3.
岩屋を連れてきたのは、ずっと川辺を走り続けた先だった。3分ぐらいの疾走の後、森が急に切れて、脳槽風景が広がる。川の反対側は、ずっと遠くにわずかに霞んで見える程度だし、対岸へ行くにしては流れが早すぎる。この川は、どうやら生活用水と農業用水を兼ねているだけで、わずかに川辺で漁業をする程度の利用のようだ。
「これはひどいな……」
岩屋は道のすぐ脇にある畑らしいところに手を優しく入れる。水は十分撒かれているが、そこから伸びているのはヒョロヒョロとした弱々しい何かだった。
「これは、お米」
「米ということは、稲作か」
畑ではなくて田んぼだということに岩屋は気づいたが、それにしては水の量が圧倒的に少ない。そのことをサザキに聞くが、昔らからこうだとしか答えてくれない。それでも、1か月もあれば、村の全員にいきわたるだけの米は取れるそうだ。
「これではダメだ。もっと水がいる。これが、僕が知っている稲ならば、これでは育つわけがない」
原因がわかり、研究しがいがあることが分かると、根っからの研究者である岩屋は、急に熱くなりだす。だが、その反面、岩屋は考えていた。これは本当に稲なのか。そんな考えをさせないかのように、サザキが岩屋に聞く。
「ダメなのか?」
「ああだめだ。こんなに直ぐそばに水があるんだ。ここから水を引いてくることにしよう」
だが、そこでふと立ち止まる。そして、川を見つめ、その川の流れの速さを考えた。
「水流が速すぎるから、直接引き込めないな……」
岩屋はその場に立ち止まって考える。その様子を、不安げな表情のまま、ジッとサザキが見続ける。
「ここには、何人いるんだ」
「村人、100人。子供もいる」
「じゃあ、護岸工事ができそうな人は」
「護岸工事?」
どうやら、サザキには護岸という概念が無いらしい。言われて川辺を見ると、自生の草をそのままにして、護岸をしているようだ。生活の知恵として、数百年はどうやらこのままのようにも見える。下手すると、護岸という言葉自体、この村には無いかもしれないと、岩屋は考えながら話す。
「いいか、この川の上流から、ずっとこの辺りまでを使って、水をこっちに流し込む」
岩屋は、川の上流を指差し、ずっと足元まで引っ張ってくると、田んぼを指差す。
「川を造るの?」
岩屋はそれに答えず、サザキに聞いてみる。
「工事をしたことがある人は」
「家建てる時、5人ぐらい、いる」
「なら、その人たちをまず連れて来てくれないか。彼らとなら、きっとうまくいくだろう」
だが、ここで岩屋は考える。彼らが岩屋を信用すると言う保証はない。それどころか、どこかの勢力の敵だとして、殺されると言う可能性もある。そのことを考えている間に、サザキはすでに走り出していた。どうやら、止めることはできないようだ。
なら、と、岩屋は頭を切り替える。相手がどうやったら信用してくれるかを考えるべきなのだと。しかし、その答えは、どうしても出てこなかった。
「こっちこっち」
サザキが人を数人連れてきた。そのうちの一人は、工具箱のようなものをもってきているが、他は手ぶらでやってきた。だが、彼らは一様に、岩屋のことを訝しんでいるように見える。
「お前はどこから来た」
サザキの発音のたどたどしさとは違い、明確に英語で話している。岩屋も、同じように英語で話し返す。
「僕は、日本と呼ばれるところから来た。ここがどういう状況なのかは分からない。だが、君らを助けたい」
「はっ」
吐き捨てるように先頭に立った工具箱の男が、岩屋に向かって言い放つ。
「そんなこと言う奴が、まだいるとは驚きだ。そんな骨のあるやつらは、奉王に連れて行かれちまったからな」
「そうなのか」
来たばかりで全く分からないが、どうやら、かなりの動員がかけられているようだ。だが、岩屋の目の前に居る人たちは、まだ若く見える。村によってまちまちだと言うことなのか、それとも嘘をついているのか。その判断をする前に、工具箱の男が岩屋に尋ねる。
「それで、この米を助けてくれるって言っていたようだが」
「ああ、そうだ」
岩屋は、やっと本論に入れることを喜びつつ、簡単な説明をはじめる。つまりは、この植物のより効果的な育て方や、そのための手法などだ。だが、彼らは、あまり受け入れているような雰囲気ではなかった。
「……それが本当だと、どうやって証明する」
最大の難問を、工具箱の男に指摘される。岩屋は、ここで一つの提案をした。
「どうだろう、何か困ったことはないかな。この工事をしてもらうためには、何をすればいいだろう」
彼らは互いに目配せをして、それから円陣を組んで話し合いをはじめる。岩屋とサザキはその輪から少し離れたところで、様子を見守るしかなかった。
しばらくして、工具箱の男だけが岩屋へと近寄ってくる。そして、まだ信用していないという証拠に、岩屋をぎろりと睨みつけ、しながら言った。
「ついてこい」
その言葉だけで、くるりと岩屋に背を向け、他の人らは岩屋が逃げないように、周りを取り囲んだ。だが、サザキだけは、岩屋のすぐ横に並んで歩いていた。