序章「変化」
昨日、俺は超能力者になった。と、友達に言ったら笑われた。親に言ったら頭の心配をされた。別に冗談を言った訳でも、気が触れたのでもない。
俺は間違い無く、普通ではない、特異な力を手に入れてしまったのだ。
その原因は、今は置いておこう。それよりも今、現在のことを考えなければ。
過去を思い起こすだけなら、死ぬ間際でも出来る。 それに、今の状態を考え、乗り切らなければ、俺は死線を越えてしまうかもしれないのだ。
五月一日、十七時十八分。
――俺は今、異形の怪物を目の前に、丸腰で立っている。
「そろそろ観念したか? へっ、お前みてえな雑魚が最初の相手で助かったぜ」 狼とも獅子とも言えない怪物の声が、日の傾きだした山中に響く。
「くそっ! 行き止まりか」
15、6歳程度であろう、学生服を来た少年、二ノ宮 瑠色が、高くそびえる切り立った崖を前に落胆の声を上げた。
「ふん、お前の力は知らんが、使わないってことは大した能力じゃないんだろ? このまま倒してやるよ。俺の『変化』の力でなあ!」
怪物は数m離れた場所から、瑠色に飛び付いた。
怪物の右前足が瑠色の眼前まで迫ったが、寸でのところで身体ごと飛び退き、かわした。
「うあっ!」
飛んだ衝撃で三回転し、放り出される。
「しぶといガキだな。だが今度は後ろが谷だ、落ちれば絶対に死ぬぜ」
舌打ちを一つし、怪物はこれ以上逃げられぬよう、回りこみながら近付く。
「昨日からの耳鳴りと頭痛がやっと治まったのに、今度はいきなりこんなことになるなんて……。能力ならずっと使ってるさ、お前から逃げる方法を考え続けてる」
荒い息を押さえ付けながら、瑠色は小さな声でぼそぼそと喋る。
「ああ? 聞こえねえぞ、何言ってんだ?」
様子を窺い、ゆっくり歩み寄りながら、怪物は問うた。
「お前から逃げる手段を想像し続けてたって言ったんだよ」
その台詞と同時に、瑠色は後ろに跳んだ。十数mはあるだろう垂直に近い谷のような崖に向かって。
「なっ! ……お、落ちやがった」
怪物は崖下を覗きこむ。所々、樹木がありよく見えないが、下はごつごつした岩石の集まりのようだ。
「頭イカれてやがんのか、あのガキ。くそっ、力は奪えなかったか。まあいい、死んでるのは間違い無いだろうしな」
怪物は一瞬のうちに元の人間の姿に戻った。その男は踵を返して山を下る道に進んだ。
――ガサッ、と僅かな音が崖下から聞こえたが、男の耳には届かなかった。