第一章④『未来の話』
「待てよ。アル」
生徒会室を出ると、イサムが声をかけてきた。
振り返ると、彼は後ろ手で扉を閉めたところだった。
すでに下校しようとする学生もおらず、付近に人影は無い。廊下に存在するのは二人だけだ。
イサムを見る。迷いの無い顔をしている。
もっとも、この男は一年半前に再会した時から、すでにそんな顔をしていた。
うらやましい、と思った。少しだけだが。
「まだなにか用かい? イサム」
「唐突だが、考え直した」
イサムは、睨みつけるような視線をこちらに向けてくる。
付き合いはなんだかんだで長い。だから分かった。
これは彼が怒っているときの視線だ。
思わず、表に出さない程度に身構えてしまう。
「なにを?」
「知り合いの女の子が不幸になるのは、やっぱりもう見過ごせないね。美少女は特に」
「……なにが言いたい」
「お前はこの先さ、どうする気だ?」
「どう、とは?」
「ずっと付き合わせる気か? 彼女を」
アルカムは、イサムに改めて向き直る。彼の視線がよりいっそう強くなったのを受けて、それは、自分の瞳の鋭さも増していることに対抗してだろうと気付く。
事実、心はザワつき始めていた。
「言われなくても分かってる。ずっとのつもりはない。今だけだ」
「んで、それはいつまでかかるんだ。なんで彼女が付き合ってるか、ちゃんと考えたことはあるか?」
「恩だろう。僕は彼女の命の恩人だからね」
「お前にとっても、な」
そう言って、すかさずイサムは続けて告げる。
「相変わらず夢で見て、一人では寝られてないんだろう」
アルカムは言葉に詰まった。
「復讐を終えて、何年かかるか分からないのに付き合わせて、お前はそのあとどう生きるんだ? それを考えなければいけないんじゃないのか?」
イサムの言うことは事実であり正論だった。そして、アルカムにはその正論に対する逸らしの言葉が見つからなかった。
もっとも、イサムは特にこちらの返事は期待してないようだ。
構わずに、アルカムの心を騒がせる的確な言葉を一方的に浴びせ続ける。
「もう二年だ。復讐を……止めろとはいわない。だが、未来を見始めるのはいい時期だ。そうは思わないか」
「僕たち姉弟のことに口を出さないで欲しいと言って、先ほど君は了承しただろう」
「お前ら姉弟のことにはな、けど、これはミリィちゃんのことでもある」
「それは僕たちの問題だ。君には関係ない」
「そうやって勝手に囲みを作って人の話を聞かないのは昔からだな。それに、僕たちの問題だって? よく言うぜ、俺にはお前の問題に見えるがな」
「なに?」
「もう一度言うが、ミリィちゃんはいい子だ。あんな子は幸せになるべきだ。そしてそれに沿うように生きることは、きっとアネさんだって望んでる」
その瞬間、アルカムは何も考えられなくなる。
「お前は、その意思に反した行動を――」
硬く握った拳は、イサムの顔面にめり込んだ。
○●○
扉を挟んだ先の廊下では、罵り合う怒声と、人間を超えた身体能力を持つ者同士が殴り合う重音が響き続けていた。しかし、それもやがて収まった。
しばらく無音が続いたが、次の瞬間。
「ウィナー!!」
と、扉が開かれて、拳を天に突き上げたイサムが生徒会室内に戻ってきた。
その顔にはアザとキズがあり、片足は軽く引きずっている。
リネットは机の上で行っていた作業の手を止めて、椅子から腰を浮かす。
「そこに座れ」
棚の救急箱と、備え付けの冷蔵庫からは氷と湿布を取り出して、リネットはイサムに近寄った。
「あいつ、“氣兵装”こそ使わなかったが、マジで殴りやがった。いってぇ……」
椅子に腰掛けたイサムに、リネットは氷を渡す。続けて、救急箱から消毒液を取り出して、ガーゼに湿らせて、イサムの顔を拭う。
「ご苦労だったな」
消毒液が染みる痛みに耐えながら、イサムは意外そうな表情を浮かべた。
「まさか労わってくれるとはなマスター。俺は“エイリーカンパニー”に不利なことした。うまくいったら、あいつ辞めるかもしれんぜ」
「私とて人の子だ、彼女を――親友を憂いる気持ちも当然ある。ほら、動くな。まずこれをあてろ」
イサムは、顔を手で抑えられ、氷を持った手ごと握られて、それを顔のアザへと押し付けられた。
「冷たっ!」
一瞬、驚いた顔をしたイサムはだったが、やがてそれをニコニコとしたものへと変えた。
リネットは、怪訝そうな表情を浮かべた。
「何だよニヤニヤして。気持ち悪いな……」
「朝から気持ち悪い気持ち悪いってひどいなぁ。ところでさリネット」
「なんだ」
「みんなが、幸せになれればいいんだがなぁ」
しみじみと呟くイサムを見て、リネットは、
「それは求めすぎだな。人にできるのはせいぜい大多数を幸せにする、それぐらいが精一杯で、それぐらいが限界だ。私だってそうさ」
「君は、自分を幸せにする労力すら他の事に費やす。俺はそれが心配だ」
「すでに覚悟はできているさ。この家に名を連ねたものの宿命として受け入れてもいる」
「まぁ、それでもいいか。君は皆を幸せにしようと頑張ればいい。君が自分のことを顧みない分、俺が自分を顧みずに、君を幸せにするために全力を尽くすよ」
「……そうか」
シップが、腫れている頬に強めに貼られる。小さいながらもパチンと乾いた音がした。
「いってぇぇぇぇぇ!?」
当然、イサムは声を出す。そして、貼られたシップの上から擦りながら。
「何すんだよぉ!?」
しかし、リネットは意に介さず、自分の机に戻っていく。ただ、
「期待はしないが、せいぜい努力しろ」
とだけ言った。
それを聞いて、イサムは拳を握り親指を突き上げた。
○●○
人工島“エイリーシティ”。その近海には、ダイロビ軍の水中揚陸艦“サラマンドラ”と“トライゼン”が敵レーダーの死角で待機していた。
「街の防衛は強固だよ」
薄暗い“サラマンドラ”の小さなブリッジでは、一人の男が通信用モニターの光に照らされていた。
若者である。オールバックで後ろに束ねられた銀髪。鍛えられた分厚い胸板。茶色の軍服。瞳は鋭く、肌は白い。
「それも、防衛者達を束ねるのは、あの鉄狐リネット・エイリーと最強のSV乗りの一角と言われる“氣士”イサム・フロラインだ。攻めるのは結構だが、貴公がそう言うからには建設的な方法を教えていただけるんだろうな?」
若者――ネス・ポンド大佐は、艦長席に鎮座して、モニターに映る人物を見やった。
『外が強固なら、内から崩すだけだろ』
「簡単に言うなよバラン大佐。上官の無根拠発言は士気が下がる」
ネス・ポンドはそう言って、二人の通信を興味津々といった感じで聞き入っていた兵に視線を送る。兵は慌てて作業に戻った。
バラン・バラン大佐は、年齢は三○過ぎの男だった。引き締まった肉体を、ネスと同様のダイロビ軍士官用の軍服に身を包ませている。
彼は、盛り上がった肩を小刻みに揺らして笑った後、頬の古い刀傷を指でなぞった。
やろうと思えば傷跡を残さずに消せるそれをわざと残しつつ、しかもそれを強調するようなその癖を、ネスはあまり好きではなかった。
『しかしネスよ。もうやるって決めたんだろ。だったらうだうだ話すのは、無しだぜ』
「そう簡単に言うな、と言っている……」
不機嫌さを示すように、ネスは顎の角度を少し上げた。
彼らが与えられた任務とは、単純かつ明快なもので、“エイリーシティ”の攻略だった。
しかし、“エイリーシティ”は“カンパニーズ”の中立都市の中でも人型兵器SVを始めとする生産工場も備えており、その防衛力も非常に強力だった。とても水中揚陸艦数隻でどうこうできる相手ではない。
当然、司令部も分かっている。つまり“エイリーシティ”を攻略せよ、と言っても、その実、とりあえず脅しをかけて来い、という意味だ。
一度服従を拒まれたからと言って、このようにネチネチとした嫌がらせを続けるのはネスとしては情けないとも思うのだが、命令とあらば、とりあえずフリだけでもしてみせねばならなかった。
「作戦の決行はもちろん行う、命令だからな。しかし、その手段は私に一任されている事をお忘れか?」
ネスは、モニターに刺すような視線を送る。
「そんなに死にたければ勝手に突貫でもなんでもやってくれ。しかしその場合、私の部隊と“サラマンドラ”はここで待機する」
『オッケー。ならばお前は手を出すなよ』
「……なに?」
『大体。お前の方が手柄が多いっていうのは前から気に食わなかったんだ。今回は俺たちがやらせてもらう』
言葉の虚偽を疑った。しかし、目の前の同僚の自信にあふれた顔は、ネスのその疑いを否定している。
「好きにしろ」
ネスが手を払ってそう言うと、バラン大佐はニヤリを笑った。
『見ていろ』
モニターに光の残滓を残して、通信は切れた。
「よろしいのですか?」
ネスの隣から、彼の副官であるサラサが歩いてきて尋ねてきた。
サラサは、二一歳。緑の長髪と、しっとりとした印象の美女だった。軍服はネス達と同じ茶色ではなく、白を基盤としたものだ。この軍服はダイロビ内では騎士将と呼ばれる地位の人間にしか着用を許されていないものである。
「いたのか、サラサ」
「私はあなたの部下ですので」
そう、部下だった。
ダイロビ軍の中で騎士将というのは、統一軍で言えば少将クラスに匹敵した。
大佐と騎士将。階級的には明らかにサラサの方が上だ。しかし、故あって彼女は階級が下のこの若者に絶対の忠誠を誓っていた。
「それよりバラン大佐ですが、なんなら私から言いましょうか?」
同格であるネスの言葉を退ける事はできても、階級が上のサラサには逆らえない。このサラサがネスとの連携行動に戻るように言えば、バランもネスの指揮下に戻るだろう。
しかし、ネスはその提案を却下した。
「いいさ。やりたいと言うのならやらせてやればいい」
「ですが」
「そう心配するなサラサ。バランはああ見えて優秀な男だ。大口をたたくのも、何か算段があっての事だろう」
「それは存じております。ですが、わざわざネス様の手柄を譲り渡す事もないかと」
「手柄などいらないよサラサ。私はそんなものは望んでいない。知っているだろう? それに……」
ネスは可笑しそうに小さく笑った。
「自ら私たちの陽動をやってくれるというんだ。むしろ感謝しなければ」
「御意」
その答えに満足したネスは、サラサの長髪に指を触れ、クルクルと回して見せた。サラサは逆らわなかった。主人のこの癖は、幼少の頃から知っていたし、この美女の美しい髪に触れる権利を持つ男はこのネス・ポンドしかおらず、それは彼女も認めていたのだ。