじゃが、まだ反応が弱すぎて……ん?」
「どうした」
「X地区の倉庫街に、ドラッグ反応が現れた!」
「向かう!そのままモニタしていてくれ」
「スキル、行こう!」
X地区は予想どおり船体の反対側だ。
わたしたちは急いだ。
✴︎ ✴︎ ✴︎
わたしたちは倉庫街に着いた。
「……油断するな」
銃を抜いて構え、わたしたちは警戒しつつ進んだ。
スキルの元に連絡があった。
「スキル!」
「ベルリン」で働いているはずのランプだった。
わたしも今知ったが、ランプもソダーに内耳の通信機を入れてもらっていたのだ。確かに「
ファントム」が使えないランプと連絡を取るには必要な措置だった。
「何か分かったか」
既にランプに何か仕事を頼んでいた様だ。恐らくドラッグの流通経路に関するものだろう。
そっち系のルートはランプの方がわたしたちより詳しいはずだった。
「例のドラッグは、俺の時とは別区画で現れたものらしい。二十代前半の若者が持ち込んだん
だけど、今回の最終的な元締めは老人だってよ」
「!どんなヤツだ」
「それが変なんだ」
スキルはわたしと目を合わせて不審そうな顔になった。
「どういうことだ」
「とてもそういうことをするようなヤツじゃなかったらしい。普段は暗くて、ずっと一人でい
るようなヤツだったって」
「それが何故………」
「これはちょっと眉唾だけど……」
「何だ」
ランプは少し小声になった。
「そいつ、マチ外れで『ヒュー』を見たっていう噂がある」
「!」
「『ヒュー』に!?」
それはランプの事件以来、久しぶりの『ヒュー』の情報だった。
光る謎の少年。マチの境界を容易に超えてくる存在。そして、わたしの消えた弟にも繋がっ
ているかもしれない存在。それが、マチでの新型ドラッグ流通にも関わっている?!
そういえば先ほどソダーはドラッグ反応が「現れた」と言った。もしかして、ドラッグだけ
ではなくマチに現れる数々の物資にもーー『ヒュー』が関係しているというのだろうか?
「今分かってるのはそれ位。役に立った?」
「上々だ。助かる……ソダー!」
すぐさまソダーが情報を検索してパトリスにも送られたようだ。
プラントの方は粗方終わり、二十代前半の若者たちが捕らえられたらしい。その中にランプ
が言った老人はいなかった。
「じゃあこっちか……ファイ、油断するな」
「了解。ちょっと、わたしに黙ってること多くない?」
わたしは少し文句を言った。
「……そうか?」
「そうだよ」
「……すまん」
スキルは表情を変えずに言った。
「………」
わたしはまた胸がチクっとなるのを止めようがなかった。
黙っていることーーそれはランプのことでもあるし、記憶の欠片やワウが話せることやよく
行く船体上のことでもある。
でもそれも全て、自分の奥底の冷たさが招いたことではないだろうかーーーそんな考えが浮
かんだ。わたしとて、この自分の暗い部分についてはずっと秘密のままなのだ。スキルを責め
る資格などありはしない。
「あっちだ」
「!」
スキルの左目に何か反応があったようだ。
わたしはとりあえずそちらに意識を集中させた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
コンテナの角を曲がると壁が抜けていて、外は雨だった。
「!?」
先ほどまで雲一つなく晴れている筈だった。
また一瞬のうちに、天候が変わったのだ。それはマチではいつものことだ。
だがーー今の変化は、わたしには何かの予兆の様に感じられた。
「スキル……」
「あぁ。油断するな」
ランプの時の件もある。突然爆発に巻き込まれるのはゴメンだ。
今回は、スキルも油断なく辺りをスキャンしている筈だ。
「………」
わたしたちは銃を構えたまま進んだ。
船体から出ると、外はひどく冷え込んでいた。
「あそこだ」
わたしも気づいた。雨の中、立ち尽くす大柄な老人の姿があった。ランプが言っていた老人
の様だ。草原の向こうを向いて立ち、その側には例の箱が大量に積んであった。その箱の上部
は開いていた。ドラッグの反応が現れたのは、箱を開けたからだと思われた。残念ながら『ヒ
ュー』関係ではなかったらしい。
「スキル、あれ……」
「あぁ、……中身は例の新型ドラッグと爆弾だ」
「!……でも、何を……?」
「分からん」
わたしたちは近づいていった。
「おい!」
スキルが呼びかけた。
「動くな!」
大柄な老人は手を挙げ、ゆっくりと振り向いた。ランプが言っていた老人に間違いなかった。
「……!」
その瞳は、完全に白脱していた。成長が止まってもう長いのだろう。そして明らかに薬物中
毒の兆候が見て取れた。
「そっちこそ動くな」
老人の差し出した手には何かのスイッチが握られていた。
「………!」
スキルから「ファントム」で連絡が来た。ドラッグの下の爆弾の威力は中程度、今のわたし
たちの位置がギリギリセーフだった。スイッチは単純な無線構造、手製の荒い作りなので落と
しただけでも爆発するかもしれない。
それにしてもーーここで爆発を起こしたところで、「ディスカバリー」の船体自体を破壊出
来る訳ではないしマチ中にドラッグが舞う訳でもない。一体、何が目的なのだろうか?
『……どうする?』
口は動かさずに「ファントム」でわたしは尋ねた。
『様子を見るーーあまり刺激するな』
『了解』
わたしは頷いた。
スキルは銃を納めて一歩前に出た。
「動くなと言った」
老人はスイッチを持った右手を上げて見せた。
「………」
スキルは両手を上げた。だがその目はもちろん死んではいない。
「あんた、見たんだろう。光る少年を」
「…………!」
老人は目を見開いた。
スキルは続けた。
「俺も見たことがある。……一緒に、星空へと飛んだ」
「…………」
「あんたは、何を見たんだ?」
老人は顔を歪めた。
「わしは…………」
わたしとスキルは答えを待った、
老人は震えた目でスキルを睨んでいる。
「…………わしも、ヴェンダーの様に逝きたかった」
「………?」
スキルは、慎重に相手を観察していた。
老人はずぶ濡れのまま、ダラリと肩を落とした。
「でも、あいつは何も言ってくれなかった」
「あいつ……?」
老人は頷いた。
「持っていたヤクをチラリと見ただけだ。その時、ラリっていたからな」
「……幻覚じゃ、ないのか?」
「わしもそう思った。じゃがその後、あいつは何度かわしの前に現れた」
「…………!」
スキルがわたしの方を見た。疑問の表情ではあったが、同時にわたしに指示を出していた。
『隙があったら仕掛けるぞ』と。
「その度に、あいつは何も言わずに、ヤクを見ていた」
「だから、マチのドラッグを……?」
「集めれば、何かが起こると思った。だが結局、何も無かった」
わたしは老人の視界から外れる様に、少しずつ前に出ていた。
老人はスイッチを握りしめて震えていた。
「もう分からん。あいつが何を望んでいるのか」
「…………!」
わたしは何も見逃すまいと雨の中スキルと老人を見守っていた。
ーー結局、この老人の目的はマチをどうこうしようというものでは無かった。ただ『ヒュー』
に何とか近づく為に、手近にあったドラッグを利用しただけなのだ。
「……あいつは多分、そういう存在じゃない」
スキルは凛とした声で言った。
老人は弱々しく顔を上げた。
『……こいつは……』
スキルから「ファントム」で通信があった。
『『ヒュー』を見たのは、多分最初の一回だけだ』
『!…じゃあ……』
『後はこいつの、妄想だと思うーーーやるぞ』
『了解!』
スキルは瞬時に左手の生体レーザーを放った。老人の右手が撃ち抜かれ、スイッチは宙を舞
った。
「くっ!」
わたしは走った。
「!!」
ジャンプしてーー間一髪、スイッチが落ちる前にキャッチした。
「…………!」
わたしは腹ばいで着地していた。伸ばした手の中のスイッチが無事なのを確認した時ーーー
その手の向こう側に、小動物のシルエットが見えた。ワウだった。
「………?」
何故、ワウがここにいるのだろう。
思えば、何かマチに重要なことがある時にはそこにワウの姿があった様な気がした。
「…………!」
その時、突拍子もない考えが浮かんだ。それはずっと引っかかっていた何かが繋がった感覚
だった。
……ひょっとして、このカワウソこそが『ヒュー』なのではないか?
マチのあちこちをプラプラしているのも、その時ごとに誰かに『ヒュー』の幻覚を見せてい
るのではないか?
だとしたらーースキルもわたしも、ずっと側に『ヒュー』がいたことになるがーー
ワウはそのツブラな瞳でじっとこちらを見ていた。
「……………」
わたしは動けなかった。
「ぐ……」
老人は片膝を突き、血走った目をスキルに向けた。
「貴様……」
「悪い。爆発させるわけにはいかないんだ」
「……くそっ!」
老人は身を翻して走り出した。年の割には早かった。
「あ……待て!」
ワウに気を取られ倒れたままだったわたしは一瞬対応が遅れた。
「く!」
スキルが再び生体レーザーを構えた。
恐らく足でも撃って動きを止めようとしたのだろう。
「………!」
だがスキルは撃たなかった。目を見開いて、動きを止めていた。
「えーー?」
わたしは老人の走って行った方に視線を向けた。
そこに、『ヒュー』がーーーあの光る少年がいた。
✴︎ ✴︎ ✴︎
「あ……!」
『ヒュー』は、スキルと老人の射線上に現れていた。その体は浮いているのか、脚は濡れた
草原には触れていない様に見えた。
「く……」
もし存在が無なら撃っても構わなかったのかもしれない。だがスキルは一瞬ためらった。
「あ……」
走って行った老人は雨の中、草原の途中で消えた。
マチの境界に触れたのだ。
「く……」
『ヒュー』は白い服と髪をゆったりとなびかせていた。不思議なことに、全く雨の影響は受
けていなかった。相変わらず白っぽい瞳は、何を考えているのかよく分からない。よく見ると、
左目よりも右目の方が若干白っぽい様だった。
『貴様!』
スキルが激昂した。「ファントム」で、その怒りはわたしにも直接響いてきた。
『何故!助けなかった!』
『ヒュー』は無表情だった。
あの老人は、『ヒュー』にとって一体何だったのだろう。
恐らく、何でもなかったのではないだろうか。
いや、わたしやスキルですらーーマチそのものですら、もしかしたら気にするほどの存在で
はないのかもしれない。
『ヒュー』の無表情な顔はわたしにそう思わせた。
ーーーそういえばワウは?
思い出してわたしは目で追った。
ワウはさっきと同じく二本足で立ち、『ヒュー』の姿を見つめていた。
ーー違うのだろうか?
『ヒュー』
まただ。
その声が、「ファントム」を通して聞こえてきた。
『何なんだ!』
スキルはずっと呼びかけている。
『お前は一体、何なんだ!』
「ファントム」で繋がっているせいか、スキルの戸惑いや憤りは、より強くわたしに届い
ていた。わたしも同じ気持ちだった。
何とかーー何とか、『ヒュー』に届かないだろうか。
その時、『ヒュー』は初めて少し笑んだ様な気がした。
ビッ。
『!!』
置いてあったドラッグの箱が、突然爆発した。
『はっ!』
『ウアッ!』
それはわたしが握り締めていたスイッチのせいだったのかーーーその爆発はわたしたちを
巻き込む筈がーーー驚いたことに、その炎と爆風は何かの障壁に当たったかの様に私たちの
手前で抑え込まれていた。ドラッグも飛び散らず、半円形のドーム状のフィールド内でそれ
は起きていた。あのRPGがスキルの目前で爆発した時と同じだった。
『ーーーー!』
爆発光が収まりつつある中、『ヒュー』はひゅるりと身を翻した。
『あ……』
『お、おいーーー』
キィーーーン!
そして『ヒュー』は、緑色の光を放った。
『ーーー!』
『!!』
今まで「ファントム」で繋がっていたわたしたちは、そのより深い場所に一瞬で飛んだ。辺
りには無数の星々が見えていた。
『あぁ………』
わたしは、スキルの沢山のイメージが流れ込んでくるのを感じた。
「ファントム」のより深く。その繋がりは、単なる通信やデータを超えた感情的なレベルま
で達していた。流れ込んでくるイメージの氾濫にわたしは翻弄された。
スキルの、トランスから今までの苦労。
飄々としている様でその裏に秘めた孤独感。哀しみ。
自分の強靭過ぎる体が、それ故に時折思う様にいかないこと。
自分がいつかヒトではなくなるのではないか、という不安。
そしてーーー自身の体で唯一残った右目の角膜は、かつて知らない女性がくれたこと。
その女性に、いつか会いたいと思っていること。
『………!』
スキルも、恐らくわたしのイメージを感じ取っているだろう。
弟を喪失したこと。親との距離、別れ。
結婚と離婚。
子供をも失ったこと。
何故自分が特別なのか分からないこと。マチに生まれた最初の子供、と言われてもどうしよ
うもないこと。
何よりわたし自身の内面の冷たさ、それ故の哀しみ。
既に自分は死んでいるのだ、という思い。
今でなくても良かった、いつかは話せたらいいと思っていた沢山のこと。
だがーーー。
今こうして奥底まで繋がっていると、そんなことはどうでもよくなっていった。
『ーーーー!』
これが、本来の「ファントム」の機能なのか。
ここまでヒトは、繋がれるのだろうか。
わたしたちはそんなことをお互いに感じていた。
『スキル……』
『ファイ………』
長い時間が経った様な気がした。
その時、目の前がバッと白く変わった。
『!!』
星々だった景色が、瞬間で氷の景色に変わったのだ。
『…………!』
マチの外の草原だった所は、氷原になっていた。
ふわりとした風と一緒に、雪が飛んでくる。
振り返ると、「ディスカバリー」の船体は確かにそこにあった。
また瞬間で、マチの景色が変わったのだろう。
『…………』
わたしとスキルはキツネにつままれたように立ちつくしていた。
ここは、まだ夢の中なのだろうか?
スキルとは「ファントム」で繋がったままだ。
だが、 あの星空の中での深さは既になかった。
『スキル……』
『……何だ……』
聞きたいことは沢山ある様な気がしたが、言葉にならなかった。
いや、言葉などいらなかったのだ。確かに、先程までは。
辺りにもう『ヒュー』の姿は無かった。
あれはーー一体何だったのだろうか。
それでも確かにわたしたちは、「ファントム」の奥深くで繋がったのだ。
『ファイ…………』
『何……、スキル』
『俺の右目の角膜の女ーー見たよな』
『…………うん』
わたしは「ファントム」で答えた。
スキルは氷原の向こうをじっと見つめていた。
そしてゆっくりと左手を上げて地平線を指差した。
『…………?』
わたしがそちらをゆっくりと振り向くとーーー
吹雪の向こうに、うっすらとヒト影が見えた。
『………!』
それはふらふらと歩いてくる女性だった。だんだんと、その姿がはっきりと見えてきた。
旧インド系のような褐色の肌に黒髪の幸薄そうな美人だった。年齢は三十位、足元までの長
いワンピースを着ていた。
何よりも彼女が歩いている場所はーーー明らかに先ほど老人が消えた場所よりも外側だった。
『…………?』
『何だーーーー』
わたしは、何が起こっているのか分からなかった。
また、マチに外から誰かがやってくる!?
スキルが「ファントム」で呟くように言った。
『彼女はーーあの角膜のヒトか?』
『!?』
わたしはハッとした。
まだ遠目に見える彼女の姿は、確かにさっき見たスキルのイメージの中の女性によく似てい
る。
でもーー、そんなことがーー?。
わたしは明らかに動揺していた。
その女性が、何故今?
そして、マチの境界をまるで何も無いかの様にこちらに向かってきているーーー
スキルも動けないでいた。
女性は時折よろけながらも、境界の内側辺りへとやってきた。
やがてその女性はわたしたちをーースキルを視認して立ちどまった。
「あ……」
スキルも戸惑っていた。
わたしはーー奇妙な気分でそれを眺めていた。
明らかに、その女性はスキルと何かある。そんな気がした。
「……!」
わたしは思い出してワウを探した。
ワウは……女性の後ろで先程と同じ様に前足を上げて立ち、こちらを眺めていた。
「…………?」
何だーーー何なのだ?
マチはまた、何かを起こそうとしているのか?
ワウはーーそして『ヒュー』は?
女性は少し驚いたような顔になりーーそれから笑顔になって口を開いた。
「久しぶりーーースキル」
( 続 )




