12.
ライタントの話はすべて本当だった。岩屋を短時間で信頼したことも、そして奉執将軍がまもなくやってくるということも。もっとも、まもなくという定義にもよるが。
結局家は、ライタントと岩屋が話している間に内装まで終わってしまった。あっという間の出来事だ。なにせ、家を組み立てつつも、部屋の内装までもやっていたが、後でその全員が内装へと取り掛かることとなったからだ。加速度的に早くなるのは当たり前のことだ。だが、ガスはなく、水道もない。電気はきているから、川の水を家の中に引き込んだ上で、温水にすることはできるだろうし、電気調理器を作りさえすれば、どうにかなるだろうと、岩屋は家の中を見ながら考えていた。
家は、1階が集会場のようにかなり広い部屋と、2階へと上がるための階段、それと豚小屋だけのつくりだ。2階には玄関があり、その先には部屋が4つある。さらには、トイレや台所も2階にあった。さらに3階は、1部屋しかないが、特に川を見る方向に大きな窓があり、日がな一日眺め続けることができるようになっている。
「サザキを呼んでもらえませんか」
「ええ、すぐに」
3階まで見た岩屋は、すぐ横にいるライタントへ頼んだ。ライタントは駆け足で部屋を抜けると、数分で戻ってくる。ライタントは息が切れているが、すぐ隣にいるサザキは、まだまだ走れそうな雰囲気をしている。岩屋は、二人を見比べた上で、まだまだ若くありたいと願った。
「サザキ、今日からここが僕たちの家だ」
突然のことだったからだろうか。面食らった感じのサザキであったが、言葉の意味が理解できるにつれて、顔は晴れ晴れとし始めた。
「2階の好きな部屋を使うといい。さあ、選んでおいで」
岩屋の顔は、娘を見る父親そのものだ。この世界で最初に出会って仲良くなったということもあるだろうが、それ以上に、死に別れた子供にそっくりだということが、岩屋の気持ちを動かしていた。そのことを察したのか、ライタントは岩屋へ告げる。
「どうでしょうか。大学堂の名前を、あなたが決めるというのは」
「いいんですか」
「もちろんかまいませんとも、先生。何か問題があるでしょうか」
あるといえばうそになるが、したいという気持ちもある。そもそも、名前を考えるのは岩屋は苦手だ。研究一本で大学卒業後来ていたせいだろう。娘の名前も、岩屋の妻が考えたものをそのまま決めたほどだ。ちなみに、妻は妻で、あちこちに相談した上で決めたという話ではあるが、それは別の話。
名前を決めていいといわれて、岩屋は悩んだ。ライタントが少し心配になるほどだ。
「大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です」
ライタントの言葉に、慌てて答える。だが、大丈夫なわけはない。だが、唐突にある名案が浮かんだ。すぐにライタントにたずねてみる。
「この里の名前は、なんでしょうか」
「ここですか。一応、大川辺里と呼ばれています」
「では、大川辺大学堂は、どうでしょうか」
「なるほど、地名から取ったのですね。先生がそうおっしゃるのでしたら、それで決定でしょう」
こうして、サザキが2階で跳ね回っている間、新しくできた私塾である大川辺大学堂の旗揚げとなった。
「そろそろ、決めたかな」
部屋に座って川を眺めること数分、2階からの音が静かになったことに気づいた岩屋は、離れたところでゆっくりと体操をしているライタントに顔を向ける。ライタントは太極拳のような動きを、ゆっくりとしていた。そして、岩屋の視線に気づくと、その動きはさらにゆっくりとなった。
「サザキですか」
「そうです。静かになりましたし、そろそろかなと」
そうですねとライタントは気をつけの体制へと戻ってから、息をできるだけ細く長くゆっくりと吐き出す。元気になったようで、ライタントはすぐに2階へと歩き出した。岩屋は、その後ろを、ライタントの3分の2ぐらいのスピードで追いかけていく。
2階へ降りると、森側の部屋のひとつで、サザキは眠っていた。ライタントと岩屋は、音を立てないようにして、眠っていることを確認してから、1階へと降りていった。
「そう、いい忘れていました」
「なんでしょうか」
1階まで降りると、大広間のところに二人は来ていた。そこで、岩屋へライタントが説明を始める。
「授業については、すべてお任せします。研究がしたいとおっしゃるのであれば、3階を使っていただければ幸いです。この部屋は、できるだけ里の人らの授業用として使いたいので」
「では、そのようにしましょう」
逆に、ライタントへ岩屋が聞く。
「研究に使う材料は、どうすればいいんでしょうか」
「私におっしゃってくだされば、用意しましょう。ただ、手に入るかどうかは、わからないので、そのことはご理解ください。行商人が定期的に来ますが、その時々によって、持って来る品物は変わりますので」
「そうですか、まあ有り合わせでも、何とかしますよ」
ハハハと、岩屋は軽快に笑った。部屋の中で、その声は響かず、すべて壁に吸収されていった。なにせ、岩屋には、その自信があったからだ。
こうして、翌日、午前9時から午後12時、お昼休み1時間半はさみ、午後1時半から午後4時半まで。2部で授業を行うこととなった。助手はサザキ一人。だが、機械や装置といったものの組み立てから、研究内容についての発表、果ては子供たちへの授業も、主に岩屋一人で行っていた。
それでも、岩屋はストレスひとつ感じることなく、ことに当たっていた。楽しかったからだ。研究し、装置を作り、授業をする。まだ娘が生きていたとき、そのままの生活が。