対流
朝、部屋に鳴り響く音楽によって眠りから覚めた。
ぼんやりとした視界の中、壊れたはずのオーディオが机の上で作動しているのが見えた。昨日までは黒かった機体が、今朝は赤みを帯びている。光学ディスクから読み取られた楽曲は、『タイマー』作動時に聴いていた曲と同じ歌手が歌っているものだ。
「おはよう! 眠れる森の美女が起こしに来ましたよ~」
俺は寝ぼけ眼をこすって、朝一からボケをかます美女に目を移した。
「今日は日曜だ。起こさなくても……」
「一緒に朝ごはんを食べるのです。まあ、何ということでしょう! 素晴らしいルームサービスではありませんか」
俺とは逆のハイテンションだ。
「俺が用意するんだったら素晴らしくはない……。ところであれはどうやってリフォームしたんだ」
ゆっくりとオーディオを指差して言った。
「『電化製品は叩けば直る』のよ」
ああ、そういえばこいつは俺の体を手刀で刺して治したんだったな……。愚問だった。
適当に相槌を打ってから洗面所に行った。
寝癖のついた黒髪と、男前でもない顔が鏡に映る。さっさと他のカッコイイ奴に取り憑きに行けばいいものを。物好きな美女もいるものだ。覗き見で負ったトラウマが根深いのかもしれない。
顔を洗って台所に移動した。
食パンを二枚取り出してオーブントースターに入れていると、ダイニングで親父と一緒に食事中だったお袋が声をかけてきた。平和な食卓だ。
「あら、今日は二枚も食べるの。珍しい」
「なぜか最近よく腹が減るんだ。それから、部屋でゆっくり食うよ……」
「高校生ならそれぐらい入るのは当たり前だろう」
親父がレタスをフォークで刺しながら、のんびりと言った。たまにはいいことを言う。父親たるもの、そうでなくては。
二人から見えないように皿を二枚重ねにする。それからグラスとカップを用意して、カップにはコーヒーを、グラスには牛乳を入れた。焼きあがったパンを皿に移し、冷蔵庫からリンゴジャムを取り出して準備が整った。これらを盆に載せて、自室に戻る。
隅に立てかけていた小さなテーブルが、部屋の中央に移動していた。畳んであった四つの脚で立っている。その横で正座している自称・森の美女ナギーが目を輝かせて言う。
「お待ちしておりました」
テーブルの上に盆を置いてからドアを閉めた。
俺はナギーの向かい側に座った。いまだにオーディオから音楽が流れているが、音量は小さくなっている。
「食パンでよかったんだよな」
「そうです。これは?」
グラスとカップを見て尋ねてきた。
「好きなのを選んでくれ」
「それじゃー半分ずつ。平等に分け合いましょう」
「半分? どうやって?」
「先にあなたが牛乳を半分飲んでから、グラスにコーヒーを半分移せばいいのです。うん、完璧」
なるほど。
いや待て、これは罠かもしれない。
「む、牛乳を飲んでる時に笑わせようという魂胆だな。小学生レベルの手に二度もひっかかる俺ではない」
「この距離で差し向かいだと自爆……。すり抜けるとはいえ、そんなことはやりません」
「それなら遠慮なく」
グラスを右手に立ち上がり、仁王立ちして左手を腰に当て、首を少し上方に傾けて牛乳を喉に流し込んだ。これぞ王道。
半分を一気に飲んで、ふーっと、深く息をついた。
「ぷっ。ちょ、ちょっと何それー」
けたたましく笑いながら、ナギーが苦しそうに尋ねてきた。
「何って、これが牛乳の正しい飲み方じゃないか。知らないのか」
本当は瓶詰めを全部飲み干すのが正しい。
「いきなりだとびっくりするでしょー。お風呂あがりにするものだとばっかり……」
図らずも逆襲に成功したようだ。
グラスをテーブルに置いてから再び座る。
「それでコーヒーはどうする? まぜるか? それともブラック?」
「はー、はー。このままグラスに注いで。どぼどぼと」
ゆっくりとコーヒーをカップからグラスに移した。グラスの中で、乳白色の液体が茶色に染まってゆく。牛乳が多いので濃くはならない。
「では頂きます」
丁寧に手を合わせてナギーが言った。つられて俺も同じようにした。
リンゴジャムを塗りたくったトーストを二人でそれぞれ齧っていると、ナギーが言い出した。
「おいしいねー」
簡単な朝食を食べるその姿は、なぜかとても嬉しそうに見えた。
俺には、慣れた味でしかない朝食だ。
ただ、水をさす気にはなれなかった。