第四章②『“ミリアリア”の目的』
“エイリーシティ”近海の戦闘海域。
戦況は“ダイロビ”優位で進んでいた。
艦艇や航空機、水上を移動板で滑走するSVの戦力数はほぼ同じだが、“ダイロビ”の“氣士”は“カンパニーズ”の約二倍。その差だった。
しかし、その優位であるはずの“ダイロビ”軍第七艦隊戦艦“バールト”の艦橋では、焦りの声が往来していた。
「敵SV! 回避行動を取りつつ海上を高速で接近!」
「水上移動板を装備! いままでと違い“氣障壁”を展開しています! “カンパニーズ”の“氣士”です!」
緑色の髪を持つ“ダイロビ”人の女性オペレータが次々と状況を報告する。
少佐の階級章を身につけた中年の男も、艦長席で声を張った。
「そんな事は分かっとる! ミサイルが直撃しても向かってくる時点でな!」
「こちらの防衛の“氣士”は何をしているのかと聞いたのだよ! 艦長は!」
叫ぶ艦長とその傍に控える副官。彼らには別のオペレーターが応じた。
「すでに、対処に……いえ、護衛“氣士”バーテン中尉の通信途絶!」
「バーテン中尉が!?」
「“氣士”ロリアン曹長の反応もありません!」
場のざわめきが加速する。敵の“氣士”と相対している状況で、護衛に“氣士”がいないのはすなわち自分たちの死を意味する。
「他の“氣士”に連絡を取れ! いや、相手の“氣士”の確認はできているのか!?」
もし、相手が“カンパニーズ”内でも名の知れた“氣士”なのであれば、半端な“氣士”を他の艦隊から派遣してもらったところで、討ち取られるだけ。また、それは同時に“氣士”の援軍を割り振った艦隊の危機をも招くことになる。
『そんなに慌てるなよ』
その声で、敵“氣士”のデータを照合しようとしてした、オペレーターの手が止まった。
戦艦の側面から、水上移動板によって水しぶきをあげながら猛スピードで前に出る機体があった。
青を基盤とした装甲を持つ、細身なSV――味方の“氣士”用SVだ。
「おお! アルトマル卿! 第五艦隊担当のアルトマル卿か!」
艦長だけではない。この艦橋にいる全員の表情に安堵の表情が浮かぶ。
アルトマル卿は、騎士将有力候補と言われている“氣士”の一人だ。有力貴族の出身で爵位も持っている。統一軍に対する戦果も十分で、屠った“氣士”も二桁に届く。
彼も自身の担当の艦隊があったはずだが、こうやって要請前に駆けつけたということは、自身の担当の艦隊を狙う“カンパニーズ”の“氣士”はすでに撃退したのだろう。
『長耳のSVか。ふざけた格好だ。我がランスのサビにしてくれよう』
そう呟くと同時に、アルトマルのSVの手元に機体の全長よりも長いランス――“氣兵装”が錬成される。そして、騎乗する水上移動板の出力をあげて突撃した。
ランスチャージ。
アルトマル卿の単純にして強力な必殺技。その攻撃で、一撃の名の下に粉砕される敵を“ダイロビ”の軍人ならば、現実で、映像で、何度も見ている。
対するのは、こちらも水上移動板に騎乗し、高速で迫るカンパニーズの“氣士”用SV。深い紫色の装甲に、細身の四肢。そして、握られているのは二丁の戦斧。
二機の水上移動板が交差する。
直前、“カンパニーズ”のSVが背部に取り付けていたバックパックから炎を噴射させて、さらに水上移動板を踏みしめて跳躍した。
『素人が! そんな動きが限定されるやり方で!』
アルトマルは、相手の動き対して正確に反応。すかさずランスの穂先を、跳躍した“カンパニーズ”のSVへと向けた。
『串刺しとなれ! 卑劣な地球人!』
空中へ繰り出される強力で鋭い突き。それを、
『なっ、減速したぁ!?』
“カンパニーズ”のSVは、背部から突如出現させた翼のような“氣障壁”を文字通り羽ばたかせた。続けて、落下の慣性に逆らって一瞬滞空。機体をひねりながら落下の角度を変えて、突き出された穂先をくぐり抜けるとアルトマルに迫る。
『空中で、横跳び? 何だ! その翼は――』
流れに乗るように振るわれた戦斧の刃が、アルトマルの機体に激突した。
衝撃が場を揺らす。足場の海から水しぶきが高く舞い、二機の姿を隠す。
“バールト”の搭乗員たちが見守る中。
「アルトマル卿は、アルトマル卿はどうなっ――」
艦長が視界でアルトマルの姿を探し出そうとしたとき、投擲された戦斧が水柱を割って“バールト”の艦橋に迫った。
○●○
『敵第七艦隊無力化、完了』
イサムが“ダイロビ”第五艦隊に押し切られた味方側の援護を終えて、同じく“ダイロビ”の第七艦隊に進攻された戦場にたどり着くと、その第七艦隊は味方の“氣士”に殲滅されていた。
「遠目で見ていたぞ。相変わらず、お前の翼は使えるな」
軽く口笛を吹いてからイサムが呼びかけると、鋼鉄の残骸が浮かんでいる海の中心で水上移動板に騎乗して佇む“エルフィオン”のパイロット――アルカムが応じた。
『性能もそうだが、機体への“氣”の伝達も悪くない。“ガイスト”とは段違いだ』
小さく開かれたウィンドウに映る僚友が、無表情にそう評す。
先ほどアルカムが使っていた“氣障壁”の形状を変えて錬成した“翼”は文字通りの役割を果たす。先ほどアルカムが行った空中での不規則な方向転換や滞空を可能として、敵を翻弄することができた。
もっとも、それには高い“氣障壁”の錬成能力と、SV専用機に装備された“氣士”能力増幅器が必要だった。
最新鋭でアルカムの“氣”の流れを存分に発揮できるように調整された“エルフィオン”と、アルカムの稀有な“氣士”技能が重なって始めて実現できる、おそらくこの世で彼だけが使える装備だ。
『推力がかつての機体ほどではないのが残念だが』
イサムは呆れて息をつく。が、どこか落ち着いている彼の様子に安堵も覚えた。
三日前、“ダイロビ”の“氣士”との戦闘に割り込んでアルカムを連れ戻した直後など、ひどいものだった。
コックピットから力ずくで引き出すと、狂乱して暴れた。残していた体力の差もあって最終的にはイサムが気絶させて事を収めたが、あの場に“氣士”の自分がいなければ下手をすれば死人がでていたかもしれない。
「アホ。あんなん異常だ。それぐらいがちょうどいいだろう」
どこか冗談めかして言ったイサムだったが、
『話が長くなったな。こうなったらどこまでもいく。最後までいく』
と、返答は抑揚のない淡々とした口調だった。
その時、アルカムが懐から手のひらに収まるぐらいの大きさのケースを取り出したのが見えた。
それがどんなものなのかを知っていたイサムは、目を見開いた。
睡眠抑制薬。
“カンパニーズ”の特別製であり、“彼女”の喪失によって安らかな睡眠を取れなくなった彼が、睡眠を拒絶しつつ、それでも戦いを続けるために入手を希望したもの。
とても強力なもので、一粒飲めば一晩は完全に眠気が取れる。しかし、元は強力な精神興奮剤で人体に与える副作用も定かではない特注の試作薬だ。
それを、彼はウィンドウの向こうで躊躇なく“二粒も”噛み砕いた。
「アルカム、お前……」
ケースは透明だ。中身は容易に確認できる。それはまだ服用を始めてから三日しか経過していないにも関わらず、すでに空に近かった。
一ヶ月分の量があったはずだ。
呆然としているイサムを尻目に、アルカムはまるでソフトキャンディでも食べるかのように更に数粒を噛み砕いた。
『フォローを頼む』
それだけ告げて、“エルフィオン”は水上移動板の先頭を敵陣へと向ける。すぐにバックパックから推力を伴う火炎が噴射された。
海上を疾走し、離れていく僚友を眺めて、イサムはここ数日の間、ずっと小さく抱いていた不安が正しかったことを知った。
「そういうつもりか、このバカ野郎が……」
イサムは、自身の乗る氣士用SV“ホワイトナイト”が騎乗する水上移動板の先頭を“エルフィオン”と同じく敵陣の方へ向けた。
○●○
“ダイロビ”王国。城塞旗艦“プルートン”。
全長三○○M。全高一○○M。長距離からのミサイルや砲撃が可能なこの時代に、これみよがしに目立つように建造された大型に実利は無い。その建造を命じた人物の尊大な心理のみが反映されているようだ。
この艦を守護する“氣士”の数は常に一○。王族が傍に置く数のおよそ三倍。この者たちが戦場に出向けばいまこの瞬間にも消えて無くなっていく味方の命がいくつ救えるのだろうかと考えると、彼に対する気持ちが尚更ささくれる。
もっとも、その状況を生み出している張本人が何を思うのかとも自虐的な気分にもなる。
「あ、が、ががが……」
柔らかいベッドの上。
呻きのような声によって、ミリアリア・ダイロビは思考の渦から現実へと戻された。
目の前には、喉を自分に握られてそれを必死に引き剥がそうとする現ダイロビ王国国王代理――ゲオルグ・ダイロビの姿があった。彼は半裸であり、それはミリアリアも同じであった。
ここは戦艦内で最もセキュリティレベルの高い一室だ。
つまりは、このゲオルグの為に設えられた個室だった。
「あ、ああっがっ……」
苦しげな吐息が漏れる。
力量差は圧倒的だ。ゲオルグはミリアリアの手を引き剥がせない。時折、彼はミリアリアの腕に爪を立て、拳と足を繰り出すが、彼女はすべて“氣障壁”で防いでいた。
改めて、目の前へ視線を送る。
この男に好意を持たれていたのは知っていた。
婚約をしたトリスタンとの結婚がせまる度に、この男から兄へ向かう視線が暗く、卑屈なものが増していくのには気付いていた。
だから今回、ミリアリアは彼にとって望み通りの女性を演じた。
婚約者を亡くし、敵国に捕らわれ、それを救ってくれた異性に対するこれ以上の無い好意を醸し出してみせた。
そして、ゴルハラに促される形で、個室で二人という状況になった。
自分とて、この艦の防衛についている精鋭の“氣士”一○人を相手に、目の前の王代理を白昼堂々と殺して無事に済むとは思っていない。
別に、死は怖くない。元より他者――トリスタンに捧げた命だ。
しかし、この王代理を殺したあとに、ひっそりと、そして多少でも時間を得るには、女を使うこの方法が最も都合が良かった。
「私が何も知らないとでも思っているのですか?」
相手の喉を握る自分の手に、力を込める。
「二年前。統一軍との停戦交渉のために地球へ向かっていたトリスタン王子の輸送機を、機体トラブルに見せかけた墜落を演出して殺害しましたね。更にクーデターまで手引きして、当時の王であるハインリヒ王と王妃が殺害されたのを見計らい、自身でそのクーデターを収めた。その後は英雄として国のトップに居座る」
瞳が大きく見開かれた。そして、彼はじきに首を横へと振る。
否定をしているようだ。
(この期に及んで……)
底から歪んだ感情がこみ上げ、ミリアリアは冷たく目を細めた。
「自白はいりません。本来なら、あの人と同じように炎の中で燃やし尽くしたいところですが、せめてもの慈悲です」
ゲオルグに空いた手を向ける。そしてミリアリアはその手に“氣兵装”を錬成した。
それは、あっという間にゲオルグの肉体を押しのけて形を成す。
「!」
手元に、粘土を押し込むような久方ぶりの感触があって。
世界の三分の一を統べる男は、体を痙攣させ白目を剥き、あっけなく息の根を止めた。
借り物の“氣兵装”を引き抜く。清潔さを保たれていたシーツに、ゲオルグにできたばかりの穴と口、鼻腔から大量の血液が降り注ぐ。
――君は、もうそんなものを振るわなくてもいい。
結婚式の前日。突如“統一軍”との、和平交渉に向かうことになったトリスタンに、いつも通りの武装をしてお供をしようとしたときに、彼にかけられた言葉が頭によぎる。
二年越しの復讐を成し遂げた。
記憶を取り戻してから浮かぶあの人の姿と言葉は、いまではハッキリと思い出せる。
それでも、自分でもお驚く程に、
(何の感情も湧いてこない)
ベッドに崩れ落ちた男の前で、ミリアリアはゆっくりと立ち上がる。
(まだ、することが決まっているからか……)
顔を横へと向ける。それは“エイリーシティ”の方角だ。
おそらく、その先には自分を討つためにこちらに向かっている彼がいるのだろう。
「申し訳ありませんトリスタン様。もうすこしだけ我侭を致します」
呟きは、誰にも聞かれることはなかった。
○●○
ミリアリアが軍の礼服を正し、部屋を出て、一本道の廊下を抜けた先の扉を開けると、
「ミリアリア様!」
と、ゲオルグの側近“氣士”二人が敬礼で出迎えた。ミリアリアは婚約とはいえ、王位継承権第一位の王子の妻となる予定だった。すでに皇族の一員になる儀式も済ませており、ダイロビの軍人のほとんどはミリアリアに対してはこのように丁寧な態度をとる。
「ゲオルグ様とのお話は終わりましたか?」
この二人は、本来であれば常にゲオルグの傍を離れない護衛兼側近“の氣士”だ。しかし流石に、その“常”の中にはこういったプライベートな現場までは含まれない。
「ええ。あと言伝があります。ゲオルグ様はお休みになっており、自分が声をかけるまでしばらく誰も部屋に入るなとのことでした」
疑う様子もなく、男の“氣士”は頷いた。
「分かりました。そのように致します」
「それと」
と、呟いてミリアリアは髪を軽くかきあげる。先ほどシャワーを浴びたため、おそらく男二人にはその余韻が感じられたはずだった。
実際に、二人は驚きと照れが混ざった困ったような表情を浮かべる。
本当にそういう事をしていた、と思わせるための小細工だった。
この二年間、本当に色々なことを覚えたものだ。しかし、そういう知識で身につけた仕草も、“彼”を困惑させることすらできなかった。むしろ、困ったように笑むだけだ。
「今日のこのことは他言無用です。まだ、皆に知らせる時期ではありませんので」
しばらく、男二人は無言で佇んでいたが、すぐに言葉の意味を察して姿勢を正した。
「はっ! 承知致しました!」
「それでは、私は戦場へ出向きます」
「ミリアリア様が戦場に出られる!?」
「ミリアリア様は安全なこの艦で待機なさって下さい!」
「ゲオルグ様には許可をいただいております。それとも、騎士将を除けば最強の“氣士”と呼ばれた私が、たかが“カンパニーズ”の“氣士”に遅れを取るとでも?」
「い、いえそのようなことは……分かりました。まだ公表されていないミリアリア様の生存と出陣が伝われば、兵たちも士気が高まりましょう!」
ミリアリアの存在は、いまだ一部の者にしか知らされていない。元王子の姫君が敵の組織で囚われの身となっていたのでは格好がつかないため、“エイリーシティ”を屈服させた後、その成果をミリアリアの功績とすることで、華々しい復帰を演出するためだった。
「しかし、お気を付けください。トリスタン様亡きいま、ゲオルグ様と貴方こそが、今後のわがダイロビの象徴となるのですから。ご武運を」
興奮気味に、“氣士”の二人はそう語った後に、もう一度だけ丁寧な敬礼をした。
ミリアリアは、柔和な笑みを浮かべて見せた。
「ありがとう。ここの護りは任せました」
その場から背を向けて、ミリアリアは歩き出す。
喜びに近い声を背に受けながら、彼女は思いを巡らせた。
かつて疑心を抱き、やがて敬愛し、結果として愛した。その男のためにミリアリアとして為さねばならないことは終えた。
あとは、もう一人の自分のための時間だった。