第一章②『四人の関係』
三○○万の人口を有する“エイリーシティ”。その中心部にほど近いとあるマンション内。
2DKの空間に、二人は住んでいた。
「すまなかった」
食卓に並べられた昼食――オムライスに手を付ける前に、制服を着込んだアルカムはまず謝罪を口にした。
すでに一口目を頬張っていたミリィは、目を丸くして、口のものを飲み込んでから、
「あら、何がですか?」
と、本当になんの事か分からないと言った様子で聞き返してくる。
そんな彼女の格好は、先ほどのパジャマとは違い、アルカムと同じ学生服だった。
珍しい緑色の長髪が、窓から侵入してくる陽の光に反射してキラキラと輝き、見る者に神々しさすら感じさせる。整った顔立ち、丸みを帯びた瞳、透明感のある白い肌、小さな唇の隣にケチャップソースが付いているのに気づいて、細い指がティッシュを運び、拭う。
「また君に学園を遅刻させてしまうことにだよ」
美人ではなく、かわいらしい、という形容の方が似合う彼女の表情が、笑みを浮かべる。
「何を今更。あなたが働いてくれているおかげで、私は生活できているんですから、これぐらいは……あっ、でも最近は夜に仕事が入ることが多いんですね。去年はそんなことがなかったのに。いつの時代でも運送業は大変ですね」
「……ああ」
と答えるアルカムの瞳に、小さなゆらぎがあった。
運送業、というのは真っ赤なウソだ。
アルカムは、昨夜のああいったこと――命じられるままにSVを駆使して街のトラブルを解決する非正規で都市防衛課のような仕事――を行いながら収入を得て、二人分の生活費としていた。
元来、そちらの方にしか能が無かったというのもある。しかし、それ以上にこの街の権力者に近寄り、“目的”を達成し易い環境に身を置く必要があった。
アルカムはそのことをミリィには明かしていない。毎月決まって振込まれる給料の言い訳として、SV運送のアルバイトをしていることにしていた。
「忙しいだけ感謝しなきゃいけないんだろうけど」
「それでも、働き過ぎなのでたまに心配になります。お金はもちろん大切ですけど、私にとっては、あなたの方が大事ですから」
一瞬、アルカムは返答に詰まる。
目の前には、彼女の頬が紅葉していく過程が見えた。
「……ありがとう」
「はい、どういたしまして」
この内容の会話はこれで終了した。それ以上はもう言わないでほしいという視線を、アルカムは感じ取ったからだ。
アルカムは、残りのオムライスを少々早めに食べ終えると、
「じゃあ、そろそろ学園に行こうか。食器は僕が片付けるよ」
と、急ぐように席を立つ。
真っすぐに見られず、横目で確認すると、彼女はまだ照れくさそうに笑っていた。
○●○
「いよっ、ご両人。今日も遅かったなぁ。子作りか?」
街の中心部。そびえ立つ“エイリーカンパニー”本社ビルの隣に確保された広大な敷地の中の学園。
今は授業中だ。人気の少ない校門をくぐってしばらくすると、先ほどのセリフが飛び込んできた。
アルカムとミリィは振り返る。
そこにいたのは、昨晩、アルカムと仕事をした同僚――イサム・フロラインだった。
出で立ちは学生服である。肩まで伸びる長髪を揺らして、異常なまでに整った顔立ちを緩めながら、校門からこちらに近寄ってくる。
どうやら、彼も学園に来たばかりのようだ。
昨日の事件の後、解散したのはそれこそ太陽が出始めている時間だった。アルカムと同じく、いままで寝ていたのだろう。
「おはよう。いや、こんにちはだな。相も変わらずかわゆいねぇミリィちゃんは」
常に女性優先の彼は、話かけるときはいつもミリィからだ。
「ありがとうございます。相変わらずイサムさんも格好良いですよ~」
下衆い言葉にも笑顔で対応するミリィ。すでにイサムとも出会って一年になるとはいえ、
(慣れたのだろうが、それをふまえても人が良いことだ)
と、アルカムは思った。
「本当? じゃあ美男美女同士で付き合っちゃう?」
「それは駄目で~す」
「えーなんでなんで? こんな仏頂面の同居人なんか気にすること無いって」
イサムの指先が、アルカムの頬をつつく。それをアルカムは鬱陶しそうに手で払う。
「出会い頭から、なにをくだらないことを言ってるんだ君は」
しかし、彼は払われた力を利用するように体を一回転させてから、今度はアルカムの肩に腕を回して寄りかかってきた。
「……重いんだけど。ってかうっとうしいんだけど」
アルカムが言うと、イサムは視線をミリィに向けた。
「じゃあ、ミリィちゃんによりかかっちゃおうかな~」
「おいっ、なにを言って――」
「私は構いませんが」
ミリィの返答に、アルカムとイサムは一瞬だけ固まる。
「えっ、マジで? いいの!?」
「ミ、ミリィ!?」
詰め寄る二人に、彼女は笑顔のまま、
「でもイサムさん。見られてますよ」
と、細い指を突き出した。それは、ちょうど男二人の後方だった。
同時に振り返ると、
「ぶはぁ!?」
と、悲鳴に近い呻きの声。イサムの顔面にだけ、高速で迫る分厚い本がぶつかった。
「ミリィから離れろ! このロクデナシのヤドロクが!」
分厚い本を放り投げた少女は、そう言って校門からこちらに早足で歩いてきた。
「ミリィ♪」
その後、アルカムの傍を軽やかな歩調で通り抜けて、ミリィに抱きついた。
「お前は、相変わらず髪もふわふわしててかわいいな♪ いい匂いもするし、それにしてもむさい男二人に挟まれてかわいそうに。それにしてもいい匂いがするなぁ♪」
その光景を、アルカムは呆然と眺めていた。動きに無駄が無く、滑らか過ぎて反応できなかった。
黒い長髪に、整った眉目、女性にしては高い身長。かわいらしいというより、美人という言葉が似合う、そんな少女だ。学生服を着ており、アルカムやミリィと同じこのフィオナ学園に通う二年生でもある。名前はリネット・エイリーといった。
ちなみに、この街と島を支配する“カンパニーズ”系列の企業である“エイリーカンパニー”の若き社長でもある。
彼女はアルカムにとっては雇い主、イサムにとっては直属の上司でもあった。
いつもは役職柄、毅然とした態度を示す彼女であるが、しかし、いまはそんな様子が微塵もない。
破顔し、うっとりとした表情を浮かべながら、リネットはアルカムの同居人に頬をすり寄せていた。
「ああ~んかわいい♪ 本当にかわいいなミリィは♪ 忙しさからくる荒んだ心を癒してくれるのはお前だけだぁ、えへへ」
「リネットさん。くすぐったいんで止めてください」
「おお、そうかすまんすまん。つい」
「って、口だけじゃなくて本当に離れてくださいよ~」
と困った顔で言いつつ、ミリィも極端には嫌がっていない。基本的に、他人との接触は好きな子なのだ。
しかし、あまりにも中が良さそうにスキンシップしている光景には、アルカムも少しドキドキしてしまう。
「そうだよ。抱きつくなら俺にしなよー」
女性二人がくっついている方に、イサムがニヤけた表情を浮かべて駆け寄っていく。
先ほど、彼はリネットに放られた分厚い本の直撃を受けたはずだが、その形跡は微塵も見られない。
(上手く防いだか)
と、イサムの手がミリィにかかった際に、いつでも全力全開の拳を打ち出せる準備をしつつ、アルカムは心の中で呟く。
“ダイロビ柔錬鉄”。“とある能力”を持った人間の意思に反応して形を変える“異星人”の技術を流用して作られた金属。
そして、イサムはそのとある能力――“氣士”と呼ばれる力を持っている。
彼は、とっさに身につけている“ダイロビ柔錬鉄製”の腕輪の一部を、自身を覆う盾のように展開させて、投げつけられた本による衝撃を防いだのだろう。
国によって違うが、一般的にそれは“氣障壁”と呼ばれていた。
“氣士”の能力に寄るところも大きいが、イサムぐらいの技能を持っていると、その“氣障壁”は投げられた本どころか、銃弾さえも防ぐ事が可能だった。
「ええいっ! 寄るなキモイわ!」
リネットから繰り出されるいくつかの拳を、イサムは難なくかわす。それどころか、
「何度もモデル雑誌で投稿されて表紙も飾り、反響を呼びまくりでネットではエイリーシティの貴公子、と呼ばれてる俺にキモいとか、言ってくれるぜ!」
と、激しい回避運動の最中にも、息を乱すことなく文句を言う。
「はぁ? ああその雑誌は見た見た。えっと、古本屋の隅で埃かぶったやつけど」
「あっ、そうなの? どうだった?」
少し期待を込めた視線で、彼は上司に問いかける。
「大丈夫。毎日見てるのとおんなじ感じで、やぼったくて気持ち悪くて埃かぶった感じで気持ち悪くて、いつもどおりで気持ち悪かったから」
「ひでえな!? でもそんな冷たいリネットちゃんも好きだよ♪」
と、隙を見てイサムは、ミリィに抱きついているリネットに抱きついた。
リネットは、常人に比べれば身体能力が高いとはいえ、その身体能力自体を爆発的に高めることができるイサムとは比較にならない。
“氣障壁”に、“身体能力の瞬発的な向上”、この二つは“氣士”と呼ばれる者たちの代表的な能力だ。
「こらっ!? こいつ、いい加減にしろ!」
今度のリネットの拳は、イサムの顔面を捉えてめり込んだ。
イサムは、“氣障壁”を展開させなかった。そんなことをすればリネットの拳の方がケガをしてしまうからだろう。
彼は、そのままあっけなく背中から地面に倒れ込んで目を回した。
「上司にセクハラすんなと何回言わせるんだ!」
さらに足踏みという追撃が加わり、腹に食らったイサムはぐえっ、とつぶされたカエルのような声を上げた。
「まぁまぁリネットさん。少し落ち着いてください」
「本当にこの馬鹿は……」
「でも羨ましいですね。ああやって好意を素直に伝えてくれる人がいるというのは女冥利に尽きるといいますか」
リネットは、友人の言葉を受けて、数秒間この世のものとは思えないものを見てしまったかのような顔と、沈黙をした後、
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
息の長い呻きの声をあげて、ミリィの肩をガシッと掴む。
「騙されるなよミリィ!? あいつ誰にでも言ってるぞ! 誰にでも言ってるから!」
「え~、でもリネットさんに対してが一番積極的だと思いますよ~」
誰にでも言ってる、という点に関して否定しなかったことにアルカムは気づいたが、ややこしくなりそうなので、あえて口には出さなかった。
「うれしくない!」
「羨ましいです♪」
相手の反応を楽しむように、ミリィは言葉を友人に被せていた。
「隣の芝生は青く見えてるレベルじゃないぞそれ!? 汚物を宝石と見間違えてるクラスの勘違いだ!」
「さすがに言われようがひどくね!? なんだかんだで俺、都市防衛やらリネットちゃんの護衛やらで結構命と体張ってんだけど!?」
いつの間にか、地面から復活しているイサムが抗議の声をあげた。
「ふん! 護衛ならアルカムでもいい――」
とここで、リネットは考え込んだ。
「……考えてみれば、アルカムの方がいいなぁ」
しみじみと、そう呟く。
「うっそ、俺失業の危機!?」
「だって、アルカムは私に変なことしないし」
「俺も変な事しないよ! おとなしいよ!」
「人の寝室に勝手に入り込んできたり、風呂に入ってこようとするのはどうなんだ! 犯罪だろうが!?」
「はっはっは、何を言ってるんだリネットちゃん。同意なら犯罪じゃないよ」
「私が! いつ! どこで! どんな言葉でそれを同意した!?」
「俺は分かってるから。心と心で通じ合ってるし」
「このストーカー思考のドヤ顔している勘違い変質者を今すぐ撃ち殺したい……」
肩を震わせながら言ったあと、リネットはアルカムに向き直った。
「なぁ、アルカム。どうだろう。非正規雇用から正社員になる気はないか? さらに私の護衛になってくれれば給料はいまの四倍、いや五倍は出すが」
「そうですね……」
心の内は決まっているが、頭から断るのも恩人であるリネットに悪い気がして、一応は迷って見せる。
「すみませんリネットさん。僕は――」
アルカムがやんわりと拒否をしようとしている途中で、
「そんなの絶対ダメですよ!」
と、大きな声がする。思わずアルカムは体を一度震わせた。
声の主は、ミリィだ。三人は、反射的に緑髪の少女に顔を向ける。
「ミリィ?」
アルカムが声をかけるが、彼女は興奮した様子で言葉を止めない。
「リネットさんの周りは危険じゃないですか! そんなところにアルさんがいくのは絶対にダメです! 変なこと言わないでください!」
正面から言われたリネットは、その親友の言葉に、ただ狼狽えていた。
常におっとりとしている彼女にしては、この態度は珍しい。日頃とのその差に、聞き手の三人は完全に呑まれていた。
しばらくの沈黙の後、ミリィはハッとして、呆然としている知人三人の顔を順に見て、
「ご、ごめんなさい。あの、リネットさんもイサムさんもこの街のために頑張ってるのに、こんな言い方」
深く、ミリィは頭を下げた。
「感謝しています。本当に。この髪の私がアルさんと平穏に暮らせるのもこの街があるおかげです。でも、アルさんにこれ以上の仕事はして欲しくなくて……」
全てを言わせる前に、リネットはミリィの肩に手を置いて言葉を止めた。
「いや、すまないミリィ。冗談が過ぎたようだ。アルカム。すまなかったな。悪ノリしてしまった」
「……いえ」
この時は、そう返すのが精一杯だった。
「そうそう。リネットちゃんみたいな女王様に付いていけるのは俺だけだって。ってことで、そら三人とも、そろそろ教室に行くとしようか」
場を濁すように抑揚のある口調で言ったあと、イサムがリネットの肩に手をかけて、校舎に行こうとする。しかし、その手はリネットにつねられた。
「いけずだなぁ……」
リネットが歩き出し、手をさすりながらイサムが続く。
「あっそうだ、アルカム」
足を止め、リネットが振り返ってきた。
「帰りに生徒会室に来てくれ、“例の件”で話したいことがある」
その言葉に、アルカムは体に微細な緊張が奔るのを感じた。
「……わかりました」
アルカムは、素直に頷く。
リネットは、親友の視線に気付く。続けて彼女は困ったような表情を浮かべた。
「怒るなよミリィ。安心しろ。勧誘じゃないって」
とだけ言って、今度こそ校舎に向かってリネットは歩いていった。