1.
「そう、これで完成だ」
ぼんやりとした明かりしか無い、暗い部屋の中、岩屋はつぶやいていた。いよいよ、彼の長年の夢である装置が完成したのだ。夢自体はまだ遠いところにある。その第一歩を、ここに記すことができることは、とても幸せなことだと、岩屋は感じていた。
「まずは、第一目標達成だな……」
その言葉は、部屋のあちこちにある闇へと紛れ、誰の耳に達することも無い。だが、岩屋は今、そうつぶやかざるを得なかった。
彼の研究室と称している部屋の片隅には、不自然なほどチリひとつない綺麗な桐のタンスがある。その上に、咲いたばかりのようにきれいな白百合の一輪挿しと、白百合のすぐ後ろに岩屋と女性と幼子が一緒に写っている写真が、写真立てに納められている。
岩屋は、無意識にそちらへ視線を向け、何も言わない写真へ話しかける。
「いよいよ、君たちを再び抱きしめれるんだ」
やっと完成した装置を前にした彼は、気持ちが高ぶっているようにも見える。だが、心は極めて落ち着いていた。それは、漣ひとつ起きない、透明な湖のようにも感じる。どこまでも澄んでいて、どこまでも穏やか。それが今の彼の心情だ。
肝心の装置は、ステンレス製の、岩屋の胸ぐらいの高さがある、天板は広さが3平方メートル以上はありそうな机の上に、手のひらよりは大きい円柱が置いてある。この中に、必要なすべての機能が納められている。これから行うテストで実現すれば、世界が変わる品物でもある。
「重力発電のテストをしてみよう」
組み立てが終わっても、実際に動かなければ高価な単なる重い物に過ぎない。それゆえ、彼はまずスイッチに手を伸ばした。そして、一呼吸おいてスイッチをONへと赤いつまみを入れた。
重力発電は、スイッチを入れた瞬間、装置の内部を量子的励起状態へ空間を遷移させ、装置の内部にマイクロブラックホールを生成し、それらが蒸発する際発生させるホーキング放射を回収する。というのが原理ではあるのだが、簡単に言えば、テンションが異様に高い人が出している熱を利用しようという話である。
スイッチを入れた瞬間、それは正しく動作をした。空間は泡立ち、原子と反原子が大量に作られた。対生成がその小さな空間で無数に発生する。成功だ、岩屋は一瞬確信した。だが、それからが問題であった。
突如、ビーッと短い警報を、装置が発し始める。それと同時に、装置からは白い煙がでた。装置が暴走し始めたのだ。
「なんたることだっ」
岩屋は慌てず騒がず、装置の側面にある赤色の緊急停止用のボタンスイッチを力いっぱい押すが、煙はまったく消えそうもない。それどころか停止とはまるで逆作用で、ますます激しく噴出し始めた。少し慌てて、近くにあったペットボトルの水を装置にかけるが、どうにも収まりそうにない。
「なぜだっ」
ブラックホールは理論的には数マイクロ秒で崩壊するはずであった。だが、この様子では、合体を繰り返し、大きくなっているようにみえる。それがわかると彼は、逆になにもしないことにした。ブラックホールは、周囲のエネルギーを吸収して大きくなる。岩屋が考案した装置は、その貯めこんだエネルギーの解放を狙っていたものであったが、それに失敗したようだ。
水をかけてから数秒ほどすると、装置が徐々に紅く見えるようになってきた。重力が極めて強くなっているせいだ。赤方偏移と呼ばれる現象で、光が引き伸ばされ、波長が伸びたために赤色っぽく見える現象である。そのことは、岩屋自身にも強く感じ取れる。装置に引っ張られているという感覚が、ひしひしと伝わっているからだ。岩屋は床に固定された装置があるところから少し離れた別の机にしがみつき、どうにかその場所にとどまっている。
「そうか……」
岩屋はすべてを理解した。強風にあおられる柳の如く、ふらふらとしている足元の中で、この実験が失敗したということを。その時、桐たんすの上にある白百合が風に巻き込まれる。そして、写真立てもガタガタとひときわ激しく揺れたと思ったら、タンスから離れていった。
「待てっ」
岩屋は、足を床から離し、飛んで行く写真立てを両手で捕まえる。だが、それは一切の支えがなくなるということであった。支えがなくなったうえ、強風によって岩屋の体は宙に浮き、ブラックホールへと吸い込まれていく。岩屋の体は、足元から赤色へと変わり、周囲の景色は一点に収縮する。
そして岩屋は、意識を失った。