55.
ヒュッとナイフが空を切る。岩屋の首が先ほどまであったところを、彼女のナイフは突っ切って行った。
「あら、速いわね」
「そりゃどうも」
ナイフは、さらに閃光と化す。ヒュン、ヒュンと2回か3回ほど音が鳴ると、そのたびに岩屋は左へ右へと動く。女性は、徐々に顔が笑顔になっていく。それは、冷酷な暗殺者の笑みというよりかは、この行為を楽しんでいる、遊んでいるという時の、無邪気な笑顔だ。
「いいねぇ、楽しいねぇ」
どんどん窓際へと押しやりつつある女性であるが、岩屋は何ら動じる気配はない。それどころか、岩屋も面白がっている節がある。それが証拠に、岩屋も顔が
ほころんでいた。
「なるほどねぇ、あなたも実は面白がっているのね」
女性が岩屋に聞く。一対一、誰にも気づかれることなく、戦闘は始まり、そして終わるだろう。だが、岩屋は考えていた。この戦闘が終わった時に、岩屋と目の前の彼女、どちらが果たして立っているのだろうかと。それを考える暇は、長くはなかった。女性は、今度は殺す気で岩屋へと突撃をかけてくる。
岩屋は、その猪突をわずかに左に体を動かすことによってかわすと、そのまま首筋に右手を打ち込む。
「かはっ」
わずかに女性の上体がぶれる。そこをさらに追い打ちをかける。再び右腕を同じ場所に打ち込むと、こんどは床に倒れ込んだ。ナイフは部屋の隅の方に飛んでいく。岩屋はナイフへと集中力を一切向けず、目の前に倒れている女性を見ていた。こちらのほうが危険度がはるかに高いからだ。
「ふふっ、やるわねぇ」
「そうだろ。それで、僕をどうするつもりなんだ」
「殺すわ。それが命令だもの」
「誰から?」
女性はくちをつぐむ。どうせ答えてくれそうにないことは分かっていたので、岩屋は想像で語りだす。
「そんな命令を出すとするならば、おそらくは奉葎将軍か。それとも奉王将軍か。まあ、どちらでもいい。最後は同じ結末をたどるだけだ」
「奉執将軍のことかしらねぇ。その結末って」
「そうだな」
女性は相変わらず岩屋の足元で横になっていた。ここで殺すことはできないと判断したのか、それとも別の機会を狙っているのかは分からない。だが、静かに話をしているところをみると、今の時点では殺そうとは思っていないようだ。それが分かると、岩屋は一旦彼女を立たせて、ベッドまでエスコートする。
「あら、意外と紳士的なのね」
「武器を持っていない人を殺す趣味はないよ。それだと、単なる殺戮者だ」
「今のあなたは、殺戮じゃないと?」
「違う考えでもあるのかな」
岩屋はナイフを拾い上げ、窓から捨てた。誰もいない場所めがけて投げたが、何人かは気付いたようだ。それでも、岩屋は気にせずに部屋へと戻る。ベッドへと座ると、女性の話に耳を傾け始めた。




