第一章①『街の守護者』
《登場人物》
○アルカム・ユーロ:男性。主人公
○ミリィ・ラロンス:女性。主人公の同居人&クラスメイト
○イサム・フロライン:男性。主人公の同僚&クラスメイト
○リネット・エイリー:女性。主人公の上司&クラスメイト
開閉ハッチから侵入する風は冷たく、どこか重たい。身を切るような気さえしてくるのは、空気中に含む水分が多い証拠か。
黙想から、彼は意識を戻す。
目を開くと、見えるのは相変わらずの夜空、丸い月、千切れた綿のような雲、暗い海。
腕時計を確認すると、時刻は夜の一時を回っていた。
(そろそろ到着か?)
狭い操縦席から体を起こす。防ぐ術をなくした銀色のボサボサ頭は、風によって無残にもてあそばれた。
「寒っ……」
身を震わせながら、眼下を見渡す。
はるか先には、街の灯りが並んでいた。
港だ。
本来であれば波ぐらいしか動きのない小さな港なのだが、今日に限ってはどこか慌ただしい。もっと言えば多数の人工の光がうごめいていた。
(結構、大ごとになってるな)
目を細めながら眺めていると、傍のランプが赤く点滅した。
通信が入ったことを示す合図だった。
『風邪ひくぞ』
聞き覚えのある声だ。反射的に隣を見る。数十メートル程離れて、夜空に紛れるように飛ぶ黒塗りのヘリと、その下に備え付けられた巨大な物体から、身を乗り出し、手を上げている若い男が見えた。
通信はその男からだった。同じ“部隊”の同僚だ。
「分かったよ」
応じて、彼は再び狭い座席に身を投げた。
淡くともる手元の液晶板を操作すると、風が吹き込んでいた前面のハッチがゆっくりと閉まる。
風が途切れる。
次いで、自身を包み込むように設置されたモニターに、夜の海や暗い空をはじめとする周囲の光景が映し出された。
『そろそろだ。準備は?』
通信器越しに、再び同僚からの声がする。
「行けるよ。行けばいいんでしょ」
『偏屈な言い方をするじゃないか。どうした?』
「気持ちよく寝ているところを叩き起されたからね。嫌みの一つも言いたくなる」
“機体”の起動準備をしながら、あくびを堪える。
『ほっほぉ~』
「なんだよ」
『よっぽど新しい“抱き枕”の感触が良いらしい』
それは乾いた笑みと、含みの混ざった声だった。
その瞬間、先程までベッドで体験していた感触を思い出した。
「……ど、ど、ど、どこまで知っている?」
『リネット経由で全部知ってる。女の連絡網は光回線より速いってな。結婚式にはちゃんと呼んでくれよ』
「んなぁっ!?」
茶化したような言葉を最後に、通信は一方的に切られた。
○●○
人工島“エイリーシティ”。
地球上に大きく分けて三つある勢力の中で、唯一中立を宣言している勢力“カンパニーズ”。その“カンパニーズ”が自治を行う百八の街の一つが“エイリーシティ”である。
世界のいたるところで戦争が起きている中、戦火から逃れたいという人間を隔たりなく受け入れるのを一つの主義としているこの街には、その主義に乗じて余分な人間も紛れ込んでくる。
例えば、スパイなどだ。
『逃走犯は西港倉庫地区に侵入!』
『繰り返す! やつは作業用“サーヴァント”に乗り込んだ! 繰り返す! “サーヴァント”に乗り込んだ!』
速度規制など度外視に走行する数台のパトカー。そして、その先には暴走とも言える速度で走る黄色い物体があった。
人型だった。それも巨大な、である。
全長は十メートル程。丸太のような四肢、長方形の胴体、足に付けられたローラーが火花を吹いて回転し、道を走る。
人型を模した重機――SV“サーヴァント”だ。
その“サーヴァント”が、脚部に取り付けられたローラーを駆使し、まるでスピードスケートの選手のように、港の倉庫街の広い運搬用道路を右へ左へと高速で駆けていた。
「くそっ!」
パトカーを運転する、若い警官が毒づいた。
「もっと近づかないと!」
彼が車のペダルに込める力を強めようとしたところで、
「やめろ! あんなのに反撃を食らったらひとたまりもないぞ!」
と、助手席の先輩警官に止められた。
「し、しかし」
「俺たちは逃がさなければいいんだ! 後は本社の連中がやってくれる!」
「本社の連中?」
「そうか、お前はまだ新人だから知らないか」
先輩が言い終わると同時に、車と人型兵器の走行音以外に、海風に乗って断続的な爆音が響き始める。
プロペラのローター音だ。運転席の横の窓を見ると、暗い空に二機のヘリがこちらに向かっている。また、ヘリの大きさを超える何かを吊り下げていた。
「あれは?」
若い警官が呟く。先輩警官の表情に、安堵の色が浮かんだ。
「あれがその本社の連中だよ」
○●○
「あれがターゲットか」
多数のパトカーに追われる黄色い機体を視認した。
“イエロービートル”。テレビのCMで何度か見たことがある最新の人型重機だ。作業となれば優秀な重機だが、操縦者の意思によっては兵器と化す。
現在、その重機は正体不明の犯罪者に乗っ取られていた。通常装備しかない警察では“無傷”の確保は難しいだろう。
(なるほど、確かに僕たちが呼ばれるわけだ)
この時、彼――アルカム・ユーロは自分のSV“サーヴァント”の起動を完了させた。コックピット全体に光が生まれる。
その光に照らされて、銀色のボサボサ頭に、端正ながらも一七歳という年齢に相応な幼い印象を与える顔立ちが浮かぶ。着込んでいるのはパイロット用に開発された、可動部に最低限のプロテクターの付いた黒いスーツだ。
『高度二十メートル。投下します。よろしいですね?』
自身の機体を運ぶヘリのパイロットから通信が入る。
「大丈夫だ。あとのタイミングはこちらに」
『了解』
機体を支えるアームの外れる音。
答えてすぐ、アルカムは迷いなく機体を降下させた。
『えっ!? ちょ――』
ヘリのパイロットから、驚きの短い声があがる。
アルカムの降下のタイミングがかなり早いのだ。輸送ヘリからの降下は、低空とはいえ停止後に垂直に着地させるのが普通なのだが、ヘリが投下ポイントに行く前に投下を始めた結果、機体はヘリが前進していた慣性に従い、ななめ上から飛び降りるように地面に降り立った。
大きな音と地を揺るがすような振動。
盛大に砂埃が舞う。
下手をすれば、機体がそのまま前方に転げてしまう可能性があったが、SVはバランスをみじんに崩すことなく着地した。
「こちらは治安維持部隊です。そこの重機は停止されたし」
ターゲットの人型重機は、行く手を阻まれて急停止する。
対峙する、二機のSV。
アルカムの機体は、人型重機に比べて洗練されたデザインだった。
バイザーのような頭部センサー、細く流線的な四肢、厚みは重機と変わらないものの、より駆動を考慮された胴体、磨き上げられた全身鎧のような紫色の特殊装甲。
名を“ガイスト”という。
武装こそ無いが、外観から明らかに戦闘用と見てとれた。
事実、この“ガイスト”は“カンパニーズ”の各都市防衛部にて一般的に配備されている正真正銘の戦闘用SVだった。
“ガイスト”に乗り込んでいるアルカムは息を吸う。
「あなたには、“エイリーカンパニー”特A級地区への不法侵入、ならびに第三級データベースへの不正アクセスの容疑と、器物損壊、他者の人型重機不正使用の現行犯で、確保の命令が出ています。おとなしくこちらの指示に従ってください」
しかし、ターゲットはその言葉に逆らうように反転した。
『いぃやっほぉぉぉぉぉお!』
その時、外部スピーカーをオンにしたまま、重機の行く手をさえぎるように新たな機体が空中から飛来した。
“ガイスト”だ。
アルカムと同じく、勢いよく空から飛来した“ガイスト”は、すぐれた操縦によりバランスを崩すことなく着地し、“イエロービートル”に向き直った。
なお、その“ガイスト”の装甲は、白と青を基盤としたトリコロールに塗られていた。
『以下略! 先ほどの警告におとなしく従うなら良し! さもなくばその機体を行動不能にする!』
そう言って彼――イサム・フロラインは、背に取り付けていた機体の全高を超える対SV用の槍を腕部に装備して、盛大に風を切って振り回して見せる。
アルカムは、宣告の中でも最悪な方法をした同僚に冷めた視線を投げる。
「イサム。煽るなよ……」
『さぁさぁ早く決めろよ!』
無駄と悟って、アルカムは逃げ道をふさがれたターゲットに再び注意を向けた。
しばし躊躇と思われる硬直をした後、ターゲットは盛大なエンジン音と、戦闘用に比べて簡易な構造の関節を軋ませて、アルカムの“ガイスト”へと突進してきた。
(武器持ちのイサム機よりは無手のこちらを相手にしよう、という考えか)
『あ~あ。よりケガする可能性の高い方に行きやがった』
イサムのがっかり感の混じった言葉を、アルカムは意識から締め出す。
向かってくる鋼鉄の塊に対して、アルカムは“ガイスト”を身構えさせた。
酷く直線的な突撃だ。やけになっているのか。素人というのもあるかもしれない。
(しかし、だからこそ与しやすい)
通常の重機と違い、SV型の重機は、重いものを持ち上げる、動かすという目的以上に、繊細な作業を要求される。
よって、一般的な重機に比べて、上半身の可動を優先するあまり、重心がどうしても上部になり、下半身の安定性が――特に動作中は脆弱になりやすい。
戦闘用SVであれば、近距離での格闘戦も考慮されている設計のため、そのような欠点は無いのだが。
迫る“イエロービートル”をアルカムは心乱すことなく見据える。
対処は簡単だ。
敵は腕部を振り回して、こちらに叩きつけようとした。
上半身に重心がある機体が、更に上半身を激しく動かして、機体バランスを自分から崩したのだ。
アルカムは、ただ“ガイスト”の姿勢を低くして、相手の勢いに合わせて担ぐように腕部で誘導して、
「まだ、車で逃げたほうが良かったんじゃないかな」
そう評するとともに、敵の“イエロービートル”を、頭上から地面に叩き落とした。
○●○
トリコロールカラーの“ガイスト”の背後で、パトカーから降りた若い警官はそれを呆然と見ていた。
“イエロービートル”が、紫の“ガイスト”に向かっていき、金属の接触するような音が一度した。
しかし、その後は取っ組み合いと呼べるものすら起こらなかった。
瞬間“イエロービートル”は、“ガイスト”の前面で一回転してコックピットとも呼べる頭部から地面に倒れ込んでいたのだ。
操縦席へと続くドアは、上部へ開く構造になっている。ああなってしまえば、搭乗者は閉じ込められて、降りることができない。
つまり、もう中の人間は逃げることができない。
柔術のようなものだろうか。映画やニュースの映像を除き、SVの戦闘を目の前で見たのは初めてだ。あのような滑らかな動きをSVでこなせるイメージは全くなかった。
「まぁ、一件落着だな」
先輩警官が、腰から銃を抜きながら隣で呟いた。
「おい、なにボサッとしてんだよ。犯人の確保に行くぞ」
「あのSVに近付いて大丈夫なんですか?」
「はぁ? あれは“ガイスト”じゃねぇか。うちの街のSVだぞ」
「いえ、そうですけど。こんなところになんで防衛のSVが……」
「本部が呼んだんだろ」
「しかし、あれは正規の機体じゃないですよね? 確か、街の“ガイスト”はカラーリングが青かった。あんな暗い紫や明るい色では……」
「正直、俺も詳しくは知らんし、教えてももらえんのだ」
「そんな曖昧な……」
「曖昧も何も、“ガイスト”である以上“エイリーカンパニーズ”本社の所属だろうし、うちの偉いさんがあの機体の登場を見越して俺たちに指示を出すことも多いんだ。敵ってことはあるめぇ」
先輩が動かない重機に向かって歩き出したので、警官はしぶしぶその後ろに付いていく。
二機の“ガイスト”は動かない。自分たちが重機の搭乗者を確保するのを見守るつもりのようだ。
夜の街は、徐々に静寂を取り戻し始めていた。
○●○
帰宅して、即座に泥のように眠り込んだのは覚えている。
目を開けても、しばらくは視界が霧でも発生しているかのように、ぼやけたままだった。
疲れは無い。スッキリとした感覚がある。目覚めの良さから考えて一、二時間の睡眠ではない。
「お目覚めですか?」
傍で、風鈴を思わせる心地の良い声がした。
その声だけは、寝起きで意識が歪んでいても誰のものかはすぐに分かる。
それ以前に、自分がこのようにぐっすり眠れたのならば、それは彼女が傍にいたからに他ならない。
いつも迷惑をかけるな、と心の中でアルカムは軽く詫びる。
「今は、何時?」
と問いかける頃には、視界と意識のモヤは徐々に晴れていった。
「十時半です。朝ごはん――いえ、少し早いお昼ご飯にしましょうか」
そう言って、同じベッドの中にいた彼女――ミリィ・ラロンスはゆったりと身を起こした。
“地球人から見れば珍しい”緑色の長髪、整った顔立ち、丸みを帯びた瞳、白い肌、小柄な体躯。彼女のパジャマにプリントされている愛らしい熊のキャラクターがやけに目につく。
むしろ他に視線が行かないように、アルカムは無意識にそちらに目をやるようにしていたのかもしれない。
「そうか、もうそんな時間か」
自分でも、壁にかけられた時計を確認する。
今日は平日だ。学生でもある自分たちは当然学園に行かねばならない日だ。
しかし、今からではどんなに急いでも午後の授業からの参加になるだろう。
“また”彼女を自分の眠りに付き合わせてしまったことに罪悪感を感じつつ、部屋を出たミリィの後に、アルカムも続いた。